29 あなたは考えすぎです
そして、訪れた夫の私室にて。
「……まあ、まず、座ってくれ」
緊張気味の夫の言葉に、
「では、失礼いたします」
と、テーブルと一緒に設置してある、二つあるソファの片方に座った。テーブルの上には既に、ティーセットが用意されていて、ベルンハルトは、ドアの側に待機している。
「……? どうされました?」
夫はさっきから突っ立ったまま、視線を彷徨わせ、なにか言いたげな表情をしている。けど、その口を開かないので、ことが進まない。
「…………いや…………」
「お座りにならないのですか?」
すると、夫は意を決したような顔になり、
「……隣に、座ってもいいだろうか」
……それが言いたかったんかい。
「ええ、どうぞ」
私はソファの右へずれる。ソファの左側にいた夫は、そーっと、私の左側に座ってきた。
「……それで……」
どこか不安そうな目で見てくる夫。……またなんか変な方向に想像を膨らませてない?
「話とは……なんだろうか……?」
「私たちの『愛の証明』について、お話をしたくて」
言ったら、夫が顔を歪めた。
「…………リリア」
「はい」
「……まだ、期間はあるんだよな……? それとももう、……君の、気持ちは……」
ああもう。やっぱり。
「アルトゥール様。変な方向の心配をしないでください」
私はそう言って、夫の右手を両手で包み、握る。
「え、」
「これからをどうするか。それをご相談したくて、お話の時間をいただいたのです」
「……これから……?」
「はい。あの時からの三ヶ月──今からですとあと二ヶ月ほどになりますが、その期間、どう過ごすか。昨日、お互いを知っていきましょうと、私は言いましたよね? その具体的な話をしたいのです。今日のように朝食や夕食をともにして、日々、少しずつ互いを知っていくのか、私もあなたの妻として、社交の場に積極的に出て良いものか。そういうご相談をしたいのです」
「……相談…………?」
「ええ、そうです──っ、ちょっ!」
握っていた手を握り返され、引かれ、抱きしめられた。
「……そうか……そっちか……良かった…………」
細く長く、息を吐き出す夫。抱きしめられているおかげで、とても素速かった夫の心音が、ゆっくりとしたものになっていくのが分かった。
「……アルトゥール様、一旦手を離してくださいますか?」
「……」
ゆっくりと、握られていた手が解かれ、わたしの背中に回っていた腕も離れる。
「アルトゥール様。心配のしすぎです」
今度は、私から夫を抱きしめた。
「──えっ」
夫は、もう恒例のようにピキンと固まり、けれど珍しくすぐに再起動して、私を抱きしめ返す。
「……心配……。……いや、怖いんだ……君が去ってしまうのが……」
「去りませんよ」
「本当に?」
「……アルトゥール様、変な言質を取ろうとしないでくださいね?」
「う……」
私が背中に回していた腕を離すと、夫も、少し間を置いてから私に回していた腕を緩めた。離してはくれないけど。
まあ、いい。
「で、話を戻しますけれど。これからどうしていきましょうか?」
「どう……」
「あと二ヶ月、どう過ごすべきか、と」
間近にある夫の顔は、悩む、というより、困る、という表情になっていた。
「……私から、君に、…………離婚の話を切り出す可能性は皆無だ。君が過ごしたいように過ごし、私を見定めてくれ。私は、君に愛されるよう最大限の努力をする」
「……もしも、は、考えないのですか?」
「もしも?」
「もしも、あなたが私に愛想を尽かしたら、の、もしもです」
「……想像がつかない」
真剣な顔をして言う夫は、
「今、君を見ていて、君と話をしていて、それを奇跡のように感じている自分がいるんだ」
大真面目に、また変なことを言ってきた。
「君に想いを悟られないようにしていた三ヶ月は、生殺しのような気分を味わっていた。日々、君のことを報告される度、その場に自分がいればと何度も思った。君と顔を会わせている時は天にも昇るような心地だったが、それを表には出せない。愛の言葉が舌に乗りかけ、何度それを飲み込んだか。君の目に映る自分が、そう見えるようにしていると分かっていても、冷酷な人でなしに見えているのだと思うと、心が岩のように重くなった」
冷酷な人でなし。あの三ヶ月、私と会っていた時のあの冷たい眼差しや私に無関心であるような振る舞いは、自分の心を押し込め、想いを悟られないようにするためのものだったって訳か。
「君の心が私から離れていることを思い知らされ、解呪の痛みを凌駕するほど、勝手に傷ついていた。だから、こうして君と話せている今が、途轍も無い奇跡に思えるんだ。……話しているだけでも、幸せを感じるんだ」
どこか、寂しそうに微笑まれる。……その複雑な表情を作らせてしまっているのは自分だと、理解できる。
「……アルトゥール様」
「なんだろうか」
「私、アルトゥール様のこと、少し好きかもしれません」
「そうか。………………は?」
夫は苦笑するように微笑んだあと、最大限に目を見開いた。
「これが恋愛感情かは分かりませんが、今、人としてとても好ましいと感じています。あなたが皆に好かれる立派な人だとは理解していましたが、なんだか、実感を伴った気がします」
夫は固まったまま動かない。けどまあいい。これからどう動いていいか、聞けたんだし。
「お話の時間を下さり、ありがとうございました。では、お仕事頑張ってくださいね」
そして、夫の腕の中から抜け出そうとした、んだけど。
「……アルトゥール様」
腕を解いてくれない。
「お仕事があるでしょう? 早くそちらに向かわないと」
……なんだこの、鉄で出来たみたいにガッチリ固まっている腕は?! 押しても引いてもびくともしない!
「離してくださいませんか? というか、そもそも話を聞いてますか? 私の声が聞こえていますか?」
ペシペシと頬を叩く。つねる。耳を引っ張る。
「…………あ、え……?」
やっと、夫が動き出した。
「……今、……私の聞き間違いか幻聴か何かでなければ……」
夫の頬が紅潮していく。
「……リリア、君は、……わ、私を、す、好き、かも、と……言っただろうか……?」
「言いましたよ?」
「……本心で……?」
「お疑いですか?」
「い、いや、だが、そんな、私に都合のいい言葉が、そんな、……っ……」
夫は背中から片手を外し、自分の口を覆って横を向いてしまった。そして何か、極小の声で呟きだす。
しかも、残った片腕は解くのではなく、私をより抱きしめにかかった。
おいこら。
「アルトゥール様、離してください。そして仕事に戻ってください。いつまでもこうしている訳にはいきませんよ」
今度は胸をペシペシ叩く。効果がない。少し強めに叩く。効果がない。
「アルトゥール様! 聞いてますか!」
ドン! と胸を拳で叩いたら、
「えっ? あ、や、す、すまない……」
やっと腕から解放された。
「……。では、私はもう行きますね。おやすみなさいませ」
何かあってまた捕まるのを防ぐため、私は素早く立ち上がり、礼をして、夫の部屋をあとにした。
☆
リリアが部屋から出ていったあとも、赤い顔でソファに座ったままのアルトゥールは、
「……ベルンハルト」
「なんでしょうか」
「私は今、寝ていたりしないよな」
「これは夢ではなく現実ですよ。そして仕事が待っていることもお忘れなく」
「……だよな……」
アルトゥールは立ち上がり、少し覚束ない足取りで執務室へ向かいかけ、
──私、アルトゥール様のこと、少し好きかもしれません。
その足が止まり、
「仕事が滞ったら奥様に言われますよ。私のせいでしょうかとね」
ベルンハルトのその言葉に、
「……分かってる」
アルトゥールは一度深呼吸すると、確かな足取りで歩きだした。
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