成る(2)

 クサブキさんは眉を寄せた。


「ナッタ、とはなんだ」

「……やっぱり、自覚はないか」


 安倍吉昌の指がパチリと鳴る。とたんに、クサブキさんを取り囲んでいた水の球が消失し、クサブキさんはそのまま、床に落ちた。

 咳き込む様子に、私は慌てて駆け寄る。


「……大事ない」

 軽く息を切らしながら、クサブキさんは微笑んで、私の頬に触れる。


 侵入者たちが、驚いた様子でクサブキさんを眺めている。

 小柄な男が、ジャージの大男とひそひそしはじめた。


くさぶきが、女といちゃついてるぜ。……見た?」

「見た」

「あの女嫌いが。……やっぱり、歳月って人を変えるのかな」

「酒呑童子だって、女だろう」

「……いや、あれはいろいろ、別枠だろ」

「しかし、『首』を取り戻すために巫女をかどわかし犯したと思っていたが、どうも話が違いそうだ」

「普通に惚れあってるんじゃねえの、あの様子じゃ。なんか、フクザツだなこりゃ」


「聞こえるようにおかしなことを言うのをやめろ」

 クサブキさんは苦々しく吐き捨てる。

「とにかく、ナッタとはなんだ」


 安倍吉昌は首をかしげて、クサブキさんを眺める。

くさぶきはあんまり、鏡とか見ないのかな。とりあえず、あたま触ってみたら」


 そこで私は、気がついた。


「……クサブキさん、つのが」


 クサブキさんが、怪訝な顔で私を振り向く。


つのが、ありません」



 私が、クサブキさんのつのの存在を無視しがちだったのは認める。もともと、そそっかしいことも。それにしても、私も、クサブキさん本人も、二人ともいつからつのが無くなっていたのか全く覚えがないというのはどういうことだろうか。


 愕然と頭を撫でまわす私たちの様子を、侵入者たちは、呆れた様子で眺めている。


「……まあ、ここしばらく、それどころではなかったからな」

 クサブキさんが、若干言い訳がましくつぶやく。

「それにしても、一体これは、私の身に何が起きたというのだ」


 全員が安倍吉昌を見つめる。


「要は、年季が明けたってことかな」

 安倍吉昌は、テーブルの上に残っている紅芋タルトを次々と制覇しながら、話し続ける。


くさぶき、ここに閉じ込められてから1000年以上、修行僧みたいな生活してたわけだろ」

「……修行僧」


 鬼とは対極の単語のような気がするが、まあ、実態はほぼ相違ないかもしれない。


「ほぼ飲まず食わず、この結界の中だけの世界で、俗世の快楽も、情愛も友愛も得ることもなく……」

「何それ、生き地獄じゃん。死んだほうがましだわ」


 小柄な男の言葉は軽く無視される。

 

「……成ることによって、お前の邪気が人や動物たちにさわりを起こすことはなくなった。お前と通じた巫女も、鬼に変わっていないのは、そのためだ」


 顔を見合わせる私たちに、まさかそれも気づいていなかったのか、と、さすがに安倍吉昌は渋い顔をする。


「……とにかく。お前は、お前の意志なしでは、人に害をなす存在ではなくなった。お前の心持次第では、俺たちあやかし狩りにとって、狩るべき存在ものではなくなるということだ」


 安倍吉昌の言葉に、場に沈黙が落ちる。

 皆が皆、それぞれに、この事態をどう受け止めるべきか、判断しかねていた。


「……まあ、とりあえず、めでたしってことで」

 とりあえず言ってみました、という感じで小柄な男がつぶやく。

「俺たちは、帰ろうぜ。ここ、何か、嫌なんだよ……」


 腰を浮かしながら言う小柄な男の言葉に、弓の男が渋面でつぶやく。


「何がめでたいことがあるか。くさぶきが人外の存在であり、我々を恨んでいることも、この『首』も、二つに分かれている巫女も、何一つ、解決してはいない」


 場には再び沈黙が落ちた。



「……恨み、か」


 やがて沈黙を破ったのは、クサブキさんの静かなつぶやきだった。

 侵入者たちが、ぎくりと彼を振り返る。


「……まあそれは、恨まれて当然のことをしたのは、俺たちだし」


 その言葉に、クサブキさんが、心底意外そうな顔で、小柄な男に目を向ける。


「そんな目で見るなよ。俺にだって、人並みの良識は、あるんだぜ。……宮仕えの辛さで、お前をたばかるなんてことしたけど、もちろん、ほめられたことしちゃいないってことは、ずっと思ってたんだ。……ある意味、お前を鬼にしたのは、俺なんだよな……」


 小柄な男の苦い声に、声が重なった。


「それは、頼光四天王筆頭である、俺のせきだ」

 一番強そうな、年若い青年は、淡々と言葉をつなぐ。


くさぶきを選び、酒呑童子の一味へ潜入させたのも、あやかしとなったくさぶきの最後に残っていた我々への信頼を利用して、大江山へ引き入れさせたのも、酒呑童子に毒酒を飲ませ、寝首を掻いたのも、……討伐の絵図を描いた、俺や頼光公に責がある」



 私は、御伽草子の「大江山の鬼退治」のあらすじを思い出す。平安時代、京都を暴れまわっていた鬼たち、酒呑童子の一味を、あやかし狩りの猛者、源頼光みなもとのよりみつとその優秀な4人の配下、『頼光四天王』が討伐するお話。

 確かに、討伐隊は、だまし討ちに近い形で、酒呑童子の首を落とした。首になった酒呑童子の、「鬼に横道なきものを」というセリフは、有名だ。

 *鬼に横道なきものを:(意味)鬼は嘘をついたり騙したり道に外れることはしない



「……恨んでいるかと言われれば、私にはその権はない、というのが、答えだろうな」

 クサブキさんは、静かにつぶやいた。


「お前たちが私に与えた以上の辛苦を、私は多くの者に与えた」


 再びしばらく、沈黙が落ちた。

 自らの、罪。おそらく皆が、それを、思い返していた。

 


「……お前を、斬らないですんで、良かった」


 若い男が、ぽつりと、つぶやいた。

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