2 あの三ヶ月は重いのです
それから夫の行動は、劇的に変化した。と言っても、まだあれから一週間しか経っていないけれど。
夜はどれだけ遅くとも帰ってくるようになり、私と朝食をともにして、城に出仕する時も私を抱き締め、手の甲にキスをしてから、家を出るようになった。その眼差しは、以前に数回見た冷たいものではなく、優しく、それでいて奥に炎が燃えているような奇妙なものになっていた。
「……ねぇ、本当に旦那様は私を愛しているの?」
髪や顔を整えられながら侍女達に聞いてみると、
「ええ! いつもどうすれば奥様が喜ぶのもを用意できるかとお考えになっていたり」
「けれど、呪いのことがありましたから、それと気付かれぬようにしなければならず……」
「わたくし達はもう、どうすればと……!」
「……なら、贈り物をするのは危なかったのではないかしら」
「え?」
「私が単純な頭をしていたら、旦那さまからの贈り物一つで舞い上がって、『この方は私を愛してくださっているんだわ!』なんて思って天に召されていた可能性があるわ」
あの人は、月にいっぺん、私に贈り物をしていた。それはブローチだったり、ペンダントだったり、ネックレスだったり。夫が妻に贈るには少し物足りないと思えるものだったが、あの、初夜での出来事。それによって夫に愛されていないと思い知らされた──本人からの弁明はまだないが──私は、それらをただの夫としての体裁だと思っていた。部屋に飾られる花もしかりだ。
「そ、それはそうですが……」
「何も贈らない夫など人を人とも思っていないのではとお悩みになっておられた旦那様に、ベルンハルト様が助言された結果なのです」
「へぇ、ベルンハルトが」
それなら少し納得がいく。
夫の側近である、ベルンハルト・アッペル候爵子息。アッペル候爵家の三男で、夫の隣にいるとあまり目立たないが、顔もそれなりに良く、けれど夫同様あまり顔を合わせたことがないので、茶色の短髪が私にとっての目印だ。
その、ベルンハルトは頭が良いと聞いている。で、侍女の話から推測するに、私の心が夫から離れていることを素早く察して、私がどうとも思わない、それでいて夫がそれなりに満足するものを、彼が提案したということだろう。
そう考えると、彼は本当に、有能な側近だ。
「……」
そして、私はテーブルの上に山積みにされた手紙の束に横目を向ける。それらは、今まで私に隠し通されていた、家族や友人からのものだった。
内容は、彼の呪いについてや、彼は本当に私を愛しているという熱弁、そしてこれから置かれる──現にそうなった、私の環境への配慮と謝罪。だった。
特に、父や母などは、私は夫に本当に愛されているのだと、そして自分の呪いを半年で解くことを約束として、私と彼との婚約を結び、婚姻に至ったのだと、記していた。
半年。それが呪いを解く期限だった。家族は私を大事に思ってくれている。最初は本当に悩んだという。彼の呪いについては有名だったらしく、両親は最初、彼の申し出を断ったそうだ。彼の呪いについて知らなかった弟も、両親が公爵からの申し出を蹴るという行為を不可解に思い、それを両親に尋ね、概ね理解したのだという。私にも教えてほしかったが、私に言えばその場で私は息絶えてしまうので、何も言えなかった、そうだ。……この呪い、分析してみるとすごくねちっこく嫌な呪いだな。
そして、その半年という期限を半分残し、三ヶ月で夫は解呪に成功した。……まあ、努力したのだろう。
けれど、ならばこそ、疑問が残る。三ヶ月で解呪出来るものを、どうして今まで放置していたのか。皆の手紙の情報から、夫は十七の時に呪いを受けたのだと知った。そして今、彼は二十歳だ。なぜ、三ヶ月で解呪出来るものを、三年も放置していたのだろう。
「さあ、出来ましたよ、奥様」
「どうでしょうか?」
私は、侍女達が私の前から引いたことにより、自分のその姿を真正面から見ることになった。
「……」
鏡に映るのは、薄い茶色の髪と榛の瞳を持った、少し幼気に映る自分の顔。
髪の上半分は複雑に、それでいてふわりとした仕上がりになるように編まれている。そこに真珠やガラス細工の小花があしらわれ、残りの髪は下ろされていた。私の髪は少しクセがあるので、コテで調節されている。とても愛らしく見える出来だった。
そして化粧も、垂れ目で幼顔な私の顔の特徴を活かしてくれていて、甘やかな、それでいて夜だからと少し艶っぽく見えるものになっている。
「……ありがとう。とっても素敵ね」
これは本心だ。けれど、これを帰ってきた夫が見るのだと思うと、複雑な気持ちになる。
夫は今日、珍しくも、早く帰れそうだと馬を使って伝えてきた。なので、夕食を共にすることになっている。
その際着るドレスも、侍女が気合を込めて選んでいた。
「……」
私はそれに目を向ける。
胸元から裾にかけて、水色から深い青へと変わるドレス。胸元と、スカート部分のところどころに真っ白で精緻なレースのリボンと輝石が使われていて、ドレスの生地には透かしで夫の──バウムガルテン公爵家の紋章が入っている。夫を出迎える、というより、王家主催の夜会にでも行くかのようなドレスだった。
「……少し、一人にしてくれないかしら」
侍女達は素直に従ってくれ、私は自室に一人になる。
「……はぁ……」
自然と、溜め息がこぼれた。
私の夫への気持ちは、あれから特に変化していない。いや、正確には変化自体はしているのだが、あまり良くない方向に変化していると思う。
夫の呪いについて私が知らなかったことに瑕疵はない。それは理解できる。知れば死んでしまうのだから。
けれど、この三ヶ月。たかが三ヶ月、されど三ヶ月。短いと言う者もいるかも知れない。だけど、私には時間が止まったように長く感じられた。あの生活が永遠に繰り返されるのだと、そしてそのまま死ぬのだと思っていた。端的に言うと、地獄だと思っていた。
その、心の傷は、簡単には癒えてくれない。現に、夫に愛を囁かれても、抱き締められても、キスをされても、心が動かない。いや、余計に嫌悪を感じているかも知れない。
……早くこの状態から解き放たれたいと、思っている自分がいる。
「……このまま行くと、離婚調停コースかしらね」
私は、溜め息とともに、呟いた。
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