第11話 最終章

――兄にとって、僕はどんな存在だったのだろう?

 兄は、何をやっても無難にこなす人だった。弟の自分から見ると、羨ましいとしか言いようがない。

 だが、考えてみれば、それは、

――平均的に何でもこなす人間――

 というのが兄だった。

 誠が目指しているものとはハッキリ言って違っていた。

――僕が目指しているものは、他のことは人よりも劣っていても、これだけはと言えるものが、一つであって、それが突出していればそれでいいんだ――

 と思っていた。

 だが、この思いが兄に対してのコンプレックスから生まれたのだということを、すぐには分からなかった。

――僕は何をやっても、兄には敵わない――

 という思いをずっと抱いていた。

 それは兄に対してのコンプレックスの根源だったのだが、そこには、

――何事もすべて無難にこなしている人が、一番人から信頼されるのだ――

 という思いがあったからだが、本当は、人から信頼されることというよりも、

――女性にモテること――

 という、もっと狭い範囲での憧れだったことに気付かなかった。

 気付いていたのかも知れないが、思春期の誠には、あからさまに女性にモテたいと思わないようにしていた。恥かしさというよりも、考えていることを、まわりに看破されるのが嫌だった。実際には、そこまでまわりから自分のことを気にされているわけでもないのに、そこまで感じるのは、

――僕だって兄の弟なんだから、僕のことを好きになってくれる人はいるはずだ――

 という感情があったからだ。

 それには、体型をもっと整えなければならないのは分かっていたが、性格的にひねくれかけている自分が分かっていたので、

――まず性格面を――

 と思ったのである。

 そんな誠を見る兄も目は、誠が考えているものではなかった。上から目線ではあったが、見下ろされながら、何かを訴えているようにも思えていた。

 下から見上げる弟の視線を怖がっているようにも感じられた。完全な優越感からの見下ろす視線ではなかったことは事実だ。

――僕の何を怖がっているんだ?

 弟としては、逆に兄が怖がっている視線を気持ち悪く感じた。兄が怖がりだという思いを抱いたことはない。だから、表に出る表情には兄の怖がっている顔は想像できない。それなのに、視線だけで怖がっている様子を感じることができたのも不思議な感覚だった。

――やっぱり兄弟なんだな――

 と感じたほどだが、兄弟だから分かる部分もあれば、逆に見えない部分もあるということに、その頃ちょうど気付き始めたのではなかったか。

 兄を見ていて、兄が女性のように思えてくることがあった。バスケット部に所属していて活躍している兄を見ていて、誰が女性のイメージなど抱くというのだろう。弟だから分かることではないのだろうかと思った。

 しかし、兄弟だから逆に思い込みもあるかも知れない。

 兄に対して女性のイメージを感じたというのは、弟特有の思い込みなのかも知れないとずっと感じていた。しかも、その頃まだ誠は女性と付き合ったこともなかった。だから女性というものがどういう雰囲気なのか分からなかった。勘違いや、思い込みだと感じても仕方がないだろう。

 誠に初めて彼女ができた時、

――これが女性のイメージ――

 初めて付き合う相手なのに、どこか以前から知っていたように感じたのは、女性としての雰囲気を感じることができたからだ。それがどこから来ているのかすぐには分からなかったが、それが兄のイメージから来ているのだと分かった時、記憶は兄に対してコンプレックスを感じた時に戻っていた。

――せっかく、彼女ができて、兄に対してのコンプレックスがなくなってきたのに、何を今さら兄に対してのコンプレックスを思い出さなければいけないというのだろう――

 誠はその思いが、自分の中で堂々巡りを繰り返らせていることに気が付いた。

 その頃の兄は、中学時代の頃の兄とはすっかり変わってしまっていた。

 元々口数は少なく社交的ではなかったが、さらに人と話すこともなくなり、何よりも、自分のまわりから人を遠ざけるようになっていた。

 まわりにいる人は、必要最低限の関わりを必要とする人、仕事で関係のある人だけだったりしていた。彼女もおらず、作ろうという意志もないようだった。

 考えてみれば、あれだけ女性にモテているように見えた兄が、本当に女性と付き合ったというのは、何人なのだろう? それはまわりが認めている人数よりもずっと少ないかも知れない。

