第18話 登場ジャックス・リッパー

「なにやってんだてめぇらっ!」


 中央広場にたどり着いたトラヴィスは、息つく間もなく怒号を響かせた。


 浮かない顔の村人たちは不格好な板を張り合わせて作られた十字架に跪いており、十字架には十代前半くらいの少女が磔にされていた。


「ゴホッゴホッ」


 少女の背後では轟々と炎が燃え上がっている。煙を吸い込んだ少女が苦しそうに噎せているにも関わらず、イザベラは村人たちに祈りを続けるように言いつけている。


「どうかしているっ」


 トラヴィスはすぐさま周囲を見渡し、井戸を発見するや力任せに桶を引き上げた。頭から真水をかぶったトラヴィスは矢継ぎ早にもう一度水を汲み上げると、腰の短刀で素早くロープを切断。そのまま少女の元に駆け寄ると、少女の頭から冷水をかけ、素早く救出する。


「おい大丈夫か! しっかりしろ!」


 地面に寝かされた少女がゲホゲホ噎せ返すのを確認すると、トラヴィスは安堵したように胸を撫で下ろした。


「てめぇらこれは何のつもりだァッ!」


 トラヴィスはイザベラと、その隣に立つ金髪男に抑えつけていた怒りを吐き出した。


「それはこっちの台詞だね」


 死神を彷彿とさせる漆黒の神父服に身を包んだ男が、にやけ面でトラヴィスに歩み寄る。胡散臭い首飾りや念珠を大量に身に付けた男は、祓魔師エクソシストというよりかは呪い師のようだった。


「その娘は悪魔に取り憑かれている。悪魔を退治するのが僕たちラービナル教会の務めって知らないのかい? ほら、これ」


 締まりのない口調で懐から一枚の書類を取り出すと、男は此れ見よ顔でトラヴィスへと突き出した。


「見えるかな? ここにね、この国の女王の名の下、悪魔退治を一任するって書いてあるんだよね。わかる? 僕はこの国の女王に頼まれて悪魔を退治してるだけさ。わかったら邪魔しないでくれるかな?」

「ならば尋ねるが、彼女が悪魔だという証拠はあるのか?」

「証拠……証拠って君ねぇ」


 嘲笑う男の背後から、哄笑する女が近付いてくる。


「ええか? あんたら司書ブックマンは勝手に調べとるけどな、ウチらは正式にこの国から依頼されて動いてんねん。こっちはあんたらの道楽に付き合っとる暇はないねん」

「つまり彼女が悪魔だという証拠がないにも関わらず、彼女を火炙りの刑にしたというわけか」

「そ、それは……」


 トラヴィスの正論に言い返す言葉のないイザベラが狼狽えるように一歩身を引くと、


「もちろん、証拠ならあるよ」男が自信ありげに口を開いた。


「じゃじゃ〜ん!」

「それが証拠か?」


 衣嚢からにんにくを取り出した男に、トラヴィスは冷眼を向けた。


「君、吸血鬼を調べに来た癖に、奴らがにんにく嫌いだってことも知らないのかい? 勉強不足もいいところだね」

「なら聞くが、にんにくが嫌いというだけで誰もが吸血鬼にされてしまうのか?」

「なるほどね。イザベラの報告通り傲慢でいけ好かない司書ブックマンだね、君。でもまっ、決定的な証拠を見れば君も納得するんじゃないかな」


 そういうと男は少女に歩み寄り、彼女の髪を乱暴に掴みとった。


「うっ……」

「おい、乱暴はよせ!」

「まあ黙って見てなよ」


 男は強引に少女の口内ににんにくこ塊を押し込んだ。すると少女は途端に人が変わったように全身を掻きむしりはじめた。


「これを見てもまだ、君は彼女が悪魔に憑かれていないと言い張るつもりかい?」

「………」


 彼女へと歩み寄ったトラヴィスは、彼女の衣服をたくし上げた。少女の白い肌には赤い斑点がポツポツと浮かび上がっている。


 ――なるほどな。


「にんにくが嫌いだからと言って吸血鬼だなんて、さすがの僕も決めつけないさ。でもね、彼女の体に浮かび上がったこの模様こそが、彼女が吸血鬼である何よりもの証拠だ!」

「さすがジャックスやわ。にんにくが嫌いならこんな風に悪魔の模様は浮かび上がらんもん。あんたもわかったらさっさと吸血鬼をこっちに渡しいや!」

「大丈夫か?」


 トラヴィスは二人を無視して、苦しそうに呼吸をする少女の背中を擦っていた。


「人の話聞いとんのかい!」

「これはアレルギーだ」

「え……?」

「へ……?」

「アナフィラキシー反応。その症状はさまざまで、もっとも多いのはじんましん、赤み、かゆみなどの『皮膚の症状』。次にくしゃみ、せき、ぜいぜい、息苦しさなどの『呼吸器の症状』。次いで目のかゆみやむくみ、くちびるの腫れなどの『粘膜の症状』。場合によっては腹痛や嘔吐などの『消化器の症状』、さらには血圧低下など『循環器の症状』がみられることもある。これらの症状が複数の臓器にわたり全身に急速にあらわれるのが、アナフィラキシーの特徴だ」


 理解不能と立ちすくむ二人を睨みつけたトラヴィスは、呆れるように言った。


「そんなことも知らないで祓魔師エクソシスト? ラービナル教会には祓魔師エクソシスト試験はないのか? せめて悪魔と病状の違いくらいは見抜けるようになれ」

「証拠は! そいつがその……なんちゃら反応だって証拠はあるんだろうな!」

「アナフィラキシー反応だ。この村に医者は在住しているか? いや、聞くまでもない。医者は居ない。そうだな?」


 黙り込む二人を見かねた村人が、その通りだと教えてくれる。


「ホスタルの医者に診せれば、彼女がアレルギー持ちだということは直に判明するだろう」


 大図書館パウデミア司書ブックマンは真実を見極めるため、最低限の医学的知識を持ち合わせている。もちろん、本物の医者には遠く及ばないが、それでもこの程度の知識もなく、司書ブックマン試験を突破することは不可能なのだ。一方、ラービナル教会の祓魔師エクソシストには試験がなかった。


「で、まだ彼女を吸血鬼だと言い張り火炙りにする気か?」

「……なるほど。どうやら僕のにんにくお祓いによって、彼女に取り憑いていた低級悪魔は払われたようだ」

「は?」

「彼女に取り憑いていたのは吸血鬼ではなく……えーと、なんだけ? あな……? あらふ……? ええーいっ! にんにく魔は退治された!」

「にんにく……魔?」


 ――今アナフィラキシー悪魔って言おうとしたんじゃないのか……?


「まさかにんにく魔まで潜んでいたとは驚きだよね。でも、もう大丈夫! 少し火で炙ってやったらにんにく魔は驚いて彼女から出て行ってしまったようだ」


 彼の見事なまでの開き直りに、トラヴィスは開いた口が塞がらない。


「そら、よかったわ! みんな聞いたやろ。ジャックスがにんにく魔を取り払ったから一先ずは安心や。これから本腰入れて吸血鬼を探すで!」


 月夜に拳を突き上げた修道女に、村人たちは不安げな顔で彼女を見つめていた。


「あっ、もうこんな時間じゃないか! 吸血鬼探しは明日にしてもう寝ないと、お肌が荒れちゃうよ」


 しんと静まる村人たちを気にすることもなく、ジャックスは「それじゃおやすみ」笑顔で広場をあとにした。

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