9 三ヶ月ぶりの実家です!

「おや、今度はどうしました?」


 執務室に戻ってきたアルトゥールに、ベルンハルトが声をかけた。


「……今度とはなんだ。今度とは」

「いえ、あなたの足取りが少し覚束ないので。それに、酒を飲みすぎた時のようにぼうっとして、遠くを見てる。また何かあったんだろうなーと」

「……」


 無言で、そして無表情で執務机に座ったアルトゥールを見て、


「ああ、奥様に口止めされたんですね」


 ガタリ、と音をさせてアルトゥールは椅子から腰を浮かせ、目を見開いてベルンハルトを見た。


「いや、そこは平静を保ってくださいよ。奥様に言われているんでしょう?」

「……」


 アルトゥールは顔をしかめながら椅子に座り直し、


「それと、分かりやすく顔を赤くさせないでくださいね」

「っな」


 持ちかけていたペンを取り落とす。


「……ベルンハルト」

「はい」

「私で遊ぶな」

「承知しました」


 そこからは無言になったベルンハルトを見て、アルトゥールはやっと一呼吸置いてからペンを持ち直し、書類に目を通し始めた。


「……」


 書類は正しく処理され、捌かれていくが、


「……」


 あの柔らかい感触がアルトゥールの頭から消えず、彼は何度も溜め息を吐く。そして時折、自分の唇に、恐らく無意識に何度も触れる。頬も赤くなっているのだが、本人は気付いてないらしい。

 ベルンハルトはそれを横目で観察しながら、大体のことを察し、いや、恋する乙女かよ、とツッコみたい気持ちを抑えつつ、何にも気付いていないように自分の分の書類を減らしていった。


 ☆


「やっと荷造りが出来るわ……」


 朝、起きたばかりの私は、疲れた気分になりながらぼやくように言う。

 あの夜、悶えたあと、私はハッと気付いた。本題が解決していない、と。

 なので寝室から出て改めて実家へ戻る──今度は聞くのではなく決定事項として──手紙を書いて、夜番として立っていた兵士に手紙を渡すよう頼み、やっと眠った。

 ので、少し睡眠不足だけど、まあ、それほど問題はない。

 入ってきた侍女におはようと言いながら実家に戻る話が纏まったことを話し、荷造りのために数人、手の空いている者を呼んでもらうよう頼む。

 そして侍女達は集められ、行き帰りも合わせて四日という短い期間であることもあって、荷造りはすぐに終わった。加えて、私は一応公爵夫人であるから、実家に帰るといえども数人こちらから侍女を連れていかねばならず、ちょっと悩んだけど、いつも身の回りのことを多く世話してくれる五人を選んだ。

 準備はバッチリ。あとは予定通りに昼前に出るだけ!


「旦那様はお城に行ったし」


 ご飯も食べたし何も憂うことはない!


 いざ! 両親に物申すために! そして弟に会うために!


「じゃあ、行ってくるわね」

「いってらっしゃいませ」


 使用人達に見送られ、馬車に乗り、実家へと向かった。


「ただいま」

「……お?! お帰りなさいませ?! お嬢様?!」


 帰って早々、使用人達は私を見て慌てた。

 ……えっと、どうしてかしら。


「あの、使者を寄越してお父様とお母様には伝えてあったんだけど。それはまだ伝わってないのかしら。私が帰ってくるって」

「う、伺っておりましたが……けれど、その、まさか本当に……」

「姉様!」


 あら、懐かしい声。


「ディート」


 声のした方へ顔を向ければ、母譲りの金の髪を煌めかせながら弟のディートヘルムがこっちに走って……えっと、すごい不安そうな顔で走ってくるんだけど。嫌な予感しかしないんだけれど?


「姉様!」

「っおう……」


 勢いよく抱きつかれたせいでちょっとよろめいてしまった。


「ただいま、ディート」


 小さな頃からのお決まりの、けれどもう広くなった背中をぽんぽん叩く。


「……おかえりなさい……姉様……」


 ディートは、どうしてか沈んだ声でそう言って、私から体を離すと、


「公爵様と離婚なさるって本当ですか?!」


 必死な形相でそう言ってきた。


「……」


 父よ、母よ、みんなに何を言ったのですか。


 ☆


「ごめんなさいね、帰ってきて早々。この人が騒いだせいで、皆に変なふうに話が伝わってしまって……」


 家族が集まる部屋で、二人がけソファの、私から向かって右に座る母が、ふぅ、と溜め息を吐く。


「何をどう騒いだら、離婚の危機という話になるんです」


 同じ型のソファの、母の前に座る私は、母とその隣にいる父を、特に父を「お前は何をした?」と言いたげな目で見た。ちなみに、ディートは私の隣に座っている。


「いや、そのだな、今朝方バウムガルテン公爵家の使者が早馬で来ただろう?」


 父が目を彷徨わせながら言う。


「そして渡された手紙は、お前からのものだった。近況を伝えるにはよく分からない方法で届いたものに、少し、不安を感じてな」

「けど、中身はちゃんと読んだんでしょう?」

「読んだが……だが、だって!」


 だってってなんだ、子供か。


「クリスタからの手紙を読んで、当時の話を知りたくなったから詳しく聞きたいなど! そしてクリスタから、お前に出した手紙の内容を聞けば!」


 ば?


