第19話
何もない、静寂に包まれた真っ暗な空間に佇んでいる。
四肢を動かそうとしても感覚がなく、脳だけが活動を続けている。
――俺は、やりきったのだろうか。
やれるだけの事はやった。全力だって出し切った。これ以上、俺にやれる事は何も残っていない。魔王には敵わなかったが、仕方ない。力の差が大きすぎる。
情けないが、もう体が動かない。どうしようもないんだ。そう自分に言い聞かせた。
「でも、彼女はまだ戦っているよ」
突然、聞き覚えのない優しい声がどこからか聞こえてきた。その声は、確かに聞いた事のない声だったが、どこか妙に懐かしい感じのする男の声だった。
聞こえてきた声に対し、口には出さず、脳内で返答する。
――俺だって、サロリアを助けてやりたい。でも、もう魔王を倒せる力が残ってないんだ。
「別に君が倒す必要はないだろう。君達は、二人で一人の勇者だろ?」
……そうだ。俺達は二人で一人の勇者だ。サロリアもそう言っていた。
――しかし、どうすればいい? どうすればサロリアを助けられる?
「私の剣を彼女に渡すんだ。きっと、今の彼女ならば、剣に込められた私の力を解放する事が可能なはずだ」
『私の剣』の指す物。それが何なのか、導かれるように頭の中に答えが浮かんだ。
――貴方は――。
「後は頼んだぞ。勇者よ」
重く閉ざされたはずの瞼が急に軽くなり、暗闇が支配していた世界が黒耀の床と壁、そして天井に囲われた部屋の中へと移り変わった。
闇の中で聞いた言葉の真意を確かめるように、自らの腰に携えた父親のそれではなく、もう一本の古びて”いた“剣へと目を向ける。その剣は、微弱な蒼白の光に包まれていた。
不思議な光に目を奪われていると、突如として前方から一層甲高い金属音が室内に響き渡る。
倒れたまま視線だけ音の聞こえた方角へ向けると、部屋の中央にサロリアの持っていた灰色の剣が突き立っており、その付近では禍々しい剣を振り上げた魔王と、武器を失ったサロリアが視線を交錯させていた。
「今度こそ終わりだな。もはや、かける言葉もない。さらばだ」
――考えている暇はない。
俺は蒼白に輝きを放つ剣を鞘ごと腰から外すと、緊張した面持ちで魔王の振り上げた剣先を凝視しているサロリアへと向けて投げつける。そして、余っている体力を全て消費するように、全力で叫んだ。
「サロリア! それを使え!」
彼女が俺の方向へと振り向いて蒼白の剣を受け取るのと、魔王が禍々しい剣を振り下ろしたのはほとんど同時だった。
刃を引き抜かず、咄嗟に鞘で防御を試みたのが功を奏し、サロリアは蒼白の剣で魔王の剣を受け止める事に成功した。
だが、魔王の絶大な力によってか、蒼白の鞘に幾つかの亀裂が生まれ始める。
亀裂は着実に広がっている。けれども、サロリアの握る剣から放たれる輝きは亀裂が広がれば広がる程強くなっていく。
やがて、亀裂が鞘全体に広がると、陶器が割れたような音が短く響き、鞘が砕けると同時に発生した衝撃波によってサロリアと魔王の間合いが離された。
サロリアの手には、輝きの収まった蒼色の柄と白銀の刃を持つ美しい剣が握られている。
「この力は……。そうですか、私を認めてくれるのですね」
「……なるほど、その剣はシンの物か。まだそんな隠し球を残していたとはな。だが、その力を以ってしても、私には勝てんぞ? 無駄な足掻きはよせ」
「無駄かどうかは、私が決めます」
サロリアと魔王は、再び互いへ向かって突進し、蒼白の剣と禍々しい剣は幾度も交わり、蒼白の剣は剣戟を打ち鳴らす度に蒼く煌いた。
