3 あなたは何を考えているのですか?

 夫が帰ってきた。

 報せを受けた私は、使用人達とともに出迎えのために玄関ホールに集まる。と、馬車がホールに入ってきて、夫が馬車から降りてきた。


「!」


 夫は私にすぐ気付いたようで、


「……」


 私を見つめたまま固まる。最近、この人はよく固まるようになった。


「アルトゥール様」


 ベルンハルトの声にハッとしたように、夫はやっと動き出し、私の前まで来ると、


「……ただいま、リリア」

「おかえりなさいませ、旦那様」


 夫が帰ってくる前に『旦那様に微笑んでくださいませんか……? 少しでいいので……!』と侍女達に言われていたので、侍女の顔を持つためにも、愛想笑い程度の笑顔を見せてみる。


「……」


 また固まった。もう、このまま氷漬けにでもしてやろうか。


「……お疲れでしょう? お食事の前に少しお休みになりますか?」


 再起動のために声をかければ、夫は目をしばたたかせた。再起動に成功したようだ。


「……あ、いや、いい……すぐに食事にしてくれて構わない……」


 完全な再起動には至っていなかったのか、夫は私を見つめたまま、何かをこらえるような顔つきになる。

 けれど、私達の会話を聞いていた使用人達は動き出し、私と旦那様は食堂へと向かうことになった。


「……リリア」


 ほとんど無音と無言の食事の中、夫が控えめに声を発した。


「なんでしょう」

「その、ドレスとネックレスだが……」


 ああ、これ。


「ドレスは侍女達が選んでくれました。ネックレスはあなたが贈ってくださったでしょう?」

「あ、ああ……その、言いそびれていたのだが……」

「はい」

「……その」

「はい」

「……」


 なんの時間だ、これは。そしてなぜ頬を染める。


「奥様、そのドレスなのですが、アルトゥール様が奥様のためにと王家御用達のデザイナー達に頼んで誂えさせたものなのですよ」


 少し奥に控えていたベルンハルトが、何も言わない夫の代わりに説明をくれた。……あっそう、と言いたいが、そうもいかない。では、どうしようか。

 一、表情を変えずに礼を言う。

 二、満面の笑みで礼を言う。

 三、食事の手を止めないまま礼を言う。

 二は即刻却下だ。三もまあ、失礼に当たるのでなしにした方が良い。となると、選択肢は一つ。


「……それは、ありがとうございます」

「いや……」


 無表情での返事なのに、夫は口に手を当てて、より顔を赤くさせた。私の言葉は、そんなに攻撃力がありますか?

 そしてそんな珍事があった食事を終え、私は自室に戻るため、夫は持って帰ってきた仕事を済ませるために執務室へと、別れた。

 ……仕事、持って帰ってきていたのか。まあ、少しそんな予想はしていたけれど、本当にそうだったと知ると少し驚く。

 そして私は寝支度を終え、寝室へと入り、日課となった読書をしようとして本を持ち、ふと、その本に意識を向けた。


『奥様。前に奥様はロマンス小説がお好きだとおっしゃっていたので、今流行っているものをいくつか買ってまいりました!』


 そう言って、侍女達が用意してくれた本達。この本もその一冊。……なのだけれど。

 もし。もしも。これもあの人が私の好みを侍女から聞いて、用意したものならば。


「……考えすぎね」


 私はその考えを頭から追いやり、ベッドに横になって、本を読み始めた。


「……」


 本を読み終え、私はちらりと夫との寝室に通じる扉へ目を向けてみる。

 他の国では夫婦は同室で寝るだとか、逆に妻のための城を拵えるとかするなど聞くが、この国では、夫と妻の寝室は隣同士に作られ、行き来のできる扉が設置される。

 その扉が使われたのは、夫にあの言葉を放たれた時だけだけれど。


 ──君には、触れない。


 最初に夫が入ってきた時、私は緊張していた。何をするかは母達から教えられていたけれど、相手は公爵であるし、初めてのことだから上手くできるかも分からない。

 そして、扉が開く。びくりと肩を跳ねさせてしまった私がそちらへとなんとか向いて、


『……?』


 見えたその光景に、戸惑った。薄暗い中、それでも分かる夫の服装。それは夜着ではなく、仕事をする時のようなスーツだった。そして、夫になる人は感情のない顔で、冷たい瞳で、私に言い放ったのだ。

