第4話

 父の戦死が伝えられてから一週間が過ぎた。

 相変わらず王国には重い空気が循環しており、すれ違う人々の表情は一様に暗く、とても生気に満ちているとは言い難い姿をしている。

 国王は魔王への対応策に難儀しているらしく、国民の現状を知っても満足な対処を実施できていない。

 当然、勇者が亡くなったのだから、次回の討伐には新しい勇者が必要となる。そして、その新しい勇者になるべきは……。


 俺は、王国の近くに存在する小さな森の秘密の場所、薄暗い森の中で唯一陽の光が射し込む場所で芝生の上に寝転がりながら懊悩していた。

 頭の中では延々と父さんの言葉が繰り返し再生される。

 『もし、俺が帰らなかったら、その時は魔王討伐を頼むぞ』

 父さんの願いだ。勿論叶えてやりたい。けれど俺の武力では不可能だ。情けない事に、父さんに全てを任せて鍛錬を怠っていた俺には、とても魔王と渡り合うだけの力があるとは思えなかった。

 ……しかし、それでも決意した。魔王を倒す事を。今この瞬間、頭を悩ませているのは“勇者を目指す、目指さない”ではなく、“どうすれば短期間で強くなれるか”である。

 立ち上がり、腰に携えた剣の柄を右手で握り、左手で鞘を押さえる。次に、勢いよく剣を引き抜き、続けざまに横へ一閃薙ぎ払うと、風を切る音が微かに聞こえた。

 「ここにいましたか、随分探しましたよ」

 一閃により生じた音とは別に、背後から声が聞こえた。澄んでいて心地の良い響きを持った女性の声だったが、俺にはこんな声色の知り合いなどいなかったはずだ。それに、秘密の場所の事は誰にも話した覚えはない。

 「誰だ? こんな場所まで俺を探しに来る奴に心当たりはないが」

 悠然とした動作で振り返り、背後に立つ人物を見据えた。

 声の主は黒いローブで全身を覆っており、顔を窺う事はできない。分かる事といえば、身長が自分と同じくらいある事と、ローブから伸びている艶やかな紫色の長髪から清潔さを感じるくらいだ。

 振り向いた事によって何かを喋り始めるかと思ったが、予想に反して彼女は沈黙を守り、二人の間には気まずいような無言の時が訪れた。

 ――いったい、なんなんだ?

 やがて、彼女は何かに落胆したかのような小さな溜息を吐いた。

 「……貴方がレン殿で間違いありませんね?」

 「ああ、そうだ。君は誰だ? 王都の外の、こんな辺鄙な場所を訪れるあたり、警戒の任に就いている兵団の人間か?」

 「いえ、違います。王国の兵団とは関係ありません」

 「では、いったい何者だ?」

 「申し遅れました。私はサロリア=レオーネと申します。サイ殿の戦死を知り、次期勇者の筆頭候補であるレン殿の援助をしようと、この場に参上致しました」

 ローブに身を包んだ彼女は迷いのない口調で言葉を続ける。

 「失礼ながら、現状のレン殿では魔王はおろか、一介の魔者の相手すら厳しいと察します。このままでは、人類滅亡は必至です。もはや、逃れる術はないでしょう」

 これには少し頭にきた。

 確かに正論だと思うが、見ず知らずの女性にそんな事を言われる筋合いはない。大体、そういう言葉は自分より強い人間にしか使用を許されないはずだ。

 「言ってくれるじゃないか。そこまで言うのなら、あんたは相当の腕を持っているんだろうな? 手合わせしてみるか?」

 反射的に、サロリアと名乗った女性の口から、再び小さな溜息が漏れた。

 「レン殿と私の間には戦わずとも分かる程の実力差がある事に気づかないのですか? 運や条件によって覆るような力関係ではなく、絶対的な力量差がある事に……。まあ、いいでしょう。分からないのであれば、理解して頂くまでです」

