如月 満月 月下の笛(1)
『ぐみ』
ぶほ。私は思わずベッドの中で噴き出す。
クサブキさんは、あれから毎日、私に文字を送ってくれている。女手、というのは、ひらがなのことらしい。彼の、ものすごい達筆で書かれたひらがなの単語たちは、時々、結構な破壊力を示す。
ぺんぎんのうお きたり
とか、うれしい報告も送ってくれる。
ここ数日は、あるぱか、かぴばら、ぺんぎん、と来たので、今日は何かなと思っていたら。
(よっぽどグミが気に入ったのかな)
明後日の満月の夜には、違う味のを持って行ってあげよう。
孫にお菓子をあげたがるおばあちゃんの気持ちが分かるわー。
私はしみじみと、薄れていく文字を眺める。
*
翌日の夜に現れた文字は、異変を告げるものだった。
これまでにない文字量と、崩れたひらがなに、私は胸騒ぎを抑えて読み進める。
あらたなるしょうるいきたり
てあしほそくながく
かぎづめあり
うごかず
しんのぞうのうごきわずかなり
(これだけじゃ、何の動物か分からない。でも、心臓の動きが悪いって、まずいんじゃ)
私は唇をかむ。
今、私から、クサブキさんに連絡を取ることはできない。
どうしたら良いのだろう。
(でも、これまで来た動物たちはみんな、元気で栄養状態も良かった。どうして今回だけ)
そこで私は、ふと思い当たる。
(かぎづめ……もしかしたら)
もし、私の予想が当たっているなら、希望が持てる。
私は、大急ぎで調べ物を再開する。
(お願い、そうであって)
あの結界の中で、一人で動かない動物と向き合っているであろうクサブキさんを思うと、私の胸はキリキリする。
夜が来るのがこれほど遅いと思ったのは、初めてだった。
*
「……アマネ殿」
クサブキさんの声は、予想と違って平静だった。
ただ、微かにひそめられた眉と、青白い顔色が、彼の心労を物語っている。
「クサブキさん。新しい生き物は、どこですか」
指し示されたのは、初めの日に私が座らせてもらったのと似た、毛皮の敷物だった。
その上に、その動物は、ごろりと横たわっている。
(やっぱり……! 良かった)
その愛嬌のある丸顔を見て、私は胸を撫でおろす。
そして、沈んだ顔のままのクサブキさんを振り向いた。
「これは、ナマケモノです」
「……」
クサブキさんの眉がこれ以上ないという程寄せられる。
「……アマネ殿。今は、戯れにお付き合いする猶予はない」
初めて聞く、トゲのある声だった。
「ええと、違うんです。そういう名前の生き物で……。多分、この子は、ミツユビナマケモノです」
「……」
いまいち合点のいかない様子で、眉を寄せたまま、クサブキさんは黙って私とナマケモノを交互に見る。
「この子は、基礎代謝がとても低い変温動物で、無駄な動きもないので消費カロリーが極端に少なくて……簡単に言うと、無駄に動かないから、お腹が減らないんです。ほとんど食べないし、ほとんどフンもしません。すべての動きがゆっくりで、心臓の動きも、ゆっくりです」
「……ふむ」
心臓の説明のところで、初めて得心がいったように、クサブキさんがうなずく。
「住んでいる場所は、南アメリカや中央アメリカの熱帯林……多分、カピバラの住んでいるところと似た環境で、良さそうです」
「ふむ」
「一生のほとんどを、木にぶら下がって過ごすので、枝のある木を、用意してあげるといいみたいです」
私は、集めてきたナマケモノの生育環境の写真を指し示す。
「……なるほど、かぎ爪でぶら下がり、自らの力はほとんど使わないのだな。……確かに、怠け者なり」
若干愉快そうに、クサブキさんがつぶやく。
「とりあえず温めてはいたが、そこは是の対処だったようだ。……ひとまず、
パチリと指が鳴り、ナマケモノは、熱帯エリアの木の下に移される。
「食べ物は、一日あたり10gくらいの野菜……一日に食べるのは、葉っぱ一枚くらい、らしいです」
私の言葉に、クサブキさんが目を見開き、ふふ、と笑った。
「何と珍妙な
目を細め、ゆっくり、ゆっくり、木に登っていくナマケモノを眺める。
「この世に、これほど
ぽつりとつぶやく。それから深く、ため息をついた。
「……アマネ殿。この度も、大変、世話になった。……見苦しいところをお見せして、面目ない」
私は首をかしげる。
先ほどの、焦った様子のことを言っているのだろうか。
「いいえ。……昨日は、お一人で、心配でお辛かったでしょう」
クサブキさんの目がゆっくりと瞬く。
それからどこかが痛むように、微かに苦く微笑んだ。
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