第2話 調査部

 聖ロザリオ共和国は世界から独立した国である。他国と異なり、この国は血筋で王が選ばれることはない。


 代わりに民衆によって選ばれたロザリオ法王が国を治め、聖ロザリオ共和国は祈りと信仰心によって成り立っている。これによって、聖ロザリオ共和国は世界で唯一無二の特別な国となっている。


 聖ロザリオ共和国では神が絶対的な存在とされており、神の国と呼ばれることもある。トラヴィス自身は信仰心はそこまで強くはないが、毎日の祈りは欠かしたことがない。


 国の在り方は多様であり、トラヴィスが住む聖都パナムには独特な職種が存在する。


 それは大図書館パウデミア司書ブックマンである。


 街の中央に位置する大聖堂から北に進むと、増築を繰り返して大きくなった大図書館パウデミアがそびえ立っている。


 そこが彼こと――トラヴィス・トラバンの職場である。


 大図書館パウデミアが建設されたのは今から数百年以上昔、記録したのは当時の司書ブックマンだ。


 大図書館パウデミア司書ブックマンは正確な歴史を伝えるために存在し、彼らは一生をかけて様々な歴史や出来事を記録し続けている。


 彼らは記録することに大きな意味を見出し、それに疑問を持つことはない。


 戦争や伝染病、他国の王位継承問題など、正確に記録されなければならない事象は数多く存在する。

 大図書館パウデミア司書ブックマンたちは、後世の人々が正しい道を選べるように、少しでも道標となるために世界の記録を続けているのである。


 他人の事ばかりを記録するこの仕事は少し退屈だが、トラヴィスは自身の仕事の重要性を自覚している。


 司書ブックマンになるためには厳しい訓練に耐え、難解な試験を突破しなければならない。


 合格率は非常に低い。


 毎年、約1万人が受験する司書ブックマン試験。しかし、今年の合格者はたったの3人だけだった。


 如何に大図書館パウデミア司書ブックマンになることが厳しいのかがよくわかる。ゆえに司書ブックマンになった者は名誉とされる。法王自らが世界を記録する権利を与えるのだから当然だ。


 他国を訪れる際も、聖ロザリオ共和国の司書ブックマンという肩書きだけで特別な扱いを受ける。各国は自国を良く記録したいという思惑が交錯するのだ。

 そのため、大図書館パウデミア司書ブックマンにはさまざまな要素が求められる。知識だけでなく、倫理に反しない誠実さや、場合によっては戦闘技術さえも必要とされることもある。


 ただし、戦闘に関しては調査部に所属する一部の司書ブックマンに求められるものである。司書ブックマンと一言で言っても、さまざまな部署が存在する。


 例えば、資料の整理や管理を担当する部署、真実を確かめるために現地調査に赴き、真実を突き止める部署、そしてそれを記録する部署など、大図書館パウデミアには多様な部署が存在する。


 その中でも最も輝かしいとされるのが、トラヴィス・トラバンが所属する調査部――通称調査者トゥルースである。


「トラヴィス! 今から仕事かい?」

「ああ、つっても最近は調査室で寝てるだけだけどな」


 調査部の仕事は基本的に一つ、それは真実かどうかを調査することだ。


 間違った情報を歴史に残すわけにはいかない。だから大きな事件が起きない限り、調査部のメンバーたちはひまをもてあますことになる。


「これ、持ってきな」


 青果店の主人はいつものように朝食の林檎をトラヴィスに投げた。


「いつも悪いな」

「いいんだよ。あんたらがしっかり歴史を記録して真実を伝えてくれるからこそ、この国は特別なんだからさ」

「……あっはは」


 リンゴを受け取ったトラヴィスは一瞬、困ったように主人から視線をそらした。しかしすぐに気を取り直したように、笑顔でであんがとよと片手を挙げる。


 この街の住民たちは噂がもたらす脅威を知っている。だからこそ、大図書館パウデミア司書ブックマンに対して尊敬と感謝を忘れることはない。


 時には誤った情報が人々の生死にまで関わるのだから...…。


「今日も新鮮だな」


 真っ赤なリンゴを晴れた空に放り投げ、トラヴィスは石造りの街並みを眺めながら北へ向かって進む。

 長い坂を登りきった先に、巨大な建物がそびえ立っている。


「……うまっ!」


 青果店の主人からもらったリンゴを頬張りながら、トラヴィスは大図書館パウデミアに向かおうとするが、酒焼けでしわがれた声が道を塞いだ。


「ちょい待ち」

「うぃーす」


 めんどくさそうに頭をかくトラヴィスは、にやりと笑って体重を前にかけた。


「だから待てつってんだろ!」

「なんでだよ! 顔見りゃ俺だってわかるだろ!」

「そりゃそうだ。だけど規則は規則。お前さんだけ特別扱いするわけにはいかねぇな。んっなことが上に知られたら俺の首がはねられちまう。そうなったらお前、うちの嫁と子供養ってくれるか? くれるってんなら自由に通りな」

