第9話

 何か良からぬ気配を感じ、深い眠りから叩き起こされた。

 部屋を飛び出し、サロリアの部屋へと向かい、その扉を叩く。しかし返事はない。

 取っ手を握り引いてみると、鍵が掛かっていなかった。

 無断で中に入っていくのは些か躊躇われたが、ゆっくりと室内に進み様子をうかがう事にした。

 部屋にサロリアの姿はなかった。

 布団の上には、脱ぎ捨てられたネグリジェが乱雑に放置されており、継続して周りを確認すると、彼女の愛用している槍がどこにも見当たらなかった。

 ――間違いない、魔者が来たんだ。

 自分の部屋へと戻った俺は急いで服を着替え、剣を手に取ると、宿屋の入口へと向かった。既に宿泊客を含めた宿の人間は皆眠りについているらしく、人の気配はない。

 宿から外へ出ると、起きた時から感じている気配の方向へと向かう。気配は、村の入口の方角から発せられていた。

 目指すべき場所がはっきりと分かると、全力で駆け出した。ここから村の入口まではそう遠くない。きっと、すぐに辿り着けるだろう。


 村の入口へ到着すると、少し離れた場所にある暗闇の平原にて長い棒のような物を持った男が、闇夜よりも濃い人型の漆黒の影を薙ぎ払った瞬間を目撃した。

 どうやら彼の倒した魔者が最後の一匹だったようであり、魔者の姿はもうどこにも無く、俺が感じていた気配も消えていた。

 腰の鞘に手をかけたまま呆然と立ち尽くしていた俺の姿に男よりやや手前に立っている槍を持った女性が気づき、紫色の長い髪を風に踊らせながら歩み寄ってきた。

 「レン、遅いですよ。既に魔者の駆逐は終了しました」

 「なんで起こしてくれなかったんだよ」

 「気配の数はそれほど多くありませんでしたからね。私一人でも十分だと判断しました」

 「じゃあ、なんでフレアさんがいるんだよ」

 少し遠くにいた赤い長髪の男も俺の存在に気づき、近寄ってくる。暗闇の中でもこれだけ明らかに赤だと視認できる髪を持つ男を、俺はフレアさん以外に知らない。

 「フレア殿は毎晩のように村の周囲を見回っているようです。私が魔者の気配に気づいて駆けつけた時には、既に彼によって大方の魔者は消滅しておりました」

 「毎晩? じゃあフレアさんはいつ眠っているんだ? 眠らなくても問題の無い特殊な体質でも持っているのか?」

 「……こんばんは、レン殿。それと、そんな体質は持ち合わせていませんよ。僕は至って普通の人間です」

 近くまでやってきたフレアさんが手に持った薙刀の穂先を下げた状態で俺の前で立ち止まった。

 「では、いつ寝ているんですか? 朝には道場の稽古があるんでしょう? 夜も警備していたら眠れないでしょう」

 「夜の間ずっと見回っているわけではありませんよ。ただ、少し兵団の方が担っている警備の仕事を手伝っているだけです。僕の勝手でね」

 「兵団――そうだ。元々、ここを警備していた兵士達はどこへ行ったんですか? 魔者が現れたというのに、姿が見当たらないのですが……」

 「彼らには、村の裏手の様子を見に行ってもらいました。僕も応援に向かおうとしたのですが、サロリア殿曰くもう魔者は残っていないとの事なのでやめました。信じ難いですが、お二人は魔者の気配を感じる事ができるんですね」

 今フレアさんが言った言葉。それは、当事者である俺にとっても大きな疑問だった。

 俺とサロリアは、何故か魔者の気配を感じる事ができる。これは、俺と彼女にしかない特別な能力である。フレアさんがそうであるように、普通の人間には魔者の気配を察知する事はできないらしい。

 父さんも気配を察知して魔者の討伐に出向く時が何度かあった。だとすると、魔者の気配を感じる能力とは、勇者の血を継ぐ者に与えられた特別な力と考えるのが当然だ。

 しかし、この理論では一つの疑問が残る。何故勇者の血を継いでいないはずのサロリアが気配を察知する事ができるのか。この事実を踏まえると俺の仮説は破綻する。

 結局、今でもどうして気配を察知できるのか、はっきりしないままだ。

 「さて、魔者も片付きましたので戻って休みましょうか――と、言いたいところですが、フレア殿、一つ質問をさせて頂いてもよろしいですか?」

 「ええ。なんでしょう、サロリア殿」

 「本当は昼間に訊きたかったのですが、稽古に夢中ですっかり忘れていました。朝、リベイラは『武闘大会を見に行った』と言っていましたよね? あれは、フレア殿も同行されたのですよね?」

 「そうですよ。お二人の勇姿、今でもよく覚えております」

 ――いったい、サロリアは何が訊きたいんだ?

