三ヶ月軟禁放置してきた私に、夫が突然「呪いが解けた、愛している」とか言ってきたんですけど?

山法師

1 突然何を言い出すんですか?

 三ヶ月。この家に嫁いで三ヶ月が経った。それまでに夫の顔を見た回数は、片手の指で数えられるほど。夫とは一度も交わっていない。私が拒否したわけではない。初夜、夫の方から「君には触れない」と言ってきたのだ。そしてその通り、指一本触れず、夫は自分の部屋に戻り、私は呆然としたまま、朝を迎える羽目になった。

 その上私は、外との接点を全て絶たれている。茶会に夜会、友人や家族との手紙、その他諸々全て。この家に軟禁されていると言ってもいいくらいに、私は何もすることがない。

 私が気に入らないのなら、早く離婚してくれればいいのに。私は伯爵の娘。あの人は公爵。私など相手にせず、愛人でも作ればいいのに、あの人はそんな素振りも見せない。見せないだけで、とっくにいるのかも知れないけれど。


「……庭を、散歩してもいいかしら」


 侍女に言えば、すぐに準備が整えられた。

 この王都内にあるバウムガルテン邸の庭園は、バウムガルテン公爵領のものには流石に劣るらしいけれど、それでもやはり公爵家と言えるほどの広大さと美しさを兼ね備えている。無味乾燥な生活を送る私の数少ない楽しみの一つに、その庭園の一つ、東洋からの紫陽花という花が咲く庭を散歩する、というのがある。あちらの土では青や紫色の花色になるそうだが、こちらの土では鮮やかな赤色になる。青や紫も見てみたいけれど、赤でも十分に美しく、私はこの紫陽花が好きだった。


「今日も綺麗ね。いつも手入れしてくれてありがとう」


 庭師が居たので、話しかけてみる。


「これは奥様。いや、ありがたいお言葉です。この花達も喜んでいることでしょうな」


 庭師は仕事をしていたので、それほど長話をせずにその場を離れた。

 少しの疲れを感じたので、部屋に戻ると。


「……これは、何かしら」


 侍女が窓辺に花を生けていた。


「紫陽花です。奥様がお好きな花を活けるようにと、旦那様から言われましたので」

「……」


 鮮やかな赤と、葉の緑が、窓からの光に照らされて美しく見える。……はずなのに、私の心は沈んだ。

 あの人は、なにをしたいんだろう。夫としての最低限の体裁を気にしてでもいるのだろうか。

 こういうことをされると、嬉しさより、疲れがどっと押し寄せる。

 今すぐにでもその花を処分してしまいたいが、仮にも夫からの贈り物。そんな気軽にアレコレできない。……忌々しい。

 夫は私に笑顔を見せたことがない。あの結ってある銀の長い髪と、冷たさを感じさせる碧の瞳と、整っているだけの無表情な顔の彼しか、私は知らない。けれど、私は窓から、見たことがある。夫が訪問してきた友人らしき人物に、笑いかけているところを。そしてその友人に、私は紹介さえされなかった。

 お飾りですらない、居ない存在のような私。ここにいる意味があるのだろうか。

 その、二日後。天変地異のようなことが起こった。夫が城での仕事を中断して、私を訪ねてきたのだ。しかもそれを知らせるための手紙とほぼ同時に、公爵邸に着いたらしい。私が中身を確かめて驚いている間に、侍女達はなぜか目を煌めかせ、これを待っていた、とでも言いたげに、私を着飾った。それはもう、力の限りを尽くさんばかりに。

