第2話 第2章

 誠は、今年三十五歳になっていた。

 まだ結婚はしていないが、結婚しようと思った時期はあった。相手は自分よりも五歳ほど年下で、少し派手好きの女だった。

 誠はというと、地味という言葉が実に良く似合う性格の男になっていた。もっとも子供の頃から派手なことはあまり好きではなく、まわりの男性のように、ファッションに興味を持ったりすることもなかった。

 高校時代までは、他の人とさほど差は感じられなかったが、それは表面上のことで、人と群れを成すことを極端に嫌っていたので、いつも一人でいたのだ。

 そんな誠の相手をする人は少なかったが、それでも友達はいた。彼らもあまりまわりに馴染む性格ではなく、まわりも彼らを別格として扱っていたこともあって、別の集団を形成していた。

 誠はその中の一人であったが、別の集団といっても、群れを成すわけではない。時々話をする程度で、元々群れを成すのが嫌いな連中なので、ほとんどが単独行動だった。

――他人のことには干渉しない――

 これが暗黙の了解となっていて、誠もその方がありがたかった。

 しかし、群れを成している連中よりも、よほど気心は知れているような気がした。暗黙の了解は、気を遣っているのと同じで、言葉に出さないだけ、わざとらしさもない。彼らが一番嫌ったのは、

――わざとらしさ――

 であり、わざとらしさが呼ぶ苛立ちが、人に気を遣っているなどという大きな勘違いであることを腹立たしく感じるところから来ているのだ。

――集団であっても、基本は個人――

 この考え方は、中学高校時代、さらに大学に入っても変わらなかった。

 中学高校時代よりも、大学に入ってからの方が、同じ考えを持っている人が多いことには驚かされた。講義室の一番前に陣取って、講義を聞いていたり、必死にノートを取っている連中はいつも同じだった。

 誠もその中の一人だったが、彼らは実に個性的な連中だったのだ。

――こんな連中と、俺も同じように見られているのかな?

 と思っていたが、どうやら彼らの方からも、誠のことを、

――個性的な男だ――

 と思っていたようだ。

――その他大勢ではいやだ――

 と思っていたが、変わり者と呼ばれるほどではないという自覚があった。しかし、彼らの中にいること自体、変わり者の仲間であったのだ。

 もちろん、まわりの目からも、彼らと一緒にいることで、最初から偏見の目があったに違いない。同じ集団の中にいる人からの方が、余計に、

――この団体の中にいるのだから、どこか変わっていて当然――

 という目で見られていることだろう。実際、誠もこの集団の他の人に対して偏見があったのは認めないわけにはいかない。

 誠は、カメラが好きだった。

 鉄道写真に最初は興味を持ち、今でも趣味として続けているが、基本は鉄道写真であることに変わりはない。ローカル線の写真だったり、復刻した古き良き時代の車両を写真に収めて、コンクールに応募するのが楽しみだったのだ。

 この趣味が確立したのは、大学に入ってからだった。

 集団の中の友達と一緒に旅行に行ったことがあったが、彼が

「ローカル線に乗って、秘境のような温泉に行くのが俺は好きなんだ」

 と言って連れていってくれたのだ。

 その時に、電車の窓から見えた光景に、小さな川の土手から、数人の「カメラ小僧たち」が、ファインダーをこちらに向けていた。

 高校生の頃までであれば、

――なんだ、オタクの集団か――

 と、思ったかも知れない。しかし、その時は自分も個性が好きな集団の中にいるという自覚をもっていたことで、少なくとも彼らと同じ目線になっていたようだ。

――面白そうだな――

 大学生になれば時間はある。アルバイトで稼いだお金で、旅行に行ったりするのもいいが、その時に何か他に目的があると楽しめるというものだ。それがカメラだと思ったのが、その時だったのだ。

