第10話 新メンバー

 十四時発――アルストリダム行きの列車に二人は飛び乗った。


「ギリギリでしたね」


 急遽飛び乗った列車だったため、二人は寝台完備がされていない一般車両に乗車することになった。本来法王の下で働く司書ブックマンには特別車両を使う権限が与えられている――が、トラヴィスはあえて一般開放されているコンパートメント車両を選択した。


 仮に特別車両が満席だったとしても、司書ブックマン時計の力を行使すれば空室に変えることは可能だった。


 しかし、トラヴィスは傲慢だった時代からそれらの行為を好まない。権力により他者を見下す行為は、幼き日、モリアール領で受けた理不尽を思い出してしまうのだ。


 人が平等ではないことをトラヴィス自身理解はしているが、それでもできる限り平等で在ろうと心掛けている。


 彼の師匠であるエトワールに言わせれば、ただのまぬけの独りよがり、だそうだ。


 それでも、トラヴィスは権力や立場を掲げる行為がどうしても好きになれなかった。


「悪いな」


 一般車両で申し訳ないなと軽く頭を下げた。かつてのバディが今の彼を見たなら、きっと何者かが下手くそなトラヴィス・トラバンに変装していると鼻で嗤ったことだろう。


「なにがです?」


 対面に座るエリーはそんなことなど気にする素振りも見せず、開けた窓から流れる景色に懸珠を向けていた。


「……いや、なんでもない」

「そうですか」


 吹き抜ける風が彼女の鮮やかなブロンドをはためかせると、彼の鼻先を甘い香りが掠めていく。リラックス効果をもたらすそれは、たっぷり蜜を凝縮した林檎の香りによく似ていた。


「アルストリダムまでは長旅だ。列車で三日は掛かる。寝台がある部屋でなくて平気か?」

「私なら平気ですよ。列車に乗れただけでも十分楽しいですから」


 エリーはご機嫌な様子で窓の外を見つめていた。


「乗ったことないのか?」

「はい。今日が人生初列車です」

「……そうか」


 これがエトワールなら、目的地に到着するまでの間延々と耳元で小言を言われ続けるハメになるだろうと、トラヴィスは左肩を揉んだ。思い出しただけで肩が凝ってしまう。


 破門になって早四年、トラヴィスは未だにエトワールへの未練が断ち切れないでいる。両親が亡くなった時ですら三ヶ月で立ち直ったトラヴィスだったが、エトワールの事だけはどうしても諦めきれないでいる。トラヴィスにとってエトワールはヒーローだったのだ。


 エトワールに憧れて伸ばしはじめた襟足を弄びながら、トラヴィスは徐ろに席を立った。


「おトイレですか? 破裂する前に行った方が賢明ですよ?」

「違うわっ! つーか便所を我慢しても破裂なんてしないからな。そんなびっくり人間聞いたこともない」

「えええええっ!? では父は世界初のびっくり人間だったということですか!? 後世のためにも記録しておくべきでした!」

「せんでええわ!」



 ガシャンッ!



 勢いよく扉を閉めて退室したトラヴィスは、車内を探索するように別車両に移動する。


 通路ではしゃぐ子供たちを横目に、貨物車両へと向かった。


「今度はヒストリア国内でもバンパイアが出たらしいな」

「アルストリダムから生まれたバンパイアが闇に紛れて勢力を拡大してるって噂だ」

「地面から死者が這い出ようとしているところを目撃したってやつもいるらしいじゃないか」

「なんでもアルストリダムの女王陛下は、バンパイア退治に名のある祓魔師エクソシストを派遣したらしいし」

「おっかない世の中になっちまったもんさ」


 連結部の扉を開けるトラヴィスは、後方で風説を唱える年壮の男たちの言葉に耳を傾けてはくだらんと一掃する。


「相変わらずどうでもいい噂だけは飛び交うのが早い」


 噂というのは目に見えない怪物である――とは昔の司書ブックマンの言葉だ。


 古くは噂によって多くの死がもたらされた。とある国の王家にまつわる有名な話がある。


 その国の王には複数の妻と、その妻たちの間に複数の王子がいた。


 王位は正妃の子である第一王子に与えられるのが古くからの習わしだったが、国というものは必ずしも一枚岩ではない。自身が取り立てている者が王位に就けば、それだけ得られる対価は大きい。


 そこに目を付けた家臣たちが、智力を尽くした情報戦を繰り広げれば、王城内はまたたく間に血で血を洗う悲劇へと発展する。それはいつしか群衆さえも巻き込んだ内戦へと発展し、終わらぬ争いの果にかの国は滅び去った。


 またある国では小麦の値が高騰するなどという根も葉もない嘘が広まり、あっという間に群衆はデマに躍らされた。その結果、大量の餓死者が生まれてしまった。


 噂の出所は欲に目が眩んだ商人だったと、大図書館パウデミアの書物には記録されている。


 人はささいな噂に惑わされ、翻弄される哀しき生き物。


 例えそれが真実でなくとも、右に倣えという集団心理の中にひとたび迷い込んでしまえば、迷いの森から抜け出せなくなってしまうもの。損得感情は理性を殺し、もしかしたら、その思い込みがさらなる深みに人を誘っていく。


