第18話

 どれくらい上ったのだろうか。

 果たして、本当にこの階段に終着点はあるのだろうか。

 階段を上りきって次の階層に着けば、目の前にはまた上階へと続く階段が現れる。そしてまた、上るために一段目に足を乗せる……。

 同じような景色ばかりが続いているため、本当に自分が上へ向かっているのか不安になるが、隣接する壁に空けられた隙間から外の様子をうかがえば、着実に塔の最上階へ向かっているであろう事を理解でき、同時に自分が立っている位置がいかに高い場所であるか認識させられる。

 ただ、階段の件とは別に、一点だけ懸念している事がある。

 「それにしても、どうして魔王が最上階で待っていると分かるんだ?」

 “魔王”と呼ばれる存在が、ご丁寧に最上階で勇者の到着を待っているというのは考え難い。確実に勇者を倒したいのなら、罠などを仕掛けて奇襲した方が懸命であるはずだ。

 「魔王はそういう人間なのです。前回も、サイ殿が塔に入ってからは奇襲をせずに最上階で彼の到着を待っておりました」

 「随分と自信があるんだな」

 「実際、魔王の強さは常軌を著しく逸しております。ですが、私とレンならば、勝機は必ずあるはずです」

 階段を踏みしめる音に会話を混ぜながら、また一階層上へと進んでゆく。その階層を更に上へ進むと、そこに次の階層へと続く階段は存在せず、代わりに塔の入口にあった木製の扉と同様の高さと幅の扉があった。材質は鉄であり、塔の入口よりもやや頑丈に造られている。

 扉の前でサロリアと同時に足を止めると、一切音の聞こえない完全な静寂が空気を支配する。まさに、嵐の前の静けさと言ったところだろうか。

 目の前にある一枚の板を隔てた向こう側に、全ての元凶であり、父さんの仇でもある魔王が居る。そう思うと、使命感や憎悪を初めとした様々な感情が心の中で渦巻いた。

 ――きっと、サロリアも同じだろう。

 少しだけ、ほんの少しだけ続いた静寂を破るように、サロリアが両開きの扉の内、右側の扉へと手を付けた。

 「さぁ、行きましょう、レン。ソラ殿も下で待っています」

 サロリアの言葉に対して無言で頷くと、俺は彼女と同じ動作で左側の扉へ手を付ける。そして、同時にそれぞれの扉を押し、部屋の中へと足を踏み入れた。


 部屋の中は王都にある闘技場の半分程の広さであり、加えて机や椅子といった調度品は一切存在しなかったため余計に広く感じた。

 壁には所々に長方形の穴が開いており、扉の正反対に位置する壁の隙間から、サロリアと同じ紫色の髪をした一人の男が腕を後ろで組み、直立したまま外の景色を眺めていた。

 男の姿を眼に映したサロリアは唐突に黒耀の床を蹴り、視線の先で背中を見せている人物へと向かって突進してゆく。

 床を足で踏み鳴らしながら剣の柄を握り引き抜くと、両手で上段に構えた。

 魔王の後ろ姿を射程に捉えると、彼女は一息に刃を振り下ろす。しかし、走った灰色の閃光は、振り向くと同時に魔王が引き抜いた剣によって消滅し、二つの刃は十字に重なり合う形となった。