 一緒にその時に温泉に行った友達は、絵を描くことが好きだったようで、次回も一緒に温泉に出かけたが、その時は、友達は絵画、誠はカメラと、それぞれに単独行動を取り、夜宿に戻って、温泉に浸かりながら、趣味の話をするというのが、至高の悦びとなっていた。

 彼とは何度か、同じような趣味を楽しむための旅行に行ったが、次第に時間が合わなくなり、一人で行くことが多くなっていた。

 一人でいくのも、乙なものだった。夜、友達と話しをするのもいいのだが、それよりも一人でゆっくりとした時間を使うのが、これほど充実しているとは思いもしなかったからである。

 一日趣味に高じて、夜をゆっくり自分の時間として静かに使う。これ以上の贅沢な時間の使い方はないだろうと思ったのだ。まわりから、

――あいつはオタクだ――

 と言われているのは分かっている。だが、逆にそれは自分にとっての勲章のようなものだと思っている。

 コンクールにも何度か入選したが、カメラで生計を立てていこうという意識は最初からなかった。

 趣味と実益を兼ねてしまうと、本当の楽しみを見失ってしまう可能性があるからだ。

――趣味は実益とは違うから趣味なのだ――

 と、思っていたのである。

 大学時代の成績は、可もなく不可もなくといったところだろうか。勉強をしなかったわけではなかったが、要領はあまりよくなかった。成績が上がらなかったのはそのためで、そういう意味では要領のいい、集団の中にいた連中は自分よりも成績がよく、就職もそれほど困ることもなかったようだ。

 そんな連中を羨ましいとは思わなかったが、何か釈然としなかった。しかし、事実だけを見ていると、

――彼らのような連中が、社会に出ると、役に立つ人間ということになるのかも知れないな――

 カメラを趣味にして、勉強もそれなりにしていたが、役に立つわけではない趣味に高じていた時間を考えれば、社会人としては疑問であった。

 それでも、誠はいいと思っていた。

――いい会社に入って、出生して、それが一体なんぼのモノだというのだろう?

 と思っていたからだ。

 出世を望むような性格ではないのは、最初から分かっていた。会社で出世すれば、それだけ責任も重たくなり、一回の失敗が命取りになる。それよりも、適当に人生を歩んでいて、その中にカメラという趣味を持っていれば。絶えず前を向いていけると思ったからだった。

 大学を卒業し、最初の年の夏休み、誠は今までのように、カメラを持って旅行に出かけた。

 ローカル線を撮りたいと思って出かけたのだが、その時に出かけたところは、以前にも行ったところであり、近くに温泉もあったので、気に入っているところであった。

 大学時代と違った目で見ることができるのではないかと思い、もう一度行ってみたいところを選んだのだが、そこは、海岸線を通るエリアのローカル線だった。

 いまだにディーゼルが走っていて、駅数からしても、二十個ほどの中規模な線だった。海岸線の後ろからは山もせり出していて、山あり海ありの景色としては結構充実しているところであった。

 誠は、終点にある温泉旅館に宿を取った。

 ここは意外とカメラ小僧があまり来るところではないようで、前の時も誰とも会わなかったが、今回も宿泊客はほとんどいないということだった。

「この近くに崖のようなところがあって、時々そこで自殺する人がいるので、あまりこのあたりに人が来るというのも珍しいんですよ。一人のお客さんだったら、自殺者じゃないかって。こちらも警戒したりしますからね」

「じゃあ、僕が前に一人で来た時も、警戒しました?」

「少しだけですね。でも学生さんで、しかもカメラをお持ちだったので、その心配はないかと思いました。自殺する人はたいていの人が見の回りを整理して、荷物なんてほとんどないっていうじゃないですか」

 ここの宿では、前に泊まった時にも宿の人と話をしている。今回予約を取った時も、覚えていてくれたようで、すぐに分かってくれたようだ。

「でも、どうして前にここに来た時に、ここの近くで自殺が多いという話をしてくれなかったんですか?」

「お客さんが自分の世界に入っておられるようだったので、あまり不気味なお話はしてはいけないと思いましてね。それで控えていたんですよ」

 どうやら、宿の人にはお見通しだったようである。

「ありがとうございます。まさにその通りですよ。もし、自殺者が多いという話をされたとしても、ほとんど聞いていないと思いますね」

「そうでしょうね。お客さんを見ていると、気持ちが分かってくるような気がします」

 ここの宿主は、若い頃は都会に出て就職したが、親が倒れたということで都会を引き払ってこちらに戻り、そのまま宿を継いだという。

「都会に未練はなかったですね。都会に出ても、結局田舎にいる時に見ていた都会は憧れでしかなかったんですよ。要するに自分がいる場所ではないということですね。すぐにそのことに気が付いたんですが、そんなところにおやじが倒れたと聞いて、いい潮時だと思って戻ってきました」

「後悔はないんですか?」

 少しだけ考えて、すぐにさっぱりとした表情になり、

「ないですね」

 と、答えてくれた。

 額面通りに言葉を信じていいのかどうか疑わしいが、宿主の言葉を信じることが一番しっくりくる。人の話を素直に聞くというのもいいものだとその時に感じた。

 宿主が言っていた自殺の名所に行ってみたいと思った。

 その時の滞在予定は三日間を取っていた。夏休みのほとんどをここで過ごすことになるのだが、それは、戻った時、下手に時間があると、何かの未練が残りそうな気がしたからだ。

 夢のような時間を過ごせたとすれば、それを都会に戻って一日でもゆっくりする時間を作ってしまうと、時差のようなギャップを感じると思ったからだ。

 少しきついかも知れないが、戻っていきなり仕事に入る方が、ここでの時間が、

――夢のような時間――

 として記憶に封印されることだろう。

 この考えは、誠の独自の考え方だ。

 親などは逆に、

「世間一般の考え方が、正しい考え方なんだよ」

 と言っていたことがあった。

 母親が言った言葉だったが、その言葉を聞いた時、何か奥歯に物が挟まったような違和感があった。

――僕とは違う――

 その時、親の考え方が自分とは明らかに違うということを自覚した。そして、

――世間一般ってなんなんだ?

 と、大きな疑問にぶつかった。

 それが、子供の頃にあった、

――兄貴へのコンプレックス――

 と繋がって、世間一般という言葉に敏感になったのだ。

 それは、誠にとって敵対するイメージの言葉であった。

 まるで仮想敵国が生まれたような気がした。それが家庭であることは、誠にとって皮肉なことでもあり、それ以上に自分を孤立への道に導いたのだ。

 だが、それを恨んではいない。

――これが僕の生き方なのだ――

 と思うようになると、誠は妙な納得があった。そのおかげで自分の中での

――夢のような時間――

 を見つけることができたのだ。

 そう思うと、誠はカメラを趣味にできたこと、そして、趣味を実益にしようと思わないことが、仮想敵国ができたおかげだと思った。

 冒険をしないのも、自分独自の考えを表に出さないという意味では納得できる。実益にしないというのは、そのまま冒険をしないことでもある。下手に冒険をして失敗でもしたら、

「そら、見たことか」

 と、言われかねない。

 まわりの嘲笑う姿が目に見えてくるようだ。

 その時の自分の表情を想像するとゾッとする。ひょっとすると、般若の形相で、心の中に、殺意が芽生えてしまうかも知れないと思うからだ。

 だが、本当にその時に人を殺そうと思うのか、自分で死んでしまおうと思うのか分からない。自殺の名所が近くにあると聞いた時、そんな思いが頭の中を巡っていた。またしても、突飛な発想をしてしまったようだ。

 一日目の夕食に、宿主がパインをデザートに出してくれた。今までの温泉宿で、パインをデザートに出してくれたところなど今までにはなかったのでビックリしたが、その時、忘れかけていた記憶がよみがえってきた。そう、子供の頃に家族で行った温泉のことである。

