23 安定度を測る、とは

 私たちは、さっきの大きな部屋の側面についている扉のうちの一つの、ある部屋へと通される。

 その床には紋様のような何かが描かれ、その上には同じような紋様が施された椅子が置かれていた。壁にあるいくつかの本棚にはびっしりと本が詰め込まれていて、同じようにいくつか置いてある机の上にも、本や紙の束やペンなどが置かれている。


「で、それなら直接見せちゃいましょう」


 クラウディア様の、私には意味の掴めない言葉に、夫はピキンと固まったが、


「そうですね。こちらは見てもらいながらのほうが説明しやすいと思いますし」

「今の状態も確認できますし」

「資料が増えるのは喜ばしいことですし」


 と、一緒に入ってきた二人の女性と一人の男性が冷静でありながら、どこかワクワクした様子で言ってくる。


「じゃ、アルトゥール。リリアちゃんを流石に下ろして? そうじゃないとさっきの言葉の通りの『今の状態』が確認出来ないから」

「一応お聞きしますが、僕が代わりに奥様を抱えましょうか?」


 ベルンハルトの問いに、


「外から椅子を持って来いベルンハルト」


 夫が無表情かつ早口で応えた。……応えたんだよね? コレ。


「畏まりました」


 ベルンハルトは一礼すると、平然と部屋から出ていき、すぐに椅子を持って戻ってきた。それだけでなく、


「布……?」


 それなりの大きさだと想像出来る布まで持ってきた。


「それじゃあリリアちゃん。あの机の隣に座ってくれるかしら」


 クラウディア様が示す先は、この部屋の机全てに共通する、本と紙束とペンの置かれた机のうちの一つ。

 ベルンハルトはそこへ椅子を置き、足を置く場所に布を敷いた。

 なるほど。私の足が床につかないようにしてくれる配慮の布だった訳か。そしてすぐに戻ってきたということは、椅子と布が必要になると先読みをしていて、誰かに頼んだのかなにかして用意していたワケで。


「本当に頭が回るのねベルンハルト……」


 側近てすごいな、と、それだけを思って言ったんだけど。


「奥様。またアルトゥール様が」


 苦笑するベルンハルトの言葉に、私は夫へと顔を向ける。


「……」


 夫はまた、少し不機嫌そうな顔になっていた。


「これくらいで拗ねないでくださいます?」

「……拗ねてない」


 素直に認めてくださいよもう。


「はい。やり取りはそのくらいにして。アルトゥール、リリアちゃんを座らせたら、いつものようにあの椅子に座って頂戴ね」

「分かってますよ……」


 夫は私をそっと椅子に座らせ、足の下の布の位置を、わざわざ足を持ち上げて傷ませないようにしながら少し直し、私の足をそこへ下ろした。

 ……なんか、胸の中がむず痒い。

 そしてどうしてか諦めたような顔をしている夫は、さっきのクラウディア様の言葉通りに、あの不思議な紋様のある椅子に座った。


「じゃ、心の準備はいい? アルトゥール」


 クラウディア様の問いかけに、


「はいと言わなければ話が進まないので、はいと答えざるを得ません」


 ねえ、不敬に当たらないの?


「じゃ、本人もこう言ってることだし。始めて?」

「「「はい」」」


 呪術師の三人が声を合わせて応えると、床と椅子の紋様が光りだし、


「えっ?」


 その紋様が枝分かれするように夫の体を覆っていく。

 驚いて周りを見るが、クラウディア様とベルンハルトは平然としているし、呪術師の方々は、こちらも光る紙と夫とを真剣な表情で見比べながら、その光っている紙に素早くペンを走らせている。

 口を挟まないほうがいいと判断した私は、無言でいることにした。


「アグネス」

「はい」


 クラウディア様の問いかけに、女性呪術師の一人が応じる。


「今の状態のアルトゥールに、リリアちゃんが声をかけたらどうなると思う?」


 え、私?


「! 大きく変化しました!」


 男性呪術師が大きな声を出す。

 変化?


「今ので確信しました。この機を見逃さずして、どうして呪術師を名乗れましょう。やる価値は大いにあります」

「同意です」

「自分も同意します」


 えっと、え? 私がこの状態の夫に声をかけるとどうなるって話だよね? あれ? でも私と関わると夫の魂の状態は悪くなるんだよね?

 そう思って夫へと顔を向ければ、すごく顔をしかめていた。……なんなの?


「リリアちゃん」

「はい」

「アルトゥールの名前を呼んでみて?」


 さっきからよく分からないが、言われた通りにする。


「アルトゥール様?」


 言ってみれば。


「すごい」

「今までと全然違う」

「こんなに……」


 呪術師の人たちが呟く。


「アルトゥール。会話していいわよ」


 その言葉に、顔をしかめながら夫はため息を吐いた。


「……リリア。私の今の状態はな、魂の回復具合を確かめているものなんだ」

「え、それがですか?」

「そう。一日に一度、問診とともに状態を確かめ、魂の安定具合を測る。ずっとそれをしてきた」

「……で、その安定というものが、私のせいで崩れたと」

「いや、そうではなく……」


 否定の言葉を口にしかけ、けれど夫は黙った。

 やはり、私が原因で、彼の命を危ない状態にしたということだろう。


「奥様」


 ベルンハルトが、夫へ顔を向けたまま話し出す。


「以前、乱高下していると申しましたのを、覚えていらっしゃいますか?」

「? ええ」

「つまり、良くなったり悪くなったりを繰り返していた訳です。魂の状態は」

「おい、ベルンハルト」


 咎めるような夫の言葉を無視して、ベルンハルトは話を続ける。


「良くなっていた時は、大概良いことがあった時。特に奥様からの良い反応をもらった時には、とても良い状態になっていることが殆どだったのです」


 ……はい?


「ベルンハルト!」

「アルトゥール、動かないの。ちゃんと記録が取れないじゃない」

「ですが!」

「で、話を戻しますが」

「だからベルンハルト!」

「諦めなさい。アルトゥール。あなたは自らその椅子に座ったのよ?」

「っ……」


 夫がまた、顔をしかめる。それも、悔しそうに。


「悪い状態になっていた時はですね、鏡のように、アルトゥール様に良くないことがあった時。そしてそれはまた、奥様との間に良くないことが起きた時や、勝手に傷ついた時などが該当すると思われ、時によってはとても良くない、時折危ない状態になっていた訳です」

「……? 私の言動全てが、悪い要素をもたらしていた訳では無いの?」

「全然違う!」


 夫は叫んで、


「……もう終わらせていいんじゃありませんか? いつもより時間がかかっていませんか」


 きちんと椅子に座りながらも、怒ってるような恥ずかしがっているような変な顔をこっちに──クラウディア様へ向ける。


「そう? なら言う?」

「何をです」

「君の言葉一つで一喜一憂して、魂もそれに反応していたんだって」


 クラウディア様? それ全部言っちゃってません?

 とても楽しそうなクラウディア様から、夫へと顔を向ければ。その夫は顔を俯けていて。


「あとで覚えてろベルンハルト……」


 おいちょっと。ここまでの全てをベルンハルトにぶつける気? そりゃ、クラウディア様にはぶつけられないと思うけども。

 てか、私の言葉に一喜一憂して?



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