南海概略(読まなくても大丈夫)

南海の島の過去の万華鏡のような怒涛の日々

国生み神話の頃、

南海道でイザナミとイザナギが国生みしたのだった。


まずは淡路島でまぐあい、

最初は沼島を生み出した。


神でさえ、最初は失敗するものとしてあらわれた。


そうして、島と言える大きさとしてきちんとできたのは、淡路島であった。


その次に伊予二名島(いよのふたなのしま)としてこの島は産み落とされた。



淡路島ではイザナミとイザナギがぐるぐるまぐあったが、火の神を産むと奥さんは、死の国へ向かう。



国生み神話では四姉弟(きょうだい)では、淡路島の神の後、長女・愛比売(エヒメ)、長男飯依比古(イイヨリヒコ)、次女・大宜都比売(オオゲツヒメ)、次男・建依別(タケヨリワケ)という風にランキングが作られた。



古代の時代は東の方で忌部氏という人たちが衣服を作り経済的に豊かな土地を作りエビスと呼ばれる神をよく信仰した。


島の東は経済の土地。北の方は農業担当。食べ物を作り、西の方では文化を作り、南の方では人を育てることや新しい新技術を信仰していたらしい。


この島は占いの島。浦が名字につく人も多い。


何かあると「拝み屋」という職の者に加持祈祷をしてもらっていたようで、

イッツ・ア・スピリチュア・アイランドとして発展していった。


この列島を統一した皇族にも因縁があるともっぱらの噂だ。


平安時代の頃はその長女が大海賊としてこの列島の西半分の海を制圧したり、長男の赤い旗のもと平和な日々を過ごしていた。


源平合戦の頃は、平家についたり、源氏についたり兄弟喧嘩。承久の変で当時の天皇チームが敗北してからは、新しい王様が派遣されてきた。


新しい王様と旧い王様のチームで戦いはじめることもあった。新しい王様側からはそれを反乱といった。旧い方にいた武士は追いやられて、島の南半分では赤い人たちは虐殺された。


承久の変も承久の乱ということもある。新しい王様と古い王様の間の見方の違い。勝った側は承久の乱と言った。負けたほうは承久の変と言った。承久とは当時の年号。クーデターの成功の善悪の見方で、戦いの名前まで変わってしまった。一体、どちらが正義で、どちらが悪だったのか?あるいは……。


姉弟の子どもたちが分家に分家を重ねて、過去のことはどんどん忘れていって、もはや姉弟の島だったことも忘れはじめた頃。


南北朝の頃も細川氏でやっと一つに仲良くまとまったかと思いきや、戦国時代の近い昔、織田信長に「鳥なき島」と揶揄されはじめた。北の方を征服した東の方が海を渡って新しい幕府を作り、天下を治めたかと思いきや、息子が死んでうつ病になった大名もいるし、西の方では海賊として戦い始めたり、西の南の方や、南の西の方では公家文化が発展したりし、のほほんと開放的に暮らしていた。格下だと思っていた南の方のさらに小さな勢力がめきめきと力を発揮。一条さんは「野蛮人」だと言っていた南の中央の長宗我部によって、この島はほぼ一つに再びまとまった。



豊臣秀吉に三方向からこの島は征服されて、またバラバラになった。蜂須賀や生駒や小早川などがまた新たに外からやってきた。



長宗我部元親も九州征伐のときに愛情込めて育てた息子が、四国を征服してきた武将の手により死んで、元親も精神を病んでしまった。姫若子の末路であった。


この島の人は、メンタルが弱い人が多い。それはスピリチュアルアイランドだから、もともとメンタルを常時使っていると言っても過言ではない。この島にいるとMPはじわじわ減っている。息子が死ぬようなメンタルに衝撃を与えると病んでしまい、廃人になる。



関ヶ原の戦いで西側諸連合に百パーセントの力をベットした者は消え果てて、江戸時代には島の南半分に2つの藩王国ができた。


南半分は外様大名と呼ばれた藩王朝ができた。

東半分は東側陣営にも西側陣営にもどっちにもつくという作戦で大勝はしなかったが生き残ったものの、南半分の西側は西側陣営についてしまったが、戦うことなく帰ってきてそのまま、旧い王朝は取り潰し。新しく山内さんが入ってきた。残った旧臣は相撲大会で皆殺しにしたという。命からがら生き残った旧い王朝の武士は位の低い武士として怨念を持ちながら残ったという。


北側の西半分は八つに分裂。北側の東半分も将軍家と愉快な仲間たちの三藩できた。北半分の方が当時は位が親藩の藩王朝もできたので、北半分の方がランキング的には上だった。


明治維新の頃は、逆に北半分は朝敵扱いされたこともある。

南の方は、この列島で四強の地位を獲得。島津・毛利・長宗我部・龍造寺の恨みが二百五十年ぶりに晴らせたのだった。


ランキングは時代とともに上下変動していた。昭和の時代の学区制の頃も、南半分の大学は一期校、北半分の大学は二期校として、大学の格付けも明治戦争の頃の結果で決まったのだった。


この島・四国は、人さえも消え褪せ果てる手前までやってきた。最早、いうなれば、「有なき島」とも呼ばれる状況とあいなった。何もないのが、四国の四柱の神の上には残るのみになりつつあった。

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