 家族で行った温泉のことはある時期まで印象が深かった。カメラを趣味にしてから、ローカル線の写真を撮るために温泉に自分一人で行くようになってから、印象が薄くなり始めたのだ。

 新しい印象が頭の中に植え付けられ、家族で行ったことが、子供の頃の記憶として封印されたことは、

――新しいものが古いものを駆逐しているのではないか――

 と、感じたほどだった。

 本人には、古いものを潰したいという意識はないはずなのに、実際に記憶に封印させようとする。封印できないものは、潰しても構わないというほどの意識が頭の中にありそうで、それが自分にとっての、

――大人と子供の境界――

 のように感じられるのだった。

 大人と子供の境目がどこにあるのかということを、考えてみたことがあった。

「成長期の終わった時が子供の終わりだ」

 という人もいたが、逆の考えもある。むしろ逆の方が発想としては一般的なのかも知れない。

「成長期が表に見え始めれば、そこからが大人の仲間入りだ」

 という考えである。

 誠は、そのどちらも間違いではないと思っていた。

 片方は、子供の終わり、片方は、大人の仲間入りである。つまり、大人か子供か分からないような曖昧な時期が存在しているということである。そういう意味で行くと、どちらの解釈も間違いではない。では、この中途半端な時期というのは、どういう意味を持つというのだろう?

 子供の頃の思い出と、大人になってからの思い出の間、主に中学時代くらいになるのだろうが、記憶が曖昧な時期があった。

 それは、自分だけに限らず、全体的に暗い時期でもあった。ただその中でも突出したかのように明るい連中もいたが、彼らのような存在も、必要な年齢だった。

 彼らは、完全に浮いた存在だったが、どこか気になった。暗い連中から見れば、鬱陶しいという雰囲気を感じさせられ、自分もまわりから見れば同じように見ているのではないかと思われているように思えた。

 高校生になってからは、自分も大人の仲間入りをしたような気がしていたが、大人はまだまだ子供としてしか見ていない。そのことを自覚してくると、まわりは皆焦れったく感じられるのか、背伸びしたくなるようだ。

 大学に入学してから中学時代に入学した頃のことを思い出そうとすると、思い出すことができたのだが、高校に入学した時に、中学入学を思い出そうとすると、果てしなく前のように思えて、どこまでが記憶の中のことなのか、疑いたくなってしまった。それだけ記憶の中にウソが混じっているのではないかという意識が働いていたのかも知れない。

 記憶にウソが混じっているという意識は、高校生の頃からあった。

 高校生の頃に思い出す記憶は、中学時代よりも小学校の頃のことが多い。小学生の頃の方が、中学時代よりも記憶がより近い感じがして、記憶の中の時系列が曖昧だったりする。だから、中学時代の記憶が曖昧だと思うのだ。

 中学時代の記憶にウソが多いという意識は、自分の意志であまり動いていなかったように思うからだ。誰かに命令されたわけではなく、

――逆にまわりの人と、自分は違うんだ――

 という意識が余計に強くなったような意識があるのだ。

 小学生の頃の記憶は、素直に感じたことをそのまま記憶していたような気がする。それに比べると中学時代は、何かの作用が働いていた気がするのだが、それは自分が意識的に考えていたことを無意識のことだと思いたいという思いが、記憶を曖昧にしたり、ウソだと思わせたりしているのではないかと感じた。

「パインとは珍しいですね」

「このあたりはパインが摂れる場所があるんですよ。珍しいでしょう?」

「暖かいところだけだと思っていたけど、やっぱり温泉が近くにあると、地熱があるんですかね?」

「私も昔、他の温泉に行った時、パインが出てきたことがあって、懐かしいと思ったものです」

 宿主が話している温泉が同じところなのかどうか分からないが、イメージしていることはそれほど遠くはないだろう。

 パインを食べていると、なぜか睡魔に襲われた。パインに睡眠効果があるとは思えないが急に目の前にもやが掛かったようになったのを感じたからなのかも知れない。そのもやは、明らかに温泉が噴き出している蒸気であり、必死に前を見ようとしているうちに、目が疲れてきたようだ。