 ローブを纏ったままの彼女は肩幅に股を開き、両足の感覚を開け、左足を少しだけ前に出した。両手は腿の横に平手の状態で付けている。

 「お好きなタイミングで来て頂いて構いませんよ」

 構えるわけでもなく、直立しているだけの隙だらけな彼女は、ともすれば戦意喪失した人間のようにも見えるが、先程のような台詞を吐いたあたり勝利を確信しているらしい。ならば女性だろうと手加減してやる必要はない。簡単に制圧して一泡吹かせてやろう。

 ただ、流石に剣を使うのは危険だと考え、刃を鞘に納めて足下にそっと置いた。

 「おや、剣を使って頂いても構わなかったのですが」

 「間違って見ず知らずの奴を殺しちまったら寝覚めが悪いからな」

 またこれだ。この見下したような態度が非常に鼻につく。

 「……悪いな。一発だけ殴らせてもらう」

 「申し訳ございません。聞きとれませんでした。もう一度お願いできますか?」

 その瞬間、頭の中で何かが切れる音が聞こえた気がした。

 気づけば、土を蹴り、ローブの女性に向かい全力で駆け出していた。

 「一発殴らせてくれって言ったんだよ!」

 一気に間合いを詰め、サロリアが腕の射程範囲に入る一歩手前で右の拳を強く握る。そして、握った拳を次の一歩を踏み込むと同時に突き出した。

 だが、直線軌道の攻撃は、近寄ってきた小さな虫を遠ざける時と同じような動作でサロリアの掌によって軽く払い除けられた。

 サロリアは動作を止めず、空いていた右手で掌底を繰り出そうと身構えた。

 ――しまった。

 一撃で全てを決めようと思っていた俺は隙だらけの体を晒しており、その光速の攻撃を避ける術も、防御する術も持ち合わせていない。

 一度瞬きをすると、次に眼を開いた時には体が宙に浮いており、体感した経験のない速度で右手を突き出したサロリアから遠ざかっていく。

 ようやく尻から地面に着地すると、サロリアが少し遠くで俺を見下ろしていた。

 ――突き飛ばされたのか?

 痛みは、ほとんどない。少し尻が痛むだけだ。切れてもいないようで安心した。

 「失礼しました。手加減をさせて頂いたつもりですが、お怪我はございませんか?」

 「……『手加減』?」

 「ええ。少し押すだけのつもりが、突き飛ばす形になってしまったので」

 俺は本気だった。女性だからどうとかではなく。本気で殴るつもりだった。しかし、彼女は本気の俺を手を抜いた状態で軽く退け、それでいて『やりすぎた』と後悔している。

 紛れも無い実力差がある事を、この時になって初めて理解した。

 例えるなら捕食する側とされる側。サロリアが肉食動物であれば、俺は草食動物であり、対峙した時の勝率など、考えるまでもない。

 「それで、お怪我はございませんか?」

 「大丈夫……みたいだ。あるとすれば、突き飛ばされた時に打った尻が痛いというくらいだな」

 『ふう』と安堵の溜め息を吐いた彼女はゆっくりとした足取りでこちらへ歩み寄った。続けざまに手を差し出される。俺は深く考えず、素直に手を握り返し、引っ張られるようにして立ち上がった。

 「……突然殴りかかってすまなかった。俺に用があるんだっけか?」

 「ええ。初めにも言いましたが、私は貴方を援助するために訪れた――つもりでした。しかし、どうやらその目的は別のものへ変更されたようです」

 「その別の目的とは一体なんだ?」

 「貴方を勇者にふさわしい実力者に育てる事。貴方はもっと強い人物だと思っておりました。幼少より先代勇者・サイの指導の下、過酷な鍛錬を積み、跡を継ぐ者として育てられてきた稀代の実力者であると。ですが、それは私の勝手な妄想だったようです」

 耳が痛い。一見して温厚そうな彼女がここまで言うという事は、相当に気に入らないのか、失望しているのか、いずれにせよ激情を煽るほどの事実なのだ。

 幼い頃から父に頼ってきた。頼りっぱなしだった。サロリアの言う通り、勇者となるために必要な鍛錬も一時は行なっていたが、いつの間にか厳しい鍛錬を拒絶するようになっていき。最終的にはやめてしまった。