――ひょっとして、付き合ったことはないなどと思っているかも知れない――

 まわりが見る目と、本人が感じている自分との差が激しい人は結構いるかも知れないが、兄はその代表格ではないかと思えた。兄にとって、弟にコンプレックスを感じさせる雰囲気は、

――作られたもの――

 だったのかも知れない。

 それも、兄が自分で意識して作ったものなのか、それとも、自然と出来上がったものなのかの判断は難しかった。

 それでも、今、自分たちのまわりで、

――何か見えない力が存在している――

 という意識を持つようになってから、今まで兄に対して感じていた不可解なことも、説明ができそうな気がした。

 見えない力というのは、見る方向によって、さまざまな形に見えているようだ。見えない力は放射線状に光を放ち、放たれた光と、自分の視線が一致した時、見えない力の輪郭が見えてくる。

 だから、見る角度によって、いつも同じように見えてしまうのだが、それは、見えない力が、臨機応変にこちらの視線を受け入れているからではないだろうか。

――兄には、その力が見えていたのだろうか?

 自分の力ではなく、まわりにある見えない力である。

 誠は見えない力を兄から発せられてると思っていたが、実際は、

――兄と自分の間の空間に作られた力なのかも知れない――

 兄から発せられたと思っているのは、兄の前に張り巡らされたオーラが発するオブラートしか見ていないからではないだろうか。そう思うと、実際の見えない力を発しているのは兄ではないということになる。やはり、そこに今回初めて感じた姉の存在が影響しているのではないかと思うのも、無理のないことだと思えてならない。

 誠は、母が情緒不安定になっていることを、姉に話した。

 姉は少し考えていたようだが、

「お母さんが情緒不安定だったのは、私がお母さんの中に入っていたからなのよ。あの頃のお母さんは、ちょっとしたことで不安になってしまい、すぐに自殺してしまいそうな雰囲気だったの。私にしかお母さんの気持ちは分からなかったし、お母さんの自殺を止めるには、お母さんの中に入って、気持ちを活性化させるしかなかったの。だから、怒りっぽくなったりして、まわりの人からはおおよそ普段のお母さんから想像もできないような態度が出てしまったのも仕方がなかったのよ」

 話を聞いてみれば、何となく分かっていたような気がする。

 怒りっぽい時以外は、何事にも自信がなさそうで、何を考えているか分からなかった。父親は家の中では亭主関白なところがあり、母とは違った意味で、口数が少なかった。

 あまりいい家庭環境だとは思わなかったが、よく、文句も言わずに育ったものだと思った。姉がそばで見守ってくれていたから、今まで来れたのかも知れないと思うと、死んだ姉と話ができる不思議な環境にも納得ができる気がした。

 怖がりな性格であるくせに、妙に度胸が据わったところがあると思っていたが、それも納得の行くことであれば、怖くないという思いがあるからなのかも知れない。もちろん、怖さがないわけではないが、それよりも納得を優先するところが自分らしいと、誠は感じていた。

 姉が話を続けた。

「私は、弟、つまりあなたのお兄さんが病院で取り違えられたことも分かっていたの。でも、どうすることもできなかった。その思いが私の中にあるからなのかしら、なかなか成仏できずに、ここにいるの。あなたとは、ここで会うのは二回目くらいになるんだけど、お母さんとは、何度も会っているのよ。そして、あなたのお兄さんとも何度か会ってる。二人とも、なかなか私のことを信じてくれなかったんだけどね。無理もないことだと思うけど、お母さんには、もっと信じてほしかったと思うわ」

「僕は、お姉さんのことを信じていると思うの?」

「ええ、あなたは、私の存在を納得してくれているのが分かるからね。少なくとも、他の二人に比べれば、十分に納得してくれていると思っているわ」

「お姉さんは、自分の存在を信じてくれる人が僕だっていうことは分かっていたの?」

「ええ、分かっていたわ。でも、母やお兄さんが、あまりにも私の存在を分かってくれなかったので、どうしてもあなたに会うのが怖かった。だから、母やお兄さんの前に何度か現れたりしたんだけど、なかなか効果はなくて、却って逆効果だったわ」