 だが、目が疲れてきたというより、頭の中にある記憶がよみがえってきたといった方がいい。前を見ていると、勝手に光景が想像できるからだ。

 岩がまわりを固めた岩風呂の向こうに網があり、その中にゆで卵が作られていた。その光景も初めて見たものではない。子供の頃に見た温泉での光景だった。

 途端に硫黄の臭いが感じられ、

――睡魔は硫黄の臭いから襲ってくるものなのかも知れないな――

 と感じた。

 悪臭を感じると、眠くなることが誠にはあった。硫黄が悪臭というわけではないのだろうが、温泉に行った時は、決まっていつもどこかで眠くなっていた。温泉から上がってすぐに眠くなることが多かったが、眠くなったその時に寝てしまわないと、却って目が冴えてしまうこともあり、そのままずっと起きていたこともあった。しかし、眠くなった時に寝てしまうのがどれほど気持ちのいいものかは分かっていたので、なるべくそのまま眠るようにしていた。

 誠は、その時、目の前に宿主がいたので、

――眠ってしまうわけにはいかないな――

 と思ったが、その様子を宿主も分かったのか、

「どうやら、眠たくなられたようですね。どうぞ、私に遠慮なくお眠りください」

 と、言って、宿主は部屋から出て行った。

 この時は眠りから覚める様子は自分の中になく、このままの状態に委ねるのが一番いいのは分かっていた。幸い布団は敷かれていたので、そのまま布団に入り、眠りに就いた。時間的にはまだ宵の口だっただろうか。誠はそのまま布団に入ると時計を見た。

――午後八時半――

 こんな時間から寝るなど、今までにそれほどあったことではない。

 まだまだ宵の口と思っていたこの時間だった。平日の仕事をしている日であれば、これくらいの時間まで仕事をしていることも少なくはなかった。仕事で疲れても、さほど眠くなるということはない。それだけ気を張っているので、緊張が切れることは家に帰りつくまではなかった。

 さすがに家に帰りつくと、そのままベッドに身を投げる形で、そのまま眠ってしまうこともしばしばあったが、そんな時でも真夜中に目を覚まし、帰りがけに買ったコンビニでの惣菜をレンジに掛け、温めて食べることもあった。一時期そんな毎日が続いたが、さすがに、

――情けない毎日だ――

 と感じたものだった。

 情けない毎日を過ごしながら、それでも慣れてくると、次第に仕事での時間に充実感が持てるようになっていた。

 最初に情けない毎日だという思いが次第に大きくなっていたら、充実感を感じるまではなかったかも知れない。だが、情けない毎日だという思いがいつの間にかマンネリ化してしまっていたようだ。

