第十五話 自己嫌悪 〜sideヒューパート〜

 どうして私はこのようなことばかりしか言えないのだろうと自分が嫌になる。


 別に監視していたつもりはなかった。ただどうしてもジェシカのことが気になってしまっただけだ。

 ジェシカとアンナ・ヴェストリス侯爵令嬢は異様なほどに仲が良いと聞く。普通、令嬢というものは数人で集まるのが普通であるのに、ああして一人きりで招くというのは、絶対何かあるとしか考えられない。

 その理由が気になって気になって仕方なくなった私は、いけないとわかっていながらもつい覗き見してしまった。


 結果、心配は杞憂だったらしい。もちろん遠目からなので会話の内容までは聞こえなかったが、表情は終始にこやかであり、何か悪巧みをしている様子はなかったので安心した。


 まさかその覗きをジェシカに気づかれていたなんて思いも寄らなかった。ジェシカのことを侮っていたのだろう。


 悪気はなかった。

 執務室に訪れるなり私を問い詰めてきたジェシカに向かってそう口にすれば、ますます冷えた目を向けられた。


 それにどうしようもなく腹が立って、私はジェシカと言い争ってしまった。

 夫婦喧嘩というのだろうか。言い争いと言っても声を荒げるような激しいものではなかったが、私たちの間に決定的な亀裂が入ったのは確かだった。


 ――そうか、私は言い訳するのではなく謝るべきだったのかと気づいたのは、ジェシカが部屋を出て行ってしまった後で、手遅れだった。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 冷戦状態とでもいうのだろうか。

 朝起きても私は、今までのようにジェシカに声をかけられなくなった。

 向こうから何か言ってくれば、答えるつもりはある。けれど彼女は何も言ってこない。それどころか私より早く起きて、さっさと朝食を済ませてしまっていることが増えた。


「こんなのでは使用人たちに怪しまれるだろう。そうなれば最悪、私の名誉に傷がつく。……もちろんお前も貶められる」


 耐えられなくなってジェシカにそう言えば、「ただの痴話喧嘩と思われて終わりですわ。ご心配には及びません」と微笑まれるのみ。

 その目は少しも笑っていなかった。


 ジェシカの美しい翠の瞳が輝いているのを、私は一体何年見ていないだろう。

 甘やかせば喜ばせられると思った。あわよくば、白い結婚というのも撤回されるのではないかと。


 全ての始まりは、ジェシカが使用人にコケにされていると知った時。

 なんとも形容し難い怒りに燃え上がった私は、ジェシカを貶める使用人たちを全て解雇した。城の生活の維持に支障が出ることはわかっていたがそれでも容赦はしなかった。


 私がジェシカを救った、といい気になっていた。

 ジェシカはこれで私を認めざるを得ないだろう。彼女一人では手に負えなかった事象を私は一人でどうにかして見せたのだ。


 その上で、二度とこんなことがないようにと、私はこの数ヶ月、できるだけ彼女との距離を近づけ、外野が口を挟めないようにしてきた。それなりに行動もしたつもりだった。

 ……だが、その結果はどうだ。


『――わたくしのことなど気遣ってくださらなくて結構ですわ』

『別に無理をなさらなくてよろしいのですよ』

『ヒューパート様はわたくしの顔など見ていたくないのでしょう?』

『ともかく、わたくしへ余計な配慮をなさらないでくださいませ』


 幼少の頃の失言をわざわざ掘り返された上で、はっきりと拒絶された。


 顔を見たくないと言ったのは、ジェシカの顔を見る度に落ち着かない気持ちになったからだ。

 どうしてそんな細かいことを今になって言い出すのだと身勝手にも憤った。もう何年前の話だったか、私は覚えていない。きっとジェシカも忘れているだろうと思っていたのに。


 おそらくずっと、何年も彼女が心の中で思い続けていた言葉だったのだろう。完璧な笑みの中に隠してきた想いだったのだろう。

 私はそれに気づかないふりをしていた。


 ――どうして。

 私はいつも失敗ばかりだ。失敗に失敗を重ね、ジェシカとの溝を深くした自覚はあった。

 だから最大限気をつけていたつもりだ。だがそれは逆効果でしかなかった。


 甘やかせば、それらしい言葉をかけていれば、思い通りになると舐めていたのではあるまいか。

 私はジェシカを何だと思っていたのだろう。生意気で慇懃無礼で私より美しく完璧な女、そんな外側しか見ていなかった――そんな気がしてならない。


 そもそも最初から全て考え方を間違えていたのである。こんな男、嫌われても当然だった。


 ――好きで好きで仕方がないくせにフラれるのを恐れ、変な意地を張って関係を拗らせる系の厄介な男ですね。


 ハミルトンの言葉が脳裏に蘇り、私は血が滲みそうなほどに唇を噛んだ。


 やり直したい。今すぐにでもやり直したい。けれどきっとやり直したとて、私は同じ行動を取ってしまうだろうと思える。

 自責の念に喉を掻きむしりたくなった。けれど皇太子である私がそんなことをしては許されない。それがさらに重荷となって私の肩にのしかかるのだ。


 私は一体、どうしたらいいのだろう。

 「すまなかった」と謝れば許してもらえるだろうか。そう考え、私は首を振った。

 そんな都合のいい話があるはずない。その時期はもうとっくに過ぎてしまっていることくらい、私でもわかる。


 なら行動で示せばいいのだが、他の術など思いつかなかった。


「時間が経てば、自然にどうにかなるものだろうか」


 ジェシカと出会って十三年以上。時間で解決できるような問題ではないことは理解しているはずなのに、思わずそう呟いてしまう。

 それはこの状況から自力で抜け出すことができないと認めているようなものだった。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ジェシカは私のことをやはり憎く思っていたらしい。

 私と夫婦らしい振る舞いをしていた時と一転、私が執務の場所を執務室に戻し、寝室に足を踏み入れる回数を減らすとジェシカの顔色が良くなったような気がした。

 夜は私の帰りを待たずに眠りについており、寝顔はとても安らかだ。


 それほど私が傍にいることが心理的負担になっていたのだと突きつけられたようで、辛かった。


 悔しい。悔しくてたまらず、沸々と湧いてくる怒りを彼女へぶつけてしまいたくなる。

 お前は体裁を考えているのか、私の立場にもなってみろ、私があれだけ色々と良くしてやったのに不満しかなかったのか……そんな風に。


 それをどうにか呑み込んで、その度に私は深い自己嫌悪に陥るのだ。

 いつまでこのような日々を過ごせばいいのだろう。寝床と化している長椅子に顔を埋めながら、深くため息を吐いた。

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