16 ドレスの気合がすごいです
「……」
アルトゥールはそれを封筒にしまうと、なんとも言えない顔をして仕事に戻った。
「今度はどうしました? 珍しくすぐに読み終えて」
「……いや……」
アルトゥールの手は止まらないが、その顔は嬉しいんだか悲しいんだか、感情が混濁しているようなものになっている。
ベルンハルトはその様子を見て、今はそっとしておいたほうが良さそうだな、と判断し、自分も仕事に集中し直した。
で、昼休憩もそこそこに、また仕事に戻り、夕方になり。
「……奥様への返事はよろしいのですか?」
流石に心配になったベルンハルトは、聞いてみる。
すると。
「……どう、書けばいいのか分からない」
「はい?」
いつものようにつらつらと愛の言葉を書けばよろしいのでは? と、言える雰囲気ではなかった。アルトゥールは本当に、困ったような顔をしている。そして僅かながら、悲壮感と敗北感を漂わせていた。
「……失礼ながら、何が書かれていたかお聞きしても?」
「……いや、読んでくれ。そのほうが早い」
手紙を躊躇いなく差し出されたことに若干面食らったが、ベルンハルトはそれを丁重に受け取った。
「では、失礼します」
封筒から便箋を出し、広げ、読む。
「……あー……」
そして全てを理解した。
手紙の内容の半分は至って普通の、友人についてのことだとか、今ハマっているもののことだとかが書かれている。が、問題は後半だった。
『──差し出がましいと思われるかもしれませんが、私も図書室にある本で魂について調べてみました。そしてそこには、信頼し合う者との交流が魂に影響する、なのでそれを治療法として実践していると書かれておりました。旦那様は専門家に診てもらい、きちんとした診断を受けていらっしゃるのでしょうけれど、やはり私も心配なのは事実です。使用人達に聞きましたら、旦那様が信頼しているのはベルンハルトと王族の方々、特に王妃殿下だと、皆言っていました。ベルンハルトはいつも側にいると思いますので問題ないと思いますが、王妃殿下とは何か交流をなさっておられるのでしょうか? 王妃殿下との交流が魂に良い影響を及ぼすのなら──』
これは、なかなかに、厳しい。
「奥様がご自分のことについて触れておられないのが、余計心に来ますね」
「的確な言葉にするのを止めろぉ……」
弱々しい声で抵抗の意思を表しながら、アルトゥールは机に突っ伏した。
「……手紙をくれるのは嬉しいし、私のことを気遣ってくれるのも本当に嬉しい。……が……」
「自分を『信頼している人物』に入れてないですもんねぇ。確実に」
「だから止めろぉ……」
アルトゥールはそのまま数秒動かず、
「……」
しかしのそりと顔を上げ、また仕事の書類に手を付け始めた。
「アルトゥール様。仕事で気を紛らわせるのはどうかと思います」
「他にどうしろと」
「本心をお書きになられては?」
「……。書いたとして」
アルトゥールは書類を捌きながら、
「え? そうなのですか? けれど私は旦那様を信頼しておりませんし、お力になれないかと。とか書かれたら、私はどうなると思う?」
「……。どうなるんですか?」
「死ぬ」
言うと思いました。とは流石にベルンハルトも言わなかった。気持ちを紛らわせるためとはいえ仕事をしているので、こちらからすれば表面上問題はないのだが、このようになってしまっている主の心情をどうにか上向きにしなければならない。これではまた、この人の魂の状態が良くない方向に行ってしまう。
「……一応、最低限の手紙は出しましょう。奥様に心配されますよ」
仕事が忙しいのかな、くらいに思われる可能性も大いにあるが。
「……分かった……」
そして本当に、最低限のことだけ書くと、アルトゥールはベルンハルトにそれを渡してきた。
いいのかなぁと思いながらも、ベルンハルトはそれを、手紙を届ける使者、に手紙を届ける使いの者へ渡しに行く。