 魔王は片手、サロリアは両手で柄を握っていたが、双方の力量は均衡しており、二本の刃は微動だにしない。

 唐突に魔王が気合の声をあげると、剣と共に弾かれたサロリアが中央まで吹き飛ばされた。けれども、なんとか空中で体勢を立て直し、膝で衝撃を吸収して着地した。

 俺は彼女の立つ場所まで駆け寄り、腰から紅蓮の鞘に納められた刃を引き抜くと、魔王へと剣先を向ける。すると、魔王は悠々とした動作で此方へ体を向けた。

 魔王はサロリアと同じ紫色の髪を背中まで伸ばしており、鋭い眼光を宿した双眸を持ち、その身を見るからに頑丈そうな造りの漆黒の鎧に包んでいる。

 「久々に会ったというのに随分ご丁寧な挨拶だな、我が娘サロリアよ。親と再会をする時にはまず第一に斬りかかれなどと教えた覚えはないが?」

 「そうですね。確かに私も貴方に教えて頂いた覚えはないです」

 「ふむ。だが、正しい選択だと評価しよう。殺害する相手に情が移るより早く、速やかに目的を達成しようとする考えは実に合理的だと私も同意する」

 魔王は言葉に反して魔者を彷彿とさせる色合いの片刃の剣を下ろすと、俺には目もくれず、サロリアだけを見据えて言葉を続けた。

 「しかし、何も知らぬまま死んでいくのは些か理不尽というものだろう。冥土の土産に知っている事は全て教えてやる。何か質問はあるか?」

 「……確かに、何も語らずに死ぬのは理不尽だな。遺言ぐらいは聞いてやるから、好きなだけ喋るといい」

 「貴様は……」

 蚊帳の外にされていた事に対して憤りを抱いた俺が煽りを入れると、その時になってやっと存在に気づいたかのように、魔王の睨むような眼光を正面から浴びせられた。

 「……そうか、貴様が次の勇者か。先代は寡黙だったが、貴様は随分とお喋りだな」

 「黙れ魔王。父さんの仇としてお前は俺が殺す」

 「ほう、貴様は先代の息子か。道理で若いわけだ。……それにしても『魔王』か。私は外界ではそう呼ばれているのだな。なるほど、魔の力を扱う王である私の呼称としては正鵠を得ている。しかし私にもヴェインという名前があるのだ。既に顔すら思い出せぬ生みの親から名づけられた物だが、以後はその名で呼んでくれても構わんぞ?」

 魔王の戯言に対して特に返答するわけでもなく、無言で剣先を向けたまま呼吸を整えていると、サロリアも同じように剣先を魔王へと向けた。

 「行きますよ、レン。二人で一気に決めましょう」

 「了解だ」

 同時に床を蹴った俺達は、左右に広がりながら魔王との距離を詰め、二方向から同時に攻撃をしかけようと試みる。

 「懸命な判断だな。二人を同時に相手するとなれば、私も苦戦を強いられるかもしれない。これならば少しは楽しめそうだ」

 魔王の言葉など意に介さず、俺とサロリアはそれぞれの剣の射程に魔王を捉えた瞬間、俺は下段に構えた剣を斬り上げ、サロリアは上段に構えた剣を斬り下げて左右方向からの同時攻撃を放った。

 躊躇いなどなく、互いに気合を上げて攻撃を繰り出した。

 魔王の剣は一本、従って両方の斬撃を同時に防ぐ事は不可能なはずである。ならば、どちらかの刃が彼の体を両断するはずだ。

 渾身の力を込めて振り上げた俺の剣は、魔王に触れるより先に動きが止まった。という事は、サロリアの攻撃が魔王を亡き者へと変えるだろう。

 しかし、反対側の様子を確認すると、サロリアの灰色の剣もまた魔王の鎧の手前で静止しており、部屋に入って最初に刃を交えた時と同じように、二本の刃で十字を作っている。

 魔王の剣がサロリアの攻撃を防ぐために使用されているならば、俺の剣は何故先程から力を入れているにも関わらず動かないのだろう。そう疑問に思い、魔王に向けていた殺意の眼差しを落とし、手元から伸びる剣へと向けた。そこには、自分の剣の行く手を阻む、魔者の持っている物と同じ形状の剣を確認した。

 魔王は二つの刃を受け止めながら、内側から外側へと力を解放した。その衝撃を真正面から受けて体が宙を舞い、後方へと吹き飛ばされる。

 急いで体勢を直し、壁に両足を付けて衝撃を吸収すると、地面に着地して再び剣を構えなおす。同時に吹き飛ばされたサロリアも同じように受身を取り、地面に着地すると剣先を魔王へと向けて構えた。