 「貴方ほどの実力者が何故、大会に参加者としてではなく、観客として訪れたのですか? それがずっと引っかかっておりました。良ければ、教えて頂けませんか?」

 「その事ですか……」

 フレアさんは、寂しそうな瞳でサロリアを見つめた。

 確かに、彼ほどの腕前ならば武闘大会に出場していても何の違和感もない。それどころか、俺とサロリアが出場していなければ、優勝する可能性も十分あったはずだ。きっと、ソラと優勝争いをする事になっていただろう。

 けれども、フレアさんは出場しなかった。

 フレアさんは、顔を上げて夜空を眺めた。その動作につられて俺も夜空を見上げると、上空には幾つもの光が儚げに、しかし確かに力強く輝いている。それらを瞳に映しながら、フレアさんが優しげな口調で語りだした。

 「僕は、もともと王都で暮らしていた……というのは話しましたよね。今朝話したように、その時はソラ君の父親が営む道場へ通っておりました。……いや、違うかな。『通っていた』というよりは『面倒を見てもらっていた』と言った方がいいかもしれません。僕には、両親がいませんでしたので。六年前――魔者が各地で確認されるようになってからすぐに、両親は殺害されたのです。その日から僕は両親の仇を討つため、道場へと通い始めました。心に深い憎しみを抱きながら、毎日必死に鍛錬を続け、ただひたすらに己の腕を磨き続けました。そんな時、道場を訪れたある一人の男が僕に声をかけたんです」

 俺とサロリアは、遠い昔を懐かしむかのように優しく紡がれるフレアさんの話に、ただ黙って耳を澄ました。

 「彼はがむしゃらに薙刀を振るう僕に勝負を挑み、その戦いで僕はあっさりと敗れました。試合が終わると、彼は地に膝を付く僕を見下ろしながらこう言いました。『両親の仇を討つ事が、本当にお前の為すべき事なのか? それを為したとして、いったい何が得られるんだ?』と。その一言で、僕は自らの行いが間違いであると気づき、それから数日後、王都を離れてアミュレで道場を始める事を決意しました」

 空を見上げていたフレアさんが、サロリアへと視線を移す。

 「僕には勇者になる事より大事な使命があるのです。故に、勇者を選抜する武闘大会には出場しませんでした。……まあ、理由はもう一つあったんですけどね」

 「その理由は、何だったんですか?」

 すかさず俺は質問した。すると、フレアさんは頬を緩ませながら、サロリアから俺へと視線を移した。

 「彼の――サイ殿の息子が勇者になると信じていましたから」

 ……驚いた。まさか、こんなところで俺とフレアさんが繋がっていたとは思わなかった。

 父さんには敵わないな。父さんによって救われた人間の話は何度も耳にしてきたが、いったい、生きている間にどれだけの偉業を為し遂げたんだろうか。

 「……えっと、つまり……俺が勇者になれば、それで良いと思ったから、武闘大会に出場しなかったという事ですか?」

 「そういうことです。会場でレン殿の姿を見つけた時に、この選択をして本当に良かったと、心から思いました。もっとも、サロリア殿の存在に関しては予想外でしたがね」

 「ふふ、まったく、あのお方は……」

 会話を聞いていたサロリアが、嬉しそうに笑っている。出会ったばかりの頃は、あまり表情を変化させる事がなかった彼女だが、今ではこのように頻繁に感情を表に出すようになった(といっても、頭の中で何を考えているのかは検討もつかないが)。

 それでも、嬉しそうに笑うサロリアを見て悪い気はしない。

 「さて、明日も早朝から稽古がありますから僕は帰ります。お二人も、次の村まではまた距離がありますから、しっかり休息をとった方が良いですよ。おそらく、普通に歩いていたら一日ほどかかると思いますから」