 あの、言葉を。

 私が呆然としているうちに、夫はくるりと背を向けて、スタスタと歩き、またあの扉を開け、出ていって、パタリと扉は閉められた。

 私の思考は完全に停止した。いや、逆にぐちゃぐちゃになっていたような気もする。

 今日はなにか理由があったのだ。そう思おうとして、けれど、私の心は潰れていて、あの否定の言葉が頭から離れず、気付けば、朝になっていた。


「……」


 今日も、あの扉は使われないのだろう。あの人は仕事を持ってきているというし、なおさら使われる可能性は低い。というか皆無だ。

 私は本をベッドサイドの棚の上に置き、掛布を引き上げ、


 コンコン


「?!」


 あの扉が叩かれた音に、動きを止めた。


「……リリア。まだ、起きているか……?」


 答えようか、無視しようか。少し考えている間に、


「……」


 小さく、溜め息のような音が聞こえて、私は仕方なく「起きています」と答えた。


「! ……その、そっちに、行っても良いだろうか……?」

「どうぞ? その扉に鍵がついていないことはご承知でしょう? あなたはいつでもこちらに来られるのですから」


 すると、暫くしてから、ものすごくゆっくりと、扉が開かれた。そして、なんだか情けなく見えてくるほど不安そうな顔をした夫がぎこちない歩き方で入ってくる。


「……」


 その服は、しっかりと着込まれたスーツだった。

 夫は無言で、けれどなにか言いたげな顔で、締めた扉の前に立ったまま──


「…………」


 まま、結構な時間が過ぎた。このままでは埒が明かない。


「旦那様」


 呼びかければ、夫の肩がびくりと跳ねた。あの時の私と逆の立場のようで、奇妙な感覚にさせられる。


「今日は何用ですか?」

「……え」

「そのお姿、夜伽をしに来たわけではないのでしょう? それとも、そのお姿で私を抱くつもりですか?」

「え、あ、いや、その、だ……いや、えっと、……なんでもない……」


 夫は額に手を当て、胸に手を当て、深呼吸を繰り返す。なにしてんだろう。


「……旦那様?」


 ベッドから降り、近付こうとして、


「待ってくれ!」


 その大きな声とびしりと伸ばされた腕とこちらに向けられた手のひらに、思わず動きを止めた。


「その……本当に、すまないが……今の、私に、あまり近付かないでくれないか……」


 顔を腕で隠し、そう言いながらズルズルと、しゃがみこんでいく夫。


「……私を好きだと言いながら、そしてここへ来ておきながら、近付くな、ですか」


 その頭、今すぐ蹴っ飛ばしてやろうか。


「違うんだ……私が、その、理性が……君にそれ以上近付かれてしまうと……私の理性が保たない……」

「……」


 大丈夫かこの人。


「では、何をしに来たのですか?」

「少し……話が、できればと……また明日から、私の帰りは遅くなるから……」


 うずくまりながら喋られると、声がくぐもって聞こえづらい。


「旦那様。ここから動きませんから、顔をこちらに向けていただけますか? 声が聞き取り難いのです」

「……」


 夫は、そろり、とこちらに顔を向けて、


「……」


 また、固まった。


「……。だん──」


 固まった夫を再起動させようと、口を開きかけ、


 バシン!


「?!」


 夫が突然両頬を叩いたので、今度は私が肩を跳ねさせることになった。


「な、何をしているのです……?」

「いや、気付けのようなものだ。問題ない」

「……。そうですか」

「そ、れで。その、話なのだが……」

「はい」


 やっと本題か。


「あの、あの日の、君には……本当にすまないことをしたと、思っている……」



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