第7話 師弟

『エトワール! 合格だ! 見ろよ! 俺ちゃんと合格したぞ!』


 司書ブックマン試験に合格した日、トラヴィスは誰よりも真っ先に師匠であるエトワールに褒めてもらいたくて、彼が立ち寄っていた大図書館パウデミア――その調査部まで足を伸ばしていた。


 迷宮のような館内で五時間ほど足止めを食らったが、そんなことは司書ブックマン試験に合格した喜びに比べれば些細なことだった。


『んっなに大声でキャンキャン喚き散らさなくても知ってらァッ! ここに入れるのは司書ブックマンだけだからな』


 厳しい面構えの男が耳をほじりながらかったるそうに吐き捨てた。


 不動明王然としたこの厳つい男がエトワール・ワイゼン・ワイルド。


 トラヴィス・トラバンの師匠にして、四大司書の一人、空白の司書ヴァールハイト・ブックマンと呼ばれる史上最高の司書ブックマンである。


『なぁー、ちゃんと見てくれよ! ほら、俺ちゃんと司書になれたんだぜ』


 誇らしげに司書ブックマン時計を掲げる弟子。一瞥する師匠の顔は依然険しい。


 その様子を少し離れた位置からぼんやり眺めていたライリーは、褒めてほしそうにしているんだから少しくらい褒めてやればいいのにと、初対面ながら少年を不憫に思った。


『っだぁあああああ! うるっせぇガキだなてめぇはッ! つーかなぁトラヴィスッ! てめぇは今を以て破門だッ!』

『……は?』


 司書ブックマン試験を合格すれば憧れの師匠に褒めてもらえると思っていたトラヴィスだったが、その予想は大きく外れた。褒められるどころか絶縁を言い渡されてしまったのだ。


『え………?』


 何を言われたのか理解できない様子のトラヴィスは、長いまつげをぱちぱちと何度も鳴らしては面食らったようだ。


 貰ったばかりの司書ブックマン時計は掌からこぼれ落ち、石目調のフローリングにカンッ――と甲高い音を鳴らした。


『見事に、意味不明なんだが……』

『トラヴィス、てめぇが俺様の弟子になったのはいつだ? 言ってみろ』

『……八つの時だけど』

『今のてめぇの年は?』

『十四、だけど?』


 トラヴィスが答えると、エトワールは鼻をほじりながらこれ見よがしに嘆息。それと同時にナイフのように鋭い冷眼が容赦なくトラヴィスを穿いた。


『六年――この俺様の弟子になっておきながらてめぇがクソ簡単な司書ブックマン試験に合格するのに掛かった年数だ。つまりてめぇは凡人も凡人のチョー鼻クソつーこったぁ。ちなみに俺様が司書ブックマン試験に受かったのは八つの時だ』

『いや、ちょっと待ってくれよ!』


 それならこちらにだって言い分はあると、トラヴィスは反論すべく身を乗り出した。


『そもそも俺が司書ブックマン試験を受けたのは今回が初じゃないか!』


 これまで幾度となく司書ブックマン試験を受けさせてほしいとエトワールに直談判してきたトラヴィスだったが、エトワールは決してトラヴィスが司書ブックマン試験を受けることを許可しなかった。


 これまで試験を受けられなかったのは他ならぬエトワールのせいであり、試験さえ受けられていたならもっと早く司書ブックマンになれていたというのがトラヴィスの主張だった。


 が、エトワールは弟子の言葉など意に介さない。


『それはあの時のてめぇじゃ受からねぇと判断した、それだけのこった』 


 つまらないものを斬るように、エトワールはトラヴィスの反論をばっさり斬り捨てる。


『そんなの納得できるわけないだろ!』


 弟子の言い分は最もだった。


 しかし、傍若無人な男の眼にはすでに弟子のトラヴィスなど映っておらず、離れた場所からこのやり取りを黙って見守っていた眼帯の女へと向けられる。


『悪りぃがライリー、こいつの世話はお前に任せる。調査部のほうで面倒見てやってくれ。もちろん使いもんにならなきゃ捨てて構わねぇ』

『そういうことなら構いませんが……』


 果たして本人はそれで納得するのだろうかと、犬歯を剥き出しにする少年を一瞥。


『っ!』


 案の定、親の仇を睨みつけるような少年にやれやれとかぶりを振るライリー。


 自己紹介はおろか、まだ一言も交わしていないのに酷い嫌われようだった。


『俺様はもう行く』

『嘘だろ!』


 エトワールはこれ以上何も話すことはないというように、足早に調査部を後にする。


『ま、待ってくれよ!』


 ――俺はエトワールみたいになりたくて、少しでも師匠に近付きたくて、難関と云われる司書ブックマン試験を突破したのに、褒められるどころか今日で破門!? それもこんなにあっさり……。


『ふざけんじゃねぇッ! 破門にするために六年も弟子にしてたのかよ! ここまで鍛えたって言うのかよっ! 答えろよ! なんとか言えつってんだよ!』


 込み上げてくる感情は単純な怒りではない。父のように慕っていた男にこうもあっさり捨てられる。その事実がどうしても受け止めきれなかった。


 この時のトラヴィスはまだ十四歳の子供。彼は師を、何より父を求めていた。


 けれど、


『役に立つかもしれねぇと思ったから暇潰しがてら育ててみたが、とんだ見当違い。わかりやすく言やぁ、捨て猫を拾ったがまるで役に立たねぇから捨てる。それだけのこった』


 現実は非情なまでに少年に冷たかった。


『……っ』


 この時、茫然自失と立ち尽くす少年が泣いていたのか、それとも湧き上がる怒りのままに男の背中を睨みつけていたのかはわからない。蓬髪の陰になって顔はほとんど見えなかった。


 ただ一言、背中越しにエトワールが囁くように放った言葉が、ずっと頭蓋の奥で鳴り続けていた。


『――空白の地で、待つ』


 その言葉が意味するものが一体何だったのか、トラヴィスにはわからないが、それからの彼はとにかく必死だった。


 この世界の何処かにいるであろうエトワールに、自分を捨てたことを後悔させることだけを目的とし、少年は何かに取り憑かれてしまったかのように、調査部で――ライリーの下で司書ブックマンとして、調査者トゥルースとして、我武者羅に任務をこなし続けた。


 エトワールに破門されたにも関わらず、トラヴィスの中にはどこかでプライドがあった。自分はあのエトワール・ワイゼン・ワイルドの弟子なのだと……。


 そうした慢心がトラヴィスをひどく傲慢な司書ブックマンへと変えていった。


 同僚を見下し、相棒を道具のように扱う非情な司書ブックマンとして名を馳せた。


 その結果、少年は独りぼっちになった。


 そして、失敗することを恐れるようになった。


 これ以上、エトワールの言う役立たずになりたくなかったのだ。

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