 そして、夫がやってきた。珍しく感情が表に出ている。それは、緊張。何に緊張しているのだろうか。不可解さが増す。

 目の前に来た夫が、覚悟を決めたように言った。


「……触れても、良いだろうか」


 嫌です、などとは言えないので。


「どうぞ」


 と、私は静かに夫を見上げた。

 夫は、ぎこちなく右手を上げ、私の左手をそっと握る。


「……」

「……」


 この時間を、早く終わらせたいんだけれど。


「その……体に、変化はないか」

「……変化?」

「痛みがあったり、冷たくなったり、胸が変に苦しくなったり、炙られたような感覚があったりはしないか」


 あなたに触られている左手を不快に思います。という話ではないのだろう。

 意味が掴めない私は、首を傾げながら、


「特にありませんが……どういう意味で、」

「っ!」

「?!」


 視界が暗くなり、上半身を押さえつけられた感触がして、私はこの状況を理解するのに数瞬かかった。


「……っな」


 抱き締められているのだと理解した私は、それに驚きと不快感を覚え、その腕の中から抜け出そうと試みる。


「急に、何をするのです?! 離してくださいませ!」

「すまない、でも、もう少しだけ……」

「お断りします! 離してくださいませ!」


 この! 見た目の割に力が強い! さすが騎士団の一隊長を務めるだけはある! けれど、それをこの場で発揮しないでほしい!


「聞いてますか?! 旦那様!」

「旦那、様」


 力が強まったんだけど?! この人は私を圧死させるつもりなの?!


「アルトゥール様、それでは本当に奥様を潰してしまいますよ」


 夫の側近であるベルンハルトの声に、夫はハッとしたように私から体を離し、けれど肩は掴んだまま、


「す、すまない……その、抑えが効かなくて……」


 私を圧死させる気の抑えですか?


