第15話

 同時刻、王都では突如として北の空に現れた漆黒の霧と正門に迫るこれまでに見た事もない数の魔者の群れによって混乱に陥っていた。

 経験した事の無い国の危機を前にして、国王・ベネットより王都防衛を任されたケリウスは頭を悩ませていた。

 

 国王の命により短期間での強化演習を実施し、未曾有の大軍で侵攻する魔者と渡り合える兵団を“準備”する事ができた。兵団は総力を挙げて王都の防衛に務めており、正門の前では多くの魔者と兵士による乱戦状態になっている。戦力は均衡しており、戦闘能力では勝っている兵団が無尽蔵に生まれ続ける魔者にてこずっているのが現状だ。

 今はまだ大丈夫だ。戦闘はつい先ほど始まったばかりであり、兵士達も日頃の鍛錬の成果を出そうと張り切っているので気力的にも体力的にも問題はない。

 だが、この状態はいつまで続くのだろうか。

 ――そもそもあの霧は何だろうか?

 正門付近の城壁の上に立ち、正面を見据えると目の前に広がる漆黒の霧が自然と視界に入る。

 王都上空の雲一つ存在しない青空と漆黒の霧に覆われた空の境目は少し離れた平原の上空にあり、幸いな事に不気味な霧が此方へ向かって迫ってくる様子は今のところない。

 だが、この霧が担っている役割には動揺せずにはいられない。

 上空に広がる霧は頻繁に一部を切り離しては小さな気体を発生させ、地上に向かって降下していく。やがて地上に接地すると気体は形を変え、人の形を成した赤い双眸を持つ影となって同時に生成される漆黒の剣を片手に王都への侵攻を開始する。

 ――何か、打つ手を考えなければならないな。

 そうは思っても無尽蔵に沸き続ける敵に対し、果たして有効な策など存在するのだろうか。

 頭を悩ませながらも背中に背負った矢筒から矢を数本抜き取り、愛用の長弓につがえて魔者を標的に放ち続ける。矢によって射られた魔者は跡形も無く霧散するが、すぐに別の場所で新しい魔者が生まれる。

 鼬ごっこという言葉を体現するかのような現状に対し、手を打つことができない自分に歯軋りした。

 「すまんが君達、城から矢を調達してきてくれ、手にもてるだけ、一杯に」

 「承知いたしました」

 城壁の上に並んで矢を射ていた兵士達に向かい号令すると、命令を受けた兵士達は手に持っていた弓と背負っていた矢筒を地面に置いて慌てた様子で階段を降りていく。

 戦闘は間違いなく長期戦になるはずだ。ならば、体力のある今の内に十分な矢を備蓄しておくべきだと判断した。

 ――策がないのなら、ベネット様から授かったこの力で国を守ってみせる。

 弓の扱い方は国王から教わった。もしかすると、この技術は今日のために培ってきたものなのかもしれない。

 再び矢筒に手を伸ばし、防衛線から離れた場所を移動する魔者に狙いを定めてゆっくりと弦を伸ばし、矢を掴んでいた手を離した。

 標的とした魔者の消滅を確認し、次の矢を筒から抜こうとしたところで背後の階段を強く踏み鳴らす音を耳にする。振り向くと、物凄い勢いで駆け上がってきた若い女兵士が曲げた膝の上に手を乗せて肩で息をしていた。

 「ケ、ケリウス……兵長!」

 「どうした? 何かあったのか?」

 「み、南門に……魔者が迫ってきています!」

 この兵士は、確か南門監視の任に着かせていた二人の兵士の一人だ。

 王都に出入口が二箇所ある以上、両方が同時に襲われる可能性に関しては疑っていた。だが、南門側の上空には霧が広がっていなかったため、襲撃される事は無いと高を括り戦力を割いていたが、見誤ったようだ。

 「数は?」

 「正門と同じくらいです。ただ、新たに生まれる気配はありません」

 新しく生まれてこないのであれば、とりあえず現在迫っている敵を殲滅すれば問題ないだろう。しかし、正門から南門までは距離がある上、正門の敵は際限なく生まれ続けている。均衡している現状から戦力を減らせば、一気に劣勢になる可能性は否めない。