――マンネリ化も悪くないのかも知れないな――

 マンネリ化というのは、あまりいいことはないと思っていた。それは誰が考えてもそうだろう。いわゆる、

――世間一般――

 という言葉、嫌悪感を感じているこの言葉を思い浮かべると、

――僕には当てはまらない――

 と思えてくる。

 そのおかげで、マンネリ化すら、嫌ではなくなってしまったのかも知れない。

 仕事に充実した時間を感じると、誠は残業も気にならなくなってきた。最初の頃は、定時の午後六時を過ぎると、一気に虚脱感を感じ、その時に睡魔を感じていた。

――眠ってはいけない――

 という思いが睡魔との戦いに変わり、それが、頭痛となって襲ってくる。

 頭痛はそのまま虚脱感と一緒になり、まるで風邪を引いて、熱っぽい時のことを感じさせた。

――どうして僕がこんな思いをしなければいけないんだ――

 という思いに陥り、

 自分だけがこんな思いをさせられているという被害妄想に入ってくる。

 被害妄想に陥ってしまうと、そこから先は泥沼に落ち込むだけだった。

 時間はなかなか過ぎてくれない。やってもやっても終わらないという思いがストレスとなって頭痛をさらに追い詰める。

 そんな状態で、まともな仕事ができるはずもない。

 大きなトラブルこそなかったが、

――そのうちに、大変なことになったらどうしよう――

 という思いに駆られ、家に帰っても、仕事のことが頭から離れない。軽いノイローゼに陥ってしまったのだ。

――僕だけではないんだろうな――

 と、思うことが救いになると思っていた。

 世間一般という言葉が嫌いなくせに、こういう時だけ他の人との比較に活路を見出そうとしている自分も情けなくなってくる。

 それがいつ頃からだろうか。仕事にそこまで苦痛を感じなくなったことがあった。

 一種の開き直りのようなものなのかも知れない。

 開き直りがあれば、それまで感じていた悪循環が少しずつ晴れてくる。元々悪循環は、連鎖から来ているものなのだろうから、その中の一つが崩れれば、連鎖が瓦解してしまうということも十分にありうることだった。

 誠は、仕事の内容の面でも開き直りがあった。そのおかげで、要領が悪かったことに気付くと、それを少し改善しただけで、それまでの停滞ムードの仕事が一変した。

「最近、彼は仕事の面で脱皮したな」

 と、上司からも一目置かれるようになった。

 元々おだてに弱いタイプだと思っていた誠は、その話を伝え聞いた時、精神的にも完全に変わった。開き直りが自信に繋がったことを自覚したのだ。

 自信さえ取り戻せば何とかなるものだ。

 一度何とかなれば、後はそれまでのことがウソのように仕事が捌けてくる。やはり要領よくできることが一番なのだろうが、精神的なものも大きい。

――精神が肉体を凌駕する――

 まさにその通りだった。

 そのおかげで、毎日眠くなることもなく、仕事は捗り、時間もあっという間に過ぎてしまい、家に帰ってからも、少しテレビでも見ようという余裕も生まれてくる。

 それが夏休み前くらいのことだった。

――いわゆる、五月病みたいなものだったのかな?

――そういえば、入社式の時に、先輩社員が言っていた言葉があったな――

「三日持てば、三か月は持つ、三か月持てば、三年は持つ。そう思って少しずつ実績を積み重ねていけばいいんだ」

 最初は言葉の意味が分からなかったが、今考えてみればよく分かる、確かに三日持ったから、三か月持ったのだ。次は三年ということになるのだろうか?

 夏休みの旅行は、そんな自分へのご褒美のような気がした。

――リフレッシュができてこそ、次の毎日の仕事がうまくいくんだ――

 と言ってもいいと思っていた。

 そういう意味でも、今回の旅行は、

――頑張らないことにしよう――

 と思っていた。

 眠くなったら寝る。お風呂に入りたくなったら、温泉に浸かる。カメラを向けたい時に向ける。そんな時間を想像しながらやってきたのだ。

 楽しい日々はあっという間だというが、誠が訪れた初日は、結構時間が長かったように感じた。

 眠たくなった時に眠ったのだから、起きていた時間はそれほど普段ほど長かったわけではないのに、おかしなものだと感じていた。

――時間の感覚なんて、結構曖昧なものなのかも知れないな――

 と誠はそんなことを感じながら一日目を終わったが、次の日の予定は頭の中にあった。

 最初はローカル線の写真を撮りに行き、その後、自殺の名所として知られている場所に行ってみようと思ったのだ。

 どうせ長居をするつもりはないので、すぐに帰ってくるつもりだったが、その場所にいかないというのは、気が引けるように思えた。

 子供の頃から、怖いものは苦手だったが、今はそれでも、怖いもの見たさという思いもなくはない。興味本位だと言ってもいいだろう。

 その日は、一旦睡魔に襲われて眠ってしまったが、やはり深夜の二時過ぎくらいに一度目が覚めた。

 少し頭痛があるのか、頭が重たかった。

 ただ、そのまま目が覚めるということはなく、気が付けばまた眠ってしまっていたようだ。

 二時過ぎに目が覚めたという記憶だけを残して、朝目が覚めた時、やはり軽い頭痛に見舞われた。だがその理由はハッキリとしていた。

――寝すぎたのかも知れない――

 寝すぎると頭が重たいような感覚に陥り、それが頭痛に繋がることがある。しかし、その日は少し違っていた。二時過ぎに目を覚まし、その時に感じた頭痛と同じような感じだったのだ。

