31 あの人への気持ち
「ええ。リリア様も、それでよろしいかしら」
エルメンヒルト様の言葉に、「畏まりました」と、言ったら。
「もっと砕けた感じでいいのよ? アルトゥールの妻ってことは、親戚なんだから」
フロレンツィア様が頭を傾け、それに合わせて銀に煌めく髪が、ふわりと揺れる。
「お気遣いありがとうございます」
「だから、もっと楽にしていいのよ。あたし、あなたと仲良くなりたいの」
フロレンツィア様の明るい緑の瞳が、というか体勢そのものが私に向き、
「アルトゥール、あなたのことをほとんど教えてくれないんだもの」
腕を組んで不満そうな顔になったあと、
「ね、あなたのこと、リリアちゃんって呼んでも良い? あたしのことはツィアって呼んで?」
と、笑顔で仰った。
「あら、ならわたくしのことは、ルディと」
エルメンヒルト様も、微笑んでそう仰る。
「……よろしいのですか? 会って間もない私などに、愛称で呼ぶことをお許しくださるなど」
「なんの問題もないわ。あなたのことはアルトゥールと母から聞いていたし、聞いた通りにしっかりした人だということも、見た瞬間に分かったし。ねえお姉様?」
「そうね。装いや振る舞いから、リリアちゃんがしっかり芯を持っていると理解できました。母もあなたのことを気に入っていましたし。アルトゥールは、いとこというより弟のようなもの。だから、わたくしたちにとってリリアちゃんは、妹のようなもの」
そんな理解の仕方でいいんですか?
「……ありがとうございます。では、ツィア様、ルディ様、と、呼ばせていただきますね」
「うんうん。あ、ほら、お菓子食べましょう? 喉も乾いたでしょ? もう夏本番だし」
ツィア様はそう言って、一口大のフロランタンを手に取って、ぱくり。
ルディ様は、紅茶を一口飲んで、
「リリアちゃん。ひとつ聞いてもいいかしら」
「なんでしょうか?」
「貴方たちの結婚──新婚生活って、どのようなもの?」
へい?
「いえ、変な意味ではなくてね。わたくし、もう二十二だけれど、いつ結婚できるか分からないから、どういうものか気になっていたの。アルトゥールには、呪いのこともあったし……」
ルディ様が、悩まし気な顔をする。
ルディ様もツィア様も、婚約者がいる。そして、ルディ様の婚約は、隣国のグリンドゥールとの絆を深めるためと、国同士で決められたもの。相手はグリンドゥールの第二王子、クリウス・グリンドゥール様。
ルディ様とクリウス様は、四年前にご結婚なさる予定だった。けれど、グリンドゥールと、別の国との間で問題が起き、結婚は一旦保留となったのだ。そして、問題は今でも解決できておらず、ルディ様とクリウス様は、婚約者のまま。
幸いというかなんというか、ルディ様とクリウス様との仲は良く、クリウス様はハイレンヒルに遊学していらっしゃるから、お二人が顔を合わせたりすることは難しくないけれど。
「……そうですね……正直言いますと、最初は戸惑いました」
「アルトゥールに? 結婚に?」
ツィア様が聞いてくる。
「どちらにも。私は、アルトゥール様のことは伝聞でしか知りませんでしたし、呪いのことも教えられませんでしたし……まあ、それは致し方ないことですが……ですから、あの方の呪いが解けて、そして互いを少しずつ知るようになって、やっと、この人は自分の夫なのだと、自分は妻なのだと、形式的なものではなく、実感を伴って思えるようになってきたところです」
最近の、朝の見送りと夜の出迎えのハグも、なんか慣れてきた気がするし。アルトゥール様はまだ固まるけど、再起動までの時間は短くなった気がする。
「実感……」
「リリアちゃんはアルトゥールのこと好き? それともそんなに好きじゃない?」
おっと? ツィア様がクラウディア様と同じような質問をしてきたぞ?