 そういえば、母や兄が、何か自分に隠し事をしているように思えてならないことがあった。

――同じことなのかも知れないと思いながらも、二人がまったく違った時期に、しかもリアクションも違ったのに、よく、同じ隠し事だって感じたものだ――

 と、今から思えば思い当たるふしもないではなかった。

「あった」

 と、ハッキリ言えないところは、姉の話を母から聞いた時と、隠し事の時期が近かったような気がしたからだ。気のせいで片づけられることではないような気がする。

「あなたは、ここに来るまでにいろいろなタブーを経験してきたと思うけど、それは私があなたに分かってほしいと思っているから、敢えて示したものなのよ」

「お母さんや、お兄さんにも同じようなタブーを課したんですか?」

「ええ、でも、それほど強いものだったとは思っていなかったんだけど、特にお兄さんには結構きつかったみたいね。お兄さんが死んだ理由の一つには、私が課したタブーがあるのかも知れないわ」

 どうやら、お姉さんも、兄の死の本当の理由までは分からないようだ。

「あなたのお兄さんがどうして死ぬことになったのか、実は私もハッキリは分かりません。きっと、私が生きているわけでも死んでいるわけでもないので、生きている時の気持ちも死んでからの気持ちもある程度までは分かるんだけど、本当のところは分からないの。私だって、本当は不安なのよ」

 そう言って、腕を胸の前で組み、身体を縮めて、寒そうにしていた。

「お姉ちゃん、寒いのかい?」

 そう言って、姉に近づこうとした。

 最初は、後ろ向きに震えていた姉だったが、話を始めると、瞬きをする間に、前を向き直り、誠を見ていた。

 見ていたと言っても、顔が見えるわけではない。後ろに光っているものを感じるため、逆光になってしまい、顔は確認できない。

「お兄さんが死んだのはね。あなたもさっき通ってきた吊り橋を渡りきれなかったからなのよ」

 誠は吊り橋を思い出していた。

 渡り始めると、

――これほど恐ろしいものだったんだ――

 と感じさせるほど、見た目よりもよほど恐ろしさを感じさせた。それを思い出すと、誠も背筋に寒気を感じ、無意識に身体が震えだしていた。

――同じだ――

 誠は自分が震えている周期と、姉の震える周期が同じであることに気が付いた。

――同じことを考えているのかも知れない――

 と、感じた。

 姉も、あそこを渡ってきたのだ。誠が感じたのと同じ感覚を身体に感じ、震えているのだろう。

「あの吊り橋を僕も渡ったけど、後ろを振り向くことは絶対にできないって感じたんだけど、違うかな?」

 誠はあの時、後ろを振り返ったように意識していたが、実際には振り返ったわけではない。後ろに気配を感じたのだ。

 それは前を向いているはずの自分が、振り返らずに後ろを見ている気配である。

――後ろを見ることは許されない――

 というタブーを感じた時、後ろが見えたような気がした。その時に感じたのが、

「前に進むにも後ろに戻るにも恐ろしいのは同じだ」

 ということだった。

 そのおかげで、前に進むしかないという「納得」が誠の中で出来上がっていた。

「その時に、パインの匂いを嗅いだでしょう? 前の日に泊まった宿でも同じようにパインの匂いを嗅いだと思うんだけど」

「ええ、その通りです」

「あなたにとって、パインの香りは子供の頃に行った温泉で見た地獄のイメージ。あなたは知らなかったでしょうけど、お母さんも、お兄さんも、二人とも同じ思いをしていたんですよ」

 自分だけだと思うことは結構あった。特に、他の人が思わないようなことを自分が発想することに、自分が他の人とは違うという、歪な優越感を感じていたからだ。そうう意味では兄や母も感じていたというのは、不思議な感覚だった。姉は続ける。

「でもね。肝心なところで違いがあるのよ。お兄さんの場合は、パインの香りは、死への橋渡しだと思っていたみたいなのね。子供の頃に見た地獄のイメージが、あまりにも強く頭に残っているらしいの。あなたも、結構強く残っているようだけど、地獄を感じたからといって、死を連想するところまではなさそうね。でもお兄さんの場合は、それが自殺の原因の一つになったことも事実なのよ」

「じゃあ、一歩間違えれば、僕も兄のように自殺していたことになるのかな?」

「人の感じ方、感性はそれぞれだからね。そういう意味では紙一重のところもあるのよ。特に兄弟なんだから、微妙に似ていて、微妙に違っているというのも、無理のないことなのかも知れないわ」