 意外なことに、父は俺の拒絶を文句一つ言わず受け入れてくれた。

 「ですが、まだ遅くありません。私が命を賭して、貴方を勇者にしてみせます。私と共に、歩んで頂けますか?」

 まっすぐに俺の顔を見据えるサロリアを見つめ返す。純粋な彼女の視線と、落ち着きの無い俺の視線が交錯する。

 瞬間、気恥ずかしさを感じ、反射的に目を逸らした。

 ――そんな感情は捨てろ。

 それは、本心から生まれた言葉。

 ――これは千載一遇の好機だ。逃せば、何も始まらず、何も終わる事はない。

 理解している。しかし、こんな怪しい女性を信じて良いのだろうか。

 ――迷っている暇などない。お前には、やるべき事があるだろう?

 脳裏に、再び父の声が木霊する。

 『もし、俺が帰らなかったら、その時は魔王討伐を頼むぞ』

 そうだ――父に誓ったんだ。

 父はいつも優しかった。勇者として生まれた俺に、勇者になる事を強要せず、自由に生きる権利を与えてくれた。

 ――なんとしてでも、父の仇を討たなくては。

 気づけば、俺は弱気な声でサロリアに語りかけていた。

 「本当に、遅くないのか? これまでの十九年間、周囲の人々の優しさに甘えて生きてきた。苦しい事、つらい事から目を背けて、楽しい事にばかり気を向けてきた。今になって、唐突に勇者になりたいと思ったところで、本当になる事ができるのか?」

 逸らしていた視線を再び重ねた。すると、サロリアが頬を緩め、柔らかな笑みを浮かべてみせた。

 「貴方は特別な人間です。貴方の中に流れる勇者の血が、貴方の決意に答えてくれる事でしょう。……もう一度尋ねます。私と共に、歩んで頂けますか?」

 投げかけられた質問に対し、逡巡する必要は既になかった。

 「よろしく頼む。サロリア」

 「ええ。こちらこそ、よろしくお願いします」

 この日、十九年の甘えた時間を断ち、俺は、勇者となるための第一歩を踏み出した。


 サロリアと出会い、早くも一ヶ月の時間が過ぎようとしていた。

 この一ヶ月の間には、世間の情勢に様々な変化があった。

 まず、魔王の動向についてだが、国王からの直々の発表があった。現在は魔王の下僕である魔者の数が減少の傾向にあり、国民による目撃件数も同様に減少しているようだ。魔者が激減した事実が、父の率いた討伐隊の活躍に起因するのか定かではないが、個人的には、そうである事を信じようと思った。

 国王は魔者が激減している現象に対して何かの前兆ではないかと警戒しており、兵団による国全体の警備を強化した。防御に徹し、次の討伐隊を編成するまでの時間稼ぎを行なう事が目的のようだ。

 しかし、あれ程の実力者であった先代勇者が亡くなった直後である。自ら討伐隊に志願するような人間はいなかった。……一人の例外を除いては。

 また、国王は自国の意気消沈している状態は一時的なものだと読んでおり、時期は未定だが再び武闘大会を開催する旨を発表した。

 前回大会と同様に、優勝者を勇者と称し、次期討伐隊の隊長に任命する所存との事だ。


 武闘大会の開催連絡から一週間後――世間の人々に活気が復活してきた頃、俺は街外れにある小さな森の秘密の場所。俺と“彼女”しか知らない場所にて“彼女”の指導の下、武闘大会覇者を夢見ながら、日課となった鍛錬を積んでいた。

