睦月 満月 再訪
「また、お越し下さるとは」
クサブキさんはひっそりと微笑んだ。
いや、私は来る気満々でした。私は胸の内に独り言ちる。
アルパカも、カピバラも、このままにはしておけない。
突然、膨らんだノートを取り出す私に、クサブキさんは目を丸くする。
「それは一体……」
「動物たちの、飼育ノートです」
真夜中にこの空間――おそらく、クサブキさんを封じている結界――に送り込まれ、明け方に突然放り出された日から、2週間ほどが経っていた。
あの日、私は、眠りについたのと全く変わらないベッドで、全く変わらない服装で目を覚まし、その後の生活も、以前と全く変わらなかった。
夢だったのかな。ずいぶんとはっきりしていたけれど。それが私の結論だった。
でも。
私はどうしても、あの日に出会った動物たちが気になって仕方がなかった。
自分でもどうかしているかとも思ったが、私は彼らの飼育方法について調べまくった。そして、毎日、メモしたノートを自分の身体に結び付けて眠った。
努力の甲斐があったというものだ。
「早速ですが、動物たちに、会わせてください」
順応性にだけは自信がある私は、もうすでに、鬼だの結界だのに対する突っ込みは放棄していた。とにかく、動物たちを、何とかしなければ。
勢い込む私にクサブキさんは苦笑いをする。
「もちろん、ご案内しよう。……ただ、再びお越しになられた経緯を、確認させていただきたい」
クサブキさんは軽く目を眇めて私を眺める。
「あなたが先だってこちらを訪われたのは、新月の夜。本日は、満月です。何か、意味があるのかな」
言われて私は、違和感の元に気がついた。今、周囲の景色は、白黒ではあるが、色が反転していない。
「……わかりません」
正直に答える。
あの日から毎晩、私は空間転移(だと思う)を想定して身構えていたが、全く何も起こらなかった。
今晩、突然、以前と同じように何の前触れもなく、気がつくと私はここにいたのだ。
クサブキさんはため息をつく。
「別に、ここを守護するいわれなど、私にはないのですが……やはり、お招きしていない侵入者を、捨て置くわけにはいかないのですよ」
若干、剣呑な発言に、私はびくりと身構える。
調子に乗ったかもしれない。
動物好きに悪い人はいないと思っていたが、鬼にそれが当てはまるとは、限らないのだろうか。
私を眺め続けるクサブキさんの瞳が、突然、赤く光った。私は、その光に吸い込まれるように、まっすぐ彼の瞳を見返した。
どちらも、視線を、外さなかった。
「……分かりました。あなたは、少なくとも私や
やがて、ふいと視線を外し、ため息のように彼はつぶやく。
「
そして、にこりと私に微笑みかける。
「して、あなたのお名前は」
*
「アマネ殿」
クサブキさんの声には、若干呆れた響きがある。
「それは、だいぶご無体です。私は、神ではないのですよ」
やっぱり無理か。私はぺろりと舌を出す。
「温泉を湧かせろなどと……」
出来たらとっくにやっている。意外にも温泉好きらしい鬼は苦々しくつぶやく。
「でもここ、どこかの山の中でしょう。山なら何とかならないかなーっ、て……」
クサブキさんは、軽く首をかしげて私を眺める。
なんかちょっと、嫌な感じだ。
「あなたは、
山ならどこでも温泉が湧くと思うなよ。言外に告げられ、私は若干へこむ。
「……地学とか、苦手で。……それはともかく」
私は気を取り直す。
「カピバラは、温暖な水辺の生き物です。日本で飼育する時は、よく、温泉を利用したりしているみたいです。……今は、真冬ですし、なんとか、もう少し暖かく過ごさせてあげる方法を、考えなくてはなりません」
「暖かく」
クサブキさんの声音に思案が混じる。
この結界内の気温は、年間通して、いわゆる人間の適温に保たれているようだ。今だと私の体感では、22℃ぐらいだろう。夏にはもう少し、温度が上がるらしい。
「何とかしよう。……ところで、先日、新たな
「え」
またですか。
今度は一体何だろう。不謹慎ながら、私はワクワクを止められない。
「これは、……ペンギンですね」
「ぺん、ぎん」
クサブキさんは明らかに渋面になる。私がいなければ、頭をかきむしっていたかもしれない。
「どうしてこう、
ぺん、ぎん。ぺんぎん。いつもの反芻作業。
「……参ったな。ペンギンは、種類によって好む環境が大分違うはずです。この子の体格からすると、寒いところが好きそうだけれど……」
ペタペタと歩き回る飛べない鳥を前に、私は唇をかむ。
カピバラは温暖多湿、アルパカは寒冷地、乾燥した環境を好む。こうも飼育環境がばらばらだと、この限られた結界の中で、どうやって動物たちを快適に過ごさせるか、非常に悩ましい。
そもそも、クサブキさんが、どんな力を持っているのか、動物たちの環境を整えられる力があるのか、まだ私には皆目わからないのだ。
「『寒い』とは、どのような場所なのかな」
クサブキさんが目を上げて私に問いかけた。
「ペンギンの種類によりますけど……水の温度が低くて、場合によっては、雪の上で過ごすものも……」
動物園のペンギンを思い浮かべながら、私は返事をする。
ああ、動物図鑑が欲しい。目の前のペンギンが何ペンギンかもわからず、私はもう一度唇をかむ。
「ふむ、
なにやら独り言ち、クサブキさんが指を鳴らすと、彼の目の前に水を張った
彼は右腕をまくると、おもむろにその
やがて
「氷……」
私は呆然とつぶやく。
「ふむ、この術の
私はあっけにとられて彼の手元を眺める。
神ではない、とかおっしゃってましたけど。
温泉湧かすのと、水を氷と熱湯に変えるのと、どっちもどっちではないかと。
「……この術は、自然の力の
私があまりにガン見していたからなのか、クサブキさんは静かに説明してくれる。
要は、熱エネルギーを移しているだけで、無からエネルギーを生み出しているわけではない、ゆえに簡単な術だ、ということらしい。
うなずきながら、私は改めて実感する。
この世界の、原理が良く分からない。
それから、クサブキさんは空中に手をかざし、温風と冷風を生み出して見せてくれた。
持続的に術を使い続けるのは、消耗も激しいため、何か策を考える、と彼はつぶやく。
アルパカは元気だった。
意外に広々とした草原を自由に歩き回っているが、クサブキさんに指を鳴らして呼び寄せられ、私が撫でても、抵抗する様子はない。
カピバラは、気のせいでなければ、若干クサブキさんになついている気がする。
「……そろそろ、時間のようだ」
空がうっすらと白み始めていた。
クサブキさんが私に目を向ける。
「お教えいただいた
「あの、これ。動物たちの、生活環境や食べ物、世話の仕方、できるだけ、調べてきました。……今の時代の文字が、どれほどお読みになれるか分からないので、なるべく写真や図解を多くしたつもりですけれど……」
私はあわてて、クサブキさんの手元にノートを押し付ける。
彼は一瞬目を見開き、それから微笑んでノートを受け取った。
「これは、……かたじけない」
「次、来る時までに、ペンギンのこと、調べてきます」
彼の微笑みが深くなる。
暁の光が一条、私を貫いた。
「アマネ殿。次にお越しになるときは、ご自分のおんじきを、持参なさると良い」
「おんじき?」
彼が軽くうなずき、口を開きかける。
そこで、前回と同じように、唐突に私の世界は暗転した。
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