 と、姉は話してくれた。

「お母さんも、当然、パインの匂いは感じたんですよね?」

「ええ、感じたはずよ。でも、お母さんは、パインの匂いを感じると、私を思い出すらしいの。私は、お母さんに思い出してほしくて、何度かお母さんには、パインの匂いを感じさせたわ。でも、実際に匂いを感じると、確かに思い出してくれるんだけど、それは思い出の中の私を思い出してくれるだけで、ここにいる私を感じてくれるわけではないの。それを感じた時、さすがに寂しいと思ったわ。私が、ここから抜け出せない理由の一つは、そこにあるのかも知れないわね」

「でも、お母さんは生きているということは、この吊り橋を渡れたということだよね?」

「ええ、お母さんは、いざとなると、肝が据わる人なのよ。情緒不安定になったりしているけど、あなたたちが感じているよりも、よほどしっかりしているのよ」

「でも、それは、お姉さんがお母さんの中に入ったからじゃないの?」

「それもあるかも知れないけど、お母さんの中に入ってみて初めて分かった。お母さんは思ったよりもしっかりしているんだということをね。でも、それはあなたにも言えることなのよ。あなたは意識がないかも知れないけど、私もあなたの中に入ったことがあるの。以前にも見たことがある光景を感じたりしたことってなかった?」

「えっ? それはデジャブだと思っていたんだけど」

「デジャブというのは、本当は誰かがその人の身体に入って、記憶を操作するから感じることなのよ。あなただったら、デジャブに感じる超常現象と、今私を話している現実とを重ね合わせてみれば、どちらが納得のいくことかどうか、分かるでしょう?」

「確かに言われてみれば、そうですね。でも、まだ自分が妄想を抱いていて、そこで自分勝手な考えで動いているんじゃないかって思いも拭いきれないんだ」

「俄かには信じられないことでしょうね。でも、すぐにあなたも納得することになるのよ」

 姉は不気味な笑みを浮かべた。

 笑みの正体がどこから来るのか、すぐには分からなかった。だが、姉が微笑む時には何かが分かってくるのではないかという発想は、姉の話を聞いていると感じてくる。

 誠が、今姉と話しているのは、妄想だと思っている。しかし、その妄想を見させたのも姉であり、誠自身が納得して見ているものだと思っている。

――妄想が現実とは違うものだという発想は、どこから来たのだろう?

 自分一人で勝手に思いこんでいるという発想からであろうか? それとも、普段の頭では到底考えられないような発想が生まれるのは、現実を考えないようにしないといけないからだと思うからなのか?

 現実からの派生が妄想だとすると、後者の考えは違っていることになる。やはり、一人で勝手に考えているからだという思いに集中してしまうだろう。

 誠にとって、姉の存在、兄の存在、母の存在、それぞれを別々に感じていた。別の人間なのだから当たり前のことだが、それは、家族として別々に感じていたということだ。

 しかし、姉の話を聞いていると、母も姉も兄も、それぞれ別々に考えてはいけないように思えた。

――家族として――

 という発想ではなく、

――同じ人間の中に入ることができる相手――

 として感じることができるということだった。ここまで聞いてきても、姉が自分の中に入ったことがあるなど、信じられない。今信じられないのだから、今後もきっと信じられないだろう。

 ただ、納得の行くことは少なくない。そう思うと、誠は姉を正面から見つめることができると思うのだった。

「どうして、お姉さんは僕の前に現れたの?」

「私は、あなたの前に現れるつもりは、最初からなかったの。お母さんやあなたのお兄さんには、私が死に切れないこととの関係があるので、何度か会ってみたんだけど、やっぱり私は、そのまま死に切れなかった。でも、あなたは違う。あなたはいろいろ苦しみながらでも、自分の人生を生きてきた。きっと私とは関係のない人間だと思ってきたのよ」

「それがどうして?」

「あなたの性格が私とよく似ていると思ったからなの。私派は、あなたが生まれてからすぐに死んだので、性格があることが不思議なんでしょうけど、性格にはもって生まれたものもあるのよ。確かにあなたたちの世界の人から影響は受けていないんだけど、でも、ここから人の性格は、あなたたちには見えない角度から見ることはできるのよ。だから、自分の性格を顧みることはできるというわけなの」

