第4話 エリー・リバソン

 強制的に調査復帰を命じられたトラヴィスは、現在地下三階にある記録部の前で立ち尽くしていた。


 ――半年ぶりか……流石にちょっと緊張するな。

 ……なんか腹の調子が悪くなってきたな。

 やっぱり帰ろっかな。

 しかし、今帰ったらあの妖怪ぷるんぷるん星人に本気でクビにされてしまうかもしれん。


「流石にそれは困るよな」


 彼は不安そうな表情を浮かべながらも、記録部の門を軽く叩いてみることにした。


「あの~……エリー・リバソンさんて人……います?」


 恐る恐るといった様子で記録部に足を踏み入れたトラヴィスは、相変わらずこの部署は汚いなと眉をひそめた。

 資料ファイルなどが積み上げられ、どこもかしこも乱雑だった。中には資料ファイルの山に埋もれている人もいた。


「……あ」


 記録部に所属する者たちがトラヴィスの存在に気がついた。


「おい、あれ」

「ああ間違いない、調査部のニートだ」

「新人、潰れたな」

「可哀想に……」


 まるで鼠の巣穴に放り込まれたかのように、彼らの目が一斉にトラヴィスへと向けられた。歓迎されているわけではないことくらい、言われなくともわかっている。

 痛いほどの視線がズキズキと四方から突き刺さるのだ。


 これが信頼を失った司書ブックマン――調査者トゥルースの姿なのだ。


「………くそっ」


 小さな愚痴をこぼしながらも、トラヴィスは彼らの邪魔にならないように慎重に目的の人物、エリー・リバソンを探し始めた。


 しかし、この広い部署で誰に尋ねることもなく、名前以外に手掛かりのない人物を見つけ出すことは極めて困難だった。だからといって記録部の連中に尋ねる気にはならなかった。


「はぁ……」


 ――やはり帰ろう。


 そう思い踵を返したその時、


「あなたトラヴィス・トラバンさんですか!」

「うわぁぁああああああああああああっ!?」


 突如、資料ファイルの海からバサッと顔を出した少女に、トラヴィスは驚きのあまり尻を床に打ちつけてしまった。


「あっ、ごめんなさい。驚かせるつもりは少ししかなかったんですよ」

「少しはあったのかよ!」

「だってあなた、ここに入って来たときからずーっとこんな顔してたんだもん」


 親に叱られ半べそをかいた子供のような顔をする少女に、トラヴィスは困惑していた。


 ――なんだコイツ!? 初対面なのに距離感バグってないか!?


「だからちょっと驚かせてやろうって思ったんです」

「なんで驚かせる必要があるんだよ!」

「泣いている子供を……わっ! って驚かせると、泣き止んだりするんですよ。知ってましたか?」


 にししと笑う少女に、


「俺は泣いてない。つーか子供じゃねぇし。明らかにお前より年上だろ」

「あら、そうですか? 私十六歳、あなたは?」

「十八だ!」

「なるほど。なら私が大人っぽいんですね」

「ど、どういう意味だよ?」

「そのままの意味ですよ」


 ニコッと微笑んだ。


「てめぇ喧嘩売ってんのか!」

「ジョークですよ、ジョーク。あなたジョークも通じないつまらない人間なんですか? そんな訳ないですよね? そんなつまらない人間が世界の面白いを追求する司書ブックマンをやっているはずないですよね!」


 トラヴィスはくっ……と奥歯を噛みしめた。


「初対面なんだが?」

「ですね」

「お前は初対面の人間に失礼だとは思わないのか?」

「知っていますか? 初対面の人と短時間で距離を縮める方法。喧嘩すると一気に距離が縮まるらしいんですよね。あ! 嘘だと思ったでしょ? ほらこれ、これ見てくださいよ」


 少女は海の中から書物を拾い上げると、有無を言わさぬ勢いでトラヴィスに突きつけた。


「ここ、初対面と距離を近付けるテクニックに記されています。ちなみにこの書物は伝説的な詐欺師の証言を元に記述したものらしいですよ。面白いですよね。あ、まだ怒ってたりします? 嫌だもう、あなた心小さすぎですよ」


 うふふふと笑いながら、少女は近所のおばちゃんのようにトラヴィスの肩をバシバシと叩いていた。


「あ! それとですね、初対面の人間にお前は失礼ですよ、トラヴィスさん」



 ――うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!