 ――ならば――。

 「そうか、ありがとう。君はここに残って矢を抱えて戻ってきた兵士達に、私が戻るまで耐えろと伝えてくれ」

 彼女に伝言をお願いすると、矢の調達に向かった兵士達が残していった矢筒から矢を数本引き抜き、それで自分の筒を一杯にする。

 「まさか、お一人で向かうつもりですか? いくら兵長でもそれは無茶です! 相手は百を優に超えているのですよ!」

 「無茶かどうかは私が決める」

 怒号にも似た声色で喋る兵士に対し、窘めるように穏やかな口調で答えると、急いで階段を下りようとした。

 一段目を踏んだ時、背中に再び兵士の声が浴びせられた。

 「では! 伝言を伝えたら私を応援に向かわせてください!」

 声に反応して振り向くと、彼女は迷いの無い澄んだ瞳で私を見据えていた。

 「構わん」

 部下の問いかけに対して短く答えると、今度こそ階段を下って南門へと急いだ。


 南門へ着き、壁面に備え付けられた階段を駆け上がると、先ほどの女兵士の片割れであろう経験の浅そうな若い男兵士が、素人の目にも明らかなほど下手糞な腕前の弓術を披露していた。

 でたらめな構え方によって放たれた矢は門のすぐ近くまで迫っている魔者を掠める事も叶わず、虚空を切って飛んでゆく。

 「く、くそ! どうして当たらないんだよ! 当たれよ!」

 迫り来る魔者に釘付けになっている彼は、背後に立つ私の姿にさえ気づく様子がない。

 「君は弓兵じゃないな。慣れない事はするもんじゃない、矢の無駄だ」

 「……へ? ケ、ケリウス兵長? どうしてここに?」

 振り向いた彼が呆然とした眼差しを私に向ける。

 「呼んだのは君の相棒だろう?」

 「しかし、援軍が来るものだと思っておりましたので……」

 「私だけでは不服かね? こんな事を悠長に話している場合ではない。君、門を開けてくれ」

 「お、お一人で行くのですか? 危険すぎます! せめて自分も連れて行ってください!」

 「それでは一度開いた門を閉める事が出来なくなるだろう。君はここで待機し、私が出たら再び門を閉ざし、全てが終わったらまた開いてくれ。もし仮に私が倒れても、この頑丈な門ならば多少は時間稼ぎができるだろう。その頃には戦況が変わって南門にも応援が駆けつけているかもしれない。それと――」

 落ち着かない様子の兵士が腰に携えている剣の柄に右手を伸ばし、鞘から刃を引き抜いた。この剣は、得物に剣を所望した兵団の人間に支給される量産型の平凡な剣だ。

 あまり使われていないのか、兵士の剣は新品同様に汚れ一つ無い美しい輝きを保っている。

 「借りるぞ。では、門の開閉は頼んだ」

 「あ、え――?」

 部下の返答を聞かずに、滑るようにして階段を駆け下りた。


 閉ざされていた南門の前に立つと同時に、ゆっくりと目の前の扉が開かれていく。正門と同様に重量感漂う扉が開いた先には、晴れ渡った空の色とは不釣合いな漆黒の影と、その中で輝く無数の赤く不気味な光があった。

 開いた扉をくぐり、平原に立って城壁の上で待機している兵士へ視線を送ると、門は再び軋む音を上げながら堅く閉ざされた。

 再び視線を平原の先へ向けると、ゆっくりではあるが確実に此方へ迫ってきている漆黒の壁の中心を見据える。これ程の数の魔者を相手に戦った経験など一度もなく、とても一人で処理できる量ではないと頭では理解しているが、やるしかない。

 左手に長年愛用した長弓、右手に兵士から借りた抜き身の長剣、背中に二十本程度の矢が入った筒を背負い、漆黒の壁に向かって駆け出した。

 先頭の一匹を剣で斬り裂き、踏み込んできた次の魔者の一撃を身を翻して避けると、剣を薙いで両断する。

 二匹を片付けて一呼吸しようとすれば右方から迫った魔者が剣を振り下ろす。それを自分の剣で受け止め弾くと、続けざまに振り下ろした刃によって魔者が消滅する。

 後方へ跳躍して体勢を立て直そうとすれば、私を無視して南門へ向かおうとする魔者が視界に映った。

 柄を握ったまま矢筒に手を伸ばし、二本引き抜くと一本目を弓につがえ、南門を目指す二匹の魔者の内、先頭を進む方へ狙いを定めて矢を放つ。

 目標に一本目が到達するより早く二本目を後方の魔者目掛けて放つと、風を切って真っ直ぐに飛ぶ一本目の矢が先頭の魔者を貫いた後、少し遅れて二本目の矢が後方の魔者を貫き、二匹が殆ど同時に霧散した。