「………っ」


 苦虫を噛み潰したような表情のトラヴィスは、わかったよと唇を尖らせる。そして赤と黒を基調としたフロックコート制服の内ポケットから、豪華な懐中時計を取り出した。


 天秤の意匠が施された金の懐中時計を、警備の男に見せた。


「ああ、間違いねぇ。お前さんはトラヴィス・トラバンだ」

「……ったり前だろ」


 大図書館パウデミアの警備は厳重で、24時間常に警備が在住している。男とも毎朝顔を突き合わせているが、規則上顔パスは許されない。大図書館パウデミアの中に足を踏み入るためには、司書ブックマン時計か職員書のどちらかを提示する必要がある。


 これは部外者の侵入を防ぐための重要なルールであり、過去には他国の諜報員が歴史改ざんのために送り込まれてきたことがあった。そのような愚行を防ぐためにも、身分の確認は必要なのだ。


 ちなみに、司書ブックマン時計とは、司書ブックマン試験に合格した際、法王直々に与えられる証明書のようなものだ。紛失すればその時点で司書ブックマンの資格を永久に剥奪されてしまう。


 司書ブックマンにとっての心臓と呼ぶべき代物――それが司書ブックマン時計なのだ。


 ゆえに、司書ブックマンはいつ如何なる時も、司書ブックマン時計を携帯することが義務付けられている。


「通っていいぞ」


 警備の男がうなずいたのを確認してから、トラヴィスは館内に足を進める。


 館内はいくつもの鉄扉で厳重に仕切られている。鉄扉にはそれぞれ鍵が掛かっており、解除するためには専用のカードキーが必要だ。


 カードキーはエントランスホール受付付近に設置されている特殊機械に、司書ブックマンIDとパスワードを打ち込むことで発行される。


 ちなみに外側からの扉のロックは24時間ごとに自動更新される。


「今日も朝から暇そうね」

「……ああ、退屈で死にそうだ。入る部署を間違えたかもな」

「………ふーん」

「………」


 機械を操作するトラヴィスを不審な目で見つめる女が、呆れたように嘆息した。


「給料泥棒って噂だけど?」

「……………大図書館パウデミアで働く者が噂に振り回されるのは良くないな」

「……そう?」

「うん」


 辛辣な言葉に苦笑いを浮かべたトラヴィスは、専用のカードキーを受け取ると、逃げるようにその場をあとにする。


 カードキーを使って奥の扉に入ると、そこは壁一面が書物で埋め尽くされた本の砦。


「ふわぁ〜……」


 壁の本棚に埋め込まれた書物はすべて先代の司書たちが記した貴重な書物。その数百万冊。中にはトラヴィスが過去に記した書物も納められている。


「おや? 今日も盛大なあくびだね、トラヴィス。顔に暇だって書いてあるよ?」


 大量の書物を台車に乗せて運ぶこの老人は――管理者セプター


 文字通り無限に増え続ける書物を管理する重要な司書ブックマンである。


「毎日寝に来てるだけだからな。さっきも受付の女の子に給料泥棒だってジョークを飛ばされたばかりさ」

「がははははっ――わしはそれをジョークと笑い飛ばせるお前さんの図太い神経がうらやましいよ」

「……なっ」


 相変わらずこの老人はひどいことをさらりというなと頬を引きつらせた。悪気がない分たちが悪いとトラヴィスは思う。


「若いんじゃから、存分に働くとええ」

「……ああ。そのつもり……さ」


 遠ざかる老人に別れを告げ、トラヴィスは広い館内を移動する。


 大図書館パウデミアの内部は、まるで巨大な迷宮のような構造をしている。司書ブックマンになりたての新人が三日間館内を彷徨うこともしばしば。見上げれば書籍の壁が天まで続いている。


