成る(2)
クサブキさんは眉を寄せた。
「ナッタ、とはなんだ」
「……やっぱり、自覚はないか」
安倍吉昌の指がパチリと鳴る。とたんに、クサブキさんを取り囲んでいた水の球が消失し、クサブキさんはそのまま、床に落ちた。
咳き込む様子に、私は慌てて駆け寄る。
「……大事ない」
軽く息を切らしながら、クサブキさんは微笑んで、私の頬に触れる。
侵入者たちが、驚いた様子でクサブキさんを眺めている。
小柄な男が、ジャージの大男とひそひそしはじめた。
「
「見た」
「あの女嫌いが。……やっぱり、歳月って人を変えるのかな」
「酒呑童子だって、女だろう」
「……いや、あれはいろいろ、別枠だろ」
「しかし、『首』を取り戻すために巫女を
「普通に惚れあってるんじゃねえの、あの様子じゃ。なんか、フクザツだなこりゃ」
「聞こえるようにおかしなことを言うのをやめろ」
クサブキさんは苦々しく吐き捨てる。
「とにかく、ナッタとはなんだ」
安倍吉昌は首をかしげて、クサブキさんを眺める。
「
そこで私は、気がついた。
「……クサブキさん、
クサブキさんが、怪訝な顔で私を振り向く。
「
*
私が、クサブキさんの
愕然と頭を撫でまわす私たちの様子を、侵入者たちは、呆れた様子で眺めている。
「……まあ、ここしばらく、それどころではなかったからな」
クサブキさんが、若干言い訳がましくつぶやく。
「それにしても、一体これは、私の身に何が起きたというのだ」
全員が安倍吉昌を見つめる。
「要は、年季が明けたってことかな」
安倍吉昌は、テーブルの上に残っている紅芋タルトを次々と制覇しながら、話し続ける。
「
「……修行僧」
鬼とは対極の単語のような気がするが、まあ、実態はほぼ相違ないかもしれない。
「ほぼ飲まず食わず、この結界の中だけの世界で、俗世の快楽も、情愛も友愛も得ることもなく……」
「何それ、生き地獄じゃん。死んだほうがましだわ」
小柄な男の言葉は軽く無視される。
「……成ることによって、お前の邪気が人や動物たちに
顔を見合わせる私たちに、まさかそれも気づいていなかったのか、と、さすがに安倍吉昌は渋い顔をする。
「……とにかく。お前は、お前の意志なしでは、人に害をなす存在ではなくなった。お前の心持次第では、俺たち
安倍吉昌の言葉に、場に沈黙が落ちる。
皆が皆、それぞれに、この事態をどう受け止めるべきか、判断しかねていた。
「……まあ、とりあえず、めでたしってことで」
とりあえず言ってみました、という感じで小柄な男がつぶやく。
「俺たちは、帰ろうぜ。ここ、何か、嫌なんだよ……」
腰を浮かしながら言う小柄な男の言葉に、弓の男が渋面でつぶやく。
「何がめでたいことがあるか。
場には再び沈黙が落ちた。
「……恨み、か」
やがて沈黙を破ったのは、クサブキさんの静かなつぶやきだった。
侵入者たちが、ぎくりと彼を振り返る。
「……まあそれは、恨まれて当然のことをしたのは、俺たちだし」
その言葉に、クサブキさんが、心底意外そうな顔で、小柄な男に目を向ける。
「そんな目で見るなよ。俺にだって、人並みの良識は、あるんだぜ。……宮仕えの辛さで、お前を
小柄な男の苦い声に、声が重なった。
「それは、頼光四天王筆頭である、俺の
一番強そうな、年若い青年は、淡々と言葉をつなぐ。
「
私は、御伽草子の「大江山の鬼退治」のあらすじを思い出す。平安時代、京都を暴れまわっていた鬼たち、酒呑童子の一味を、
確かに、討伐隊は、だまし討ちに近い形で、酒呑童子の首を落とした。首になった酒呑童子の、「鬼に横道なきものを」というセリフは、有名だ。
*鬼に横道なきものを:(意味)鬼は嘘をついたり騙したり道に外れることはしない
「……恨んでいるかと言われれば、私にはその権はない、というのが、答えだろうな」
クサブキさんは、静かにつぶやいた。
「お前たちが私に与えた以上の辛苦を、私は多くの者に与えた」
再びしばらく、沈黙が落ちた。
自らの、罪。おそらく皆が、それを、思い返していた。
「……お前を、斬らないですんで、良かった」
若い男が、ぽつりと、つぶやいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます