弥生  満月 ありあけの

『ぺんぎん およぎはやし やのごとし』

『こたつ めでたし』


 毎日のように送られてくるひらがなの報告に、私はほっこりする。


(とうとう、ペンギンに、泳げる大きさのプール、作ってあげたんだ。だいぶ水がいるから、どうしようか、思案していたけど。きっとあの子、喜んでるだろうな)


(こたつ、何なら私より、ハマってたもんな。意外と、寒がりなのかしら)


 鬼のスローライフに想いを馳せながら、私は2週間後の荷造りをする。



 満月まであと二日、十三夜の夜。


『こよいのつき うつくし あいたし』


 いつもの美しいひらがなでつづられた文章に、私はどきりとした。



 あいたし



 すぐに薄れて消えていく、四文字のひらがなを見つめる。



「やっぱり、この組み合わせよね」

 

 私は、大満足でコタツで伸びをする。こたつにみかん。どうしてこうも、絶妙な組み合わせなのだろう。

 隣のクサブキさんは、何も言わずに目を細める。

 徳利とっくり を傾けられ、私は慌てて杯で受ける。


 どうせなら、コタツで月見酒をしよう。私は、結界に日本酒を持ち込んでいた。


「……これは、諸白もろはくかな」

 瓶に入った日本酒をためつすがめつして、香りを嗅いでから、クサブキさんはつぶやいた。


「酒自体も、ここへ封じられて以来だが、諸白となると、喫したのも数えるほどだ。ありがたし」


 あまり意味が分からなかったが、話を聞くと、どうやら、彼の時代のお酒と言えば、濁り酒が主だったらしい。私が持ち込んだような、清酒は、貴重なものだったようだ。


 ちなみに、肴として持ち込んだ柿の種は、もちろん、大好評だった。


 前回作ってもらった10畳の部屋は、縁側に面していて、しとみを開け放つと、広々とした庭の池の上に、ぽっかりと浮かぶ月が見える。

 あまりにお庭が立派すぎて、月見でもしないと勿体ない。


 私たちは、ほろ酔いで、見事に丸く輝く満月を眺める。



「 “ありあけの つれなくみえし わかれより あかつきばかり うきものはなし” 」


 ふいに、クサブキさんの口から、和歌が漏れ出た。

 私には、古典の教養がなさすぎて、歌の意味は、よく分からない。

 ただ、彼がじっと私を見つめているのを、横顔で感じる。


「クサブキさん……」


 沈黙に耐えられず、つぶやいた私の声を遮るように、柔らかい声が響いた。



「……アマネ殿。私は、あなたを、お慕いしています」


 わたしはもう、月を見ているふりもできずに、うつむいてこたつの上のミカンの皮を眺める。


 自分の鼓動が早くなっているのも、顔が赤くなっているのも分かっている。

 でもそれが、どんな感情のせいなのか、そして、それは自分に許されるものなのか、私には分からなかった。


「クサブキさん……。私は、ただの人間では、ないのです」


 クサブキさんが軽く息を飲むのが分かった。


「私は、どうしても、自分の世界に戻り果たさなくてはならない務めがあるのです。私は、私だけのものでは、ないのです」

「……何となくは、分かっていました」


 クサブキさんの声はあまりに寂し気で、私の胸は抉られる。


「それでも、私はあなたに、私の想いをお伝えしたかったのです。……たとえ、受け入れていただけなくても」


 ただ、お会いできるだけで、良いのです。次の新月も、私と会っていただけるでしょうか。

 彼の問いに、私はうつむいたまま、黙ってうなずく。


 3月の満月は、いつの間にかおぼろ月になっていた。

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