 「浅はかだな。よもや、剣一本では防ぎきれぬだろうという安易な考えで左右方向からの同時攻撃を行なったのではあるまいな? 生憎だが、見ての通り魔王である私は魔力によって剣を生成する事も可能だ」

 そう言って魔者の剣を握っている手を小さく一振りすると、魔王の片手にあった刃が漆黒の粒子へと変化して空気に溶けて消滅した。

 魔王は手元に残っていた片刃の剣を俺へと向け、寒気のするような冷徹な眼差しで睨んだ。

 「今度は私から行くぞ。曲がりなりにも勇者ならば、この私を楽しませてみせろ」

 魔王は攻撃の宣言を終えると同時に地面を蹴り、俺との間合いを一気に詰め、反撃させる隙のない程俊敏な動きで剣を振るい続ける。

 一振りする度に黒い霧が刃の軌跡を辿って発生し、次の瞬間には嵐のような風圧が巻き起こる。こんな斬撃をまともに受ければ間違いなく一撃で絶命するだろう。故に、必死に避けながら反撃の隙が生まれる事を祈るしか選べる選択肢はない。

 ――だが、いつまで耐えればいい。

 既に肩で息をしていた俺の体力が限界を迎えるのはそう先の話ではない。この状態が続けば、いずれは体力が尽きて魔王の凶刃の餌食となるだろう。そんな不安を抱え始めた時、視界に魔王のそれとは違う艶やかな紫色の髪を持つ人物が映った。

 突如として視界の外から振り下ろされた灰色の刃を咄嗟にかわした魔王に対し、サロリアが彼に負けずとも劣らない素早く鋭い斬撃を幾度も繰り出す。

 「お前もやるようになったな、サロリア。だが無茶をするな。私と戦う前に体力が尽きてしまっては楽しみが減るだろう。今は体力を温存しておけ」

 斬撃の嵐を発生させていたサロリアの剣はいとも容易く魔王によって弾かれ、風が止むと同時に隙の生まれたサロリアの懐へ痛烈な蹴りが放たれた。

 呻き声を上げながら漆黒の床へ倒れこむサロリア。その姿を見た時、俺の中で何かが破裂し、一瞬にして疲労が吹き飛んだ。

 怒りに身を任せて魔王へ突進し、再び渾身の力を込めて剣を上から下へ振り下ろす。それを最小限の動きで易々とかわした魔王に対し、今度は下から上へと振り上げる。だが、それも魔王を捉える事は叶わない。

 諦めずにもう一度頭上から刃を振り下ろそうとした時、首をとてつもない力で掴まれ、体が宙に浮いた。

 「残念だ。甚だ悲しい。どうやら、貴様では役不足なようだ。その身の弱さを哀れみ、このまま帰してやってもいいが、もうこの世界に貴様達人間の居場所はない。だとすれば、私自らの手によって父の下へ逝く事こそ最大の幸福だろう」

 呼吸ができない苦しみから、全身に力が入らず、かろうじて振るった剣も魔王を掠める事すら叶わない。

 サロリアに助けを求めようにも、彼女は依然として地面に倒れたままだ。

 いよいよ意識が薄れてきた時、俺の体は魔王の腕を放れ、付近にあった壁面に向かって投げ飛ばされた。堅い黒曜石の壁面に叩きつけられた瞬間、強烈な痛みが背中から全身へと伝達される。

