第17話

 「そういえば、“魔王遊撃隊”って結局何なんだ?」

 ただでさえ薄暗いというのに、上空を覆う黒色の霧が重なってほとんど夜中と変わらない景色の中を三人で移動している。森の中には丁寧に整備された道があり、それに沿って無我夢中に、ひたすら北へ向かってまっすぐ駆けてゆく。

 先頭を走るのは見るからに重そうな鎧を纏ったソラである。その隣に俺、殿をサロリアが担う隊形となって両脇に木々の乱立する細い道を進んでゆく。

 「“魔王遊撃隊”は、その名の通り“魔王討伐隊”であるレン君とサロリアを援護する部隊よ。二人が王都を発った後、ベネット国王の命によって結成されたのよ」

 「わからないな。どうして国王は王都を守る戦力を削ってまでそんな隊を結成したんだ?」

 「『かゆい所へ手を届けるため』だそうよ。討伐隊といっても隊員はたった二人。人手の問題でどうしても為し得ない事が出てきてしまう。それを補うために遊撃隊が結成されたの、さっきの襲撃のようにね」

 ソラの言う通り、二人だけではあの村を守りきるのは完全に不可能だった。無限に沸き続ける魔者とまともにやり合っていては、魔王の場所へは辿り着けなかっただろう。

 もしソラ達遊撃隊が援軍としてやってこなければ、俺達は村を見捨てるという苦渋の決断を迫られていたはずだ。

 「だとすると、今の状況を予見して対策を講じた国王はやっぱり凄いな」

 「ほんとにね。きっと、今頃王都も魔者の軍勢を相手に熾烈な防衛戦が繰り広げられてると思うわ。でも、ベネット国王とケリウス兵長がいるから大丈夫だと思えるの」

 クレイさんも言っていたが、この状況で国の要である王都が襲撃されないはずがない。ともすれば、世界を覆っている漆黒の霧は王都を陥落させる事を本懐としているのかもしれない。

 確かに国王と兵長は聡明でありながら剣術と弓術にも長けた文武両道の稀代の実力者だ。だが、結局は彼らも人間である。永遠に戦い続けるのは不可能だ。

 「それでも、あの広い王都全域を長時間守り続けるのは不可能だろう。一刻も早く魔王を討伐しなければ、帰る場所が無くなってしまうかもしれない」

 「そうね。先を急ぐわよ」

 俺達は走る速度を少し上げ、引き続き魔王城を目指した。


 森へ入ってから結構な時間が経過した。そろそろ黒耀の塔が見えるはずだ。

 怪しいほどに静かな森林の中に響いているのは三つの足音だけであり、他には何の音も聞こえない。それが少し気がかりだった。

 「妙に静かだな。塔には近づいているはずなのに何の音沙汰もない」

 森へ入ってから魔者とは一切遭遇していない。黒耀の塔が俺達にとっての王都同様に最重要拠点であるならば、手薄にしておくというのは考え難い。それとも、戦力の大半を各地の襲撃に割いているために手薄となっているのだろうか。

 「いえ、どうやらそうでもないようです」

 後方を警戒していたサロリアが隣に並んで遥か前方にある虚空を凝視する。すると、進行方向の延長線上にあるその空間に向かって空から幾つもの漆黒の霧が伸びてきた。それが村で見た時と同じように徐々に性質を変化させていき、一時的に巨大な壁となった。だが、すぐにその壁は随所で分裂し、切り離された固体に次々と小さな赤い光が灯っていく。