サロリアの勇姿を瞳に映しながら、俺は動けないでいた。当然、疲労や痛みによる弊害でもあるが、それらに気づけないほど、彼女の戦う姿に見惚れていた。
蒼白の光を纏って暗黒に挑む彼女の姿は、俺が思い描き、憧れた“勇者”という存在そのものだった。
蒼白の勇者が再び暗黒に押され始めた。猛攻を続けていたサロリアは、再び防御に徹する形となり、一歩、また一歩と後退を余儀なくされている。
俺は無意識の内に自らの紅色の剣へと手を伸ばし、柄を握った。その時、先代勇者の声を聞いた時と同じように、脳の中に別の人物の声が響いた。
「さぁ、お前も行け、レン」
それは、久しぶりに聞いた父さんの声だった。きっと、俺自身の都合のいい思考が生んだ幻聴であったに違いない。それでも、魔王へ再び立ち向かう勇気と、力を取り戻すには、十分過ぎる程の言葉だった。
立ち上がり剣を構えると、即座に二人の戦う場所へと向かう。
「貴様! 何故、まだ立ち上がれるのだ!」
戦線に俺が加わると、サロリアと共に魔王へと剣を振り払い始めた。一太刀を入れては離脱、そして次にサロリアが同じように一撃離脱し、再び俺が攻撃を行なう。
「俺も勇者の端くれだからな! サロリアだけに任せていたら面子が丸潰れなんだよ!」
隙の無い連続攻撃を繰り返していた俺達は、魔王にトドメの一撃を浴びせるため、目で合図して、部屋に入った直後に行なった同時攻撃を見舞った。
すると、魔王も同じようにサロリアの剣を禍々しい剣で受け止め、俺の剣を咄嗟に生成した漆黒の剣を逆手に持って受け止める。
決定的に違ったのは、力が均衡している点だった。
徐々に漆黒の剣を押し込んでいくと、不意に魔王が雄叫びを上げ、剣を大きく振ってサロリアを弾き飛ばす。その時、俺の剣を受け止めていた力が緩んだ。隙を見逃さずに今度こそ正真正銘の全力を剣に乗せる。
一瞬だけ目を見開いた魔王だったが、紫の長髪を揺らしながら素早く身を翻し、紙一重の所で俺の刃をかわすと、雄叫びを上げながら反撃を繰り出してきた。
禍々しい剣による猛攻をなんとか避けていたが、どうしても回避の間に合わない横薙ぎを紅蓮の剣で受け止めると、物凄い衝撃波を受けて床を滑るように後方へと引き戻された。
吹き飛ばされている最中、魔王の背後に突然ある人物の姿が映り、反射的にその人物の名を叫ぶ。
「サロリア!」
蒼白の剣を両手で上空へ振り上げたまま、灰色の剣のすぐ傍で背を向ける魔王へと跳躍し、一息に剣を振り下ろしたサロリア。その刃の行く手は、またも魔王の握っていた禍々しい剣によって阻まれる。
地面に足をついたサロリアが前傾姿勢となって更に力を込めると、魔王は柄を握っていた両手の内、片方の手を片刃の剣の背を支えるために移動させた。
両手で剣を支える魔王は冷静だった表情を一転させ、憤怒の感情をあらわにして声を荒げ、サロリアを押し返そうとする。
「何故だ! 何故お前が勇者になれるのだ! 魔王の血を持つお前が何故このような力を!」
「血など、関係ありません!」
蒼白の剣は再び強く輝き放ち、先程とは比べ物にならない程の明るさで室内を照らしていく。
魔王の握る漆黒に複数の赤い光が不気味に輝く剣に、多数の亀裂が走った。
「お前はいずれ魔王となる存在だ! そうであらねばならんのだ!」
「私は――勇者だ!」
そして、禍々しい剣が砕け散ると同時に、部屋全体がサロリアの振り下ろした剣から放たれる蒼白の眩しい光に包まれた。
視界全体に広がっていた光が収まると、部屋にある壁の隙間から明るい光が差し込んでおり、隙間の奥には霧に覆われていた事が嘘のように、雲一つ無い清清しい青空が広がっていた。