 どの階段がどの通路に続いているのか、トラヴィスもよくわからない。新人の頃は覚えようと頑張ったこともあったが、覚えたとたんに増築のために階段が変わってしまい、挫折したことは言うまでもない。


「早く行かないと、ライリーや部署のみんなの小言がうるさいからな」


 トラヴィスが所属する調査部は、地下五階にある。


 しかし、地下に続くこの階段もまた、蟻の巣のようにいくつもの場所につながっている。トラヴィスはこの長ったらしい階段が本当に嫌いだった。


「おっと」


 唯一気に入っているのは、踊り場に埋め込まれた姿見くらいかもしれない。


 されど、それもまた司書ブックマンとしての身だしなみには細心の注意が必要だという無言の圧力を感じる。


「寝癖寝癖」


 両親から受け継いだ燃えるような髪を手でなでつけ、伸びた襟足を整える。


「よし、見事だ!」


 目的の地下五階に到着したトラヴィスは、立ち止まって深呼吸をし、息を吐き出す。


 肺の中に溜め込んだ空気をすべて吐き出したトラヴィスは、だらりと肩の力を抜く、途端に全身から一気にやる気が失われていく。そのまま自らの気配をできる限り消し去ろうとする。


 ――モブだ、モブ。モブになりきれ。


 トラヴィスが目指すのは、陰の薄いモブキャラクターだ。


「あっ、全廃じゃないですか」

「――!? 誰が全廃だッ! 先輩を棄ててんじゃねぇよ!」


 ――あっ、しまった!


 調査部の扉をくぐると、早くも待ち構えていた後輩にからかわれてしまう。


 本当は反応しないつもりだったトラヴィスだったが、後輩のあまりの物言いについ、反射的に言葉を吐き出していた。


「あ! 今しまったって顔しましたよね? どうせ全廃のことだから存在感消して今日をやりきろうとか痴漢おやじみたいなこと考えてたんじゃないですか? あー嫌だ嫌だ」

「誰が痴漢おやじだ! 俺はまだ十八だ!」


 朝から小言のマシンガンをぶっ放しているのはマリア・アメダス。調査部に属するトラヴィスの後輩だ。


 銀色の髪とまな板のような胸が印象的な彼女は、愛らしい栗鼠のような見た目からは想像がつかないほど口が悪い。その上、先輩であるトラヴィスにはまるで敬意を払わない。敬意どころか、彼女は時折トラヴィスをからかったりもする。


 少し前までは先輩先輩といつもトラヴィスのあとをカルガモの雛のように歩いていたのに、今では全廃呼ばわりである。


 人は変わるものだと思うトラヴィスは――いや、変わったのは俺も同じかと自嘲気味に笑った。


「ニヒル気取りの気持ち悪い笑みはやめたほうがいいですよ。よけい変態っぽいです」

「全廃の次は変態呼ばわりかよ。中々辛辣に成長してるじゃねぇかよ。そのまま胸のほうも急成長すりゃ良かったのに、なっ!」

「ななななななんてことを言うんですかっ!」

「事実を口にしただけだが?」


 言われっ放しにイライラしたのか、トラヴィスは自慢げな表情で少女のコンプレックスをあざけるような言葉を投げつけた。


「こ、これは仕事に支障が出ないようにですね……そう! さらしを巻いて小さく見せているんです! 本当はボン! ボン!! ボン!!! なんですよ!」

「ほぉ~、ボン! ボン!! ボン!!! ね」

「――――!?」


 疑わしいと目を細めて鼻で笑い飛ばすトラヴィスに、銀髪の少女は慌てて胸元を隠した。


「なっ、なななんですかそのムカつく鼻笑いはっ!」

「……いや、なんでも。ただな、大図書館パウデミア司書ブックマンとも在ろうものが虚偽の申請をするのかと、少し悲しくなっただけだ」


 キィーッと沸騰したヤカンのように地団駄を踏むマリアに、トラヴィスは大人気なくも勝ったと口端を持ち上げた。


「ふんっ。四六時中寝てるだけの全廃に言われたくないですよ!」

「うっ………」


 予想外の反撃に大きなダメージを受ける。この野郎と思いつつも、彼女が言っていることは事実なので言い返すことはできなかった。


「トラヴィス、泣いて喜べ。貴様に仕事をくれてやる!」

「へ……?」


 彼の心情を知ってか知らずか、捜査部の長であるライリー・ランリーから不意打ちのような言葉が放たれた。

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