第5話 不透明な歴史

「……今日はとことんついていない」


 記録部の隅で頭を抱えてうずくまっているトラヴィスに、


「今度はお漏らしして絶賛絶望中の子供みたいなお顔になっていますよ? トラヴィスさん」


 エリーは相変わらずのキラキラした目で慰めるように微笑んだ。


「……っ」


 しかし、今のトラヴィスには彼女にツッコミを入れる余裕すら残っていない。


 ――これは間違いなく不透明な歴史コールドヒストリーだ。


 大図書館パウデミア司書ブックマンはできる限り歴史的事実を後世に書き残しているものの、中にはどうしても真実にたどり着けないものもある。それらは不透明な歴史コールドヒストリーとして記録され、後世に伝えられることになる。


 誤った歴史を史実として残してしまうくらいなら、いっそわからないモノはわからないと素直に記録した方がいい。


 それが大図書館パウデミア司書ブックマンたちが出した答えだった。


 したがって、良識ある司書ブックマンならば不透明な歴史コールドヒストリーを調査したいなどとは口が裂けても言わない。そんな愚かなあんぽんたんな司書がいるとすれば、半年前まで他者を見下し、ひどく思い上がっていた赤髪の少年か、お星様のような瞳を持つ新人くらいだろう。


『貴様に打ってつけの仕事だぞ』


 女上司の言葉がトラヴィスの脳裏をよぎると、彼はたまらず舌打ちした。


「そういうことかよ!」

「どうかしたんですか? まさか本当に出ちゃいました?」


 宇宙のような探究心に満ちた目で少年を覗き込む少女を見て、少年はガリッと奥歯を噛み締める。そして次の瞬間には彼女の手首をがしっと掴んでいた。


「ちょっとこっちに来い!」

「あっ――意外と大胆なんですね。でも確かにこれくらい強引なほうが女の子ウケすると思いますよ。草食系男子とかって実際微妙だと思うんです。ロールキャベツ男子にしてもアスパラベーコン巻き系男子にしても、男のくせにかわいこぶるなって思うんですよね。それは女の子の特権みたいなものだと思いませんか? それをカワイイ系男子に取られた日には、私たち女子はどうすればいいんです! はっきり言って理不尽です」



 ドンッ!



 半ば強引に彼女を廊下に連れ出したトラヴィスは、記録部を出たすぐ目の前の壁に勢いよく手をついた。


「男の人にリアルに壁ドンされたのは初めてです。これが噂の一目惚れってやつでしょうか? しかしですね、トラヴィスさん。今は仕事中なのでその辺をわきまえてくれると、私としても非常に助かります。あ、仕事のあとでしたらもちろんやぶさかではありませんよ」


 年下のくせに年上の女のような余裕の笑みを浮かべる少女に、少年の額からはブチ、ブチと歪な音が聞こえてくる。


「俺はてめぇみてぇなガキとペチャパイには興味ねぇんだよっ!」

「………………ぷっ」


 お前なんて興味ない、勘違いするなと吐き捨てたトラヴィスを一瞥したエリーが、我慢出来ないといった様子で吹き出した。


「な、なんだよ?」

「真実、見極めました!」

「は?」

「トラヴィスさん、あなた童貞でしょ?」

「な、何言ってんだよてめぇっ!」

「だってあなた今、私の胸をペペロンチーノとおっしゃいましたよね?」

「言ってねぇよ!」

「私のこの胸のどこがペペロンチーノなんですか?」

「だから言ってねぇよ! ペチャパイって言ったんだよ! 何をどう聞き間違えりゃペチャパイがペペロンチーノになるんだよ!」


 トラヴィスの抗議もエリーは一切意に介さない。


「う……」


 勝ち誇る顔の少女。妙な自信を全身から迸らせる少女に、少年は徐々に気圧されていく。半歩、また半歩と後退を余儀なくされた。


「あなた女の子の胸……見たこともなければ揉んだこともないでしょ!」

「――――!?」


 犯人を追い詰めた探偵のように、エリーの細い指がトラヴィスの眉間に突き刺さる。


「そ――」


 そんなの関係ないだろうと口を開きかけたトラヴィスの口元に、エリーは人差し指を交差させる。バツ印だ。


「ぶっぶー」


 エリーは残念でしたと白い歯を見せては大胆に笑った。


「私Dカップあるんですよね。Dカップ!」


 エリーは自慢のDカップを持ち上げるような仕草を繰り返しては、優越感に浸っている。


「くっ……」


 彼女の胸が小さかろうが大きかろうがトラヴィスにとってはどうでもいいことなのだが、なぜ敗北者のような気分になるのだろうと髪を掻きむしった。


「いたいでふぅ、どらびふざん」


 童貞呼ばわりされたことに関しては別になんとも思っていないトラヴィスだったが、自分を小馬鹿にする態度には腹を立てたらしく、エリーのほっぺたをむにゅっと掴み取っている。


「んっなことはどうでもいいんだよ! つーか悪いこと言わないから、今回の件はやっぱり引き受けられないと上司に伝えろ。新人なら大目に見てもらえるはずだ」

「いやでふぅ! わだじいぢねんもぜんばいがじらべでぎだぎろぐをほざずるだげなんで――絶対に嫌なんです!」


 トラヴィスの手を振りほどいたエリーの目は真剣そのものだった。


「そんなの退屈で死んじゃいます! 私は自分の目で真実を見極め、それを記録したいんです! そのために私は大図書館パウデミア司書ブックマンになったんですから!」

「お前の気持ちもわからなくはないが、このままだと一生補佐のままかも知れないんだぞ?」

「……? どういうことです?」


 怪訝な表情で眉を八の字に曲げた少女に、トラヴィスは不透明な歴史コールドヒストリーが如何に真実にたどり着けないかを力説した。ついでに彼はエリーが抱える謎を開示する。


「俺は調査部のエースじゃない。ニート同然の窓際貴族で給料泥棒。そんな俺と新人のお前で不透明な歴史コールドヒストリーに挑んだところで、間違っても真実なんてもんは見えねぇよ」


 じっと彼の話を聞いていたエリーに、トラヴィスはそういうことだから上手いこと言っといてくれとこの場から立ち去ろうとした。


「でも、半年前まではエースだったんですよね?」

「……はぁ」


 随分と諦めの悪い新人だなと、トラヴィスはため息を吐き出しながら振り返る。


「だったらなんだ?」

「たった一回の失敗じゃないですか。それも勇猛果敢に不透明な歴史に挑んだ名誉の負傷! はじめから挑戦しない人よりよっぽどかっこいいと思います」

「!?」


 ――かっこいい、だと……?


 俺は危うく歴史的大嘘つきになりかけた。

 歴史改ざんという大罪人になるところだったのだ。その俺がかっこいい……?

 呆れ果てて笑えてくる。


「バカも休み休み言え。果敢に挑んだところで間違ったものを記録してしまえばそれは大罪だ。事実をねじ曲げる愚行でしかない。司書ブックマンがもっとも冒してはならない禁忌だ」

「だとしても、私ははじめから挑まない人より挑戦する人の方が好きです。何より誰も解けない謎を知れるなんて、とっても面白いことだと思いませんか?」


 決然と言い切る彼女に、トラヴィスは困惑していた。


「私、見極めたいんです!」

「………」


 トラヴィスは上手い言葉を見つけ出せず、少女から逃げるための言葉を見つけ出せずにいた。


「それに、私どうしても知りたいんですよ。本当に死者が生き返ることなんてあるのかどうかを」

「死者が……生き返る? なんだよそれ?」

「気になりますか?」


 無限の銀河を閉じ込めたような瞳がトラヴィスを飲み込んでいく。


「べ、別に」

「嘘です!」


 彼女の力強い声に、トラヴィスは肩をびくっと震わせた。


「すっっっごく気になるって、興味津々だって顔に書いてありますよ、トラヴィスさん」


 うふふと安心したように笑うエリーは、


「やっぱりあなたは根っからの司書ブックマンなんですよ。私と一緒に謎を解き明かしましょう!」


 曇りなき眼で言いきった。


「……」


 トラヴィスは彼女の瞳の引力に引きずり込まれそうになりながらも、どうにか彼女を今回の山から引かせようと画策する。


「もしも調査者トゥルースである俺が真実にたどり着けなかったら、お前は一生記録補佐かもしれない。いや、最悪管理部に左遷なんてこともあり得る」


 新人なのだから脅せば引くはずと思っていたのだが、


「言ったはずです!」


 彼女の勢いが止まることはなかった。


「私たちは一心同体。あなたが資格を剥奪されるその時は、私も司書ブックマン時計を置きます!」

「え!?」


 まさかの発言にトラヴィスは唖然呆然と立ち尽くしてしまう。


 死ぬ物狂いで掴んだ栄光をこうも簡単に捨てると言い切った彼女が憎くもあり、羨ましくもあった。


「虚偽は司書ブックマンの恥だぞ」

「もちろんです」


 あまねく星々を閉じ込めた瞳を覗き込み真意を確かめる――が、そこに偽りの光など微塵もない。あるのは好奇心という名の輝きのみ。


 ――こいつは本気で不透明な歴史コールドヒストリーに挑むつもりか……。


「……ったく」


 新人の熱意に負けた、というよりかは、本当はトラヴィス自身、死者が蘇るという摩訶不思議なワードが気になっていた。


 トラヴィス・トラバンは腐っても司書ブックマンなのだ。


「とりあえず事件の詳細を話せ。だが、万に一つ可能性なしと俺が判断した場合は、この仕事はキャンセルだ。いいな?」

「わかりました。でも不可能だと知ったところで、あなたはきっとこの不思議に魅せられてしまいますよ。それくらい興味津々な事件ですから」

「それはお前が判断することじゃない。俺が自分で判断する」


 居住まいを整え、エリーはにっこり微笑んだ。


「そうですか。では、近くのカフェで話をするということでいいですか?」

「ああ、問題ない」


 こうしてトラヴィスはエリーの口車にまんまと乗せられる形で、彼女から事件の概要を聞くことになった。

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