第二十八話 月夜への願いごととほろ酔いの夢

 色々ありつつも、無事にディナーを終えたわたくしたちはとある宿場町へと向かっていた。

 今夜は宿で一泊し、明日の朝に城へ帰る予定になっている。


「途中で少し寄りたい場所があるの。いいかしら」


「あら、もちろんですわ」


 ふふふと笑い合う。少しワインを飲み過ぎたせいで頭がフラフラしてきた気がしないでもない。

 特にわたくしの二倍ほど飲んでいたアンナ嬢の頬は赤く、わたくしよりも深く酔っていることは明白だった。


「うちのアンナが羽目を外し過ぎるかも知れませんがそこのところよろしくお願いします……」


 ぺこぺこ頭を下げるレイフ様と、「気にしないでいい」と柔和な笑みを見せるヒューパート様は、酒に強いのかそれほど酔っていないようだ。


 ――酔っている状態ならいつもとは違う風な会話をできるのではと思っておりましたけれど、どうやら難しそうですわね。しかし構いませんわ、もう充分お話しできましたもの。


 そんな風に思いながら、アンナ嬢が寄りたいという場所へ到着するまで、心地の良いほろ酔い気分に浸ることにした。


 そして約半時間後。

 馬車がゆっくりと停車した。


 到着したのかと思い、窓の外を覗いて首を傾げる。だってそこは――。


「ここは……丘の上ですわね? もしかしてこれが寄りたいとおっしゃっていた場所ですの?」


 建物も何もなく木々の影も見当たらない、何の変哲もない小高い丘だった。

 こんなところに一体何の用があるのか。彼女の意図が不明過ぎて首を傾げた。


「ええ、そうよ! さあさ、早く外に出ましょう!」


 いそいそと馬車の外へ飛び出していくアンナ嬢。

 その足取りはふらついていて、心配したレイフ様が彼女の背後を慌てて追いかけていく。わたくしはただその光景を見つめるしかなかった。


「……私たちも降りるか?」


 こちらもなんだか腑に落ちないというような顔でヒューパート様が問うてくる。

 それにこくりと頷いて、わたくしたちは馬車を降りた。


 すっかり陽が落ちて暗いはずの丘だったが、月明かりがあるおかげで問題なく歩くことができる程度には明るい。

 どうやら今夜は満月らしい。美しく輝く白金の光が眩しかった。


 レイフ様とアンナ嬢も、二人並んで丘の中央に佇み、月を見上げている。


「月が、綺麗だな」


 思わずといった様子で呟いたヒューパート様の言葉に、私は目を見開き、しばしの間言葉に詰まってしまった。


 アンナ嬢に貸されて読んだ恋愛小説の中で、「月が綺麗ですね」という言葉で想いを告げるシーンを見た。これはロマンティックな告白としてよく使われる手法だと、後で学んだのだ。


 けれどすぐ考え直した。ヒューパート様が、そのような意味で言ったはずがないと。

 状況的に先ほどの感想が出てくるのはごく自然なことだ。だから一瞬でも告白かも知れないと疑った己への怒りと嘲笑の気持ちが湧き上がった。


 しかしそれを表情に出さぬよう、努めた。愚かな考えが過ってしまったのはきっと酔っているからだ。そうに違いないと酒のせいにする。


「ええ、本当に。素敵な眺めですわね」


 しばしの沈黙を誤魔化すように微笑んで見せる。

 ヒューパート様が微妙な顔をしていたけれど、気にしないようにした。そんなことをいちいち気にしていたら、せっかくの雰囲気がぶち壊しになってしまう。


 そして代わりにアンナ嬢に声をかけた。


「アンナ嬢、この景色を見るために丘の上に馬車を停められましたの?」


「まあ、そうね。でもそれだけじゃないわよ。知っているかしら? この丘には言い伝えがあってね。初代国王陛下とそのお妃様が身分違いの恋に苦しんでいる時、お二人の願いを天が聞き届け、満月が祝福した場所なのよ」


 わたくしを振り返った彼女はウキウキと話し出した。


「それ以来、この丘で満月の日に願い後とをすると叶うという噂が広まって、恋人たちに大人気なの! ちょうど今日が満月だったから絶対にここに来ようと思って朝からワクワクしていたんだから! 絶対こんなところだったら私の好きな色恋沙汰が見られるに違いないじゃない? 皇太子殿下とジェシカ妃殿下が何をお願いするか……考えるだけでもにやけてしまうわ!」


