5 紫陽花
「え、なんだ。身綺麗なままじゃないですか」
アルトゥールが執務室に戻ると、アルトゥールの執務机の書類を整理していたベルンハルトが呆れたような顔と声を向けてきた。
「……身綺麗で何が悪い」
アルトゥールが仏頂面を返すと、
「いえ、だいぶ時間がかかってるなーと思いまして。抑えきれなかったのかなーと。イテッ!」
アルトゥールはベルンハルトの背をバシンと叩き、執務机に座った。
「暴力反対ですよー。それともなんですか、奥様に手を出してしまって何か落ち込むようなことを言われてしまいました?」
「……。手は出してない、と、思う。総合的に考えて、落ち込むようなことも言われてない」
書類に目を通し始めるアルトゥールに、
「へぇ? では何があったんです?」
自分の机に戻ったベルンハルトも、ペンを動かしながら世間話のように尋ねる。
「……一時、休戦と、言われた」
「なんですかそれ」
「呪いについての話をしたんだ。どうやって解呪したのかと聞かれて、そのままを話した。そしたら」
アルトゥールは溜め息を吐いて、
「そんな状況で愛の証明をするなど自殺行為だと。だから精神が安定するまで接触禁止令を出された」
「それはまあ、なんと。元の状態に戻りましたね」
「……そう、なんだが……」
アルトゥールが目を彷徨わせたことに目ざとく気付いたベルンハルトは、
「その時に何かあったんですね? 何があったんですか? 魂が元気になるまで自分に会えないことに同情されて、前借りのようにキスでもされましたか?」
「そこまでいってない! いってたらこんな冷静じゃない!」
今も大概冷静ではないのだけれど、と思いながらも、「では?」とベルンハルトは続きを促す。
「……その……抱き締められて……」
アルトゥールは顔を赤くさせながらも、どんどん書類を捌いていく。
無駄に器用な人だよな、とベルンハルトは思いながら、
「へえ。後退というより、三歩くらい前進したのではないですか?」
「でも、餞別と言われた……もうこれから、二週間は彼女と会えない……」
片手で顔を覆い、溜め息を吐くアルトゥールを見て、これでどうやって精神を安定させるというのだろうか、とベルンハルトは呆れた顔になった。
☆
「その、本当によろしいのですか?」
「ええ。旦那様とは話がついてるから、大丈夫」
私が夫との朝食には同席しないことを伝えると、侍女達は驚き、不安そうな顔をした。
「なにか、旦那さまとあったのですか?」
「愛の証明は成されなかったのでしょうか……」
本当に使用人達に信頼されているなぁ、夫。まあ、少し人柄が見えてきたおかげで、それもなんとなく納得がいくけど。
「大丈夫。みんなが心配することではないのよ。けれど、この内容は私の口から話すのは憚られると思うから、旦那様に聞いて頂戴?」
呪いについて、は知っているんだろうけど、その解呪について、家の者達がどれだけ知らされているのか私は知らない。下手なことは言えない。
「……では、承知いたしました」
私の話を聞き終えると、侍女達は気持ちを入れ替えたのか、いつものようにテキパキと動き出す。そして私が食堂に向かった頃には、夫は王城へ行ったと執事長が知らせてくれた。そして、今夜は家には帰らないだろうことも。
うん。言った通りに動いてくれてる。私の言葉に気を悪くしたり、それで私に罰を与えたりはしてこないようだ。まあ、そんなことがあったら即実家に泣きついて離婚させてもらうだけだけど。
「奥様。今日はどうなさいますか?」
「そうね……また散歩に行こうかしら」
お気に入りの、あの場所へ。
行ったら、少々、いやだいぶ、驚くことになった。
庭師が、青と紫の紫陽花を見せてくれたのだ。この地では咲かないはずの、青と、紫。
「いやあ、奥様に見せる機会が得られて良かったですよ」
ここで一番古株の庭師が、ニコニコと、鉢植えの、その青と紫を並べて見せてくれる。
「……この、紫陽花は、どうしたの? とっても綺麗だけれど……」
「いえですね。旦那様に、奥様の気に入りの花で、いつか原産地の青や紫も見てみたいとおっしゃってましたよと伝えましたらね。東洋の植物に詳しい方や、本や、色々としてくれましてねぇ」
言いながら、庭師は苦笑いする。
「けど、ほら、呪いのことがあったでしょう。上手くいっても旦那様とは関係なく、自分で咲かせたのだと伝えるよう言われていたんですが……呪いが解けましたからねぇ。旦那様の思いは無下にはできませんで」
「……そう。ありがとう。とっても素敵な色ね」
人伝に聞くからこそ、その想いは強く伝わる。私は愛されているのだと、この、目の前の花が、訴えてくる。……モヤモヤする。
「この株は、増やせるのかしら」
「そこがまだ試行錯誤中でしてねぇ。なんせ土の成分が違うということは、敷地の一角の土をまるごとどうにかせにゃならなくて。……まあ、それも私達の腕の見せ所ですから。やってやりますよ!」
「そう。じゃあ、また見せてちょうだいね」
「ええ! いつでもどうぞ!」
庭師と別れ、噴水のある庭へ行く。ここには四阿もあって、これからの、暑くなる季節にはピッタリの場所だと、前に侍女の一人が言っていた。それに、夫の気に入りの場所でもあると。
「……」
小さな頃は噴水の水で水遊びをして、母である亡きアレクサンドラ様に怒られていたのだと。……子供の頃の夫は、どういう性格だったのだろうか。
……って、私は何を考えているんだろうか。使用人達の旦那様好き好き空気に当てられたのだろうか?!
「……そろそろ、戻ります」
私は日傘を差し、少し歩調を早めて部屋へと戻る。そして一人にしてもらうと、
「はぁ……」
どうしてかごちゃつく頭を切り替えようと棚から本を選ぼうとして、
『呪われた王子と救いの姫』
という、今人気で何巻も続きが出されている本が目に入り、
「……」
私はその棚の下の方にある隣国の文字で書かれている学術書を手に取り、椅子に座って読み始めた。
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