第6話

 勇者誕生を祝う目的で開かれた晩餐会が終わり、あたしはレン君とサロリアの二人を城の外まで送った。レン君もサロリアも疲れた表情をしていたけれど、任命式の場で宣言した『明日にでも発つ』という決意は変わらないみたい。

 二人の勇者を見送った後、あたしは同僚の伝言で自分が国王に呼ばれている事を知り、小走りで目的の場所に向かっているところだ。

 三階の階段を上がり、貴族御用達の食堂のある四階を上がり、五、六、七に設けられている貴族達の居住スペースも無視して駆け上がる。普段はあたしのような貴族でも王族でもない平民が立ち入るのは許されていないけれど、特例として命令があれば無断で立ち入る事が許されている。途中、何度か煌びやかな衣装を身に着けた貴族の方と遭遇したけれけれど、何も言及されなかったので、既にあたしが国王に呼び出されている事は周知の事実なのかもしれない。

 やがて、王族の居住区域である八階に着くと、約束の場所であるバルコニーへと向かい歩いてゆく。

 目的地へ到着すると、そこには二人の男が下界の明かりや人の流れを見下ろしながら、言葉を交わす事もなく双方ともに無言で立っていた。片方の男は、当然の事ながらあたしを呼んだベネット国王だ。もう片方の男は……。

 「失礼致します。ベネット国王、ケリウス様。言伝にて私に伝達事項がある事を知り、こうして馳せ参じた次第でございます。早速ですが、伝達事項とは如何様なものでしょうか?」

 「まあまあ落ち着きたまえソラ君。時間は十分にある。そう急かすな」

 「は、はぁ」

 ケリウス様であった。この方は国王と共に国を支えてきた現在のレアルタ王国に必要不可欠な人物の一人である。弓の名手でもあり、あたしも扱い方を教わった覚えがある。ただ、あたしには弓の才能がなかったのか、上手く扱う事ができなかったので今はもう弓を触ってはいない。

 それにしても、呼ばれたから来たというのに、用件を教えて頂けないとは……いったいあたしはこんな偉人に囲まれた状態で何をしていれば良いのか。

 とりあえず、二人より一歩下がった地点に立ち、夜空を見上げてみた。

 夜空には、数え切れない程の光が点々と灯っている。それらは博識な者が語るには星と呼ばれる物であり、あたし達の立っているこの場所も星であるそうだ。だとすれば、あの遥か遠くに瞬く光まで世界が続いているのだから、世界の端から端まで旅する事など絶対に不可能だろうな、と意味の無い考え事をしていた。

 「ソラ、そしてケリウス」

 黙っていた国王がようやく口を開き、静かに、しかしはっきりと聞きとれる声色で、語り始めた。

 「ワシら三人は、良く似ていると思わんか? 三人とも、多くの仲間を失って、自分だけ生き残ってしまった人間だ。ワシは、昔の戦いによって大切な仲間と家族を失った。ケリウスもワシと同じ戦乱で当時住んでいた村の人間達が皆殺しにされた。ソラは、先の魔王討伐の任務でワシと同じように多くの仲間を失った。ワシは死んでいった仲間達に誓った。必ずこの世に平和をもたらす、と。その誓いを未だに果たせずにいる事が情けなく思う。だが、それも終わりだ。今回の戦いを最後とし、ワシは仲間との約束を果たす。全てに終止符を打つのだ。そのためにはお主達二人の協力が必要不可欠なのだ。勝手なことを言って申し訳なく思うが、そなた達の命。このワシ、いや、この国のために捧げてはくれぬか?」

 王の言葉は、問いかけではなく確認だった。今の言葉に含められた意味を、あたしは瞬時に理解した。おそらく、先程から変わらずに眼下の街灯りを眺めているケリウス様も同様だと思う。この方は、何十年も国王と共に国を育んできたのだから。

 王の言葉に対する答えはあの日から――一年前、仲間達の形見を持って王国へ帰還した時から変わっていない。あたしは、この時が来る事だけを待ち望んで生きてきたんだ。仲間達の屍を踏みつけて、のうのうと、たった一人で。

 あたしが返答をしようとした時、ケリウス様が口を開き、あたしより早く答えを返した。

 「無論でございます。本来、私は既に死んでいるはずの身。まだ心身共に幼かった私を救って頂いたあの日から、国王のためならば、いつでも命を差し出す覚悟は変わっておりません。魔王によって殺された両親と、死んでいった村の者達の魂に安らぎを与えられるのなら、この命、どうぞお好きなように使って頂いて構いません」

 ゆっくりとした口調で喋っていたケリウス様の視線は、話している間も眼下の街に釘付けだった。もしかしたら、街の灯りを見ているのではなく、魔王によって滅ぼされた村の、まだ平和だった日の情景を思い出しているのかもしれない。

