第二話 形だけの結婚式
ヒューパート皇太子殿下はわたくしと同じ年齢なので、もうじき婚姻しなければならない年頃だ。
なのにどうして十七歳であった一年前まで未婚約だったかといえば、昔から想い続ける令嬢がおり、初恋を拗らせたからだと噂されている。
その相手の名は有名で、わたくしも知っているし、何度も言葉を交わしたことがある。
第二皇子ハミルトン殿下の婚約者であり、近く皇子妃となる予定のサラ・ヘズレット伯爵令嬢。ダークブラウンの髪に桃色の瞳のとても愛らしい少女で、弟の婚約者として紹介された時から皇太子殿下は彼女へ叶わぬ恋心を抱いているというのだ。
実際、第二皇子殿下が公務でパーティーなどに出られない時は必ず皇太子殿下が彼女をエスコートしている姿が見られ、非常に仲良さげだった。
今でも皇太子殿下は彼女を想っているに違いない。それだというのに昔から顔も見たくないと言っていたわたくしなどと娶らざるを得なくなった彼はさぞ苛立っているだろうとわたくしは考え、憂鬱で仕方なかった。
ヒューパート殿下が皇太子である以上、多くの王子や王女を設けることが必要不可欠だ。
それを期待して皇帝陛下がわたくしを妃に選んだということは理解している。
だが、他の誰かとならともかく彼に抱かれるのは、正直なところ怖かった。
彼は無理矢理婚姻させられた腹いせにわざとわたくしを痛ぶるかも知れない。そうでなくても優しくはしてくださらないだろう。可憐なサラ嬢と、どちらかと言えば鋭い美貌のわたくしは似ても似つかないのだから。
――どうにか理由をつけて離縁をする手立てはございませんかしら。
結婚式に向かうための馬車の道中、わたくしはぼんやりと窓の外を眺めながら思案していた。
婚姻前に逃げることについては諦めている。問題はその後、いかにして離縁するだ。
貴族は愛のない結婚が常とはいえ、この先何十年も皇太子殿下と共に生きるのはきっと、わたくしも彼も耐えられない。
しかし貴族ならともかく、王族、しかも皇太子夫妻ともなれば自分たちの意思のみで決めるわけにはいかないだろう。誰もに認めさせる理由を作らなければならない。
そこまで考えた時、ふと一つの案が閃いた。
婚姻させられたのは子を成すため。それなら、それを逆手に取ればいいのでは?と。
「そうですわ。わたくしが子を設けられないということにすれば、うまくいくのでは……?」
貴族界では政略結婚が当たり前だが、その中には偽装結婚、あるいは白い結婚と呼ばれるものがあると聞く。
お互い子を成す必要がない際、社交の場でのみ仲の良い夫婦であるふりをして、屋敷の中で別居するような状態で過ごす場合があるらしいのだ。
そして夫妻は好き勝手に愛人を作り、それぞれ自由な生活を送る。
もっとも、わたくしに愛人はいないが、この手は非常に有用であるように思えた。
当たり前だが同衾しなければ子は生まれない。そうすればわたくしは皇太子妃として相応しくないと判断されるだろう。
毎夜同じ寝室で眠れば周囲に怪しまれることもないし、皇太子殿下もわたくしと身を重ねなくてもいいのならと頷いてくださるはず。そしてそのままわたくしの不妊を疑われ、二年もあれば離縁を迫られることは間違いない。
その後の身の振り方は問題になるだろうが、ひとまずは皇太子殿下と別れられればなんでも良かった。
婚姻を結び次第、早速皇太子殿下にこの話を伝えよう。
そう決めたわたくしの心は先ほどまでと一転、非常に晴れやかだった。
「我ながらなかなかの見栄えですわね。これならば皇太子殿下に見劣りしないでしょう」
鏡に映る己の姿を見つめ、わたくしは小さく呟いた。
美しい金髪は頭の上で大きく盛られ、おびただしい数の装飾品で彩られている。白い花嫁ドレスはフリルが施された最高級品であり美しい。
着付け係に礼を言うと、わたくしは結婚式場となる城の小ホールへ入っていった。
皇太子とその妃の結婚となるわけだが、式の参列者は使用人たちを除けば皇帝陛下と皇妃陛下、わたくしの両親である公爵夫妻の四人のみ。兄弟さえも出席していない。
結婚披露宴は後日大々的に行われるため、式はとても小さなものなのだ。
そして式場の中央、その人物はいた。
入場したわたくしを見るなりそっぽを向いてしまった彼――皇太子殿下は、美しく着飾り、輝いて見える。
「やっと来たか」
「お待たせして申し訳ございません、殿下。では早速始めましょう」
彼は何も答えなかった。
フロディ王国では教会関係者が執り行うものだと学んだが、ハパリン帝国にはそもそも教会がないため、婚姻の誓いは皇帝陛下に捧げると決まっている。
本当はわたくしと皇太子殿下は想いを通わせているどころかその真逆であることを皇帝陛下とて知らないわけではないだろうが、形式的に問うてきた。
「ジェシカ・スタンナードよ。汝は夫ヒューパートを献身的に支え、妻として、そして皇太子妃として尽くすことを誓うか」
「誓いますわ」
「ヒューパート・レンゼ・ハパリンよ。汝は妻ジェシカを守り、夫として彼女を愛することを誓うか」
「……誓おう」
内心憤っているからなのか何なのか、殿下の声は震えていたし顔もやはり赤かった。
そしてそっと抱き合い、静かに顔を寄せる。
目前に迫る皇太子殿下の麗しい顔。しかし互いの唇は触れ合う直前に離れていった。
――やはり殿下は、見せかけの口付けさえも拒絶なるほどわたくしのことが嫌いですのね。
わかっていたことだが、きっと彼は今も愛するサラ嬢以外に唇を許したくはないのだろう。それがわかった以上、白い結婚を提案することへの躊躇いは完全になくなった。
やがて形だけの結婚式は終わり、わたくしは、初夜の衣装に着替えさせられ夜を迎えた。
そして夫婦の寝室で殿下を待ち、彼がやって来るなり言ったのだ。
「これは白い結婚ということにいたしましょう」と。
彼は、わたくしの最終的な目的――離縁を望んでいることを察しているのかはわからないけれど。
「お前の好きにしろ」だなんてぶっきらぼうに返事をしたところを見るに、わたくしのことなど
わたくしと皇太子殿下改めヒューパート様は、それ以降互いに口をきくことなく眠りについた。
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