 悲劇を二度と繰り返さないためにも、聖ロザリオ法王は司書ブックマンを作り上げた。


 真実のみを伝え、残すことを目的とした組織――大図書館パウデミアを。


 嘘は時に人を殺し、真実は時に人を救う。

 大図書館パウデミア司書ブックマンが他国から手厚くもてなされるのもこのためだ。


 血族ではなく、民衆によって選ばれる法王の存在もそれに拍車をかけている。


「だというのに、未だに噂が一人歩きする始末。本当に情けなくなってくるな」

「それでも真実を探り、伝え、残すことがおたくらの矜持なんだろ? と、あたいは思ってみたりする」


 最後尾の貨物車両へとやって来たトラヴィスは、薄暗い車両の奥で鋭い綠眼を光らせる少女に目を向けた。壁に背を預けながら胡座をかく少女の傍らには、丸々と太った背嚢が置かれていた。


 印象的な濃緑色の髪は肩口辺りで切りそろえられ、癖によって毛先が内側に向いている。素性を隠すためのフード付きボトルネックノースリーブを目深にかぶっており、顎先から鼻頭にかけて包帯が乱雑に巻かれていた。


 膝丈までのスカートから伸びた肢体にも、同様に包帯が巻かれている。身長は百四十センチ前後と小柄、目付きはすこぶる悪く、どこぞのスラムから無断乗車したゴロツキのようであった。


 少女の名はユセル・バイア・スカーレット――協力者サポーターと呼ばれる存在である。エリー・リバソンが所持していた資料を作成した人物でもある。


 協力者サポーターは世界中に散らばっており、歴史に残すべき事柄であったり、世界に不利益をもたらしかねない事案を調べ、報告する者のことを指す。彼らの報告を受け、大図書館パウデミア司書ブックマンは調査に乗り出すのだ。


 彼ら協力者サポーターがいなければ、決して人数が多くない司書ブックマンが世界各地を飛び回ることは不可能。協力者サポーター司書ブックマンではないが、多くの司書ブックマンは彼らの卓眼に敬意を払っている。


「まさかあんたがまた戻ってくるなんてと、あたいは少し驚いてみたりする」


 鈴のような笑い声を響かせる少女が、ゆっくりと片膝を立てる。すると包帯だらけの太ももが大胆に顔を覗かせた。トラヴィスは慌ててユセルから顔をそらした。


「おい! その、あの……スカートの中が丸見えだぞ。少しは女らしく振る舞ったらどうなんだ」

「…………は?」


 あんぐりと大口を開けたユセルは、こいつは一体何を言っているんだと困惑していた。


「なんだよ?」

「あんた……本当にあの傲慢で尊大で威張り散らすことしか脳がなかったトラヴィス・トラバンかい!? とあたいは思ってみたりする」

「……っ」


 面と向かってそんな風に言われると、流石のトラヴィスも後ろめたい気持ちでいっぱいになる。半年前の自分は自分が思っていた以上に最低な言動を繰り返していたのかもしれないと、自責の念に駆られたりもする。


「痛っ!? ちょっ、おい!?」


 当惑の表情のままトラヴィスへと歩み寄ったユセルは、すっと彼の頬に手を伸ばす。そのままむにゅっと掴み取っていた。


「てっきり誰かがあんたに化けているんじゃないかと、そんな風にあたいは思っていたりする」


 一驚に目を丸くするユセルの手を払いのけ、トラヴィスは小さな少女を目下に見据える。次いで嘆息、やれやれといった様子でコートの内側に手を忍ばせ、徐ろに司書ブックマン時計を取り出した。それをユセルの眼前へと突きつける。


「ほら、これで文句はないだろ?」


 パカッと司書ブックマン時計の蓋を開けると、裏面にトラヴィス・トラバンと刻印されている。


 それは彼が彼である何よりもの証拠だった。


「どうやら本人で間違いないようだね、とあたいは思ってみたりする」


 司書ブックマン時計とトラヴィスの顔を交互に見比べたユセルは、納得したように鷹揚とうなずいた。


「しかし、あたいはあんたが引退したって聞いていたんだけど、どうやら戻って来たらしいねと、あたいは思ってみたりする」

「まぁな。それより、今回のコセル村で起きたバンパイア事件、その報告書を作成したのがまさかお前だったとはな」

「これは何かの因縁かもしれないねと、あたいはほくそ笑んでみたりする」


 今回の協力者サポーターが彼女だと知ったトラヴィスも、内心これは何かの因縁ではないのかと、尻がむず痒いような居心地の悪さを感じていた。


 半年前の調査も、ユセル・バイア・スカーレットが持ってきた報告書から始まったのだ。

「にしても、よくあんたとコンビを組んでもいいなんて記録者ライターが居たもんだねと、あたいは思ってみたりする」


 再び壁に背を預ける形でもたれかかったユセルは、無遠慮に相手の顔つきを物色する。


「新人の記録者ライターだからな」

「なるほどなるほど」


 腕を組んだユセルが首肯する。


「かつての意地の悪いあんたを知らない、いたいけな新人を丸め込んだってところかいと、あたいは嫌味を言ってみたりする」

「調査を申し込んで来たのは新人の方だ」

「おやまぁ、そいつは余程の変人かバカだねと、あたいは思ってみたりする」


 当たらずと雖も遠からずだなと、トラヴィスはキラキラ光るエリーの瞳を思い浮かべては苦笑していた。

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