「……正直に申し上げますと、一個人としては好ましいと感じます。ですが、恋愛感情や家族愛を持っているかと聞かれると、まだ、よく分からないのです」
「あら、そうなの。まあでも、そうよね。いきなり知らない人のところに嫁がされて、アルトゥールは解呪の真っ最中だったから、夫婦らしいことも出来ない。ここ二ヶ月くらいよね? まともに顔を合わせてるのって」
「はい。ですので、まずは人となりを知ろうかと」
朝食と夕食の時に会話をするくらいだけど。……けど、前の私からすれば驚愕の行動だ。もともとは、離婚しようと思ってたんだから。
「人となり、ね……。大丈夫かしらあいつ……」
「ふふ、アルトゥールは免疫がないものね、こういうことに」
免疫って。
「リリアちゃん、大丈夫? アルトゥールのことで悩んでることとかない?」
ツィア様が、ずい、と身を乗り出してくる。
「え……と、悩んでること、ですか……」
「ええ。例えば、無理に迫ってくるとか」
無理に迫って……そういえば、そういうことはされたこと無いな。今の状況を気にして、抑えてるんだろうか。
「あいつが無理に迫ってきたりしたら、ちゃんと二、三発かますのよ?」
一発じゃないんですね?
「……ありがとうございます。そういうことが起きたら、ちゃんと対処するようにします。……ああ、悩みというか、気になることはありますね」
「どんな?」「気になること?」
「いえ、その、大したことではないのですが……アルトゥール様は、私に対して一生懸命すぎるような気がして……」
不思議そうな顔をするお二人。どう、説明したものか。
「愛してくださっていることは、伝わってくるのです。ですけど、私との時間を作るためにか、毎日お仕事を家に持って帰ってきますし……ご自分より私のことを気にして動いてくださいますし……ですけど、それが、あの人のお仕事や生活に支障を来さないかと……気にかけてくださるのは有り難いのですが、私ばかり優先せず、もっとご自分を大切にしてほしいのですけど……」
なにより、今は結婚生活と言っても、『(仮)』だ。自分で言うのもなんだけど、夫は私に振り向いてもらおうと、実直なほどに誠実かつ真摯であろうとしてくれている。なんだか申し訳ない。それに、魂のこともあるし、無理はしてほしくない。
「……リリアちゃん」
「はい」
「リリアちゃんはさっき、アルトゥールのこと、一個人としては好ましいけど、そこに『愛』があるか分からないって言ったわよね?」
ツィア様が、神妙な顔をして聞いてくる。
「はい。ですので、余計に心配といいますか……」
言ったら、お二人は困ったように顔を見合わせた。
「……すみません。私、変なことを言ってしまったのでしょうか……?」
「いいえ? 全く変じゃないし、素敵だと思うわ」
ルディ様は、微笑みながらそう言って。
「愛ではないのだとしても、あなたはもう、アルトゥールを大切に思ってくれている。だから心配してくれている。わたくしは、そう思うわ。ね、あなたはどうかしら、ツィア」
「……いや、もう、いや……」
ツィア様は頭を抱え、次に私に顔を向け、
「リリアちゃん。それ、アルトゥールに言ったこと、ある?」
「え、今のをですか? いえ、それは、流石に」
なんか、恥ずかしいし。
「言ってあげてくれないかしら」
「え」
「手紙でもいいから。お願い。親戚の
親戚の好……というか、王族の頼み、だよね。断れないよね……?