 一呼吸おいて、姉さんはさらに続けた。姉は話をする間、最初は一呼吸置くことなく話していたが、今は一呼吸置くようになっていた。それは、自分のペースを保つためなのか、それとも本当に一呼吸置かないと、自分が苦しいのか、誠は考えていたが、どうやら、その両方ではないかと思えてきた。

「似ている性格というのは、あなたも私も、納得の行かないことは信じられないということなの。あなたも、人が何を言っても、自分で納得いかないことは、絶対に信じられないでしょう? 私もそうなのよ。だから、死に切れないのかも知れないと思うの」

 納得がいかないことを信じられないという人は少なくないだろうと、前から思っていたが、自分ほど極端な人はいないと感じ始めたのは、家族全体のことを考え始めてからだった。

 小学生の頃から思っていたはずのことを、今さらながらに感じるようになるなんて、その頃は思ってもみなかった。

「納得いかないことを、私はタブーとして今まで守ってきたの。それが、ここの吊り橋だったり、断崖絶壁だったり、この洞窟だったりするの。そのところどころに、タブーを設けて、私は家族との思いをこの場所で納得いかせようと思っていたのかも知れないわね」

 姉は、自分で話しながら納得していた。

 誠は、ハッキリとした納得とまではいかないが、もし自分がここで納得すれば、姉は死に切ることができるのではないかと思っていた。

 死に対して、今まで深く考えたことのなかった誠だった。重たいことに対して深く考えてしまうと、堂々巡りを繰り返してしまい、結論が得られないと思ったからだ。

 得られない結論に対して、納得などできるはずもない。それは当然のことであった。だが、ここで姉と話をしていると、納得できるように感じられてくるから不思議だった。

 本当であれば、吊り橋での出来事から始まって、死んだはずの姉と話ができたり、兄の死について知ることができたりするなど、信じられることではない。それでも、話を聞いて納得できることがあると、誠は信じられないことであっても、信じられる気がしてくるから不思議だった。

 そこまで考えてくると、自分が生きていることを不思議にすら感じられた。

――姉が今さら現れたのは、何を自分に言いたいからなのだろうか?

 今まで姉は、母や兄に何度か会っていると言っていた。自分が死に切れないことと関係があると言っていたが、兄が病院で取り違えられたことを、母は知らないような話をしていたが、それは本当なのだろうか? 姉が死んだことで、母は丈夫な子がほしいという願望を抱いていて、小さかった生まれた子供に対して、心配や憂いの気持ちがあったに違いない。

 そこへ、父の不倫相手が、丈夫な子供と取り違えてくれた。知っていて、黙っていたのかも知れない。

「お母さんが、僕に打ち明けてくれたのは、自分の中で黙っておけなくなったのが原因かも知れない。良心の呵責に苛まれたからなのかな?」

「半分は、それもあると思うの。でも、もう半分は、あなたの中に、私を見たのかも知れないわね。実際に私が会いに行っても、お母さんは信じてくれない。でも、あなたは実際に生きているのだから、話ができると思ったのでしょうね。ひょっとしたら、あなたが、私の生まれ変わりのように感じたんじゃないかしら」

 母が、姉の話を絶対にしようとはしなかった。それは、生まれ変わりの相手に、話をしてしまって、「タブー」を破ることになるかも知れないと思ったに違いない。きっと、母の中には自分なりのタブーが存在していたのだろう。

 誠は、姉の姿を見ていると、次第に自分も同じ目線に立っているのを感じた。

 今まで兄に対して見上げるだけしかなかったのに、同じ目線で話のできることがどれほど安心感を与えられるか、教えられたのだ。

 安心感は、自分を納得させる。姉の表情を見ていると、すべてが分かってくるのではないかと思えてくる。

「誠、ありがとう」

 そう言って、姉は洞窟から、光を放って消えて行った……。


 誠は自分が生きてきたことに対して、納得できていない。そのことが妄想に繋がっている。それでも死にたいと思わないのは、死ぬことに対しても納得がいかない。その思いを察して、姉が現れたのだろう。

――生きることもできない。死ぬこともできない。これではまるで姉のようではないか――

 誰か誠と同じような考えを持った人がここを訪れてくれるのを待つしかないというのだろうか。

 今いる世界、姉がいなくなった世界で、今度は何に納得しながら、生きていくことになるのだろう。誠は、また考え続けるのだった……。


                 (  完  )

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自我納得の人生 森本 晃次 @kakku

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