 朦朧とする意識の中、なんとか倒れた状態から立ち上がろうとしたが、体は主の命令を受け入れてはくれない。

 かろうじて地面に向けていた顔を上げると、視界に魔王の姿が映った。彼の片手に持った禍々しい片刃の剣は、真っ直ぐに俺へと向けられている。

 「さらばだ。“三人目の勇者”よ」

 逃げようにも、足は動いてくれない。

 防ごうにも、剣を握った腕は動いてくれない。

 もはや、魔王の殺意より逃れる術は、俺には残されていない。

 ――ここまでか。

 諦めかけた時、視界の奥でサロリアが起き上がるのを確認し、目を見開いた。その些細な動きに気づいたのか、魔王が剣先を俺へと向けたまま背後を振り返る。

 「無理をするなサロリア。お前はそこで勇者の最後を見届けるがいい」

 顔を伏せたまま直立しているサロリアは、何も答える事なく腰をかがめ、両手で剣の柄を握ると此方へ向かって駆け出した。

 「無駄な事を。まだ分からないのか、お前では私に勝つ事など叶わぬ」

 俺に向けていた剣先を移動し、サロリアの一太刀を防ごうと試みる魔王。

 二本の剣が交わった瞬間、禍々しい模様の剣が灰色に煌く刃によって弾かれた。

 初めて驚愕した表情を見せた魔王は、続けて繰り出された斬撃をかわすために側面へと跳躍する。サロリアは無駄の無い動きでそれを追った。

 

 窮地を逃れた俺は、集中力が途切れて瞼が重くなっていくのを感じていた。

 ぼんやりとした意識の中で、確かに聞こえたのは一人の憎き男性と一人の大切な女性の声、それと、途切れる事無く響き続ける金属音。

 「まだこれだけの力を残していたかサロリア。流石は我が娘だ。お前さえ良ければ、今回の件は全て水に流してやってもいい。どうだ、この世界を私と共に創り変える気はないか?」

 「戯言を。私は勇者になる事を望み、勇者として選ばれた存在です。たとえ肉親といえど、貴方が私利私欲のためだけに世を蹂躙するならば、貴方を止める事こそ私の最大の使命、そして私自身の願望でもあります」

 「勇者として選ばれた? 何を馬鹿な事を。お前は魔王である私の娘だぞ? いい加減目を覚ませ。魔王の力を引き継ぐ事があっても、勇者になるなどあり得ない。そもそも、今の人間達には守ってやる価値などない」

 「貴方は視野が狭くなりすぎた。確かに母親は人間によって殺されました。しかし、あのような者は限られた“極小数”です。世の中には、他人のために命を投げ出せるような、他人のために全てを捧げられるような人間が大勢います。私は、そういった素晴らしい方達を何人もこの眼で見てきました」

 「甘いな。そのような手緩い考えで“極少数”を看過していては、いずれ取り返しのつかない大惨事が引き起こされる」

 「貴方の行いこそ、『大惨事』そのものではありませんか!」

 「ならば、もう何もかも遅いのだろう。私はこの力を行使して人間を滅ぼし、この世界を手に入れる。……これが最終勧告だ。我が娘よ、私と共にこの世を治め、完全なる世界を創造する気はないか?」

 絶え間なく続いていた剣戟を重ねる音が途切れ、視界の両端に二つの影が映った。

 同じ紫色の髪をした二つの影は、それぞれが手に握った剣の先を互いへ向けている。

 「断ります。私は娘として、勇者として、貴方を止めてみせます」

 「また『勇者』か。一体どこの世界に魔王の血を継ぎながら勇者となる人間がいるというのだ。……まあいい。お前がそう望むなら、私は父として、魔王として、お前を始末するまでだ」

 視界の両端にあった影が距離を縮めていき、再び互いの剣を交え始めた。

 「私は勇者です。あの日――勇者と任命されたあの日に決心しました。たとえ自らの父を手にかける事になろうとも、たとえこの体に魔王の血が流れていようとも、私のような存在を大切にしてくれた人々の生きる世界を守ると、そう決めたのです!」

 サロリアの言葉を耳にしながら、立ち上がって戦うために自らの肉体を奮い立たせようとしたが、視界は意に反して霞んでいく。

 

 均衡していた二つの影の力量差が崩れ始めた頃、俺の意識は完全な暗闇に飲まれ、僅かに聞こえていた剣戟を打ち鳴らす音も、完全に途絶えた。

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