差し込んだ陽光は黒耀石に正しい輝きを与え、薄暗かった部屋は随分と明るくなっている。部屋の中央には、両手で握った剣を振り下ろしたまま魔王を見据えるサロリアと、肩から腰にかけて肉体を深く斬り裂かれ、大量の血を流しながらも直立してサロリアを見据える魔王の姿があった。
やがて、一切の音が消失した無音の空間の中で、魔王が自らの血液によって作られた水溜りの中に倒れた。
「行きましょう、レン」
その過程を黙って眺めていたサロリアは、鞘を失った蒼白の剣を握ったまま踵を返し、部屋の中央に突き刺さっていた灰色の剣を抜くと、流麗な動作で腰に携えていた灰色の鞘へと納めた。
俺はサロリアの下まで歩み寄って隣に並ぶと、視線の先にある部屋の入口へと向かって一歩踏み出した。
「……待て、サロリア」
入口にある扉に向かって歩き出そうとした時、聞こえるはずのない、既に絶命したはずの魔王の声が背後から響いた。ただ、その声は非常に力の無い物だった。
振り向くと、血に染まった手を地面に突き立てながら、必死に体を持ち上げようとする魔王の姿があった。
――まだ生きていたのか。
トドメをさすため、一度鞘にしまった刃を引き抜こうと柄に手をかけようとした。だが、意外にもそれは黙したまま魔王を見据えるサロリアの手によって制止された。
魔王は片膝を付き、顔を伏せた状態で言葉を続ける。
「……その剣を渡してくれないか」
顔を上げた魔王の視線の先にあったのは、サロリアが手にしている蒼白の剣――ではなく、腰に携えた灰色の剣の方だった。
少しの逡巡の後、サロリアは魔王の見つめる灰色の剣を鞘ごと腰から外すと、地面にひれ伏す魔王へと歩み寄り、彼の目の前に差し出した。
俺は、二人の様子を観察しながらいつでも助けに入れるよう、目を凝らし、魔王の一挙手一投足に細心の注意を払う。
「……すまないな。この剣は、元々私が使っていた物なんだ。それを今ではお前が持っているのだから、運命とは実に奇妙なものだな。……サロリア、この剣はどこで手に入れたんだ?」
「フリルが焼き払った村を警備していた兵士の形見です。彼の死に際に偶然居合わせた私が、彼の手から直接譲り受けました」
「そうか……。恐らくその男は私が直接この剣を渡した男だ。魔王の意志に飲まれる寸前、最後の良心を振り絞って自分の剣を託したのだが……そうか、私は彼すらも手にかけてしまったのか。……サロリア、少し離れていてくれないか」
サロリアが一歩後退すると、魔王は両膝を曲げて正座し、依然として大量の血を体から流しながらも傷を押さえるような動作はせずに、左手に鞘、右手に柄を握って灰色の剣を慎重に引き抜いた。
「昔、私にも勇者に憧れていた時期があった。いつか、再び魔王が現れたら戦いに参加できるよう準備しておこうと、その為に手にしたのが、この灰色の剣だった。……そう考えていた私自身が魔王となっているのだから、愚考もここに極まれりだな」
魔王は左手に持っていた鞘を地面に置き、右手を伸ばして剣を水平に構えた。
「魔力を大量に内包していた事により、私の体はこれだけ致命的な傷を負っても未だに死を受け入れるつもりはないらしい。このままでは、私の体を媒体に再び魔王が復活してしまう可能性がある。そうなる前に、私は自らの手で魔王を完全に抹消させようと思う。サロリア、身勝手な事を頼んで申し訳ないが、この剣を私に譲ってくれないか?」
「構いません。それは元々、貴方の剣ですから」
「感謝する。……サロリア、よくぞ魔王を倒してくれた。お前は私の唯一の誇りだ。それと、お前には父親らしい事は何もしてやれなかったな。すまなかった」