 「素晴らしい成長速度ですね。では、そろそろ実戦訓練に移りましょう。実戦訓練ともなれば、私も得物を使用させて頂きますので、ご了承ください」

 「得物……? 得物って、もしかして“それ”の事か?」

 サロリアが両手で握っているのは、どこにでも生えている木の枝。

 丈は彼女の身長程もあるので大木の一部だったのかもしれないが、こんな物を得物と表現して良いのだろうか。

 仮に、俺が徒手状態ならば、大木の枝と言えど武器になり得よう。けれども、俺の手には亡くなった父さんの形見である紅蓮模様の鞘に納められていた抜き身の長剣が握られている。

 いくら大木の物とは言え、所詮は木の枝。この剣ならば、触れただけで切断できるはずだ。そんな脆い物を、果たして得物と呼んで良いのだろうか。

 「しかし、本当に驚きました。一ヶ月ほど前の鍛錬初日は素振りを百回もすれば呼吸を乱していたレンが、今ではこうして私に武器を使わせている……。子の成長を感じて喜ぶ親の気持ちを理解しました。非常に感慨深いです」

 ――もしかして、いま俺は馬鹿にされているのか?

 サロリアと共に過ごし始めてまだ日は浅いが、彼女は時々皮肉を言う。

 悪気が無い事は理解している。サロリアとはそういう人物なのだと思えば、不思議と怒りは沸いてこない。

 「褒め言葉として受け取っておくが、その棒切れで何をするんだ? いくらサロリアでも木の棒で真剣に立ち向かう行為は無謀だろ」

 「つまり、私に勝てると豪語するわけですね。大した自信です。兎に角、百聞は一見に如かずという言葉もあります。口で説明するより身を以って体験した方が早いでしょう」

 背後を確認せず、サロリアが後方へ跳躍した。

 手に握った棒切れが俺の得物に勝る点など、丈の長さくらいだ。恐らく、丈を生かして戦うために俺との距離を広げたのだろう。

 ならば、望み通り此方から近寄り、距離を縮めて棒切れによる攻撃行動を誘えばいい。棒を振ってきたら剣で両断し、武器を失ったサロリアに対して圧倒的優位な立場となってから追い詰めれば問題ないはずだ。

 もっとも、少し前の俺ならばサロリアの腕の動きすら見切れなかったと思うが、今は違う。

 今日まで過酷な鍛錬を強いてきた事に対する恨みを返してやろう。

 鍛錬を始めてから約一ヶ月。思えば、非道な扱いを散々受けてきた。

 ある日は倒れるまで王都の外周を走らされ、倒れた後は猟師が仕留めた獲物のように、自宅まで引き摺られる形で雑に運ばれた。

 ある日は痣だらけになる程硬い棒で叩かれた。ともすれば、暴漢に襲われた可能性を疑われかねない姿になった俺を見た母親は、『頑張っているのね』とだけ言って、以降は体の傷に対する感想を口にしていない。

 勿論、これらが自分の怠惰が招いた結果である事は理解しているし、サロリアの助力によって実力が急成長している事も認める。それでも、棒切れ一本で俺に勝ると確信しているサロリアには、俺が十分強くなった事を証明してみせる必要があるだろう。

 「サロリアが思っている以上に俺は成長しているはずだ。それを証明してみせる」

 一歩前に出した左足に力を入れ、腰を屈めて重心を前に移動する。

 「行くぞッ!」

 右足で強く地面を蹴り、サロリアとの間合いを瞬時に詰める。

 棒切れの射程に入ると、当初の予想通り顔を目掛けて棒が接近してきた。

 辛うじて視認できた棒切れの動きを捉え、反対方向から剣を薙ぐ。

 次の瞬間、右手から迫ってきた棒切れの中心から先端が顔を掠めて左後方へ飛んでいき、中心から根元の部分だけがサロリアの手元に残った。

 ――隙だらけだ。いける!