 「そうですね。レン、私達も帰りましょう」

 「ああ、わかった」

 村へ戻ろうと踵を返した時、村の反対側まで続く外壁付近に二つの人影を確認した。

 少し遅れて同じく村の中へ歩き始めているフレアさんが、驚愕した様子で短い声をあげ、言葉を続ける。

 「すみません、彼らの事をすっかり忘れていました。僕は彼らに魔者の件を報告しますので、先に帰ってください」

 フレアさんの言葉に対し、了承の弁を返すと、俺とサロリアは宿へと戻った。

 慣れない事ばかりしていたためか、俺の体は思っているよりも疲弊しているようであり、剣を腰から外して布団へ倒れこむと、ほとんど同時に意識を失った。


 翌朝、相変わらずサロリアの一声によって起こされた俺は彼女と共に宿の朝食を摂り、早々に準備を済ませ、アミュレを出発する事にした。

 宿屋のおばあさんに感謝の気持ちを伝えると、餞別として用意してくれていた昼食用のパンと一日分の水を、二人分受け取った。

 俺達は二度目となる感謝の言葉を伝えてから宿を出ると、昨夜フレアさんと再会した場所でもある村の入口へと向かった。

 「しかし運が良いですね。旅を始めて今日で三日目ですが、雨が降ることもなく、今日の空模様はまさに快晴。雨に打たれながらの移動は体調を崩す恐れがありますから、歩みを止めざるを得ません。晴れている今の内に、可能な限り歩を進めましょう」

 「そうだな。今日中には次の村まで辿り着けるといいな。フレアさんが言うには、丸一日かかるようだから、到着は日が沈んだ後か」

 「長い道のりですが、体力も回復してますから問題ないでしょう」

 何気ない会話を交わしながら歩いていると、すぐに村の入口が視界に入ってきた。

 初めてアミュレを訪れた一昨日、そして昨晩と同じように入口の両端には二階建ての建物にやや勝るほどの高さの柱がそびえている。柱の付近には昨晩こそ姿が見えなかったが、初めて訪れた時と同じように二人の兵士が村の内側へ背中を向けて直立している。

 けれども今日は、彼らとは違う別の人物の姿もあった。その人物の視線は、俺とサロリアを凝視しているようにも感じる。

 更に入口へ近づくと、その人物の外見がはっきりと明らかになってきた。その人物は緑と白を基調とした鎧を着用しており、右手で身長と同等の丈の薙刀を握っている。また、鎧の緑と同様の色をした伸びた長い髪は高い位置で一本に結いであり、時折風になびいて空を泳いでいる。

 “彼女”の近くまで来て歩みを止めると、最初にサロリアが声を発した。

 「リベイラ? どうしたのですかその格好は。今日は村の警備でも手伝っているのですか?」

 「あっサロリアさん。それにレンさんも。昨日はありがとうございました。おかげで、あたしも自分の力の無さを実感する事ができました」

 「いえ、昨日も言いましたが、リベイラは十分な強さを既に持っていますよ。それに、貴方は私達よりもまだ若い。伸びしろはたくさん残っているはずです。今後も精進する事を怠らなければ、更に実力を上げる事は可能でしょう」

 「ありがとうございます……」

 リベイラは、昨日の別れ際に見せたような悩ましげな表情を見せた。しかしすぐに表情を無味乾燥な状態へと変化させ、思い出したかのように言葉を続けた。

 「そういえばフレアさんから聞いたんですけど、昨日の夜は久々に魔者の襲撃があったんですよね? サロリアさんとレンさんも一緒だったんですか」

 「ああ、そうだよ。といっても、俺が到着した頃には二人の手によって魔者が全滅した後だったけどな」

 そこで会話が途切れた。すると、リベイラは再び思考にふけっているような様子に戻る。この状態の彼女の表情には、何かに対する焦りの感情が含まれているようにも見えた。

 少し間をおいて、再びリベイラが会話を繋ぐ。

 「それにしても今日は良い天気ですね。旅立つには、これほど良い日和はないですよね」

 「ああ、うん……」

 明らかに作り笑いと断定できる面持ちで、至極つまらない事を喋りだしたリベイラに、俺は正直参っていた。

 サロリアに助けを求めようとしたが、彼女は最初の会話を終えた時から黙っており。今は鋭い視線でリベイラを見据えている。

 リベイラは、サロリアの視線に気づきつつも、額に汗を浮かべながら必死に目を合わせないように意識しているようだ。そこでやっと、サロリアが何を考えているのか推測できた。