「……分かりました」
直接言うのは恥ずかしいから、手紙にしようかな……ん? 恥ずかしい? なんでだろ。心配してますって、伝えるだけなのに。
「そういえば、夏の夜会、リリアちゃんも来てくれると聞いたけれど」
「あ、それは、はい。バウムガルテン公爵の妻として、ちゃんと務めは果たさなければと」
ルディ様の言葉に、しっかりと首肯する。
「……そういう意気込みなのね。しっかりしてていいと思うわ」
「リリアちゃん。それなら、いえ、それでなくとも、覚悟して挑まないといけないわよ」
「覚悟、ですか」
「ええ。もう誰かから聞いていると思うけど、今、呪いが解けたアルトゥールを狙ってる有象無象が大勢いるわ」
有象無象、前にも聞いたな。
「あなたはそれに対抗して、勝たないといけない。アルトゥールも用心しているけど、念には念を入れないと。それに、狙われてるのはアルトゥールだけじゃない。リリアちゃんも、違う意味で狙われてる」
私も? ……ああ、なるほど。
「私が何か粗相をしたり、乱暴をされたり、精神的にか物理的にか、アルトゥール様と引き離そうという、そういう理解でいいでしょうか」
「……分かってるのね」
「いえ、今指摘してくださって気づきました。私がアルトゥール様の弱点になりうると。ご忠告、ありがとうございます。より気を引き締めて参ります」
「そうね。その夜会で、リリアちゃんは手強いって印象付けられれば、それ以降の有象無象も少しは減るでしょう。わたくしたちも、アルトゥールとリリアちゃんへの協力は惜しまないわ。でも、何があるか分からない。気をつけていきましょう」
「はい。ありがとうございます」
☆
「……う、うう……」
夕食も終え、自室にて。私は机の上に何枚もある便箋を──書いては止め、書いては止めを繰り返したそれらを見つめて、呻いていた。
今、書こうとしているのは、ツィア様から、手紙でいいから伝えてと言われた、あの、私の心境。
なんだろう。書こうとすればするほど、気恥ずかしさが増す。なんで? ただ心配してますって書くだけなのに……。
「……」
いや、こんなことでうだうだしている場合じゃない。私はあの人の妻。気合を入れろ!
「──フンッ!」
パチン!
「……ふー……」
叩いた両頬が痛いけど、気持ちの切り替えはできた。
「──よし、書く」
私は再びペンを取り、便箋と向かい合った。
☆
ベルンハルトはそれを受け取り、確認すると、執務机に向かい合っている主人へ顔を向けた。
「……アルトゥール様」
「なんだ」
「奥様からお手紙が」
ガタンッ! と椅子を蹴倒す勢いで立ち上がったアルトゥールは、目の前に来たベルンハルトからそれを受け取る。
「……」
アルトゥールはそれをじっと見つめ、
「読んだら仕事に戻ってくださいね」
「……ああ」
椅子に座り直し、喜びと不安で速くなってきた鼓動を抑え込み、深呼吸を数回して、手紙を開き、便箋を取り出し、広げた。
「……、……」
文字を追っていく目が徐々に見開かれ、その端正な顔に『奇妙』を示す表情が浮かび、
「………………」
アルトゥールは手紙を読み終えると、それを裏返したり、灯りに透かしたり、本人が奇妙な行動を取り始めた。
「……今度はいかがしました?」
ベルンハルトは念のため、奇怪な行動をしているアルトゥールに声をかける。
「……これは、夢ではないよな……?」
机の上に手紙を広げ、考え込むように顎に手を当てるアルトゥール。
「あなたは今起きていますし、奥様からの手紙を読んでいるじゃありませんか」
「だよな……文字もリリアの文字だし……現実、だよな……」
「何が書かれていたんです?」
「……私への、気遣い、なんだが……なんというか……」
歯切れ悪く言うアルトゥールの顔が、だんだんと朱に染まっていく。
「その……今までと、違ってな……恋人へ、贈る、それのようで…………」
「良かったじゃないですか。あなたの努力が報われている証拠では?」
「そんなまっすぐに、受け取って良いのだろうか……」
「それはあなたが決めることですから、僕は口出ししませんよ」
そして、アルトゥールは三度ほど手紙を読み返し、頬を染めたまま悩まし気な顔をして、便箋を取り出し──
「………………」
動きを止め、次には額に手を当て、呻いた。
「返事を書くなら早く書いてください」
「分かってる……」
アルトゥールは一度深呼吸すると、覚悟を決めたようにペンを取り、いつになく真剣な表情でリリアへの返事を書き始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます