12 『君がため、私は世界に嫌われる』

『駄目です! このまま私などかばい続けていたら、あなたまで悪者だと思われてしまう!』


 アンナは涙をこぼしながら、傷だらけになったカールに言う。カールに不用意に触れられないアンナは、彼の傷の手当さえできない。


『問題ない。これは俺が決めたことだ。君にどうこう言われるものでもない』


 カールは自分で傷の手当をしながら、アンナを突き放すような言葉を放つが、アンナはもう分かっている。それが、アンナのための言葉なのだと。


『でもっ! ……うっ! あ、っ!』


 アンナが胸を押さえて苦しみだす。

 また発作が始まったのだ。周りの命を削り飛ばしてしまう、呪いのような発作が。


『! アンナ!』

『触らないで! 離れて! っ……!』


 アンナは走り出し、林の中へと入ってしまう。


『アンナ! ッ、クソッ』


 先の戦闘で足を負傷してしまったカールは、それに追いつけない。このままでは彼女を見失ってしまう。


『アンナ!』


 踏まれた草や折れた枝を頼りに、アンナが向かった方向の見当をつけ、カールは痛む右足を引きずりながら進む。

 すると、


『っ!』


 見えない何かに包まれた感触がして、カールはアンナの発作が起きたのだと理解した。


『っ……』


 それは遠くからのものだったが、カールの魂は確実に削られた。少し回復したばかりの魂が、また、削り取られる。もうこれも、何度目か。

 何度も繰り返される恐怖。魂が消えていく感覚。自分が死に近付いているのだと、嫌でも理解させられる。


『っ、アンナ!』


 やっと見えてきたアンナは、枯れた草木と倒れた倒木でぽっかりと空いた空間の真ん中に座り込んでいた。そして、その目の前には、大きな熊が倒れている。


『アンナ?!』


 カールは足の痛みを無視して走り出す。


『アンナ! 怪我は?! この、熊は……』

『ごめんなさい……ごめんなさい……私が殺してしまいました……ごめんなさい……』


 アンナは両手で顔を覆い、首を振る。その指の隙間から、透明な雫がいくつも落ちていく。


『あなたから、離れようと、して……そんな私をこの熊さんが見つけてしまったんです……最初は逃げようとしました……けど、ここで殺されれば、死ねば……そう、思ったのに……!』


 その前に発作が起きて、熊は命を消し飛ばされた。


『ごめんなさい……ごめんなさい……私は殺すことしかできない……!』


 ぽつ、ぽつ、と空から水滴が落ちてくる。それは瞬く間に強くなり、激しい雨となって二人に降り注いだ。


『……アンナ、これでは冷えてしまう。どこか雨をしのげる場所へ行こう』

『……私は、このままでいいです。このままでいれば、あなたの言う通りに体は冷えて、凍えて、……楽に、なれる……』

『アンナ』


 カールはアンナの前に回ると膝を付き、


『……その手を、どかしてくれないか。君の顔が見たい』

『……』


 アンナはゆっくりと手を外し、カールへと顔を向ける。


『アンナ』


 カールは、アンナの頬に手を伸ばし、


『っ!』


 その顔を引き寄せ、唇を重ねた。


『んっ……!』


 アンナが抵抗するように首を動かすと、カールはすぐに顔を離した。


『……私に、こんなことはしないで下さいと、言ったはずです』


 アンナは顔を俯け、呟くように言う。


『嫌だったなら、謝る』

『……私に』


 アンナは、俯いたまま、


『私に、希望を……生きたいという希望を、抱かせないでください』

『断る。俺はお前と生きていきたい。その意志は変わらない。……悪いが、自分で立ってくれ。足のせいで君を抱き上げられない』

『……そもそも、私に不用意に触れないで、と言いました。いつ発作が起きるとも分からないんですから』


 アンナは動こうとしない。


『……じゃあ、俺もこのままここに居る』

『駄目です。あなたが言ったんじゃありませんか。ここにいたら冷えてしまうと』

『冷えて、凍えて。お前と一緒に死ねるなら、本望だ』

『あなたは生きてください。あなたのような立派な人が、私なんかのために命を落とすなど、あってはならないんです』

『じゃあ、立ってくれ。お前が動かないなら、俺も動かない』

『……』


 アンナは緩慢な動きで立ち上がった。そして、カールを見て、


『……一人で、立てるんですか』

『少し時間はかかるが……、っ!』


 立ち上がりかけてよろめいたカールを、とっさに支える。


『……俺には、触れないんじゃなかったか』

『……。発作が起きそうになったら、離れます。だからできるだけ早く、雨をしのげる場所を見つけましょう』


 立ち上がったカールとアンナは、雨が降る林の中を歩いていく。


 ☆


「うぅっ……!」


 思わず涙ぐんでしまう。最後を知っているからこそ、余計に二人に感情移入してしまうし、幸せを願ってしまうんだけど、けど、この二人は、最後にはどちらも死んでしまう。

 この本の作者の書く話はほとんどがハッピーエンドで、この話も最初に読んでいた時は、なんとかどうにかハッピーエンドになるのだと、いや、なってくれと思っていた。けど、



『早く! 早くその部屋の中に入れ!』


 剣を振るい、外からやってくる兵士達をなんとか洞窟の狭い道に押し留めながら、カールが叫ぶ。


『っ……!』


 彼の手助けなど何もできないアンナは、やっと辿り着いた、自分のこの発作を止められる──無くせるという部屋の中に入った。


『えっ……?』


 そこは真っ白な空間。上下左右前後すべてが真っ白で、アンナは浮遊感を覚える。入ってきたはずの扉もなくなっていた。


『なに、ここ……』

『ここは世界と隔絶された場所。お前達が神と呼ぶ私の空間』

『!』


 その声に、アンナは周りを見回す。けれど、誰もいない。


『お前などに私の姿は捉えられない。で、お前、何用でここに来た』

『え、あっ、あの、私の発作──周りの全ての生き物の命を消し飛ばしてしまう力を、無くして欲しくてここまで来ました! お願いします! どうか……!』

『ふうん? 私へと願いを乞うか。では、代償はどうするつもりで来た?』


 その言葉に、アンナは目を見開く。


『だ、代償……』

『まかさタダで願いを聞いてもらおうなどと、虫の良いことを考えていたか?』

『い、いいえ! そんな! けど、代償なんて、私には……渡せるものなんて何も……』

『あるではないか。そこに』


 アンナは、何もない空間のはずなのに、胸に向かって指を差された気がした。


『お前が愛してやまないもの。その男への愛情。これほどに強い想いであれば、代償になりうる』

『そんな……! それでは、私は彼への愛を無くしてしまわなければならないのですか?! 彼は今も、命を張って私を守ってくれているのに!』

『んん? 気付いておらなんだか。その、お前が愛してやまないという男の命は、とうに潰えているぞ』

『……え?』


 アンナは動きを止め、次には叫ぶように、


『うそ、うそ! 嘘ですよね?!』

『嘘ではない。確かめてみれば良い』


 その言葉とともに、後ろの空間に扉の形の線が浮かび上がり、薄く開いた。


『っ!』


 アンナはその扉を勢いよく開ける。そして目にしたのは、血溜まりの中に倒れ伏し、兵に囲まれ、踏まれ、蹴られても動かないカールだった。


『あ、あ、あああ!!』


 倒れ伏したカールの元へと駆け、アンナはその体を揺さぶる。


『カール! カール! カール!!』


 兵達はアンナに嫌悪の眼差しを向け、距離を取った。いつ命を取られるか分からないこの魔女に、近付きたがる者などいない。


『カー……ル……、……ああ……』


 彼の目に光はない。息もしていない。体はもう、冷たさを帯び始めていた。


『ごめんなさい……ごめんなさい……カール……ああ、カール……私のせいで……』


 カールの頭を抱いて涙をこぼす彼女の目に、キラリと光るものが映った。それは、戦闘で誰かが落としたのだろう、剣だった。


『……』


 アンナはカールをそっと床に下ろすと、その剣へと近付いていく。


『……お前、それで我々に楯突くつもりか?』

『そんな無駄なことしないわ』


 兵士の言葉にアンナは素っ気なく答えると、その細腕にはズシリと重い剣を持ち上げ、引きずりながら再びカールの元へと戻り、座り込み、


『ごめんなさい、カール。私、あなたのいない世界なんて、耐えられない』


 剣の刃を躊躇いなく持ち、その切っ先を喉に突き立てた。

 ゴボリ、と、アンナの口から血が溢れる。


『……カー、ル……』


 剣とともに倒れたアンナは、カールの顔へ手を伸ばし、


『愛して、る……』


 その頬に触れ、それを最後に、動かなくなった。


 ☆


 うわあああああおおおおお!

 アンナ! カール! あああああ!

 悲しいけどぉ! 悲しいけどやっぱ好きだこの話ぃ! 悲しいけどぉ!


「……せめて、二人は天国で幸せになったんだって思おう……」


 ああ、体力と精神力を持ってかれたわ。今度は明るくて心温まるハッピーエンドを読もう。

 温度差で風邪引きそうになるかもだけど。

 そう思いながら椅子から立ち上がり、本棚へ向かおうとしたら、扉が叩かれた。


「奥様。よろしいでしょうか」

「? ええ、大丈夫よ」


 私の声に、侍女が部屋へ入ってきて、


「旦那様からのお手紙を預かってまいりました」


 と、私へ手紙を差し出してきた。

 ……旦那様からの、お手紙? って、言った?


「えぇと、旦那様って、私の旦那様?」

「はい」

「アルトゥール・バウムガルテン公爵様?」

「はい」

「……分かったわ。ありがとう」


 返事の手紙は受け取ったのに。あのあと何かあったのかな。

 私は手紙を受け取ると、ペーパーナイフでそれを開き、中身を取り出し、読む。


「……」


 なに? この内容。

 形式に則ってるけど、その中身は、これでもかというほどに書き連ねられた、こっちが恥ずかしくなりそうなほどの愛の言葉達だった。しかも、それが四枚。

 どうしたの? 旦那様。頭でも打った?


「……これ、返事出したほうがいいのかな……」


 だとして、どういう返事を書けばいいんだろうか。愛の言葉を書き連ねる気は全くないし、全然関係ないことを書けば失礼に当たるし。


「……まあ、無難に、お礼と体調についてでも書くか……」


 書かないと母から怒られそうだし。

 しょうがない。



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