 ――リベイラの本当に言いたいのは、こんなどうでも良い事じゃないんだな。

 「リベイラ」

 黙していたサロリアが、あたふたしている彼女の名を呼ぶ。呼ばれたリベイラは驚愕の表情を浮かべながら返事を返すと。サロリアは彼女に詰め寄って瞳を一点に見つめ、問い質した。

 「本当に訊きたい事が、他にあるのではないですか? 私達は先を急ぐ身です。世間話をしたいだけならば、この辺で終わりにして頂けますか」

 「おい、ちょっとその言い方はひどいんじゃないか」

 サロリアにしては珍しい、厳しい言葉だった。

 つい反射的に口をはさんでしまった俺に対し、言葉を返したのはサロリアではなく、リベイラであった。

 「いいんです、レンさん。……サロリアさん、貴方の言う通りです。あたしは、お二人にあるお願いをするために、日が昇る少し前からこの場所でずっと待っていました」

 「……それで、その『お願い』というのは、何でしょうか」

 リベイラは、サロリアから俺に視線を移し、何も言わずに再びサロリアへと視線を戻す。サロリアの姿を見つめる彼女の瞳は、澄み切った色をしていた。

 「あたしを、魔王討伐へ連れて行ってください」

 ――ああ、そうか。そういう事か。

 やっとリベイラがここで立っていた理由に合点がいった。だから道着でも普段着でもなく、鎧を着用していたのか。だから早朝に起床して俺達が村を出るより先に入口で待機していたのか。

 しかし、それは――。

 「何故、そう願うのですか」

 サロリアは、冷徹にも見える表情を、リベイラの“お願い”を耳にしてから一切変化させていない。

 「……あたしの両親は、魔者によって殺されました。凄く優しくて、凄く立派で、皆に誇れる自慢の両親でした。それなのに、ある日唐突に命を落とした。それも、得体の知れない存在の手によって。あたしは魔者が、それを生み出した魔王が、憎くて憎くてたまらない。魔王を殺し、魔者を世界から消し去れるのならば、死んでしまってもいいと思っているんです。だから、必ず役に立ちますから、あたしも連れて行ってください!」

 リベイラは言い終えると同時に長い髪と一緒に頭を下げた。

 気持ちは理解できるつもりだ。俺も、父さんを殺した魔王が憎くて憎くて仕方がない。だが、だからと言ってリベイラを連れて行く気にはなれない。その理由を、上手く言葉にできず、何も口にする事ができなかった。

 サロリアも沈黙しており、三人の間を静寂が支配する。

 上手く説明する事が難しい。それでも、はっきりと言わなければいけない。

 かけるべき言葉を模索している最中、俺は昨晩のフレアさんとの会話を思い出した。そして同時に、復讐のためだけに生きていたフレアさんの運命を変えた、自分の父親の言葉を思い出した。

 「リベイラ、すまないが、君を連れて行く事はできない」

 リベイラが顔を上げて声を荒げる。

 「どうしてですか! 別に魔王と直接対峙したいわけじゃない。ただ、魔王に一矢報いたいだけなんです! 途中で死んでも、別に構いません。なんなら、道具のように使い捨ててくださっても結構です! お願いします。あたしを連れて行ってください!」