 再び正面に迫る大軍に目を向けると、長剣を握りなおして再び突撃する。そんな行動を何度か繰り返し、矢筒の中身が空になった時に、ある事に気づいた。

 ――魔者が減っていない。

 矢筒の中身が空になるほどには敵を倒した、矢で倒した数の約三倍ほどは剣で倒したはずだ。だが、確かに敵の数は全く減っていない。

 既にたった一人で守っていた防衛線はかなり下がっており、少し気を抜けば魔者の群れは南門に到達してしまうだろう。

 敵が減っていないと気づいた直後、自分の目を疑いたくなるような光景を目にした。虚空に突然黒色の粒子が無数に出現し、徐々に濃度を増した粒子が魔者に変化したのである。同時に、新しく誕生した魔者の手に同様の粒子が集まり、漆黒の剣を生成していく。

 魔者が再生する光景に視線を奪われていた私が我に返ると、今にも南門に到着しそうな魔者の姿が目に入り、急いで門の方向へ駆けてゆく。

 門に迫っていた三匹を蹴散らし、平原の先へ視線を戻すと、城壁の上から見た時と変わらぬ数の赤い光が目と鼻の先で輝いていた。

 ――ここまでか……。だが、少しでも時間を稼がなければ。

 もはや、この大軍の侵攻を止める事はできないだろう。ならば、自分の命と引き換えにしてでも時間を稼ぎ、状況が好転するよう祈るしかない。

 持っていた弓と背負っていた空の矢筒を地面に投げ捨て、体を軽くした。

 ――ベネット様。先に逝く事をお許しください。

 大軍の中から標的を絞り、鋭い視線を向けて最後の突貫を仕掛けようとした矢先、背後の南門が軋む音を上げながら開いた。

 「何をやっている! 魔者がそこまで迫っているんだぞ! 早く門を閉めろ!」

 顔を上空へと向けて、城壁の上で門を操作しているはずの兵士へ向けて怒号を浴びせる。

 「それはできんな」

 返事は、意外な事に徐々に開いていく眼前の門の奥から聞こえてきた。それにこの声は、先程の若い兵士の声ではない。もっと年老いた人物を彷彿とさせる渋い声色だ。そして、私はこの声色の人物をよく知っている。

 ――まさか。

 城壁の上へ向けた視線を落とし、返答した人物の姿を視認しようとした瞬間、一本の矢が飛来して私の顔のすぐ横を通り過ぎた。矢はそのまま速度を落とす事なく魔者の群れ目掛けて飛び、私が標的として定めていた魔者と後列にいた数匹の魔者を貫き、霧散した。

 矢の往く先を見届けると、視線を再び南門へ戻す。そこには、背中まで伸びた白髪と顔に幾つもの皺を持つ、老いた人物が立っていた。

 「ベネット国王! どうしてここに?」

 「ワシは住んでいる場所の都合上、無駄に周囲の状況が確認できてしまうのでな。お前が一人で死闘を繰り広げているのを見て加勢に参ったのだ。まったく、やはりお前には死に急ぐ癖があるようだ。残念だが、ワシはまだ死ぬ事を許してはやらんぞ?」

