第16話
屋上から階段を駆け下り、宿泊施設の二階部分にある唯一の入口を目指す。
宿は村の中心部に位置しているため、入口の扉を開けると北側の入口と南側の入口を一直線に結んだ最も人通りの多い大通りに出る。
俺達の泊まっていた宿は入口が二階部分にある関係上、扉を開いた先にあるのは舗装された道路ではなく、木材で造られた高台であり、道路に下りるには側面に設けられた短い階段を下りる必要がある。
俺は手すりを掴んで高台から身を乗り出し、先程聞こえた悲鳴の主を探すために北、南の順で視線を移動させる。すると、南側の入口へと続く道路の途中に声の主と思われる女性と、その傍らに立つ漆黒の影を視界に捉えた。
発見した時、転んでいた女性の前に立つ魔者の右腕は振り上げられており、次の瞬間には振り下ろされてもおかしくはなかった。しかし救出しようにも、現在俺の手元には武器となり得る物は一切なく、そもそも距離が離れすぎているため今から駆けたとしても間に合わない。
――やめろ、やめてくれ。
そう叫ぼうとしたが歯止めがかかり、口から言葉が発せられる事はなかった。
人の死に慣れてしまったのかもしれない。もうあの人は助からないと諦めていたのかもしれない。それでも、決して良い気分ではない。可能ならば救ってやりたい。
無駄だと知りつつも、無意識の内に俺は階段を使わずに高台から飛び降り、何も持たない状態で魔者へ向かって駆け出していた。
――やっぱり間に合わない! 誰か、助けてくれ――。
誰に対してでもなく、ただ誰かに助けを求めた瞬間、視線の先に立つ魔者と女性の側にある建物の屋根の上から一つの“影”が魔者へ向かって落下した。“影”が魔者と接触すると、魔者は頭から真っ二つに分裂して霧散し、後には“影”と一命を取り留めた女性だけがその場に残った。
“影”の正体は、兵士の鎧を纏った翠緑色の剣を握る黒髪の女性。力強さを感じさせる背中を俺に向けている彼女が、自分の知人であると理解するまでには少々時間がかかった。別に彼女の事を忘れかけていたわけではなく、現実味がなかったのだ。
彼女が顔を上げると、そこで初めて視線が重なった。最後に会ってからそれほど時間は経過していないはずだが、随分久しぶりに会った感じがした。
「元気そうだね、レン君」
「ソラ! どうしてここに?」
「ごめんね。話したいんだけど、今はそんな場合じゃないみたい」
ソラに首で促されて上空を見上げると、霧の随所から小さな気体が地面へ向かって一直線に伸びている。それらは地面に着くと同時に性質を気体から固体に変化させていく。凝固した漆黒の固体は忌々しい姿を形成していき、やがて魔者の姿となって片手に剣を握って具現する。
「そんな……どうして……従っていれば命は助けるって言ったのに……どうして……」
傍らに座り込んでいた魔者に襲われていた女性が、脅えながら魔者が具現する過程を凝視して、震えた声色で呟いた。
「魔王が約束事なんて守ると思う? いいから、貴方は早く自分の家に避難して」
「こんな状態でどうやって帰れっていうのよ!」
周囲には続々と魔者が具現している。その勢いには依然として底が見えない。このままでは、すぐにこの村は魔者によって埋め尽くされるだろう。
「確かにそうね。なら、あたしの後ろに隠れてて」
女性は言葉を聞いた直後に、素早い動きでソラの背後に移動した。
「じゃあ、まずはこいつらを片付けようか。……って、レン君。剣はどうしたのよ?」
「それなんだが――」
自分の剣を持ってくるよう依頼したサロリアの行方を確かめるべく、宿の方角へ振り向くと、丁度姿を現した紫色の長髪を持つ女性が髪を振り回して高台から飛び降りたところだった。
女性は俺の剣を左手に抱えたまま右手で柄を握って灰色の鞘から刃を引き抜き、道中の魔者を縦横に斬り裂きながら此方へ向かって駆けてくる。