「お前が嫁ぐまでの詳細について記したのだと! で、それを改めて詳しく聞きたいって! 家に帰ってまで聞きたいって! 公爵様と何かあったとしか思えないだろう?!」


 それでわーわーギャーギャー騒いでいたのが使用人達に伝わって、伝言ゲームのように捻じ曲がり、ディートまでその被害に遭った、と。


「お父様」


 少し厳しめな眼差しを向ければ、父はビクッと肩を跳ねさせた。……私の周り、肩を跳ねさせる人が多くない?


「バウムガルテンで何があったかはひとまず置いておいて」

「なにかあったんだな?!」


 話を聞けこの野郎。


「ひとまず置いておいてと言いました! 人の話を聞いてくださいお父様!」

「ごめんなさい!」

「……」


 相当に混乱しているらしい。


「お父様、お母様。私はお二人に一言申したかったのと、ディートの顔を見に来ただけです。それ以上でも以下でもありません」

「ひ、一言申す……?」


 目を白黒させる父を、


「ほら、書いてあったでしょう」


 母がなだめる。

 そして母は、私が今朝出した手紙をテーブルに置いた。私も母から貰った、あの手紙を取り出す。


「母の手紙で、どうしてこうなったのかやっと詳細を知りました。旦那様はお忙しい身の上ですから、話をする時間もあまり持てなかったのです」


 が、今思えば、『愛の証明』中にこの話をしてくれれば良かったのに。


「で、物申したいのはここです、ここ」


 私が指し示したのは、父と母が私に、当時の私には意味が分からない問答をされたところ。


「こ、この話が、どうしたと言うんだ……?」

「『どうしたと言うんだ』ぁ?」


 私の怒気に当てられてか、父が怯えるように母の袖を掴んだ。だから、子供か。


「詳しく話せなかったのは分かります。生死に関わるのですから。……けれど、もう少しマシな聞き方があったのでは?! 『命を懸けてまで愛してくれる人と普通の人、どっちがいい?』『命を懸けてくれる人!』こんな馬鹿らしい問答がありますか?!」

「すまん! 本当にすまん! だけどそれ以外に方法が思いつかなかったんだ! お前に何か、ヒントでも与えてしまえば、お前は死んでしまうかもしれなかったんだ!」

「けどですね! そのために私は顔も知らない人のところへ突然嫁がされてそのまま約三ヶ月放置ですよ!」

「へ」


 この際だから言ってやる。


「家族にも友人にも会えない。手紙を交わすことすら許されない。今なら、私の命を守るためだと少しは納得できますが、何も知らされていない三ヶ月! 私はこのままひとりで朽ちていくのかと! 半分死んだような思いで過ごしていたんですよ?!」

「そ、そんなことになっていたのか……」

「あなた、それは事前に申し上げていましたよ。公爵様からも先に謝罪を受けていたではありませんか」

「え、え? そ、そうだった、か……?」


 おい。


「……ねえディート」

「は、はい。姉様」

「いえ、あなたは怯えなくていいの。私達のお父様は、ここまでポンコツだったかしら」

「え」「え゛」「あぁ……」


 母が、頭痛でも起こしているように頭を振る。

 そして、顔を上げて、私へとその目を向けた。


「ごめんなさいね、リリア。つらい思いをさせて」

「……いえ。お母様はそんなに悪くない気がしてきましたので、大丈夫です」

「そう? ありがとう。けどね、エトヴィンがこんなになってしまったことにも、一応理由があるのよ」

「く、クリスタ……」

「あなたは今は口を閉じていてね?」

「……はい……」


 母の笑顔に気圧された父は、母の袖を掴みながらもしゅんとした。なんだろう、大丈夫だろうか。ディートはこんな父親を見て育って、立派な青年になれるのだろうか。


「ね、リリア。婚約も婚姻も、とても大切に扱わなければならない、大事な約束事でしょう?」

「……そうですね」

「それで、リリアにそれを申し込んできたのがバウムガルテン公爵様。彼の真摯な態度とその真剣さに私も夫も首を縦に振ってしまったけれど、この人はね、やっぱりあなたがいなくなるのが寂しかったのよ」


 呪いのせいで婚姻の儀も出来ず、娘に会うことも憚られる状態で、父はだいぶ心をやられていたらしい。

 と、母は説明する。


「で、あなたが急に帰ってくるなんて連絡をしてきて、本当に帰ってくるものですから、自分は娘を不幸な目に合わせたのだろうかって、それはもう落ち込むやら混乱するやら」

「……そうですか」

「そうなのよ。だからね、リリア。この人は娘のためにポンコツになっただけだから、あまり心配しなくて大丈夫よ。……たぶん」


 不安になる言葉を付け加えないでくださいお母様。

 ……えーと、じゃあ、一応の話の片は付いた。けど、今こんがらがっている離婚調停と停戦についての話は、どうしようか。話すべきだろうけど……。

 母とディートはともかく、この、ポンコツになっている父にその話をしたら、倒れるんじゃないか?


「分かりました。一旦は。で、お母様」

「何かしら」

「今日のご予定はどのようなものになっていますか?」

「そうね、明日はお茶会に呼ばれているけれど、もうその準備は済んでいるし、今日は特に何も無いわね」

「じゃあ、少しお話をさせていただく時間をくれませんか?」

「良いけれど……あなたと私の二人だけ?」

「……ちょっと、込み入った話になりますので……私が一人で全員にその話をするより、先にお母様に聞いて頂いたほうが、潤滑に進むと思います……恐らく」


 私のその口ぶりで色々察してくれてんだろう。母は「分かったわ」と微笑んでくれて、


「では、お昼のあとの午後に、二人だけのお茶会をしましょう?」



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