 トラヴィスは心のなかで発狂していた。


 ――なんなんだよなんなんだよこの変な女はっ! まさかこのイカれ女がエリー・リバソンじゃないだろうな!


「自己紹介まだでしたね。私はエリー・リバソン。記録者ライターです」

「………っ」


 今日は人生で四番目に最悪な日だと、トラヴィスは髪を掻きむしった。


「面白い癖ですね。でもその癖、やり続けると三十歳になる前に多分禿げますよ?」

「やかましいわっ!」

「記録します! トラヴィス・トラバンは若禿だった……カキカキ」

「まだ禿げてねぇだろうがっ!」

「失礼しました。では訂正して、トラヴィス・トラバンは蛮勇であり、決して若禿を恐れなかった……カキカキ」

「てめぇ俺をおちょくってやがんのかっ!」

「とんでもない! 私は記録者ライターであり、あなたのバディです。何れバディを記録した著書を出版できたらと考えているんです」

「勝手に俺の自伝を出すんじゃねぇよ。つーかまだ組むなんて言ってないからな!」


 あら、そうなんですかと、エリーは不思議そうに小首を傾けた。


「でも、とりあえずよろしくお願いします。トラヴィスさん」

「………」


 差し伸べられた手をトラヴィスが握り返すことはなく、エリーは少し残念そうに手を引っ込めた。


 トラヴィスは改めて眼前の少女を値踏みするように見定める。


 長く腰までのびた金髪と、海のように透き通った青い瞳が印象的な少女。赤と黒を基調とした調査部の制服とは違い、記録部の制服は白と青を貴重とした爽やかな作りになっていた。雪のように白い肌のエリーにはよく似合っていた。膝上丈のプリーツスカートからのびた黒いストッキングが、さらに彼女を大人っぽく演出している。


「でも、少し安心しました」

「安心……?」

「もっと怖い人なのかなと思っていたので」


 彼女はおそらくまだ調査部のエースと評されていた時代の自分の噂を耳にしたのだろうと、トラヴィスは勝手に納得していた。


「ちなみになんだが……なんて言ってた?」


 チラチラと部内を見渡したトラヴィスが、内緒話をする子供のように耳打ちをする。すると彼女も同じように彼の耳に手を当てた。


「トラヴィス・トラバンはすごく傲慢な上に偉そうで、記録者ライターをパシリ程度にしか思っていない史上最悪の調査者トゥルースだと、部内でもっぱらの噂です。あとよく分からなかったのですが、調査部のエースだという噂と、調査部のお荷物だという二つの噂がありました。実に興味深い噂です」

「………………」

「あれ……またこんなお顔になってますよ?」

「なってない」

「いえいえ、今にもママぁーって泣き出してしまいそうな、とても面白いお顔になっていますよ。トラヴィス・トラバンの顔芸は調査部で一番だと書いておきますね」

「書かんでいい!」


 イライラが止まらないトラヴィスだったが、半年前の彼は確かにそんな感じで記録者ライターを顎で使っていた。調査部以外は司書ブックマン崩れだと本気で思っていたのだ。


 記録部の連中が彼に冷たい目を向けるのも仕方がないことかもしれない。それを十分に理解しているからこそ、彼自身こうして肩身の狭い思いを甘んじて受け入れているのだ。


 半年前の一件で高慢だったトラヴィスのプライドは傷つき、今では御覧の有様だ。


 幸い彼が腑抜けになったことを知る人物は記録部には少ない――が、あんな傲慢ちきなニートと組まされるとはと、少女には同情の目が向けられている。


「それに今、私とっても楽しいんです」

「楽しい?」

「果たしてトラヴィス・トラバンは調査部のエースなのか、はたまたただのお荷物か……この謎を解き明かせられると思うだけで、私わくわくします!」


 星屑を散りばめたような瞳でグイグイ顔を近付けてくるエリーに、トラヴィスは完全に引いてしまっていた。


 ――俺……ひょっとしてとんでもないのに目を付けられているんじゃないのか!?