同時に、宿とは反対方向からソラと同じ鎧を着用した多数の兵士が近づいてきた。
「お待たせしました、レン。どうやら危惧していた事が現実となってしまったようですね」
「あらサロリア、あたしの事は無視なの? ひどいわね」
「――ソラ殿? どうしてこんな場所にいるのですか!」
「だから話したいんだけど時間がないのよね」
懐かしい人との再会。しかし今は悠長な行動が許される状態ではない。
南側の入口から駆けてきた兵士達は俺達三人の前で足を止めると、集団の中でも一際屈強そうな外見の男が一歩前に出てきて背後の兵士達に振り返った。
「お前達は北側の守護に徹してくれ、俺も後から行く」
号令を受けた兵士達は一斉に肯定の返事をすると、俺達の横を通過して同じく一斉に北側の入口へと向かい駆けていった。
「サロリア様。レン様。ご無事で何よりです。それにソラ、よく村人を救ってくれた」
「私は兵士として、人として当然の行いをしたまでです」
兵士達とソラの態度から察すると、彼はこの部隊の長であるように思えた。
「失礼ですが、貴方は何者ですか?」
「申し遅れました。私は“魔王遊撃隊”の隊長を任されているクレイと申します」
「“魔王遊撃隊”?」
そんな部隊名は一度たりとも耳にした覚えはない。
「はい。詳細な事情については後ほどソラに訊ねてください。申し訳ありませんが、今は話をしている時間が無いようです」
クレイさんが剣を構えて四方へと視線を巡らせる。気づけば、俺達四人は剣を手にした魔者に完全に囲まれていた。
「俺達も加勢します」
「いえ、レン様とサロリア様は準備を整えて黒耀の塔へ向かってください。恐らく、王都を含めた全ての村がここと同じように襲撃されている可能が高いです。となれば、もはや猶予はありません。勝手な事を申しているのは重々承知ですが、お二人には一刻も早く魔王を討伐して頂きたいのです」
「しかし、それでは貴方達の命が危険に晒される」
俺とサロリアが加勢したところで戦況が変わるか分からないが、村の各所で不規則的に魔者が具現しているのならば、人手は多い方が良いはずだ。
「それなら大丈夫だよレン。あたしがみんなを守るから!」
「いや、ソラはお二人を黒耀の塔まで護衛するんだ。魔王とて自分の本陣を手薄にするような能無しではないはず。お前は無事に魔王城までお二人を導いてから、村に戻って護衛に加勢してくれ」
明るい調子の声色のソラが、眉尻を下げた不安そうな表情でクレイさんを見据える。
「それでは、クレイ隊長達が危険です」
対してクレイさんは朗らかな笑みを返した。
「心配するな。確かに剣術ではソラに劣るかもしれんが、これでも私は隊長を任される人間だ。兵士達を見殺しにするつもりも無ければ、奴らに負けるつもりもない」
「……失礼しました。では、あたしはこれより“魔王討伐隊”の援護の任に就きます」
一転してキリッとした真剣な面持ちとなったソラが返答すると、クレイさんがそれに対して首肯した。その次に彼は俺とサロリアへと視線を向ける。
「サロリア様、レン様。ここは私達兵士が死守致しますので、どうか一度宿に戻り決戦に向けてのご準備をお済ませください」
「準備など必要ありません。今すぐにでも黒耀の塔に歩を進められます」
クレイさんの提案を冷静な声色のサロリアが即答で断った。確かに既に剣は手元にあるし、魔王討伐にあたって武器以外に必要な物などないはずだ。ならば、サロリアの言う通り、すぐに黒耀の塔へ向かうのが最善だと思える。
おもむろに口の端に小さな笑みを浮かべたクレイさんは、来た時から肩にぶら下げていた小さな茶色の鞄を手にして、サロリアの前へ差し出した。
「実は、王都の人間よりお二人宛てのお届け物を預かっております。良ければ、出発前に確認してはどうでしょうか?」
「届け物? いったい誰からですか?」
訝しげな視線を鞄に向けながらサロリアが問う。
「エニル様です」
――母さん?