 「ついにお出ましってわけね。まずはあたしが斬り込むわ!」

 「いえ、ここは私が行きます。ソラ殿はレンと共に援護を……」

 「ダメ。サロリアは魔王との決戦のために体力を温存しておくべきよ!」

 先頭を走り続けるソラが自らの腰に携えていた翠緑色の鞘から刃を抜き、移動速度を上げて魔者の大軍へ突撃しようとする。

 ソラの援護に回るために後方へ下がった俺を尻目に、サロリアは依然としてソラと並走を続けていた。

 「しかし……やはり危険です。ソラ殿にも村へ戻る任務があるのですから、ここは私が引き受けます」

 サロリアが言い終えると、正面だけを見据えていたソラは不意に隣を走るサロリアへと視線を向け、この緊張した状況下には不釣合いな、彼女の得意な明るい笑顔を見せた。

 「じゃあ、一緒に行こっか」

 それを聞いたサロリアは一瞬だけ戸惑った表情を見せたが、すぐに自然と笑みがこぼれたような、嘘偽りのない微笑みを浮かべた。

 「承知しました」

 ソラと同じ動作でサロリアが灰色の鞘から刃を引き抜き視線を魔者の群れへと戻すと、少し遅れてソラも顔を正面へと向けた。

 このまま敵陣へと突っ込むのかと思った時、サロリアが後方を走る俺へと振り返った。

 「レン、背中は頼みましたよ」

 「もちろんだ。任せておけ」

 短い伝達に対して同じく短く答えると、サロリアは前方へと視線を戻した。

 もう魔者達は目と鼻の先だ。あと百回も足を前に出せば交戦するだろう。

 悪意の塊とも表現できる魔者の壁。同じような状況を昨日、フリルによって滅ぼされた村で経験したばかりだ。あの時は、俺とサロリア二人だけだったが、今はソラもいる。二人でも切り抜けられたのだから、三人いれば万が一にも敗れる事は無い。

 あと数歩で魔者と接触する距離まで近づくと、ソラが気合の声を上げると共に更に走る速度を加速させ、一番先頭の魔者へと斬りかかった。それにサロリアが続き、最後に俺が二人の倒し損ねた残滓を片付ける。

 全方向から問答無用で降りかかる斬撃の雨をかわし、受け流し、反撃を繰り返しながら、サロリアとソラの後を追い続ける。二人は、さながら二本の矢のように、疾風となって漆黒の霧を払いながら速度を落とす事なく駆け抜ける。

 必死に二本の矢を追跡し続けた俺の眼前にあった黒い影は、彼女達によってことごとく消滅していった。


 怒涛の勢いで魔者を圧倒した事もあり、いつの間にか視界を覆いつくしていた影が片鱗すら残さず消え去った。

 けれども、上空を覆う霧に変化した様子はない。

 「見て! 森を抜けるよ!」

 ソラが嬉々とした声色で叫んだ。目の前に通路の両端に立ち並んでいる大木の切れ目を確認した。

 薄暗い闇から脱出し、開けた場所に出た。その場所の地面は焦げ茶色をしており、四方は梢の先端に一杯の葉を茂らせた木々が囲んでいる。しかし、真っ先に視認したのは、周囲の木々の高度を遥かに凌駕する、漆黒の建造物。

 考えるよりも早く体が反応し、反射的に塔の頂上を見上げた。俄かには信じられないが、目の前の建造物は上空を覆う漆黒の霧にも届きそうな高さである。

 周りの景色こそサロリアと一年間特訓していた場所と似てはいるが、この場所の敷地は圧倒的に広く、何よりも黒耀の塔の邪悪な存在感が、あの思い出の地とは決して同一ではないと理解させる。

 ただ息を呑むばかりの俺、そしてソラとは対照的に、サロリアは淡々と黒耀の塔の入口とおぼしき木製の扉へ向かって歩き始めていた。

 「お、おい。どこ行くんだサロリア」

 「時間がありません。さぁ、中に入りますよ。扉のある部分が唯一の入口です」

 「行こっ! 早く終わらせないと王都が危ないかもしれない」

 普段と変わらぬ明るい笑顔を俺へ見せると、ソラはサロリアの背中を追って歩き始めた。

 二人の背中を眺めながら、この場所に辿り着いた時から抱いていた一つの疑問と向き合った。

 ――何かがおかしい。

 ここは、言わば魔王の庭。魔王がフリルと同じように近隣の魔者を操る力を持っているとすれば、今この状況ほど有利に事を運べる機会はない。

 例えば、塔を取り囲む森から一斉に特攻をかければ、逃げ場のない俺達にとってはひとたまりもない。魔王との決戦に向けて体力を温存している場合ではなくなるだろう。

 ――いや、逃げ場はあるか。

 敵の居城とはいえ、サロリアの言う通り塔に入口が一箇所しかないのなら、中に入ってから戦えば一度に戦う魔者の量は大幅に減らす事が可能だ。

 ――だからこそ、襲ってこないのか。という事は――。

 塔の中で待ち伏せをしている確立が最も高いだろう。特に、扉に手をかけた瞬間に、扉ごと破壊して伏兵の魔者が大量に押し寄せてきたら魔王と戦う前に重症を負うか、最悪命を落としかねない。以前のように気配が読めれば何も問題ないのだが……。