「ただいま戻りました」
「ご苦労だった」
ベルンハルトが帰ってきてからも、アルトゥールはこちらへちらりとも目を向けず、機械のように書類にペンを走らせていた。その手が止まる気配はない。
「……」
これは、なにか手を打たなければ本当にマズそうだ。ベルンハルトはそう思った。
☆
仕事が忙しかったのか、これが通常なのか、手紙は夜に届いた。そしてその内容に、私は違和感を覚えてしまった。
「……ふっつうの手紙だ……?」
愛の言葉が書き連ねられていたり、変な方向の決意表明が書かれたりしてない。あの人、こういう手紙も書けるのか。
「……まあ、書けるか。書けないと仕事にならないし」
次の日の手紙も内容は『普通』のままで、急にどうしたのですか? と聞くのも憚られるので、それについて追求するのはやめることにした。魂のことについて私は本当に素人なので、あれ以上は書いていない。けど、夫からはそれについて、礼は書かれていたが、なんだか文章全体に元気がないような気がして、やっぱり首を突っ込みすぎたかと、逆に大丈夫なのだろうかと、少し気にはなっている。けれど、深掘りしてまた変なことになってもいけないので、特にこちらからは何も言ってない。
そしてそれとは別に、ある方から茶会への招待状が送られてきた。
その相手は、王妃殿下だった。
「え、えっと、なんでだろう……? 甥の嫁を審査するとか……?」
しかも指定日は四日後。くしくも私と夫の一時休戦が終わる日だ。
本来、茶会への招待状は、最低でも一週間前に届く。相手の爵位に合わせたドレスやアクセサリーや、相手への手土産など、色々と準備が必要だからだ。なのに、四日後とは。
……夫、王妃殿下に一時休戦について泣きついてたりしないよね?
「王妃殿下が横暴な方だとか聞いたことはないし……」
招待状にも、突然の招待と、それまでの期間の短さへの詫びが書かれている。茶会も規模の大きなものでなく、私と殿下だけの、ちょっとしたものだと書かれていた。……それも逆に、緊張するけど。
けど、これを断るなど言語道断。相手が相手なので夫に報告として手紙を書いて送り、王妃殿下へも返事を送ると、私は侍女を呼び、事の次第を話し、王族に会うのに相応しい装いと手土産を用意するよう指示を出した。
そしたら、侍女達は目を輝かせ、いくつかのドレスを出してきた。
……おい、夫よ。まさか。
「これは旦那様が、もしもを想定して、奥様が緊急にこういったものが必要になった時に困らないようにと用意されたものです!」
「そうなの……」
元気に言われても。
「それで、どれにいたしましょう?」
出されてきたのは、五つのドレス。
一つは、ひと目見て可愛らしいと思わせる、薄いピンクを基調に、スカート部分の一番下は厚い生地だけど、その上に何枚も薄いピンクの地が重ねられている、柔らかさと儚さを兼ね備えたものだった。
二つ目は黄色で、袖が膨らんだ形になっており、メリハリをつけるためだろう、スカートのボリュームは抑えられている。けれど地には薄くバラの模様が透かしで入っており、いやもう手がかかってますね、と言いたくなった。
三つ目は薄い緑の光沢がある生地の……っていうかこれ、あれじゃない? 最近見つけられたばかりだとか聞く、薄緑の繭を作る蚕の糸。それで作られたドレス?! はあ?! あの人なに考えてんの?! 生地だけでどれだけすると思ってんの?!
「っ!」
怖くなって四つ目を見れば、それは深い青を基調としたもの。襟ぐりや袖口に精緻なレースがあしらわれ、胸元とスカートの切り替え部分にはこれまた精緻な模様が刺繍されている。けど、それだけなので、さっきの衝撃で感覚が麻痺した私はそんなにすごそうなものに見えないそれにホッとして、次にハッとした。この刺繍、バウムガルテンの紋章の崩しじゃん! 権威を見せるな! いや相手は王族だけど!