「私、今回が初任務なんです」

「つーかお前……新人研修はどうしたんだよ?」

「最初からこんなに面白そうな難事件に関われるなんて本当にラッキーです!」

「俺の話聞いてんのかよ!」

「日頃の行いがいいんですかね」


 ――このあんぽんたん、人の話をこれっぽっちも聞いちゃいねぇ。


「ん……難事件?」

「はい! やっぱりトラヴィスさんも興味ありますよね!」


 ここだけの話と言いながら、エリーがトラヴィスを手招きする。再びのヒソヒソ話である。


「うちの部の人たちも、これは難事件過ぎると手を出したがらないんですよ。うふふ。莫迦ですよね」

「……っ」


 トラヴィスは莫迦はお前だと耳元で叫んでやりたい気持ちでいっぱいだったが、グッと堪えることにした。


 ――くそっ、冗談じゃないぞ。


 記録部の連中が手を出したがらないほどの難事件……。それは言い換えるなら記録部の連中が真実を見抜くことが極めて困難だと判断した事件ということだ。


 仮に誤った事実を書き記してしまえば、それは司書としてのキャリアに傷がつく。


 左遷か、あるいは窓際職への降格か、最悪は司書ブックマン資格剥奪という可能性すら考えられる。


 そんな危険な任務を引き受けたがる物好きなど普通はいない。


 ましてやトラヴィスはすでに一度調査者トゥルースとしての烙印を押されている。そんな彼が連続でミスをしたとなれば、今度こそ間違いなく司書ブックマン資格を剥奪されることになるだろう。


 ――ライリーの野郎っ……。


 トラヴィスはようやく自分がハメられたことに気が付いた。


 これは窓際貴族である俺を追い出すための体のいい言い訳だったのだと……。


「………あのなぁっ」

「なんです?」

「鬱陶しいからその顔芸やめろよっ!」

「教えてあげようかと思いまして」

「教えてくれなくて結構だ!」

「そうですか……」


 エリーはとても残念そうに表情を元に戻した。


 ――だが、待てよ。


 なぜこんな難事件を、まだ司書ブックマンになったばかりの新人が担当することになったのか?


 トラヴィスは探偵が疑わしい相手を見るような目でエリーを睨みつけた。


「ひとつ聞きたいんだが、この事件の記録者ライターはどうやってお前に決まったんだ?」

「お前じゃなくてエリーです! 親しみを込めてエリーちゃんと呼んでくれてもいいんですよ。バディなので特別に許可します。それにしてもトラヴィスさんは本当にラッキーですよね。私のような美少女と一心同体なんて」

「何が一心同体だ!」


 ――このあんぽんたんはまったく状況を理解していない。


 俺たちは何か巨大な陰謀に飲み込まれようとしているかもしれんというのに……。


「それで、何があって、どのように新人のお前に決まった?」

「会議で誰もやりたがらなかったんですよね。だからイチかバチか立候補してみました」

「………………………………………は?」

「ですから、こうやって手を挙げてですね、私にやらせてくださいと部長に懇願してみたんですよ。知ってますか? 記録部の新人は一年間もここで研修――記録補佐をしなければならない決まりなんです。そんなの退屈で普通死んじゃいますよね? だから私考えたんです! 誰もやりたがらない仕事なら、特別に新人でもすぐに現場に出してもらえるかもって。うふふ。すごいでしょ! 私が発見した研修期間切り上げの裏技ですよ!」


 えっへん! とマリア程小さくはないが、ライリー程豊満でもない胸を突き出したエリーに、トラヴィスは消えそうな声で、


「なぜそんな莫迦なことを……」


 その場に崩れ落ちてしまった。


 自分から司書ブックマン時計を奪うための上層部による策略を考えていたトラヴィスだったが、真実は新人の阿呆で身勝手な暴走によるものと判明。


 もしかしたら自分がエリー・リバソンを巻き込んでしまったのではないかと思案していたトラヴィスだったが、真実は逆だった。


 巻き込まれたのは言うまでもなくトラヴィス・トラバンの方であったのだ。


「はは……あははは………」


 ――笑えねぇ……。

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