 ベネット様がいかにも老人らしい大袈裟な笑い声を上げる。なんとも場違いな清清しい様子である。どうしてそんなに余裕でいられるのだろう。

 確かにベネット様は強い。国王であるにも関わらず、王国内でも五本の指に入ると噂される実力を持っている。しかし……。

 「しかし我々二人だけでは、戦況は覆らないと思いますが……」

 「誰も援軍はワシ一人とは言ってないであろう?」

 「――ケリウス兵長!」

 重量感漂う南門が完全に開くと、そこには多くの国民が立っていた。まず最初に目に入ったのは、正門に残してきた、私に南門の窮地を知らせてくれた女兵士。

 「先程申し上げたとおり、応援に馳せ参じました!」

 「あ、ああ。感謝する」

 「いえ、兵士として当然の事をしたまでです。では、早速戦闘を開始させて頂きます!」

 彼女は手に持った弓に矢をつがえながら私の後方へと駆けていくと、魔者に向けて弓を構え、遠距離攻撃を開始した。

 次に視界に入ったのは兵士の鎧を身に纏っていない、軽装の老若男女。

 「ベネット様、失礼ですがこの方達は一般人のように見えるのですが……」

 「この者達はワシの姿を見て勝手についてきたんだよ……。危険だから家の中で待機していろと言ったんだがなぁ。ワシの国政が悪かったのか、耳を貸そうともせん」

 「俺たちゃ勝手に戦うだけさ。それで死んじまったとしても王様は悪かねぇよ!」

 「日頃から王様と兵団の皆には世話になっているからねぇ。あたい達にも手伝わせておくれ」

 一般人の集団から一歩前に出た、外見から判断するに三十代の男性と四十代の女性が他の者を代表してベネット様に懇願する。

 「こらこら、ワシに許可を求めるんじゃあない。王都防衛の最高責任者はケリウスだ。戦いに参加したいのならこの男に許可を求めんか!」

 「ベネット様!」

 ベネット様がとんでもない事を口走ったおかげで国民達は何人も同時に口を開き、声を大にして王都防衛の作戦に参加する許可を求めてくる。

 経験した事のない状況に困惑していると、その様子を見ていたベネット様が再び笑い声を上げる。困惑する私の姿を珍しがって楽しんでいるのだろう。

 ――もう、やめろと言っても引き下がってはくれないだろうな。

 「分かった分かった。好きにしろ! 但し、死んでも責任は取ってやらんぞ!」

 「了解ぃ! 行くぞ皆ァ!」

 許可を下すと、先程の三十代の男を先頭にして剣、槍、鈍器、短剣といった様々な武器を手にした国民達が布切れに等しい普段着のまま平原の魔者の群れへと突っ込み、乱戦を開始した。

 事が全て片付いたと思い、深く溜息を吐くと、此方へ向かって来る若年の男兵士の姿が見えた。城壁の上にいた、弓の扱いが酷く下手糞な兵士だ。

 「ケリウス様! 先程の戦いぶり凄かったです! 感激しました! あと、これを受け取ってください」

 瞳を輝かせながら、兵士は両手に抱えていた補給用の矢を十数本と、私が手に握っている物と同じ、鞘に納められた状態の王国から支給されている剣を差し出した。

 私は捨て身の特攻を仕掛けようと目論んだ際に投げ捨てた矢筒を拾い上げ、補給用の矢を全てそこへ納めると、男兵士から剣を受け取って腰に携えた。

 「感謝する」

 「では、その剣は自分に返して頂けますでしょうか。自分も、その剣で戦わせてください!」

 「駄目だ。だが剣だけは返そう。そもそも、君にはまだ門を閉めるという役割が残っている」

 「そんなァー。自分も戦いたいですよぉー」

 「うるさい! さっさと行け! 私の命令が聞けんのか!」

 男兵士は私が差し出した抜き身の剣を『失礼しました!』と言いながら受け取ると、城壁の上へと通じる階段駆け上っていった。

 暫くすると、南門が再び軋む音を立てながら動きだし、出入口を堅く閉ざした。

 扉が閉まるのを確認すると、傍らに立っていたベネット様は持っていた弓を背中に背負い、腰に携えていた自分の身長の半分ほどの丈を持つ片刃の剣の刃を鞘から引き抜いた。

 「では、ワシらも行くかの」

 私は矢筒と一緒に投げ捨てた地面に転がっている自分の弓を拾うと、最初に突貫した時と同じような装備に全身を整えた。

 ――それにしても、良い気分だ。

 自らが尊敬する国王と共に戦場を駆ける事ができるなど、思ってもいなかった。些細な出来事かもしれないが、私にとっては非常に大きい――それこそ、今まで生きてきて良かったと思える程の出来事だ。

 一国の主が背中を任せてくださると言うのは、それほどまでに名誉のある事であり、ベネット様の私に対する信頼の証でもあるはずだ。

 「承知致しました。ベネット様」

 「うむ。行くぞケリウス!」

 剣を両手で構えたベネット様と、左手に弓、右手に剣、背中に矢筒を背負った私は、乱戦状態となっている前方の戦闘地域へと向け、声を上げながら突撃を開始した。

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