「どうして母さんが?」
「さて? 私には分かりません。ですが、エニル様からは『出会う機会があれば渡してほしい』と伝えられております」
母さんの事だ。こんな時に何の役にも立たない物を送ってくるのは考え難い。鞄の中にはきっと、俺達にとって有用な物が納められているに違いない。
「わかった。宿で中身を確認させて貰います。すまないがサロリアも付き合ってくれ」
「え、ええ。わかりました」
俺はサロリアに向けて差し出されていた鞄を代わりに受け取り、目の前に立ちはだかる影だけを消滅させながら再び宿へと戻った。
宿屋に戻った後、俺は自分が借りている一階の部屋へと戻らず、隣のサロリアの部屋を彼女“達”と共に訪れていた。
「別に文句はないが、どうしてソラがここにいるんだ?」
「し、仕方ないでしょ! 隊長に『激戦に備えて少しでも体を休めておけ』って言われたんだから!」
「なるほど、隊長の言葉ならば背く事はできませんね」
「でも、確かに少しでも休憩しておいた方がいいかもな。まあ、鞄の中身を確認したらすぐ出発するわけではあるが」
布団に腰を下ろし、肩から提げていた物を傍らに置くと、鞄の口を留めていたボタンを外してからそれを持ち上げて、乱暴に中身を出そうとした。
「レン、何が入っているかわかりませんから、丁寧にお願いしますね」
その様子を見ていたサロリアとソラが目を半開きにして、なんとも痛々しい視線を送っている。仕方なく鞄を布団の上に置くと、自らの手を口の中へ突っ込んで中身を掴んで引き抜く。
布のような感触を手に感じながら中身を取り出すと、それを純白の布団の上に出した。
「え? これって……」
それは、ソラにも見覚えがあり、俺とサロリアにとっては忘れるはずのない物。鞄の中身は、白色を基調とした服と、白色の服と同じ造りの黒色を基調とした服が一着ずつ入っていた。更に、二着の衣装の間には二つ折りにされた紙が一枚挟まっており、広げると懐かしさを覚える丁寧な母さんの字が現れた。
<任命式の衣装を基に、一着ずつ服を作成しました。軽量で頑丈な生地で作ってありますので、良ければ使ってください>
――まさか――。
慌てて白色の衣装を手に取って両手で広げてみると、サロリアも同じように黒色の衣装を広げてみせた。それらは紛れも無く、俺達が勇者に任命されたあの日に着ていた服であった。ただ、手紙に書いてあった通り多少の改良が施されている。
以前は付いていた重量のあった金の装飾が取り外されており、代わりに金色の糸が刺繍してある。布地も変わっており、以前着用した時よりも高級な素材が使われている事がなんとなく分かった。
「なるほどね。隊長が止めた理由が分かったわ。で、どうするの二人共。その服着ていくの?」
「まずは試着してみましょう。より動きやすい服装で行くのが最適かと思います」
てっきり『これから向かう場所はこのような派手な衣装で行くべき所ではありません』と答えると思ったが……。けれども、確かにサロリアの言う通りだ。
「それじゃあさっさと着替えよう。時間もあまりないからな」
俺は腰に携えた剣を外して布団の上へ置くと、着替えるために着用している服に手をかけた。
「待ってくださいレン。自分の部屋で着替えて頂けますか。私が着替えられません」
「別にあたしは構わないけどねー。いいじゃん、サロリアだって見られて困るような体してないでしょ?」
「駄目です。見せ物ではありません。終わりましたら扉を開けますので、先に着替え終わってもそれまで入らないようにしてください」
「そんな時間の余裕はないだろう。だいたい、サロリアの体なら一緒に暮らしていた時に何度か――」
「いいから早く出てください」
まるで捕食者が獲物に食いつこうとしている時のような鋭い眼光を光らせて、聞いただけで身が凍ってしまうような冷徹な声色でサロリアが言う。きっと、これを無視して着替えを続行すれば、彼女は凶器を手にして襲いかかってくるに違いない。
「わ、わかった。俺が悪かった。自分の部屋で着替えてくる」
広げた服と外した剣を腕に抱え、部屋と廊下を隔てる扉を開ける。
「わかって頂けましたか。さぁ、ソラ殿も一度出てください」
「えっ? あたしも? あたしは女だからいいじゃない」
「ほら、行くぞソラ」
戸惑うソラの腕を引っ張り強引に廊下へ連れ出すと、優しくサロリアの部屋の扉を閉めた。
廊下に出て自分の部屋に向かおうとした時、ふと視線を感じて隣に顔を向けると、ソラが不気味な笑みを浮かべながら俺の顔を眺めている。