 視線を敵が伏せているであろう意外と安価な造りの扉へ向けると、既にサロリアとソラは扉の前に辿り着いていた。

 急いで二人の所へ駆けつけると、自分の考えを二人に話した。

 「当然、警戒はしております。ですので、まずは私が中の様子をうかがい、問題なければ次にレンが入ってください。危険を感じた場合は、一旦扉から離れます」

 「ダメ、今度こそあたしが行くよ。もし敵が待ち伏せしていてサロリアが怪我したら誰が魔王を倒すのよ?」

 「いえ、ソラ殿は外を警戒してください。もし、敵が待ち伏せていれば一旦森の中へ逃げ込みますから、その時に退路をすぐ確保できるよう準備しておいてください」

 「……わかったわ。それじゃ、予定通り二人が無事に塔へ入れたらあたしは村に戻るわね」

 ソラは扉から少し離れ、周りを囲む木々の影を注視し始めた。

 「レンは状況によって臨機応変に行動してください。もし外から敵が侵攻してきたらソラを、扉の向こうから敵が侵攻してきたら私を援護してください」

 「わかった。じゃあ扉からは少し離れておく」

 塔の入口を見据えながらゆっくりと一歩後退した俺とは反対に、サロリアは一歩前進して両開きの扉の右側に掌を添えた。

 「安全を確認したら合図します。それまではそこで待機していてください」

 サロリアは慎重に右側の扉を押すと、動作に合わせて木製の扉と黒耀の床が擦れて軋む音を響かせる。やがて、人間がひとり入れるだけの隙間を確保すると、彼女は半身をねじ込んで塔内部の様子を探り始めた。

 背後に立つソラは額に汗を浮かべながら、些細な変化を見逃さないよう薄暗い深緑の森を忙しく顔を動かしながら観察している。

 再び扉の方向へ振り向くと、そこにサロリアの姿はなく。片側が少し開いたままの扉だけが変わらずにあった。

 ――まさか、罠にでも引っかかったのか?

 そう懸念して一歩踏み出そうとした時、隙間からサロリアが姿を現した。

 「大丈夫です。どうやら、魔者は内部にはいないようです」

 それだけ短く伝えると、サロリアは再び扉の反対側へと姿を消した。

 俺は自分の心配が杞憂であった事に安堵すると、悠々とした足取りでサロリアの開けた扉の隙間に向かって歩を進めた。

 残り三歩程で扉に辿り着ける地点まで来た時、突然背後から声が聞こえた。

 「危ない!」

 声に反応して振り返った瞬間、視界の中に誰かの腕が伸びてきた。直後、その腕の先にあった掌に漆黒の矢が突き刺さり、顔に熱い液体を浴びた。

 一瞬の後、付近の地面に漆黒の豪雨が降り注ぐ。それらは全てが魔者の扱っていた漆黒の矢であった。

 俺の前に立った人物は、負傷した左手とは反対の腕で剣を握りしめ、飛来する矢を切り払おうと刃を振るう。

 やがて、“死の雨”が収まると、彼女は土の上に翠緑色の剣を突き立て、肩膝を着いた。

 「レン! 早くソラ殿を連れて中へ!」

 すぐ後ろから聞こえた声に従い、身を挺して俺を守ったソラの肩を支えてサロリアの声が聞こえた方向へと避難した。


 塔の中は、意外な事に外よりも明るかった。ふと周囲の壁を見ると、至るところで微弱に黒耀石が発光している。明るさはこの不思議な黒耀石に起因するものだろう。

 「レン君、もういいよ。大丈夫」

 「大丈夫なわけないだろ! そんな姿の奴を放っておけるわけがない!」

 首から上だけは無傷だったが、逆に首から下の傷は酷かった。右足に二本、左足に一本、右腕に一本、左腕に二本、胴体に五本、加えて左手の掌に刺さっている俺をかばって受けた最初の一本を含めると、計十二本もの矢が体に突き刺さっており、刺さった場所からは絶えず赤黒い液体が溢れ続けている。