 右足を蹴り上げ、渾身の一撃をサロリアの腹部へ叩き込もうとすると、突如として発生した左方向からの強い衝撃により体が宙を舞った。

 右足は、腹部に接近するどころか遠さかっていく。そのまま一度も地面に足が着く事もなく、右方に生えていた大木に体を強く打ちつけ、滑るようにして地面に倒れた。

 サロリアが慌てた様子で近寄ってくる。

 「申し訳ございません、少々手加減を忘れてしまいました。……しかし、驚きましたね。既に私の動きがあれだけ見えているとは……。やはり、その“剣”の力は相当に絶大なようですね。これならば、勝機は十分あるかもしれない……」

 サロリアがぼそぼそと独り言を呟いているようだったが、俺には彼女が何を言っているいるのか理解できなかった。

 代わりに、自分の身に何が起きたのかは、彼女の左手に握られた半分の長さに縮んだ棒切れを見て理解できた。

 「その……棒か……」

 風の音に消えてしまいそうな俺の声が届いたのか、サロリアが求めていた回答を告げる。

 「元々は、初めの一撃で迎撃しようと考えておりました。棒切れを避けるのではなく、切断を試みるだろう事は想定していましたが、動きを捉えられる事はないだろうと思っておりましたので。ですが、予想に反して切断されてしまったので、咄嗟に片割れを横に薙いだのですが、咄嗟だったが故に手加減する事を忘れてしまいました」

 ――ああ、俺は、まだまだ、だな……。

 自分の身に何が起きたのか理解し、依然として開いたままのサロリアとの実力差を悔しく思いながら意識を失った。

 

 それからも、苦しい鍛錬の日々は続いた。


 月が完全に雲に覆われた漆黒の丑三つ時、王都を外敵より守る目的で建造された外壁の上でうたた寝を繰り返す間抜けな見張り番の姿があった。

 草木も眠る時間と言えど、正門たる北門に面するこの場所で警備を怠って居眠りをするなど、気が抜けているにも程がある。

 「おい、お前。間抜けな顔をして夢を見ている場合か? 眼を開けて外を見てみろ」

 「……ん、なんだ、お前」

 「いいから前を見てみろ」

 間抜けな兵士の見据えた先、平原の彼方には不気味な霧がゆらゆらと揺れている。

 更に眼を凝らせば、それが大きな霧ではなく、幾重にも重なった漆黒の“影”である事を理解できるはずだ。

 兵士は、目を細めて“影”を視認したようだったが、その正体に合点がいっていない様子だ。

 「あれは、何だ?」

 「なんとも平和な脳みそを持っているんだな。お前達兵士は一体何から王都を守っているのか考えれば、すぐに分かる事だろう」

 「なんでそんなに偉そうなんだ? つか、あんた誰だ?」

 どうでもいい会話を続けている間にも、“影”は進軍を続け、視認できる体積の大きさが瞬く間に増していく。

 こんな男と、悠長にくだらない問答をしている場合でない事は明白だ。

 「いいか、あれが魔者だ。分かったら急いで応援を呼びに行け!」

 「魔者? …………魔者!」

 “影”の集団には、怪しく光る不気味な赤い瞳が幾つも見えた。

 実際に目の当たりにするのは二回目だが、魔者の特徴である漆黒の影と赤い双眸を持つ事から、あれらが魔者なのは確実だろう。

 「お、俺、とりあえず応援を呼んでくる!」

 「それがいい。急いで落ちるなよ?」

 兵士は、外壁の内側に沿って造られた長い階段を慌てて下っていった。

 ――サロリアを待たせている。早く城門を開けないと。

 

 正門を開けて下へ降りると、階段の最下段に面した外壁に背中を預けてサロリアが待っていた。

 「先程、兵士の方が慌てて降りてきましたが、何かあったのですか?」

 「新兵だったのか知らないが、魔者を見たのが初めてだったらしい。ひどく狼狽した様子で応援を呼びに行ったが、正直間に合わない可能性が高いだろう」

 「数はそれほど多くないのでしょう? では、私達二人で十分です」

 サロリアは右肩と右腕で外壁に立てかけてあった身長よりも丈の長い槍を抱え、正門の方向へ駆けていく。彼女が得意とする武器が長槍であると知ったのは、つい半年ほど前の事だ。