「レン君は大胆だねー。そんなにあたしに着替えるところを見てほしいなら、見てあげない事もないよ。あたしとレン君の仲だもんね」
「ソラ……」
俺は先程目にしたサロリアの冷徹な眼光を真似しながら、ソラを見据えた。
「俺が着替えるまで廊下で待っていろ」
それを聞いたソラが何か返答したような気がするが、全て右から左へと流し、隣にある自分の部屋へと入った。
着替え終わって再び廊下へ出れば頬を膨らませたソラに不満をぶつけられると思っていたが、意外にも彼女は壁に背中を預けて視線を落とした状態で硬直しており、その様子から察するに、何か考え事をしているようだった。
「すまない、待たせた」
「あ、早かったね。……ふーん、やっぱりよく似合ってるわね。流石エニルさん、レン君にどんな服が似合うのか良く分かってるね」
「そうか? まあ、似合う似合わないは分からないが、確かに普段着ている服よりは動きやすい。それより、何か考え事をしているように見えたけど、何を考えていたんだ?」
「いや、ちょっとね……」
ソラと雑談をして時間を潰そうかと思ったが、意外にも早くサロリアの部屋の扉が開いたため足を踏み入れようとすると、逆に部屋の主が廊下へと出てきた。
「これは素晴らしい服ですね。エニル殿の腕前には毎度感服致します。私は是非この服で最後の決戦に向かおうと思うのですが、レンはどう思いますか?」
黒色の布地に金の装飾を模した刺繍が施された服を着用したサロリアが、腰に灰色の剣と錆の付いた剣を携えた状態で部屋から出てきた。その姿は、以前にも思ったようにこの上ない程凛々しい。
「俺も同じ事を思っていた。なら、このまますぐに魔王城へ向かおう」
「承知しました。しかし、その前に一点だけレンにお願いがあります」
サロリアは腰に携えた二本の剣の内、錆の付いた方を鞘ごと腰から外すと、それを俺の前へと差し出した。
「これを持っていてください。この剣は先代の魔王を倒した者の剣です。きっと、剣に宿った想いが、孫であるレンの命を守ってくれるでしょう」
――『剣に宿った想い』、か。
そんな不確かな物など、一年前ならば理解できなかったし、理解しようとも思わなかった。けれども、今では俺自身が強くなれたのは剣に宿った父さんの助力を得たからだと信じている。ならば、祖父の剣である古びた剣に特別な力が宿っていてもそう不思議ではない。
「お守りといったところか。確かに、そういう得体の知れない力をも行使しなければ、魔王には勝てないのかもしれないな。ありがたく受け取っておくよ」
差し出された剣を素直に受け取ると、黙って俺達のやりとりを眺めていたソラが俺とサロリアを交互に見据え、明朗な笑みを見せた。
「さ、行こう! レン君、サロリア!」
俺達は二階へ続く階段を上がると、宿の二階にある入口から戦火に包まれる村の外へと出た。
魔王城へと続く村の北側入口まで辿り着くと、そこには無限に沸き続ける魔者と刃を交えている数名の兵士と、勇ましい声で彼らを指揮するクレイさんの姿があった。彼は俺達の接近に気づくと指揮を中断し、此方を見据えた。
「お二人ともよく似合っております。私がそうであるように、きっと、誰もが貴方達こそが勇者に相応しい人物だと認める事でしょう」
「クレイさんのおかげです。こんな辺境まで母さんの服を届けて頂き、ありがとうございました」
「なに、私は頼まれた事を頼まれた通りに遂行しただけです。特別な事など何一つしていないのですから、お礼なんて不要ですよ」
クレイさんは遠慮がちに答えながら、周囲を見回して戦況を確認した。その視線を追うと、戦っている兵士の大半にはまだまだ余裕がありそうだが、一部の兵士からは少し疲れ始めている様子がうかがえた。
魔者と兵士達が剣戟を打ち鳴らす最中、これ以上無用な話をするべきではない。俺は出発を宣言するため一歩前に出ようとした。しかし、別の人物が俺より先に前に出る。
「クレイ隊長、レン君とサロリアはあたしが必ず魔王城まで無事に導きます。隊長も、武運長久を!」
「頼んだぞ、ソラ」
力強く宣言したソラが背後に立つ俺達の方向を振り向く。彼女の双眸に迷いはなく、並々ならぬ決意の色で満ちていた。
「行くわよ! レン君、サロリア!」
ソラの号令に対して俺とサロリアは黙ったまま首肯し、黒耀の塔へと続く森林へ向かって三人で一斉に駆け出した。
付近で戦闘していた兵士達の激励の言葉を背中に受けながら、俺達は一度も振り返ることなく、鬱蒼と茂る森林へと足を踏み入れた。
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