 「私からも言わせて頂きます。リベイラ、貴方を連れて行く事はできません」

 「……そうですか。……なら――」

 リベイラが身を翻し、俺達に背を向け、村の入口へ向かい歩きだした。緑色の長い髪が、歩みに合わせて小さく左右に揺れている。

 「あたしは、あたしだけで魔王討伐を果たします」

 「待てリベイラ!」

 リベイラの背中に向けて力強く声を飛ばすと、彼女の歩みが止まった。同時に、小柄な体を振り向かせ、やや不機嫌そうな表情を見せる。

 「なんでしょうか、レンさん」

 「リベイラは本当に強い。でも、魔王討伐へは行くべきじゃないんだよ」

 「あたしが何をしようが、レンさんには関係ないでしょ」

 「その通りだ。確かに関係ないと思う。だから、これは“お願い”なんだ。リベイラには、リベイラの本当に為すべき事をしてほしいんだ」

 リベイラの瞳が揺れる。その時、柔らかな風が吹いて一本に結いだ緑色の長髪が舞った。まるで、彼女の迷いを体現するかのように。

 「あたしの為すべき事……?」

 「そう。為したい事ではなく、為すべき事。もう一度、それを考えてほしい」

 リベイラは、この村で生まれ、この村で育った。村の者は彼女を愛し、彼女もまた村の者を愛したはずだ。不自由はなく、何の間違いも犯さないで暮らしてきたはずだ。

 それがある日、自分を育ててくれた両親を理不尽な暴力、或いは運命によって同時に失い、彼女を支えてきた二本の柱は崩れてしまった。

 支えを失い、今にも崩れそうな彼女に手を差し伸べたのは、とある人物に救われ、自らも人を救いたいと願う一人の若い男。

 彼女は“男”の下で修行を積み、才能が故か、驚くべき成長速度で力を大きくしていった。十分な力が手に入った今、彼女は両親の仇を討つためだけに乱暴に力を使おうとしている。しかし、果たして“男”が彼女に力を与えたのは、復讐を果たすためだったのだろうか。

 それは違うだろう。なぜなら、“男”はその“過ち”には気づいているのだから。

 ――彼女が真に為すべき事とは――

 リベイラが再び俺達に背を向ける。

 「レンさんの言いたい事。たぶん理解しました。でも、それでも、あたしは魔王討伐に向かいたいんです」

 その声色には、確かな決意が込められているように思える。勇気と憎悪が入り混じるリベイラの感情は、もう俺が何を言っても揺るがないのかもしれない。

 「――リベイラ!」

 このまま送り出すしかないのかという諦めが脳裏によぎった時、突如として後方から彼女の名を呼ぶ若い男の声が聞こえた。

 振り向くと、白と紺の道着を着用した赤い髪の男が、鋭さを帯びた眼差しを伴う険しい面持ちで立っていた。

 対面したリベイラの顔色をうかがうと、明らかに困惑している様子が見て取れる。

 「フレアさん……」

 フレアさんは一歩ずつゆっくりと地面を踏みしめ、リベイラに向かって歩いてゆく。

 「レン殿の言った事、全て理解した上で自らの願望を自らのためだけに叶えようとするのか。それは、単なるわがままじゃないか? そんな身勝手な理由と半端な決意では魔王討伐が為せるはずが無いと、リベイラなら理解できるだろう?」

 「それでもあたしは、魔王に抗いたい。もう待つだけなのは嫌なんです!」

 「ならば、この村はどうする。リベイラが生まれ育ち、リベイラを愛してくれた村の人達を、誰が守る?」

 「それは、フレアさん達が――」

 リベイラは、バツの悪そうな顔を見せた。自分が口にしようとした言葉に対して嫌悪感を抱いたのだろう。

 フレアさんの様子には変化がなく、依然として真剣な眼差しでリベイラを見据えている。

 「魔者に村が襲われた時、リベイラの不在によって命を落とす人がいるかもしれない。そうなった時、リベイラは後悔せずにいられるか? 人にはそれぞれに与えられた役割があると僕は考えている。その人にしかできない事、その人にしか為せない事というのが誰にでも必ずあるはずだと。そして、魔王討伐とは、勇者によって行なわれる事だ。リベイラ、自分が本当は何を為すべきなのか、もう分かっているんだろ?」

 「……でも! あたしはもう見たくないんです。あたしのように、親しい人を亡くして悲しむ人達の姿を! 一日でも早く悪夢を終わらせるために、自分の力を役立てたいんです!」

 少し瞳が潤んでいる彼女の口調には、先程よりも更に強い感情が込められていた。

 対するフレアさんは唐突に表情から力を抜き、眉尻を下げると、一転して優しげな眼差しをリベイラへと向けた。

 「じゃあ、僕達はどうするつもりだい?」

 「え――?」

 時間が止まったかのように、リベイラの表情が硬直した。

 「リベイラが旅立てば、僕達は『親しい人を亡くして悲しむ』だろう。僕達が抱くであろうその気持ちはどうすればいい? どうやって沈めればいい?」

 「それは――」

 静止したままのリベイラを見つめたまま、フレアさんは口元を緩めると、眼差しに宿していた優しさを表情の前面に浸透させていく。

 「すまないね、リベイラ。本当は、ただ君に死んでほしくないだけなんだよ。これは僕のわがままだ。リベイラと同じ、親しい人を失いたくない願望から派生した一方的な願い事だと思う。……リベイラにはね、僕と一緒にこの村を守り続けてほしいんだよ」

