第3話 働かざる者食うべからず

「どうしたのだ?」


 トラヴィスはびっくりして身を固めた。


「いつも暇だ暇だと言っていただろ? そんな貴様に仕事をくれてやると言ってるのだ。泣いて喜べ」

「え……いや」


 本当はニートのような生活をしていたら他人の目がどうしても気になってしまう。それゆえに暇という言葉を多用していたに過ぎない。それは敵にこちらの居場所を悟らせないためのカモフラージュ的な言葉であった。


 などということは口が裂けても言えないのである。


「どうした……?」

「……」


 漆黒のショートヘア、眼帯をしたライリーが鋭い眼光を光らせている。


「貴様に打ってつけの仕事だぞ。というか、これは貴様でなければ見極めることの厳しい事案だと、私は考えているのだが?」


 窓際貴族のような自分を未だにそのように言ってくれることに関しては、ライリーに非常に感謝していたが、本音を言えばトラヴィスは働きたくないのだ。


 いや、彼は司書ブックマンとして働くのが恐ろしいのだ。


「あっ、でも、ほら、せっかくなんで他の方々に」

「トラヴィスッ!」


 長く伸びた前髪から覗く焦げ茶色の瞳がトラヴィスを捉えていた。その目に囚われた刹那、すべてを見透かされているような感覚に陥り、彼はたまらず目をそらした。


「わかっているとは思うがな、この半年、なんだかんだ理由をつけて仕事をしていないのは貴様だけだ!」


 ドンッ!


 デスクに拳が叩きつけられると、銀髪少女とは比べものにならないスイカップがぷるんぷるんとゼリーのように揺れた。


「!?」

「……くっ」


 そらしていた視線を思わず上司の胸に向ける少年と、怒り、憎しみ、悲しみ、様々な感情にくちびるを噛みしめる少女の姿があった。


 ――見事だ!


 もしもライリー・ランリーを記した書物が後世に残される事があるならば、彼女の豊満な胸は寒天のようにぷるんぷるんと波打った。そう記載されるべきだとトラヴィスは思う。


「貴様、一体どこを見ている?」

「あ……意識がコスモを旅していた」

「……コスモ?」


 一体こいつは何を言っているのだと小首をかしげるライリー。


「変態めっ!」


 小さく吐き捨てたのは胸も小さなマリアである。


 ――ゴホン。


 トラヴィスは一度咳払いをしてから気を取り直した。


「でも、その、やっぱり他の人の方がいいんじゃないか?」


 往生際の悪いトラヴィスに、眼帯の女上司は盛大に嘆息する。


「貴様、ひょっとしてまだ引きずってるのか?」

「………」


 やはりバツが悪いのか、トラヴィスは聞こえていないフリをしていた。

 見かねたマリアが口を挟む。


「全廃は半年前のことをまだ引きずっているんですよ。ま、気持ちはわかりますけどね」

「!」


 どうやらマリアの言葉は図星のようだ。

 赤髪の少年はいつもの薄ら笑いではなく、悔しげに下唇を噛んでいた。



 半年前、トラヴィス・トラバンは司書ブックマンとして、調査者トゥルースとして許されない大きなミスを犯してしまった。他国の偽装工作を見破れず、誤った情報を報告してしまったのだ。その過ちは半年が経った今も、彼の心に深い傷として残っていた。


 トラヴィスの司書ブックマンとしてのプライドは、真実を見抜けなかったあの瞬間、粉々に砕け散った飴玉のようになってしまった。


「仕事のミスは仕事でしか取り返せない。司書ブックマンとして生きたければ真実をその眼で見極めるのだな、トラヴィス!」

「…………」


 そんなことは誰に言われなくともトラヴィス自身が一番わかっている。


 けれども、そこには重大な落とし穴がある。

 調査部の人間が事件の調査に出向く際には、原則として同行者を必ず一名付けなければならない。


 記録部に所属する司書ブックマン――記録者ライターである。


 しかしその一方で、誤った情報を報告してしまった調査者トゥルースには、記録者ライターが同行することはなかった。


 記録者ライターの役割は、調査者トゥルースが真実としたものを正確に記録することであり、調査者トゥルースが報告した情報を記述していく。この場合、誤った情報を記録してしまった場合でも、それはバディとなった者の共同責任とされるのだ。


「無理だ……」


 トラヴィスは表情を失ったまま、すべてを諦めた野良犬のように言った。


「無理だな。部長も知っているだろ? 俺とバディを組みたがる記録者もの好きなんて……もう大図書館ここには一人もいやしない」

「そのことだがな、先日記録部に新人が入ったらしい。貴様はそいつと組め」

「は……?」


 確かに先日新たに三名の司書ブックマンが誕生したという話は聞いていたが……。


「ちょっと待ってくれ! 記録部に新人が入ったことは俺も知っている。だが、記録者は原則として一年間の研修期間があるはずだ。上司に同行して仕事を学ばなければならない。先日入ったばかりの新人と組むなんて許されるわけないだろ!」

「そんなの調査部のわたしが知るわけないだろ。向こうが調査者トゥルースを寄越せと言ってきたんだ。だからわたしは調査部は今手いっぱいだって言ってやったんだ。そしたら記録部部長アイツなんて言ったと思う?」

「……なんて言ったんだ?」

「お前のところには給料泥棒で有名なのが一人余っているだろ? それで構わねぇ……だとさ」

「………っ」

「言われっぱなしってのは面白くない。だからわたしは言ってやったんだ」

「……なんて?」

「上等だッ! とな」


 中指突き立ててにっこり微笑むライリーに、トラヴィスは何言ってやがんだよこのボケッ! と心で悪態を吐いていた。


「もしも断るというのなら、貴様は今すぐ司書ブックマン時計を置いてここから出ていけ。ここは調査部――真実を見極める者たちが集う部だ。真実から目を逸らす者はいらん! たとえ元調査部のエースでもな!」


 毅然とした態度で言い切るライリーの眼は、本気だった。ここで仕事を断れば、トラヴィスは晴れて本物のニートとなり、来月には家賃さえ払えなくなってしまうだろう。


 ――それは困る!


司書ブックマンとしての矜持が欠片でも残っているのなら、記録部のエリー・リバソンに話を聞け。明日もまだ街に留まっているようなら、すまんがこちらで退職手続きを進めさせてもらう。いいな?」

「そんな、いくらなんでもそれは無茶苦茶だろ!」

「半年ただ飯食わせてやったんだ! 文句を言うなッ!!」

「……うぅっ」

「わかったならさっさと行け」


 滲み出る懊悩をため息に変える作業だけを繰り返し、トラヴィスは部内をあとにする。


「最悪だ……」

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