 「レン、行きますよ」

 「分かってる!」

 開いた正門の先には、城壁の上から見た時と同じように真っ赤な光が幾つも不気味に蠢いていた。その軍勢へ向かい、俺とサロリアは正面から突進する。

 走りながら腰に携えた柄を握れば、少しだけ心の内にあった恐怖の感情が消えてなくなった。

 刃の射程に最初の魔者が入った瞬間、鞘から抜刀すると同時に漆黒の影を斬り裂くと、影は手にしていた漆黒の剣と共に霧散して夜の暗闇へ溶けていった。

 その後も華麗に敵の動きを避けながら、次々と影を斬り刻み……。

 先程の間抜けな兵士が応援を連れて駆けつける頃には、一匹残らず魔者の駆逐が完了していた。

 

 かねてから宣言されていた通り、王都より武闘大会の開催に関する連絡があった。

 当初の予定通り、大会の覇者は勇者の称号を継承すると共に、討伐隊の隊長に任命されるらしい。

 当然、俺は参加を表明したが、意外な事にサロリアも参加するようだ。

 一年前と比べれば、見違える程に成長したと実感してはいるが、それでもサロリアには未だに一度も勝った事はない。サロリアが出場すれば、勇者となるのは俺ではなく彼女だろう。

 だからこそ、俺はこの一ヶ月で彼女より強くなる必要があった。

 この頃になると、連日のように実戦を想定した訓練を行なっていた。他人には殺し合いにしか見えないような壮絶な訓練内容である。

 薄暗い森全土を行動可能範囲として、相手を見つけ次第、戦闘続行が不可能な状態に制圧するという単純明快かつ危険なこの訓練を始めて早一ヶ月。決まって敗北するのは俺の方であったが、サロリアが言うには『経験の差』との事だ。

 当の本人からしてみれば、それだけが原因であるとは到底思えないのだが。サロリアの言葉となれば、疑う必要は無い。ここまで強くなれたのは全て彼女のおかげである。彼女の言う通りにしていれば、何も問題はないのだと、自分に言い聞かせた。

 不意に殺気を感じ、周囲に対する警戒を強めた。少し忘れかけていたが、現在も訓練の最中であった事を思い出す。

 余分な思考を全て遮り、耳を澄まして物音から相手の位置を探る。すると、頭上から微かに木のたわむ音が聞こえた。

 ――上か。

 視線を上空へ向けると、深緑の葉の中から何かが飛来し、右足の付近に突き刺さった。 それは、サロリアの愛用している銅の柄と銀の穂先を持つ長槍であった。

 きっと、傍らに突き立ったこの長槍は直接俺を狙って外したわけではない。

 ――どこから来る?

 視線を忙しく移動させ、周囲の茂みを注視する。

 突如として長槍と同じようにサロリアが上空から現れた。

 俺は着地と同時に繰り出された踵落としを身を翻して寸前で避ける事に成功する。

 即座に反撃に転じようとした時、サロリアは両手で槍の柄を握り、それを支点として体を振り子のように大きく回し、遠心力を使った蹴りをしかけた。

 攻撃の隙を逃し、急いで反撃の姿勢から防御の姿勢へ移行したが、予想される衝撃に対しては防御は無意味だと判断し、咄嗟に身を屈めた。

 すると頭上から風切り音が聞こえ、上手くかわした事を確信する。

 ――今だ!

 今度こそ隙が生まれたと判断し、即座に剣を引き抜き、正面に振り下ろす。

 しかし、必殺の一刀も、サロリアを捉える事は叶わなかった。

 眼前のサロリアは、少し頬を緩ませながら、両手で握った槍の柄で俺の剣を受け止めている。

 これ以上の競り合いは体力を無駄に消耗すると判断して一歩引くと、休む事なく再び一歩踏み込み、刃を横に薙いだ。

 けれども、既にサロリアは刃の間合いの外まで後退した後だった。

 ……それから、暫くの攻防を繰り返したが、敗れたのはやはり俺の方だった。

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