で、最後のドレス。これもまた、金と手間がかかっていた。経糸と緯糸が違う色の糸で織られた生地が使われ、見る角度によってそのドレスの印象ががらりと変わるのだ。その上また、スカートや袖には精緻な刺繍。しかもその刺繍は、最近流行しているらしい渦を巻く蔦のような、唐草模様と呼ばれるもので。
夫よ。お前はいつこれを用意した? この模様が流行り始めたのはつい最近だって、ベティーナから聞いたんだけど? ……いや、逆か。王族や公爵などの上が流行を作り出し、下にそれが伝わっていく。夫は流行る前から既に、この模様を知っていたんだろう。
「……」
もう、一番地味なのにしたい。けど、どれも地味じゃない。あのピンクのドレスだって、何枚も重ねられた薄い地が、わざわざ生地と同じ色に染められた極薄の更紗だと気付いてしまった。
これは服飾師の意気込みがすごかったのか、夫の金の使い方がヤバいのか。……どっちもだろうか。
「……ねえ、聞いてもいいかしら」
「はい。なんでございましょう」
「王妃殿下は、王族であられるのにあまり着飾らない、シンプルな服装を好んで着ていると伺ったことがあるのだけれど、そうなの?」
私の王妃情報なんて未成年の時の茶会での情報と、特別に王妃が開く大規模な茶会でそのお姿を遠くからちらりと見て得たものだけ。ちゃんと殿下の好みに合わせた、それでいておもねって見えない格好にしないと。
「はい。そう伺っております。旦那様をお尋ねになられた時も、そういった服装が多かったかと」
「そう……」
てか、殿下、ここに来たことあるんだ。まあ、あるか。生家であるし、甥の家だし。
……じゃあ、この中で一番シンプルな……シンプル……? どれが……?
…………もう、委ねるか……。
「あなた達はどれがいいと思う?」
侍女達に聞けば、
「そうですね……」
「今は夏ですから、涼し気なものがよろしいかと」
「そういう考えでいきますと、こちらか」
あの薄緑のシルクのドレスと、
「こちらがよろしいのではないかと」
色変わりのドレスが選ばれた。
色変わりのドレスの色は、オレンジと薄い緑という二色が使われていて、なおかつ、互いの色に合わせて色味を少し調整されている。なので色がぶつかり合うこともなく、形もこの中で一番シンプルなものだ。
じゃあ、この二つから選ぶとして。
「……なら、こっちにしようかしら」
色変わりのドレスを選んだ。特別なシルクで仕立てられたドレスに、少しビビったとも言う。
で、ドレスが決まればあとは装飾品や靴を選び、相手に相応しい手土産を用意するだけ。……手土産。王族への手土産って、なに?
……そういえば、王妃殿下って甘いものがお好きなんだっけ?
侍女に確認すればその通りで、手土産は料理長に腕をふるってもらうことにした。
よし、粗方決まった。……疲れた。
けど、そんなことは言ってられない。この三日の間に王族への相応しい礼儀作法を復習しとかなきゃいけないし、殿下との話の内容がどういったものになるか想定して暗記して、臨機応変に対応できるようになっとかなきゃ。
で、王妃殿下との茶会当日の早朝。
分かっちゃいたけど、私は風呂に入れられ全身を洗われマッサージされて香油を塗られ、髪を半分編まれて下半分はコテで巻き具合を調節された。ここのところずっと、この髪型が流行っているらしい。なにか理由があるんだろうか。
そして編み込まれた髪には、輝石が花芯になっている造花や銀細工があしらわれる。少しの軽食を挟んだあと、あのドレスを着て、顔に入念に、それでいて品の良さを見せる化粧が施され、耳には小ぶりだが揺れるイヤリング、ネックレスは周りをダイヤで囲んだブルーサファイアを付けられ。
そこで、私の支度は完了。
時刻は昼前。王妃殿下に呼ばれているのは午後だから、余裕を持って出発できる。
いやホント、この家の侍女達はレベルが高い。
「ありがとう、みんな」
そして私は、数人の侍女を連れて、王城へと向かった。
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