第28話 腐らない死体

 白衣を纏った女医が中央広場に登場すると、一瞬場が静まり返る。


 グレイスは一度咳払いをしてから言葉を紡ぎ出した。


「死後も伸び続ける毛髪と爪についてだがね、これは別に珍しくないことなのだよ」

「は? なんで死んだ人間の髪が伸びるのが珍しくないねんな!」

「では聞くがシスター、君は死体を観察し続けたことはあるかね?」

「あるわけないやろ、気色悪い。誰がそんなことすんねん!」

「では、なぜ死んだ人間の髪や爪が伸びないと言い切れるのだね? それは君の単なる思い込み、偏見だろう。私はこれまで十五年間に渡り、多くの死体を調べ続けてきた。その中には爪、髪、髭、これらが死後も伸び続けることを確認している」


 毛髪が伸びるという生理現象は複雑な機構の上に成り立っており、個体、ひいては細胞が死んでいる状態では起こりえない。いわゆる個体の死後に、器官レベル、組織レベル、細胞レベルの死が訪れ、部位によってその速さも異なる。


 死後の臓器提供が可能なのはこのためだ。個体が死んでも組織はまだ生きているのだ。

 しかし臓器提供は可能な限り死の直後が望ましい、というように、それも長いものではない。従って毛髪が伸びるという現象が死後に顕著に起こることは基本的にはない。


 ある特殊な条件下にある場合を除いては……。


「せやったら血は、血液はどないなるねん! パウロの口や鼻からは大量の真新しい血液がべっとり付いてたって言うやんか!」

「鼻や口の回りに付着していた血液は、肺や欠陥に溜まっていた血液が気管へ染み出し、口や鼻から出てきたことによるものだろ。これも別に珍しいことではない。解剖学の世界では、ある意味常識だが?」


 憶測や予想ではなく、グレイスは医学的観点から真実を述べる。そこに反論の余地はない。


「なら……その、断末魔はどう説明するんだい」

「そや、それや!」 

「心臓に杭を刺したときに聞こえた断末魔の正体についてだね。よかろう、無知な諸君にも少しばかり講義してやろう」


 二人の質問に鷹揚と頷いたグレイスは、眼鏡のブリッジを中指で持ち上げた。


「死後、消化菅や肺の中に腐敗してガスがたまるのだがね、それを体の外側から杭を打ったり圧迫した際、稀に口や鼻にガスが移動することがあるのだよ。その時に気管や声帯など、細いところを通り、音が出る。実際に遺体を解剖する際、メスを入れた時にガスによって生じる奇妙な音を、私は何度も聞いたことがあるよ」


 その他にも、体に残っていた空気が急激な温度の上昇によって音が出ることがある。火葬の際などによく見られる現象だ。


「そんな……」

「嘘やろ……」

「嘘ではないよ。私は医学に基づき論理的に説明をしているつもりだが?」


 見事だ! と言わざる得ない。それくらいグレイスの解剖学は理論に裏打ちされていた。


「では……なぜ彼の遺体は腐敗していなかったのでしょうか?」


 最も疑問だった謎を村長が尋ねると、グレイスはにやりと不気味な笑みを浮かべる。次いで遠くの方に待機させていた部下に、彼女は小さく目配せを送った。


 ペストマスクをかぶった奇妙な集団が、棺を担いで広場にやって来る。


「し、死体!?」


 ジャックスは余程棺の中の遺体が怖いらしく、頭を抱えて踞ってしまった。


「この遺体はDr.グレイスと墓を掘り起こした際、確認した遺体の一つだ。墓石に刻まれていた死亡時期は今から一年半前。バンパイア事件が起こる一年以上前の遺体だ。墓石に記されていた名前は、ハーパー・パッパ。あんたの奥さんだ」

「……っ」


 なんとも言えない表情の村長には申し訳ないと思うトラヴィスだったが、これも真実のためだと村長には堪えてもらう。


「あんたらには今からこの中の遺体を確認してもらう」


 ざわつく村人たちに落ち着くよう声をかけたトラヴィスは、次いでグレイスの部下に棺の蓋を開けるよう声をかけた。


 棺の中を目にしたイザベラは信じられないと絶句。ジャックスは恐怖のあまり震えていた。


「これは……どういうことでしょうか?」


 村長は一年以上前に亡くなった妻の、美しい死に顔に目を見開いていた。


「Dr.、説明してもらえるか?」


 トラヴィスの問いかけに不敵な笑みを浮かべたグレイスは、次の瞬間には水を得た魚のように饒舌に口上。


「遺体の腐敗進行度は空気中よりも土の中の方が八倍も遅いのだよ。また、土地柄によっても腐敗速度などが変化する。その理由は土が冷たかったり暖かかったり、とにかくさまざまな要因によって腐敗速度は変わるのだよ。基本的に墓を掘り返し、棺を開けて遺体を確認することはないだろ? だから誰もが死体は必ずしも同じ速度で腐敗すると思い込んでしまう」


 パウロの遺体を掘り返した村人たちは、予想よりも腐敗していない遺体を見て、ただ事ではないと考えた。その結果、すでに肺結核によって死亡していた九人の発言――


 〝パウロに首を絞められた〟。


 この証言が腐らない遺体を目にした村人たちに、バンパイアという空想上の生きものを連想させてしまったのだ。


 今回の事件は死体は腐敗するものという固定概念が生み出した、超自然トリックが原因であった。


 遺体を掘り起こす者など普通はいない。だからこそ、死体は腐るものという思い込みは古くから続いてきた。


 バンパイア事件など奇怪な事件が発生した時のみ、墓を暴くという行為が行われる。これにより、死後数日経った遺体をはじめて目の当たりにした者は、腐敗していない遺体が出てきたことに驚いてしまうのだ。


 その結果、バンパイアなどという空想上の怪物を作り出してしまう。


 今回コセル村の墓地を掘り返したことにより、遺体は必ずしもウジ虫の餌食になるとは限らないという貴重なデータが取れた。墓を掘り返すとしばしば腐敗していない完全に元の姿の死体にお目にかかることがあったと、グレイスはとても嬉しそうに語っていた。


 したがって超自然的理由がなんら存在せずとも、何年もの間、死体が腐敗しないことがあると、トラヴィスは結論付けた。


「これが俺たち、大図書館パウデミア司書ブックマンが導き出した真実だ。異論のある者はいるか?」


 誰もが口々にそういうことだったのかと、納得していた。


 ゆえに無念だっただろうとトラヴィスは思う。

 この村に医療機関があったなら、十八人が命を落とすことはなかったのかもしれないと。


「見極めました! 私、早速大図書館パウデミアに戻って記録します!」


 よくやったとエリーの頭に手を置くトラヴィスに、彼女は喜色満面で応えた。


「はい!」


 今回の件をアルストリダム国の名誉に関することと法王が判断すれば、世界各地で起ころうとしているバンパイア騒動も終息に向かうだろう。


「これを以て事件は解決したとする。以上だ!」


 誇らしげに歩き出すトラヴィスたちを、ラービナル教会の二人が悔しそうにねめつけていた。

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