鬼の食べ物(2)

「はじめは、飢饉だと思っていたのですが、あらためたところ、違っていました。供物を運ぶのにも難渋するほど、遠出の難しい時局となっていたようです。疫病退散の願のため、近年ではまれなほど、様々な術が試みられていたようで……。その一つが、今回、あなたや、かの生類しょうるいどもがここへ送られることとなった、禁術です」


 彼の唇に、苦い笑みが浮かぶ。


「私には、疫病を蔓延はびこらせるほどのたた りの力も、はらえるほどの力もないのですが。民草にとっては、藁にもすがる思いなのでしょうね」


 彼がそっと右手を差し出すと、カピバラがその手にとことこと歩み寄り、身体を擦りつける。彼の唇には、先ほどとは違う柔らかい笑みが浮いている。


「いずこよりお越しの方かは存じませんが、あなたは、このを抜けられる、稀有なしょうをお持ちの方なのです。そのため、禁術により見出され、にえとして、私に捧げられようとしています」


 彼の目が、私たちの周りを囲む白黒の風景を指し示す。今日は新月、に張り付いた景色は、初めの日と同じ、ネガの世界だった。


「……私も、私を封じるこの壁について、委細すべてを承知しているわけではありませんが」


 そこで、クサブキさんの顔は私を振り向いた。


「おそらく、この壁の中で、中のものを飲み食いされれば、あなたは二度と、ここより出でることは叶わなくなるでしょう。あるいは、にえとして私があなたを受け取れば、やはり、あなたは永劫、ここに住まうこととなります」


 そう告げるクサブキさんの顔に、笑顔は全くなかった。


「……だから私に、飲食物を持ち込めと」

「ご明察です。あなたが外界から持ち込んだものには、そのような力は働かない」


 たしか、初めの日、思いっきりお茶を勧められた気がしたけれど。

 まあ、忘れることにする。


「……にえとして受け取る、とはどういうことですか」


 まさか、先ほどの話のように、取って食うということなのだろうか。


「……それは、私にはお答えしかねる」


 クサブキさんの瞳がふと緩んだ。


「ただ、今、私にその意志はないことは、お伝えしておきます。あなたは、ゆえなくここへ送り込まれた生類しょうるいたちを、健やかに生かすために、今の私には無くてはならないお方だ。そして、自由にこの壁を行き来していただかなくては、それは成り立たない」


 それにしても、あなたは心のきれいな方だ、クサブキさんの唇が再び笑みの形を作る。

 得体のしれない微笑。

 世間知らず、と暗に言われているようで、私の気持ちは落ち着かない。

 相変わらず、肝心な時、彼の感情は全く読み取れない。私は唇をかむ。



 クサブキさんが『気の乗らない手』と言ったのは、先ほど説明された禁術の使い手に、動物たちの餌を貢がせる、ということらしい。


「一応、私から、『お告げ』という形で、外界のムラびとたちに意志を伝えることは、できるのですよ。ただし、私の要望をかなえた者には、必ず『報い』をせねばならないので、あまり行いたくはないのですが」


 彼は憂鬱そうに、ペンギンを見やる。


 ペンギンは今、私が持ってきた魚肉ソーセージをがっついている。

 多分、絶対、身体には良くないだろうが、餓死させるわけにはいかない。

 苦肉の応急措置だ。



 ところで、私にはもう一つ、気になることがあった。


「あの、クサブキさん。先ほど、1年前から疫病が、とおっしゃっていましたが……」

「そうですね。大陸より渡来してきた、肺病だと聞いていますが」


 ……いやこれ、もしかして、もしかしなくても、……コロナでしょ。

 私は、興奮で息が早くなるのを抑えきれずに、彼に尋ねる。


「あの、クサブキさん。最近の、天皇陛下……みかどについて、何かご存じですか」

みかど?」


 彼は軽く首をかしげる。


「詳しくは、存じませんが。二年ふたとせ前の春頃は、先帝が譲位された寿ことほぎの儀式にて、だいぶ大量に、供物があったものでした」


 決まりだ。

 私は興奮の高まりを抑えきれずに胸元で手を握り、クサブキさんの顔をじっと見つめる。



「あなたの世界と、ここが、同じ世界だと」

 面食らったようにクサブキさんは目を瞬く。


「少なくとも、最近の疫病と、帝の譲位、その出来事は、私の世界と、一致しています」

「……言われてみれば、あなたの来られる夜の、月の満ち欠けが、双方とも全く同じであることは確かだが」


 彼の瞳が白い夜空を見上げる。


「……しかし、そうなると」


 なぜか浮かない顔で、彼は虚空をにらみ考え込む。

 しばらくそのままの姿勢でいた後、彼は私を振り向いた。


「あなたのお見立ては諒解した。……確かめる方法について、私に考えがある」



『たしかめねがう』


 手にした紙には、確かにその文字が浮かんでいた。

 やがて目の前で、ゆっくりと、その文字は崩れはじめ、煙のように消え去っていく。

 残ったのは、ただの白い和紙。見た目はいわゆる、懐紙だ。

 

 本当にすごい。というか、信じられない。

 

 鬼のいる結界に転移させられたり、アルパカだのカピバラだのが突然現れたり、訳の分からない経験はたくさんしているはずなのに、いまだに何かにびっくりできる自分にも、びっくりする。


 今、私は、現代日本の自宅にいる。

 今日は、新月の翌日。出ていた月は、二日月、というらしい。もうとっくに、沈んでしまったが。

 今の時間は真夜中過ぎ。私は、ベッドの中にライトを持ち込んで、クサブキさんから渡された紙を確認していた。




「もしも、我々双方の世界が、同じ時の中にあるのならば、これを使って確かめることができる」


 昨晩、クサブキさんがそう言って私に取り出して見せたのが、この小さな紙切れと、筆だった。


「これは、私が人であった頃に、生業なりわいで使っていた道具です。私はいわゆる術使いで……簡単に申し上げれば、今行っている術の類は、人であった頃から行えたのです」

「はあ」


 さりげなく、驚愕の事実が明かされる。

 一時流行った、陰陽師、とかいうやつだろうか。カエルを潰すとか、おとぎ話だと思っていた。


「これは、私のによる道具ではないのですが、……まあそれは良しとして。異なる場所にいる相手に、文字により案内あないを送ることができる、道具です」


 クサブキさんが、私に紙きれを持たせた。彼が筆で空中に文字を書くと、手元の小さな紙切れに、写し取ったように文字が現れる。


 紙には、『あまね』と書かれている。


「お読みになれますか」

 少し心配そうに、クサブキさんが私に尋ねた。


「……はい。私の、名前ですね」

 かろうじて読めるが、だいぶ達筆だ。


「良かった。女手は、大きく変わりないと思うのですが、私の男手は、だいぶ、あなたには読みにくかろうと思います。女手でお書きすることにいたします」


 その時、手にした紙の文字がすうと消えた。


「この紙を開くと、ほどなく文字は消えてなくなります」


 驚いて紙を裏返している私に、クサブキさんが静かに告げる。


「同じ時間ときにいるのであれば、あなたの手元には、私の文字が届くでしょう。明日より、折を見て、あなたに文字をお送りいたします。次の満月まで、毎晩、紙を開いてみてください」

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