「アンナ、少し酔い過ぎだよ」


「いいの! あ、私の願いごとは決めてるのよ! それはね、皇太子殿下とジェシカ妃殿下が――」


「だから言い過ぎだって」


 酔いのせいでいつもより饒舌になるアンナ嬢をレイフ様は嗜め、彼女を抱いて二人きりの世界に沈み込んでしまう。

 「レイフぅ……」と甘えたような声が漏らすアンナ嬢。朝、馬車で言っていた通りにわたくしたちの目の前であるにもかかわらず戯れ合うその姿は、しかしとても美しいもののように見えた。


「せっかくアンナ嬢がこうして連れてきてくださったことですし、わたくしもお願いごとをしてみようと思うのですが、ヒューパート様はどうなさいますか」


「そうだな。やってみて損はない。お前がどうしてもと言うなら、やってやってもいいぞ」


「なら、ご一緒にいたしましょう」


 白金の月を再び無言で眺める。

 そうしながら、そして一体何を願おうかと考えた。


 すぐ隣に立つヒューパート様はどんなお願いごとをなさっているのだろう。

 サラ様に関することかも知れない。どんなにわたくしが努力しようが、彼にとっての一番はサラ様に違いないから。


 それならわたくしが願うことは、たった一つ。


「――ヒューパート様と無事に、後腐れなく離縁できますように」


 口の中だけで漏らした言葉は、ヒューパート様には届かない。

 チラリと横目に見た彼の頬は、なぜかほんのりと紅く染まって見えた。




 満月への願いごとが終わればすぐ、馬車に乗り直した。


 アンナ嬢はレイフ様と戯れているうちに眠ってしまったようで、宿までの馬車道は非常に静かだった。

 宿に入ると、わたくしとヒューパート様、アンナ嬢とレイフ様の二組に分かれ、それぞれの部屋へ。


 酔っていたせいもあってすぐ眠くなり、わたくしもヒューパート様もろくに言葉を交わすことなく、すぐ横になった。

 ベッドの中で噛み締めたのは達成感。サラ様がおっしゃっていた歩み寄りというのができているのかはわからない。けれどきっとこのまま努力し続ければ、心残りなく離縁でき、笑顔で城を去れるほどの関係には至れるはずだ。


 それでいい。それのためにわたくしは、今日一日を過ごしたのだから。

 満月への願いごとだってしたのですもの、むしろ叶ってくれなければ困りますわね、と小さく笑った。


 そのまま、気づけばいつの間にか夢の世界に落ちていた。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 それは本当に、美しい少年だった。

 風にそよぐ銀髪に、意志の強そうな赤い瞳。一目で惹かれて、わたくしは、彼のことがどうしようもなく大好きになった。


『好きだよ、ジェシカ』


 そんな風に彼に微笑みかけてほしかった。

 優しく言葉をかけてほしかった。


 けれどいつもその少年は怖い顔ばかりしながらわたくしを罵ってきて、会う度に心が傷ついた。


「――わたくし、殿下に嫌われていますの?」


 幼いわたくしがお父様に無邪気に訊く。

 お父様は悩ましげな顔をして、「そうかも知れぬな」と静かに答えた。


「だが、お前が立派な淑女に――王妃に相応しい女になれば、認めていただけるだろう」


 だから、わたくしは頑張ったのだ。死力を尽くしたと言っても過言ではないくらい。

 それでもあの少年に手が届くことはなかった。いつもそっぽを向かれ、嫌われる。


 そしてある日、殿下は弟君を見ながら言った。

 あいつはあんな婚約者がいて羨ましい、と。


 サラ嬢は可憐だった。

 わたくしは美しいと自負しているけれど、栗色の髪に桃色の瞳をした彼女は、所作の一つ一つに至るまで可愛らしい少女だった。


 その時わたくしは、殿下はあのような女性を求めていたのだと理解した。

 わたくしのようなきつい顔の可愛げのない女ではなく、サラ嬢のような可憐な方がいいのだと。


 悔しくて悔しくて、いつしか殿下への憎悪が胸の中に湧き上がるようになっていった。


 だからナサニエル様から婚約の話が来た時、わたくしは心底ほっとした。


 ――ああ、もうこれ以上、殿下を嫌わずに済みますのね。


 頬を伝う涙は、喜び故なのか悲しみからなのか、よくわからなかった。

 ナサニエル様と婚約すればもう殿下のことなんて気にしなくて良くなる。そのことがたまらなく嬉しく、哀しい。


 これでいい。そう、これでいいのだ。

 わたくしが完璧令嬢と呼ばれるまでになったのは、この日のため。決して殿下のためなんかじゃないと言い訳をして、自分の初恋に蓋をした。

 それ故に気づかないふりをしていた。否、彼と白い結婚をした今でもなお、気づかないふりをし続けている。


 わたくしの嘘偽りなき本当の願い、それは――。




 殿下に愛され笑顔を向けられ、その隣で幸せに微笑むことだった。

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