「……その、リリア」


 夫が私の名を口にしたことを、脳が理解することを拒否した。なぜなら、私は今まで一度も、夫に名を呼ばれたことがなかったから。


「……リリア?」

「あ……はい。なんでしょう……」


 二度目は流石に脳も処理してくれたようだった。


「その、もう一度、抱き締めても良いだろうか……」


 とても不安そうに聞いてくるが、聞いてくる意味が分からない。


「……私に拒否権などありません。私はあなたの妻なのですから、あなたの言う通りに動きます」


 少しの嫌味も込めて言えば、夫はその顔を歪めた。ちょっとだけ胸がすっとする。


「だから、言ったのに」


 ベルンハルトが呆れた声で言う。その顔も呆れたものになっていた。


「……座ってもよろしいですか?」


 さっき強く抱き締められたせいで、そしてそれに抵抗したせいで、無駄に疲労を感じていた。


「……ああ」


 否定されなかったので、長椅子の真ん中に座り、少し冷めてしまった紅茶に手を付けた。


「……」


 何を物欲しそうな目で見てくるのだろうか、この人は。


「……その、リリア」

「何でしょうか」

「隣に……座ってもいいだろうか……」


 ああ、私が長椅子の真ん中に座ったことが気に食わなかったのか。


「どうぞ」


 と、右側に座りなおす。


「……、……」


 夫は、自分で言っておきながら、躊躇いがちに隣りに座ってきた。

 そして、深刻そうな顔を私に向ける。なんだろう。やっと離婚の都合でもついたのだろうか。


「リリア」

「なんでしょうか」

「……今まで君には、苦労をかけた。だが、これは、……言い訳に聞こえるかもしれないが、私が呪われていたせいなんだ」


 ……呪い、ね。大昔に廃れた、魔法という文明の残滓。それが呪いなのだと、私は教わっている。


「はあ、呪い、ですか。どのよう呪いなのですか?」

「愛する者に触れると、その者を死なせてしまう呪いだ。しかもそれを、その、愛している者に知られてはならない。知られても死なせてしまうからだ」

「それはなんとも、厄介な呪いですね」

「けれど、その呪いが解けたんだ。昨日、やっと」

「それは良かったですね」

「……あの、リリア。分かってくれているか? だから私はさっき、リリアを抱き締めることができたのだが……」

「なるほど。……は?」


 思わず夫に顔を向けると、少し悲しげだった夫の顔に僅かに喜色が浮かぶ。向かなきゃよかった。

 けれど、ちょっと、頭が追いつかないことがある。


「……少し、質問をしてもよろしいでしょうか」


 真面目な顔を夫に向けると、


「あ、ああ」


 夫は少し怯えたような顔になった。何を怯えることがあるのだろうか。


「先程の話からすると、旦那様は実質的に、愛する者との接触を絶たなければならなかったと。その上その方にそのことを知られてはならない状態だったと」

「ああ」

「で、昨日、その呪いが解けたんですね?」

「ああ」

「なので、私を抱き締めた、と」

「あ、ああ」

「そうなると、一つ疑問が湧くのですが」

「疑問……?」

「それですと、傍から見れば旦那様が私を愛していることになってしまいますが、よろしいのですか?」

「え」


 ブフォッ、と変な音が聞こえた。そちらを向くと、ベルンハルトが口元に手を当て、顔をそらし、肩を震わせている。

 ……なぜ、笑われるのだろうか。


「……あの、リリア……」

「はい」


 心なし元気のない声の夫へと向き直れば。


「その通り、なんだが……」


 暗い影でも背負ったような雰囲気で、顔を下に向ける夫の姿が目に入った。


「その通り、とは」

「その……君を、愛している、と……」


 はて。幻聴が聞こえたような。


「すみません。もう一度言っていただけますか?」

「き、君を、愛していると」


 少し顔をこちらに向けた夫は、頬を少し染めていた。私は珍獣を見た気分になった。


「本気で言っていますか? それともまた別の呪いですか?」

「本気だ! 呪いではない! 信じてくれ! 本当に君を愛してるんだ!」


 どさくさに紛れて手を握らないでくださいますか?


「……証拠は、と言いたいところですが、もう呪いは解けてしまったのでしたね。証拠がありませんね。どうしましょうか」

「っ……」


 悲壮感漂わせる夫の顔を見るのは胸がすく思いがするが、このままでいる訳にもいかない。


「では、僭越ながら、お願いがございます」

「お願い……?」

「ええ。私はここへ嫁いで三ヶ月、茶会や夜会にも行けず、誰にも会えず、妻としての役割も果たせず過ごしてまいりました。なので」


 不敬に当たるだろうが知ったことではない。私は夫を睨みつけ、


「これからの三ヶ月で、私を愛していることを証明してください。出来なければ私は実家に手紙を出し、離婚調停の話を進めていきたいと思います」

「…………り、離婚、調停……」

「ええ、離婚調停。ご承知いただけますか? いただけますよね? なんせ私を愛していらっしゃるのですから、それを証明するなど、造作もないことですよね?」


 ここぞとばかりの攻撃は、夫に結構なダメージを与えられたようだ。機能停止したように動かなくなった夫から自分の手を引き抜き、侍女が注ぎ直した紅茶を飲む。

 ああ、こんなに飲み物を美味しく感じられるなんていつ以来かしら。


「……わ」


 あ、動き出した。


「分かっ……た……三ヶ月以内に、証明する。そしたら、それが証明されたら」


 夫は背筋を伸ばし、


「今更だが、婚姻の誓いの儀を、してくれないか」

「はい?」


 また変な話が始まった。


「婚姻の儀では、愛を誓う言葉があるだろう。それに、……口づけもする。あの時、私はすでに呪われていたから、そんなことをすれば君を死なせてしまうと、……だから、出来なかった……すまない……」


 なるほど。辻褄は合う。

 私は婚姻の誓いの儀をしないと聞かされた時、自分になにか問題があるのか、それとも私はお飾りの妻なのだろうか、などと考えてしまっていたけれど。


「分かりました。その時にはそういたしましょう。けれど、証明ができなければ、この話もなくなることをお忘れなく」

「ああ。……その、リリア」

「なんでしょうか」

「もう一度、抱き締めても良いだろうか」


 ……捨てられた子犬のような目をしてくるこの珍獣、どうにかならないのだろうか。


「……分かりました。けれど、今度は力を加減してください」

「え、あ、ああ……」


 私が茶器を置くと、夫は躊躇いがちに私の肩を抱き寄せ、私の注文通りに力を弱めて抱き締めた。


「……」

「……」

「…………旦那様、長いです」


 言えば、特に不満も漏らさず、夫は私から体を離した。けれど、手を離してくれない。


「旦那様、手を」


 離してください、と言う前に。


「愛してる、リリア」


 手の甲にキスをされた。


「アルトゥール様、そろそろ」


 ベルンハルトの声に、夫は顔をしかめた。

 私が自分の手の甲にされたことに気にとられているうちに、夫は私の手をそっと私の膝の上に置いて、立ち上がる。


「では、私はもう行く。……すまない、仕事があって……」

「……ああ、はい。行ってらっしゃいませ」


 言うと、夫は目を瞠り、次にはとても嬉しそうな顔をした。


「ああ、行ってくる」


 そうして、夫は私の部屋をあとにしたのだ。



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