4 そういう大事なことは最初に仰ってください
「あの日とは、あなたが私に触れないと言った、あの日のことですか?」
「……そうだ……」
夫の声が沈む。反省、というより、後悔しているような声だった。
「……もっと、君を傷付けない言い方があったんじゃないかと、今でも思えてならない……けれど、放った言葉は取り消せない……」
そうして、また夫は顔をうずめてしまった。相当後悔しているらしい。
ていうかこの人、こんな子供のような態度を取る人だったんだ。今まで、それも数回だけの顔合わせだったけれど、この人から受ける印象は、もっと知的で冷静さがあるものだと思っていた。
「……」
けど、思えば、私はこの人のことをほとんど何も知らない。婚約の話だって突然で、相手が公爵だということにも驚いたし、そもそも顔もよく知らないし、両親もそれ以上のことは言わないし、この家に来てからも侍女や執事などの使用人からの情報しか得ていない。それもみな、『旦那様は素晴らしいお人柄の持ち主なのです』とか、『旦那様は家族思いな人です』とか、私には全くピンとこないものばかりだった。
私がこの人について知っていることといえば、前バウムガルテン公爵が早逝し、弱冠十七で公爵の座を継いだことくらい。その話を聞いた時も、大変だろうな、くらいにしか思っていなかった。
私はその時、まだデビュタントもしていなくて、世間に疎かったから、それくらいの感想しか持てなかったのだ。と、そこで、私の中に一つ疑問が湧く。
「旦那様。お一つ伺ってもよろしいですか?」
「……なんだろうか」
少し顔を上げた夫に、問いかける。
「旦那様は爵位を受け継いだ時にはもう、呪われていたのですか?」
「……そうだ」
それはまた、大変なことだ。世継ぎを持たなければならないのに、愛する人を死なせてしまう呪いを受けている。となれば、愛のない結婚をしなければなくなるけど、その中でいつ愛が芽生えるかも分からない。生まれた子供を愛してしまった場合、その子供との接触を絶ち、自分は父ではないかのように振る舞い、周りの協力を得ながらその呪いのことを子供の耳に入れないようにしなければならない。……ホントこの呪い、忌々しい効果を発揮してくれる。
「なぜ、すぐにその呪いを解こうとしなかったのです?」
「……努力はした。そもそもの、私に呪いをかけた者は見つけられたが、解呪をさせるより前に、そいつは自死してしまった。そこからは様々な伝を頼り、調べ、けれど、これは魂に刻み込まれて、一生解けないものになっていると言われたんだ。だから、解呪は諦めて、時が来れば親族の誰かに爵位を渡すつもりだった」
「では、どうして私を」
「………………………………から」
「すみません、もう一度お願いします」
「……君を、愛して、しまった、から。……欲が出た。もうどうにもならないと言われたこの呪いを解いて、君に愛していると伝えたかった」
「……でも、私達、私がこの家に来るまで顔を合わせたこともありませんよね? どこで私を知ったのです?」
「それは……」
夫は目を彷徨わせた。その顔は、言ったら怒られるのではないかと怯える子供のようで。
「……言いたくないのであれば、無理強いはいたしません」
それを見た私は、気が削がれてしまった。この人を厭味ったらしくいじめたい訳では無い。
「では、私はもう寝ます。旦那様も残りのお仕事、体調に気をつけて頑張ってくださいませ」
と、ベッドへ向かおうとすると、
「あ、や、まっ、待ってくれ!」
「ぅわっ」
後ろから右腕を引かれ、バランスを崩した私は転びかける。が、床には衝突しなかった。夫が、私を後ろから抱きしめる格好で支えてくれたらしい。
「……旦那様、支えてくださってありがとうございます。けれど、急に腕を引かないでいただけるとありがたいのですが」
ていうか、扉からベッドの前まで一瞬で距離を詰めたってこと?
「す、すまない」
で、お腹に回している腕を解いてくれませんか?
「その、さっきの話の続きなんだが……」
はい? この体勢で話すんですか?