 「大丈夫、まだ死なないよ。それに、レン君には他にやるべき事があるでしょ? だから、早く魔王を倒してあたしを助けに戻ってきてくれる?」

 想像を絶するであろう痛みを今も感じているはずなのに、ソラはいつものように明朗で屈託の無い笑顔を俺に見せた。

 嘘をついているのは、分かっていた。

 ソラの足下には自らの血液によって、既に小さな水溜りが出来上がっている。これだけの出血量で、助かるはずがない。むしろ、今立っている事すら信じられないほどだ。

 けれども、今は感情を抑える必要があった。サロリアがそうしているように。

 次の階層まで続く、塔の壁に沿って造られた螺旋階段の手前で直立しているサロリアは、何も口を挟まずに俺とソラのやりとりを黙って見守っていた。

 悲しげな光に瞳を揺らしながらも前に進もうとするサロリアの姿勢から、今はソラの望みを叶える事が最も重要だと、そう悟った。

 「……魔王を倒したら必ず向かえに来る。だから、ここで待っていてくれ」

 「うん、待ってる」

 俺はソラに背中を向け、サロリアと共に恐らくは塔の最上階まで続くであろう不気味に発光する黒耀石の階段を駆け上がっていった。



 ――あとはお願いね、レン君、サロリア。

 体はもう限界を迎えているんだろう。

 既に体中から伝達されていた痛みは無くなり、今感じられるのは経験した事のない倦怠感のみだった。

 二人が天井の上に消えたのを確認すると、視界が霞み始め、体はより重くなり、黒耀石で造られた床の上に倒れそうになった。その時、自分の体に刺さっていた矢がいつの間にか全て消失している事に気づく。けれども、だからといって傷が癒えたわけではなく、矢の刺さっていた部分からは変わらぬ量の出血が続いている。

 なんとか右手に持った剣を杖にして踏ん張ると、目の前にあった塔の入口である安価な木製の分厚い扉が吹き飛び、壊れた二枚の板が床に散らばった。

 破壊された扉があった場所には、黒耀石よりも濃い黒色に不気味な赤の瞳を持つ化け物が溢れんばかりに蠢いている。

 ――このままでは、魔王と戦っている二人が背後から襲われるかもしれない。

 だとすれば、なんとしてもここで止めなければ。

 しかし、体は既に限界を迎えている。もはや立っているだけでも精一杯なのに、この数をあたしひとりで倒せるだろうか。

 ――できるわけがない。

 自分の無力を嘆き、諦めかけた時、脳裏に“あの日”の会話がよぎった。勇者任命式の夜、国王から任務を与えられた時の会話が。

 『ソラ、お前はレンとサロリアの後を追い、二人が窮地に立たされたら何としても守り抜け。もし必要となれば、自分の命よりも二人の命を優先する事が出来るか?』

 『無論です。あたしは二人の盾となり、時には剣となり、命尽きるまでその役目を全うします。それこそが、あたしの願いです』

 『何故、そうしたいと願う?』

 『それこそが、あたしの生まれてきた理由だと考えるからです』

 あの時の言葉に嘘偽りはない。

 何の目的も無く生きて、ただ老いていくだけの人間と、何か偉業を成し遂げて若くして亡くなった人間では、後者の方が幸福な人生だとあたしは思う。そして、あたしにとっての“偉業”とは、勇者を守り抜く事。

 ――だとすれば。きっと、今この瞬間こそが――。

 つい頬が緩み、心の中で呟いた言葉が口から漏れた。

 「あたしの人生で、最高の瞬間だ」

 あと少しであたしは“為し遂げれる”。そう考えると、倦怠感に支配されていた体が急に軽くなった気がした。それも、これまでに感じた事のない身軽さだ。

 ――いける。

 体にまとわりつく赤黒い液体を弾きながら、しぶきを上げながら水溜りの上に立ち上がると、杖にしていた剣を振り上げて上段に構える。

 目の前には魔者の群れ、普段なら勝ち目がないと諦めてしまうかもしれない大軍ではあるが、今のあたしなら、きっと勝てる。

 ――あたしは、あたしの役割を果たす。それこそが、先の戦いであたしが生き残った理由であり、あたしの最大の幸福なんだ。

 深く息を吸って、静かに吐いた。肺を軽くさせると、高い位置で剣を構えたまま地面を強く蹴り、正面で蠢く魔者を斬り裂いた。

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