第三十三話 ずっと好きだった 〜sideヒューパート〜

 イライラと銀の髪をかきむしる。

 一体自分は何をしているのだろうとわからなくなった。そんな中、思い出すのはつい数時間前に父である皇帝から告げられた言葉だった。


『ヒューパート、速やかに新たな妃を娶れ。貴族であればどんな身分の女でも構わぬ』


 新たな妃? どんな身分の女でもいい?

 言われた時は冗談じゃないと咄嗟に叫び返してしまったほどに激昂した。


 けれど父は言っていた。充分時間は与えたと。

 忘れていたのだ、二年間子作りしなければ離縁せざるを得ないというこの国の仕組みを。どうしてそんな簡単なことを忘却していたかと言えば、それどころではなかったからだ。


 婚姻してからというもの、私は常に迷走していた気がする。ジェシカとの関係性でギクシャクしてひたすら自己嫌悪に陥っていた。


 だがそれはあくまで言い訳。ジェシカとの関係を有耶無耶にしてずるずると引き延ばしてきたのは間違いなく私の責なのである。


 王族は子を設けなければならない。しかし白い結婚では到底無理な話で、その結果私とジェシカは離縁させられるのだ。

 ジェシカはきっと最初からこの事態を想定していたのだと今更気づいた。彼女がこのくらいのことをわからないわけがない。


「……どうして」


 わかっている。私はどうしようもなく彼女に嫌われているのだ。

 幼少期から一度たりとも彼女を慮った言動をせず、今でもまっすぐに彼女を見つめられないでいる私が、どうして好かれるというのだろう。


 数日前、ジェシカが私の誕生日を盛大に祝っていたのはあくまでお返しに過ぎない。ダブルデートはヴェストリス侯爵令嬢に誘われたから。クッキーを作ってくれたのだって、全ては義務感による行為。


 それは理解していた。承知の上で婚姻を結び、今までの二年間を過ごしたはずだった。

 なのに少し親しげに振る舞われたからと勘違いしてしまった私は愚かだ。


 そもそもが望んで迎え入れた妃でも何でもない。書類仕事の手伝いがしてもらえなくなる程度の損害しかなく、離縁したとて一向に構わないはず。

 しかしそんなのは到底許容できることはなかった。考えただけでも無理だった。


 だって――――私はジェシカを、好いてしまっているのだから。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ジェシカとの出会いはまだ互いに五歳の頃だった。

 十三年前の話だ。しかし今でも、幼きジェシカの美しさは目に焼き付き、ひとときとして忘れたことがない。


 私自信、美貌には相当な自信があった。周囲の人間にひどく褒めそやされ、弟のハミルトンに比べて大きく容姿が優っているのも自覚し、隙さえあれば自分の美しさを誇っていた。調子に乗っていたとも言える。

 しかしジェシカはその自信を易々と打ち砕くほどの衝撃を私に与えたのだ。


 そんな彼女に子供らしい嫉妬心を抱いた私は、それからというもの彼女に会う度会う度しつこいくらい不遜で不快な物言いを繰り返した。

 しかし身勝手なことに彼女に惹かれていっている自分もいた。


 だがそんなの、私の誇りが許さない。

 こんな頭でっかちの女を私が好きになるわけがないだろう。私より目立つなど不敬だ。生意気で視界に入れるのも嫌だ。


 そう思い込み、ジェシカを遠ざけた結果……気づけば彼女は別の男と婚約していた。


 腹立たしかった。とてつもなく腹立たしかった。

 本来己へ向けるべきだったそれを彼女自体への怒りに変え、さらにジェシカとの関係を悪化させ、そしてそれから色々なことを経た挙句彼女と婚約することになってしまったのだ。


 結婚したら抱いてやってもいい。上から目線でそう考えていたというのに当然のように白い結婚を提案され、それを受け入れ変な意地を張り続け、やることなすこと悪手ばかり。

 少しずつ関係が改善していった風に思えるのも全てジェシカのおかげで、私は結局、何もできなかった。


 ずっと好きだったのに。

 触れ合えば触れ合うほど、近づけば近づくほどに高まる想いを強く自覚していたのに。


『月が、綺麗だな』


 そう告げた時は今までの人生で一番というくらい勇気を出したつもりだった。

 しかしジェシカは私の真意を理解してくれはしなかった。単に私のことなんてどうでもいいと無視されただけなのかも知れない。


 けれどそれではどうにも辻褄が合わない気がするのだ。


 誕生日祝いの時に振る舞ってくれたあの料理の数々は、相当苦労して腕を磨いたのだろう。

 もらったハンカチはボロボロで見るにたえなかったが、彼女の努力が滲み出ていた。


 それらが全て偽りだったというのか。

 無視するなら徹底的に無視をすればいいだろうに、どうして思わせぶりなことばかりするのだろう。


 そんな風に憤る自分が嫌で嫌で仕方なく、必死に目を逸らし続けていたのだろう。

 だがいつまでも逃げられるはずがない。とうとう離縁という現実を突きつけられて、私はここまで動揺しているのだった。


「どうすればいい……?」


 ぐるぐると城の廊下を歩き回りながら自分へと問いかけた。


 本当はきっとジェシカは私なんてどうでもいいのだ。それどころかきっとようやく離縁できると喜んでいる。

 それを引き止めるなど許されることではない。悪いのは私であり、傷つけられ続けていたのは彼女の方である。せめてここは唇を噛んでグッと堪えるのが最適解に違いなかった。


 それでも、思う。


 これからもジェシカと共に過ごしたい。

 彼女を間近で見続けたい。本音を言えば白い結婚なんてさっさとやめて、きちんとした夫婦になりたい。


「何をグジグジとしている。そうと決まれば行動しないと何も始まらないだろうが……!」


 叫び、自分を奮い立たせる。

 ハミルトンの言葉は正しかった。私は本当に厄介な男だ。なら最後まで厄介な男でいようではないかと開き直った。


 そして急いで向かったのは、皇帝との謁見の間。

 玉座に腰を下ろしていた父は顔を上げると、ニヤリと頬を歪めて私を見た。


「ああ、やっと戻ってきたのか」


「……わかっていたんですか。本当に意地が悪い」


「ここで貴様が直談判しに来なかったら皇太子から外していただろう。命拾いしたな」


 その口調は少しも冗談のように聞こえず、ゾッとする。

 つまりあれか。スタンナード公爵家の後ろ盾を失えば私は皇太子でいられなくなるというわけか。私のような男にはその末路がお似合いとも言えるかも知れないが、それはひとまずお断りしておこう。


「ジェシカは私の妻です。父上、どうかお慈悲をいただけませんか。猶予を与えてほしいのです」


 膝をつき、父に心から懇願する。

 私の必死さの意味をわかっているのだろう。父は頷き、表情を少し険しくして言った。


「ジェシカ嬢の気持ちが伴うのならば、それも許してやろう。しかしそうでなかった時は――」


「わかっています」


 そう言いながらも、きっと断られてしまえば私は私を抑えられないだろうという気がしていた。

 胸ポケットからジェシカのハンカチを取り出し、それに祈りを込めながらぎゅっと拳を握り固める。


 ――どうか、この愚かな私がジェシカに認められますように、と。

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