「そんな事ありませんよ。父上は、最後に立派な姿を見せてくれました。私は、この命が尽きるその日まで、今日の事は決して忘れないでしょう。完璧とは言えなかったかもしれませんが、私にとっては尊敬できる父親です」
「『父親』、か……。では、さらばだ、我が娘よ! そして若き勇者よ!」
魔王――いや、ヴェインは水平に構えていた剣の先を自らの腹部へと向けると、一息に突き刺し、更には空いていた左手で柄を押して刃を押し込んだ。
灰色の剣は根本まで腹部に突き刺ささり、背中から天井に向かい鮮血に染まった刃が突き出た。
凄惨な姿に変貌したヴェインだったが、表情だけは何か満ち足りたような微笑みを浮かべており、それを見た俺の頬も自然と緩んだ。
「さぁ行きましょう、レン」
隣に立ち、同じように微笑みを浮かべているサロリアが視線を向けている。
俺は答える代わりに頷くと、共に入口の扉、そしてその先にある階段を目指して歩いていった。
最後にもう一度だけヴェインの姿を目に焼き付けようと思い、開いたままの扉の先で息を引きとった彼を一瞥した。
――貴方も、立派な勇者だ。
それから、壁の隙間から漏れた光を反射させた階段を、二人でゆっくりと下っていった。
一階まで下りると、破壊された塔の入口からは目が眩むほどの光が差し込んでいた。
周囲の様子を窺うと、陽光に照らされて輝く黒耀石の床の一角に“彼女”の姿を見つけ、壁に背中を預けて剣を握ったまま静止している“彼女”の下へと歩み寄った。
ソラは、ヴェインと同じように、偽りない笑みを浮かべたまま息絶えていた。
「こんな表情されて死なれたら、悲しむより安堵してしまうな」
「ソラ……ありがとうございます。約束は果たしましたよ。ですから、安心して眠ってください」
血の気を失った彼女の顔を眺めていると、次第に大きくなっていく幾つもの足音に気づき、視線を入口の扉があった方角へと移した。
足音の主は、最寄の村で出会ったクレイさんと、彼の部下と思われる兵士達だった。先頭を走るクレイさんの背中を、兵士達は必死の形相を浮かべて追いかけている。
彼らは俺達を確認すると、一様に微笑みを浮かべた。その姿を見て、改めて実感した。
――すべて、終わったんだな。
「レン……。その……、一つお願いがあるのですが……。聞いていただけますか?」
不意に隣から声をかけられサロリアを見据えると、少し頬を赤く染めた彼女が堅い笑みを浮かべたまま俺の顔を見つめていた。
「な、なんだ?」
「現時点で私には特にやるべき事がありません……。もしよろしければ、私が何か目的を見つけるまで、またレンの家に……お世話になりたいのですが……」
――なんだ、そんなことか。
「構わないよ、きっと母さんも快く了承してくれるだろう。あと、俺からも一つお願いがあるんだ」
「レンから私に……? なんでしょうか?」
「“目的”が無いのは俺も同じだから、どちらかの“目的”が見つかったら、達成するために協力してほしい。そして、協力させてほしい」
サロリアは堅い笑みを解き、軟らかく、優しい笑みを浮かべて答えた。
「無論です。私達は“二人で一人”。これからもよろしくお願いします、レン」
まるで告白のようなやりとり(本当に告白だったのかもしれないが)を終えると、俺達は塔の入口へと向かって一緒に歩き出した。
入口の手前に立つと、隣に立つサロリアと顔を見合わせた。
「帰ろう、サロリア。俺達の家へ」
塔を発って太陽が十四回巡った後、俺達は大歓声に迎えられて王都に無事帰還した。
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