「あの、昨年の秋の、王家主催の夜会の日。あの日は、君のデビュタントだったんだろう?」
「……ええ、そうです」
十六になったばかりの私は、母に連れられ、社交界への一歩を踏み出した。この国では王家が春夏秋冬に一度開く夜会でデビューを果たす若者が多く、私もそれに倣ったのだ。
「それで、……私も曲がりなりにも公爵なのだからと、それらの夜会には参加するようにしていた。……まあ、私に触れると最悪死ぬかもしれないということで、いつも遠巻きにされていたのだが」
彼は後ろにいるので顔が見えないが、その声には寂しさが滲んでいた。
「だから、いつものようにぼうっと、ただ会場を眺めていたんだ。そしたら」
お腹に回っていた腕の力が強まる。
「君が、見えた。見ない顔だったから今日がデビュタントの日なのだろうと、すぐに見当がついた。けれど、それより、君の……」
また、腕の力が強くなる。あの、ちょっと、苦しいんですけど?
「君の、楽しそうな笑顔に。初めての場所で瞳を煌めかせている君に、胸が、高鳴ってしまった。目を奪われてしまった。抱いてはいけない想いを抱いてしまった……」
「分かりましたちょっと腕の力を弱めてくれませんか苦しいです!」
「っ! す、すまない……」
「……はぁ……」
言った通りに弱めてくれたけど、離す気はないらしい。まあ、もういい。めんどくさくなってきた。
「話は理解しました。では、もうここまで来てしまったのでお聞きしますが」
「あ、ああ……」
「解けないはずのその呪いを、どうやって三ヶ月で解呪できたのですか?」
「そ、れは、その。……君は、王家が抱えている呪術師集団を知っているだろうか」
「ああ、まあ、存在を知っているだけですが」
「伯母に……王妃に頼んで、その呪術師達に解呪を頼んだんだ。正確には、一部も違わず同じ呪いを構成することを」
どういう意味だろうか。
「仕組みが分かれば、その解き方も同時に分かる。けれど、あの呪いは私の魂に刻み込まれていたから、それを読み取り、再構築するには、私の魂に触れなければならない。最悪死ぬだろうと言われた」
最悪、死ぬ。
「だけど、それでも構わないと、私は締結書にサインして、……解呪は、成功した。そして、今、君に触れることができている……」
「……すみません。少し体勢を変えてもいいですか?」
「? あ、ああ、すまない。ずっとこんな姿勢のままで……っ?!」
私はくるりと夫に向き直り、その顔を見上げた。
「それは……その解呪は何か、後遺症などあるのですか?」
「え、いや、特には……ただ、一定期間、魂の状態が不安定になりやすいから、それには気を付けるようにと……」
「具体的にどう気を付ければいいのですか」
「……精神を安定させ、穏やかな生活を送るようにと……」
今やってることの真逆じゃないですか馬鹿かこの人は。
「その、一定期間というのは、どの程度ですか」
「一月ほど……」
あと二週間ちょいくらいか。
「では、旦那様。一旦休戦しましょう」
「休戦?」
「旦那様は私に対しての感情の起伏が激しすぎます。私は旦那様を殺してまで離婚したくはありません。そんな後味の良くない結末は嫌いです。ですので、あなたの魂が安定するまで、『愛の証明』の話は無しにしましょう」
すると、その碧の瞳が見開かれた。
「え、な、いや、でも、そしたら、私は君にどう接すればいい」
「一定の距離を置いて、出来るだけ会わないようにして、私のことを頭から消してください。分かりやすく言うと接触禁止です。そして、仕事に没頭してください」
そう言ったら、この世の終わりのような顔をされた。
この人、恋愛のことになるとポンコツになるらしい。今ならベルンハルトが吹き出した気持ちも分からないでもない。……あれは半分私も笑われていたのだと思うけど。
「はぁー……」
私は盛大に溜め息を吐いた。しょうがない。命がかかってるんだから。
「では、旦那様。これから二週間ほど休戦して顔を合わせなくなりますから、その前に」
「前に……? えっ!」
私は旦那様を抱き締めた。
「えっ、な、リリア……?!」
そして離す。
「り、リリア……? 今、のは……」
「今のは特別です。もう二度とないものと思ってください。二週間会わなくなる私からの餞別です」
「え、え、まっ」
そして夫を扉へとグイグイ押して、扉を開け、夫の寝室に追いやると、
「ああ、言っておきますけど、休戦中はここの出入りも駄目ですからね」
と言ってから、バタンと扉を閉めた。
「……あー、もう。疲れた。無駄に疲れた」
私はさっさとベッドに入り、今度こそ掛布を肩まで引き上げ、眠りについた。
「……今のは……ズルいだろう……」
扉の前でズルズルとしゃがみ込み、顔を真っ赤にしてそう呟いた夫のことなどつゆとも知らずに。
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