 一連のやりとりを黙したまま見守っていたサロリアの表情が、フレアさんと同じように緩んだ。同時に、俺の心にかかった靄も晴れていく。

 ――どうやら、俺自身の表情も彼と同様のようだ。

 この場で相変わらず緊張した面持ちでいるのはリベイラだけだった。その彼女が、口をつぐんで視線を地面へと落としたまま、俺達が立つ方向へと向けて歩き出した。

 彼女は俺とサロリアの横を素通りし、そのままフレアさんの立つ位置へ向かって一直線に歩んでゆく。

 リベイラは、肩を震わせながら歩いていた。やがてフレアさんの目前まで辿り着くと、その歩みを止め、更に頭を下げた。

 「……すみませんでした。あたしのやろうとしていた事は、間違いでした。折角フレアさんが救ってくれた命なのに、それを無駄にしようとしていました。本当にすみませんでした。それと、ありがとうございます。先ほどの言葉、本当に嬉しかったです」

 「いや、いいんだよ。それよりさっきの願い事は叶えてくれるのかい?」

 「……もちろんです!」

 声を震わせながら必死に搾り出したリベイラの回答を耳にすると、フレアさんはリベイラの右肩に片手を置いて微笑んだ。

 「ありがとう」

 俯いていたリベイラの瞳から、雫がこぼれ落ちて地面を濡らす。彼女はそれに気づき、自分の左手で顔を拭うと、顔を上げた。

 顔を見せたリベイラは、目を赤くして頬を濡らしながらも、フレアさんと同じ晴れやかな笑みを浮かべていた。

 「もう大丈夫そうですね」

 サロリアが、村の入口へ向けて歩き出すのを確認し、俺も後を追う。

 平原と村の境目が目前に迫った頃、再び背後から声が聞こえた。

 「レン殿! サロリア殿! また会える日を楽しみにしております! ご武運を!」

 振り返ると、フレアさんとリベイラが横に並んで立っていた。二人とも、迷いのない明るい微笑みを見せている。

 俺達は彼らに一礼すると、再び平原へと向かって歩き出した。

 

 アミュレの警備の任についている二人の兵士の側まで行くと、彼らに声をかけられた。

 「レン様、サロリア様。次の村へ向かわれるんですね」

 「近頃、特殊な魔者が出現している地域があるそうなので、十分気をつけてください」

 「特殊な魔者? それはいったいどんな感じに特殊なんだ?」

 「なんでも、弓矢のような遠距離武器を使うとか」

 サロリアの表情が一瞬変化したように見えた。けれども瞬時に普段の無表情に戻ったため、構う事なく俺は兵士への質問を続ける。

 「弓矢? 魔者が?」

 「はい。私達の兵士にも、何人か被害者が出ています。それと、矢については時間の経過と共に消えてしまうようで、犠牲者達の遺体には矢が残っておりませんでした」

 これまで、弓矢どころか飛び道具を使う魔者の姿は見た事もなければ聞いた事もない。俺が認識している“魔者”とは武器として剣のみを扱う存在である。

 剣のみを扱うという事実に関して、根拠を推測する諸説がある。中でも最も有力な仮説とされているのが、知能の問題である。

 魔者達の攻撃は、その全てが直線であり、此方の動きを読んで行動を変化させたりせず、此方の攻撃を防ぐ事もない。つまり、魔者とは定めた標的に対して剣を振り、殺害するなどして標的を失えば、また新たな標的を定めて同じような行動を繰り返す単純な行動しかできない存在だと、そう決め付けていた。

 そのため、弓矢を扱うというのは信じ難い。角度を計算し、力量を調整しなければいけない精密な技術を要する武器を魔者が扱い、標的に命中させるなど、あり得ない話だ。

 しかし、この兵士達が嘘を言っているとも思えない。

 ――まあいいか。仮に真実だとすれば、いずれ対峙する事になるだろう。

 「分かった。気をつけておくよ」

 「はい、ご武運を」

 それだけ言うと、俺とサロリアは最初の村。アミュレを後にした。

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