 この宿は、前の日にお願いしておけば、お弁当も作ってくれる。どこかに出かけても、そこに小さな売店のようなものはあるかも知れないが、食堂のようなものはないという話を聞いていたこともあって、翌日はお弁当を作ってもらった。

 カメラを持っていたので、少しかさばってしまったが、それでも、お弁当を持たせてくれるというのはありがたい。

――こういうところが田舎のいいところなのかも知れないな――

 と思うと、この温泉を夏休みの休暇に選んでよかったと思った。

 宿を出たのは、十時過ぎだった。

 本当はもう少し早く出てもよかったのだが、頭痛が簡単に収まらなかったのと、自殺の名所にそれほど時間を掛けないつもりでいたので、時間が余ってしまうのではないかと思ったからだ。

 時間が余ったら、早めに帰ってくればいいのだろうが、今度は昨日のように、宿での実感が思ったよりも長く感じられたことを思い出した。

――今日も同じような思いをするようなら、あまりいい気分ではないな――

 マンネリ化はここでは避けたかった。

 なぜなら、滞在期間が限られているからである。あくまでもここでは休暇の時間、普段の毎日とは別格の時間だ。

 マンネリ化してしまうと、帰りたくないという思いに駆られてしまうかも知れない。それだけではなく、帰ってからの今までの毎日が、まるでカルチャーショックのように感じられ、普段であれば、すぐに元に戻るのであろうが、ここでマンネリ化を感じてしまうと、なかなか元に戻れない気がしていた。

 しかも、それを強引に元に戻そうとすると、どこかに無理が入ってしまって、精神的に壊れやすくなってしまうかも知れない。

――前のようになったらどうしよう?

 という気持ちも頭を擡げた。

――せっかく、開き直った気持ちになって、自信を取り戻し、気持ちに余裕を持ったところで、ここまで来たのではないか――

 そう思うと、マンネリ化は絶対に避けなければいけないと思った。

 一旦開き直った気持ちをまた元に戻ったからと言って、

「もう一度、同じように開き直ればいいじゃないか」

 と言われるかも知れない。

 だが、そう一等足にはいかないもので、最初に開き直れたのは、開き直りという意識がなかったからである。今度はその意識を持った上での開き直りということになると、どうしても意識してしまって、意識してしまうと、なかなかうまく行かないことが多いのと同様、二度目はうまく行かないことは想像できる。

 誠はなるべくここでは、

――自分の気持ちに正直に行こう――

 と思っているが、それでもタブーが多いことは分かっていた。

――してはいけないこと――

 それさえ守っていれば、至福の刻を最初から最後まで貫くことができて、最高の思い出ができるのだ。

 そう、ここにいるのは思い出づくり。実生活とは隔離したものだ。まるで夢のような時間なのだが、それも毎日の生活の糧になるものである。

 気持ちのリフレッシュが一番の目的だと思ってきたのだが、ここにいる間に、思い出づくりの様相を呈していて、そして、それが今後の毎日の生活の糧になるのだということを認識した。

 それは最初から分かっていたことで再認識なのかも知れないが、気持ちのリフレッシュとは少しニュアンスが違う。違っていることを認識しながらここに来たが、ここにいるうちにどんどん近づいてくる。ここはそういう魔力を感じさせる場所でもあるのだろう。

 自殺の名所なる、あまり気持ちのいい場所ではないところも、今までなら行こうなどと思わなかったかも知れないが、行ってみようと思った心境は、どこから来ているというのだろう? 自分でも不思議だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る