第十八話 夫の想い人と二人でお茶を
――わたくしは一体、どうすれば。
結婚一年目以降の日々は、とても息苦しかった。
こうなることはわかっていたはずだ。この状況を覚悟でわたくしはヒューパート様を今まで以上に拒んだ。だというのに実際体験してみればすぐに弱音を上げてしまうなど情けないことであるとはわかっている。
しかし、半月もしないうちに肩身の狭さに耐えられなくなった。
使用人たちの視線が、わたくしが悪いのだと責め立てているように思える。わたくしがもっと上手くやっていれば円満に過ごせていたはずだとヒューパート様の後ろ姿が言っているような気がした。
気を紛らわせるためにアンナ嬢とお茶会を開いたりしたけれど、気分は晴れなかった。
「思い詰め過ぎよ。話を聞く限り、そんなに嫌われていないと思うのよね。というか逆に好き過ぎて空回りしている感じが半端ないわ」
アンナ嬢がそうやって慰めてくれたものの、わたくしは素直に頷くことはできなかった。
親友の言葉も聞けないくらいに疲れていたのかも知れない。疲れ切り、なんだかもう嫌になっていた。
笑顔を保ち、平気なふりをして毎日を過ごすけれど、このままではいつか限界が来てしまう。
取り繕えなくなってしまう。
もういっそのこと、体調を崩したから静養したいとでも言い訳をして、一度公爵家に戻りましょうかしら。
そんな風に考えていたある日のことだった。
「ジェシカ様、お茶会へのお誘いが」
そう言って、クロエが一枚の手紙を渡してきた。
「……あら、どなた?」
またアンナ嬢かしら。
そう考えたけれど、クロエが口にしたのは意外な名前だった。
「第二皇子妃サラ殿下からでございます」
「まあっ」
皇子妃となったサラ嬢――いえ、サラ様と呼ぶべき彼女からお茶会へ招かれるなんて、一体どういうことなのだろう。
手紙を見ると、本日がお暇なら一緒にお茶をいたしませんかと少し可愛らしい丸文字で書かれている。
わたくしはそれを読み終えると、侍女に命じた。
「日程は本日ですのね。すぐに参りますわと、サラ様専属侍女にそう伝えなさい」
花のように可憐なその少女は、西棟と東棟の
そしてこちらの姿をその目で捉えるなり、桜色の頬を柔らかく緩める。明るい空色の涼やかなドレスの裾を掴み、彼女は頭を下げた。
「お忙しい中お越しいただきありがとうございます、ジェシカ様」
「こちらこそお招きくださいまして感謝いたしますわ」
わたくしは彼女より格上である皇太子妃なので頭は下げず、代わりに目礼した。
「掛けてもよろしくて?」
「もちろん。お茶は爽やかなハーブティーと紅茶、どちらがお好みですか」
「紅茶でお願いいたしますわ」
「承知しました」
彼女がわたくしを招いた意図を探り、それとなく観察してみる。
しかしそのにこやかな表情からは読み取れない。身分こそ伯爵家の出ではあるけれど、皇子妃教育を受けた年数でいえば彼女の方がずっと上。さすがでいらっしゃいますわね、とわたくしはこっそり感心した。
侍女がカップに紅茶―― サラ様の生家ヘズレット伯爵家が治める領地で作られたものらしい――を注ぎ、お茶会が始まってしばらくは相手の動向を伺いつつ雑談を交わすことにした。
「サラ様とお会いするのは第二皇子殿下とのご成婚パーティー以来でございますわね」
「あの時はありがとうございました。
「お気になさらないでくださいませ。ヒューパート様はきっとサラ様と久々に顔を合わせられたことを喜んでいたと思いますわ」
「……そうなのですか? それなら良かったですが」
サラ様がわずかに眉を顰めた気がした。ということは、彼女はヒューパート様に想いを寄せられていると知らないのか、それとも知っていてとぼけているのか。
わたくしが思考を巡らせる一方、サラ様は嬉々とした様子で第二皇子殿下との新婚生活を語る。
「ハミルトン様ったら素敵なんですよ。城を出て帰ってくると、
そして
彼女と第二皇子殿下の仲睦まじさは周知の事実ではあったが、耳が痒くなるほど甘く、そしてほんの少し羨ましかった。
わたくしも彼女のように幸せな結婚ができれば良かったのに、と。
しかしわたくしはその内心を見せることなく微笑んだ。
「素晴らしいですわ。まさに理想の旦那様でいらっしゃいますわね」
「ええ。ジェシカ様は、いかがなんです?」
「――わたくし?」
思わず身を強張らせてしまったことは、サラ様に悟られただろうか。
爛々と輝くサラ様の瞳を見てわかった。彼女がわたくしをお茶会に招いたのはこの話がしたかったからなのだ。
サラ様とわたくしは過去に何度もパーティーなどで顔を合わせたし、複数人で開かれたお茶会などでも同席した経験もある。
だがこうして一対一で向かい合うのは初めてで、だからこそ怪しんでいたのだが、こういう話をしたいがためなら納得がいく。
「わたくしは……」
愛されておりますわ、と噓を吐くべきなのだろう。
けれどわたくしの口からは思うように言葉が出なかった。
そんなわたくしの迷いを悟ったのか否か。
それはわからないが、わたくしより先に再び口を開いたのはサラ様だった。
「差し出がましいようですが、一つアドバイスをさせていただいてよろしいでしょうか?」
「……はい」
「夫婦の仲を保つためには、ただ待っているだけではいけません。自ら歩み寄り合ってこそ、支えられるのです。それに、互いを理解すれば想いが変化することもあるかも知れないと思いませんか」
「そう、ですわね」
「今でこそ
どこか優しい目をして微笑みながら、サラ様は話し続ける。
「でも、それは全部相手のことを知るきっかけとなり、いつの間にか互いに強く惹かれ、心から愛し会えるようになったんですよ。ですからジェシカ様も――――」
彼女の言わんとしていることはわかった。
ヒューパート様に寄り添い、彼の心を理解し、関係を改善する。それが一番の手だと、わたくしに示してくださっているのだろう。
しかしわたくしにそんなことができるだろうか?
いつの間にか互いに強く惹かれるなんてことは考えられない。そもそも、わたくしたちのこれは白い結婚。関係改善などする必要はないはずだ。たとえ居心地の悪い冷戦状態が続いていたとしても。
だというのに、その時ちらりと脳裏に思い浮かべてしまった。他の令嬢に、そして特にサラ様へ向ける、ヒューパート様のとても美しい笑顔を。
あの顔をわたくしに向けてくださるわけがない。
彼にとってわたくしはどこまでも嫌な女。しかも、本心に反すると言うのに溺愛を装っていたその好意を跳ね除けてしまった愚か者だ。
だけれど、もしもあの笑顔が見られる可能性がわずかにでもあるとするのであれば。
――離縁する前の思い出にするため、少しは努力してみるのも損ではないかも知れませんわね。
わたくしはサラ様に微笑み返した。
「ご助言ありがとうございます。今後に活かさせていただきますわ」
「ご健闘をお祈りしています」
それからしばらくまた雑談を交わし、お茶を飲み干すと、二人きりのお茶会はお開きとなった。
別れ際、「またこうしてお話ししたいですね」とサラ様は言っていたが、それが現実になるかどうかは非常に怪しいところだ。
それでも今回のお茶会は悪いものではなかったので、静かに頷いておいた。
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