 ケリウス様の話が終わると、続いて私が答えた。

 「あたしも、ケリウス様と同じ気持ちです。一年前に父と、仲間達を皆殺しにされた日に、ソラという人物もまた、仲間と共に戦死しました。今ここに立っているあたしは、殺された“五十人”の怨念が作り出した亡霊。弔うためには魔王を討伐する事は必定。そのために必要であれば、あたしの命、国王へ捧げます」

 あたしとケリウス様の言葉を黙って聞いていた国王は、顔に苦味を浮かべながらあたし達を交互に見た。

 自身の宣言した内容に嘘偽りがない事を証明するため、国王の双眸を力強く見つめる。すると、国王が全身から力を抜き、現在バルコニーに蔓延している重い空気に似合わない「ふぅ……」といった感じの深いため息を吐いた。

 「お前達は間違っている。死んでいった者達は、どんな思いでお前達を見送ったと思っている。自らの仇をとってもらうためか? それは違う。そうであれば、頼みの一言くらい遺していくはずだ。『魔王を殺せ』、とな」

 「しかし、殺された仲間達は毎晩のようにあたしの夢の中に出てくるのです。『魔王を殺せ』、『仇を討ってくれ』、彼らは口々にそう言います。それは、彼らが望んでいるからではないのですか?」

 「亡くなった者達に語る事はできぬ。『魔王を殺せ』、そう言っているのはお前自身ではないのか? お前は、自分の気持ちを仲間達の総意だと勝手に決めつけているだけではないか?」

 「しかし……。では、魔王を討つなと国王は仰るのですか! 先程、国のために命を捧げてほしいと言ったのは、何だったのですか!」

 少し言葉に怒気を含んでしまった事に気づいたけれど、失礼と知りつつ、訂正する気にはなれなかった。それに対してケリウス様は咎める様子もなく、国王も、気にしていない様子だ。

 「国のために命を捧げる事と国のために死ぬ事は同義ではない。どうもワシにはお前達二人が死にたがっているように見えて仕方がないのだ。最初から死ぬ気でいる人間に、物事の正しい判断が出来ようはずがない。それともう一つ、お前達の感情の根底には憎悪しかない。憎悪によって事を成したとしても、真の平穏はもたらせぬ。憎しみは、より大きな憎しみしか生まぬのだ」

 「しかし……。では、あたしはどうすれば……」

 「ソラ君」

 国王に見つめられている間も、あたしが国王に抗議している間も、自らの故郷を重ねた街を眺めていたケリウス様があたしを見つめ、なだめるような声で名を呼んだ。

 あたしが発するべき言葉を失うと、交代するようにケリウス様が口を開いた。

 「国王。私は、まだこの国に必要なのですね」

 それを聞いた国王の表情が、先程までの厳しい面立ちから悲哀を含んだ物に変わった。

 「すまんな、ケリウス。ワシとこの国には、まだお前の力が必要なのだ。お前の命、三十年以上経った今も、返せぬ事を本当に申し訳なく思う」

 「お気になさらず。皆によって救われたこの命に意味が与えられるのであれば、国王と共に歩みを続けられる事も、私にとって最上級の喜びであります」

 あたしはこの時、ようやく国王の言葉の意味を理解した。

 命を捧げるとは、国のために命を捨てる事ではなく、国のために命を使う事。それは、必ずしも死ぬ事ではない。自らの願望より優先して国のために必要な事を為すという誓いだった。それを、今になってやっと理解した。

 あたしの場合、国に命を捧げる事とは、仇を討つ名目で無謀な戦いに挑んで仲間達の下へ逝く事を断念し、国のためにこれからも生き続け、生涯をかけて滅私奉公に努める事だ。

 つまり、国王は私に「生きろ」と言ったのだ。

 「申し訳ありません国王。あたしは愚かでした……。国王の言っている事を即座に理解できず。自分の至らなさが恥ずかしく思います」

 「構わぬ。それで、意味を理解した今でも、国に命を捧げる事を誓ってくれるか?」

 「はい、それは勿論です。ですが――」

 意味を理解したからこそ、改めて宣言しておく必要があった。

 「ですが、必要とあらば命を捨ててでも、国を、人を守ります。それは、決して私欲のためではありません。あたしは、この世界に生きる人を守るために戦う事を誓います」

 「構わぬ」

 二度目の返答をした時、国王の口元には笑みが浮かんでいた。ふと隣を見ると、ケリウス様も同じように微笑んでいる。

 「では、此度の戦いでのお前達二人の役割を伝えよう」


 その後、国王より伝えられた任務は、私の想像していたものとは随分と違った。もしかすると、先程宣言した内容を実行する日が来るかもしれない。

 任務を頂いた私は一礼してバルコニーに背を向け、階段のある方向へ向けて歩き出した。

 「さて、では“準備”を急がねばなるまい。レンとサロリアが魔王の居城へ辿りつくのは、そう先の事でもないだろうからな」

 去り際、微かに聞こえた国王の『準備』という言葉が何を意味するのか少し気になったが、あたしには関係のない事だと割り切り、階段を下りていった。

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