第5話

 「結局、俺は一度もサロリアには勝てなかったな」

 想い出の溢れる森を後にした俺とサロリアは、王都の中心に位置するレアルタ城を目指し、舗装された道を歩いている。

 森を出た時点ではまだ明るかった空も、今では淡い赤色に染まっていた。

 「サロリア……?」

 道中、何度かサロリアに話しかけているが、森を出発して以来、口を一度も開かずに難しい顔をするばかりで、会話が成立しない。

 これから行なわれる式典を前にして緊張しているのだろうか。だとしたら、これは非常にめずらしい光景かもしれない。一年間共に過ごしてきたが、彼女が緊張した瞬間など見た事もないからだ。

 様々な事を考えながら歩いていると、あっと言う間にレアルタ城の城門前へ到着した。

 レアルタ城の周囲には深い堀があり、夕日を受けて溜まっている水が空模様と同じ色に染まっている。水源は王国の近辺に流れる川であり、それぞれは地下で直接繋がっているらしい。

 レアルタ城は王都の外壁ほどではないが高い城壁に囲われており、城門の役割を担う唯一の入口以外からは、外敵が侵入できないよう造られている。

 城門の前には橋が架かっており、この部分のみ堀の上を渡れる構造である。橋を渡った先には大きな門があるが、人が出入りする時以外はかたく閉ざされており、門の両端には常に一人ずつ、見張りと開閉の任に着いている兵士が立っており、不振人物に対する警戒に務めている。

 そこに立っている人物。門の右端に立ち、視線のみ動かして周囲を警戒していた兵士と目が合った。その兵士は俺の知り合いであり、かつて父さんの率いた討伐隊の唯一の生還者であるソラという名前の女性。父さんの形見の剣が今こうして俺の手元にあるのも、彼女が届けてくれからに他ならない。ソラが以前語ってくれた話によると、父さんは決戦の直前で自分の剣をソラへ渡し、俺へ届けるように命令した。代わりに自分は道中で亡くなった討伐隊員の剣を握り、魔王に挑んだとの事だ。

 受け取った剣は俺の知っている父さんの物とは外見が異なっており、それをソラに訊ねると、王都へ帰還する道中で剣が光って銅色から紅色に変化したそうだ。まったく不思議な話だが、一応彼女の話を信じている。

 ソラは父さんの命令を守り、たった一人だけ生き残ったわけだが、彼女はそれを少しだけ後悔しているようだ。

 「あっ、レン君とサロリアじゃない。やっと来たわね!」

 「今日は珍しく門番をしているんだな。何か特別な事でもあったのか?」

 「あるじゃない。だからレン君達がここへ来たんでしょ。当事者が何を言っているの? 今日の式典を無事に終わらせるため、あたしはここに配備されてるのよ」

 重く頑丈そうな鈍色の鎧を着用し、特徴的な黒色短髪の、およそ兵士の喋り方とは思えない口調でソラが話した。

 「おいソラ、今は勤務中だ。もう少し丁寧な言葉遣いをしろ」

 「も、申し訳ございません先輩」

 「ふっ――だが、気持ちは分からないでもない。俺は国王に事を知らせて来るから、それまで世間話でもしているといいさ。……レン様、サロリア様、私は国王より入城の許可を頂いてきます故、ここで暫しの間お待ちください」

 ソラの「ありがとうございます」という声だけ聞くと、もう一人の門番である若い兵士は城の扉を開け、城内へと姿を消した。すると、中の様子を窺う暇もなく即座に門が再び閉じられた。

 「ソラ、昨日はお疲れ様でした。武闘大会での貴方の戦いぶりはとても勇ましく、一夜経った今でも鮮明に思い出せます」

 「まあ、サロリアにはとても及ばないけどね。ああそうだ。武闘大会優勝おめでとう。それにレン君も、準優勝おめでとう。二人の決勝は凄かったわね。私達みたいな並の戦士じゃあレン君達とは到底渡り合えない事がよくわかったわ」

 「ソラだって並はずれた強さを持っているだろ? それに、俺がサロリアとまともに戦えるようになったのは、きっと体に流れる血のおかげだから……もしソラが勇者の血を受け継いでいれば、準優勝していたのはソラだったと思う。それどころか、ソラならばサロリアにも勝てたかもしれない」

 「そう言ってもらえると嬉しいけどね。だけどレン君、血を受け継いだのが貴方である以上、その力を行使できるのも貴方だけなの。だからその力も含めて自分の実力だと、もっと誇ってもいいと思うよ」

 「ソラの言う通りですよレン。レンはもっと自信を持った方が良いと思います。貴方には、勇者としての力がある」

 どうも説教を受けるような形になってしまった。サロリアからは今のような事を日頃から言われているが、少し剣の扱い方を知っているだけの素人が、たった一年で王国の一、二を争うほどの強さにまで成長できたのだから、それを自分の力だと言うのは慢心が過ぎるのではないだろうか。

 ましてやソラの前である。彼女は生まれてから今日に至るまで、剣の道に生きてきた。幼い頃から毎日のように剣の腕を磨き続けていた彼女を武闘大会で負かしてしまった時は、非礼であると理解しながら、申し訳ないと思ってしまった。

 武闘大会の感想を言い終えると、次に現在の街の情勢や魔者の出没状況などをソラから聞いた。依然として魔者の姿は最近確認されていないらしく、国王と兵団の人間は突然の襲撃に備えて警戒をしているようだ。

 再び門が開いた。そこから先程の若い兵士が現れた。

 「許可が下りました。こちらへどうぞ」

 俺とサロリアは言われるがままに城内へ進み、反対に若い兵士は外へ出ていった。


 城内に入ると、別の兵士が扉を入ってすぐの所に立っており、彼によって王の間へと案内をされる事となった。とは言っても、この城は非常に単純な造りであり、余程の方向音痴でもない限り、迷う事なく目的の部屋へ辿り着けるだろう。ましてや任命式の会場である王の間は、中央の広間にある階段を二階層分上れば嫌でも視界に入るほどの大きな扉の先にある。

 王の間まで行くだけなのだから、迷う事はないと思うのだが、兵士にそれを言っても仕方ないので黙っておいた。彼は与えられた任務をまっとうしているに過ぎない。

 「なるほど、ここがレアルタ城の城内ですか。初めて入りましたが、国の王や重鎮が住まう場所だけあって並々ならぬほど豪勢ですね。建物の中に池を作ってしまうとは、恐れ入りました」

 「こんな無意味な事はしなくてもいいと思うけどな」

 城門を入った先にある中央の広間には部屋の四隅に小さな池がある。中に魚がいるわけでもなく、意味のない唯の水溜りと表現していい。おそらくは城を建造する際に国王の意向か建築士の閃きによって造られたのだろうが、俺には良さが理解できなかった。

 四隅に池のある広間の中央には階段が備え付けられており、これを上ると四隅から池が消えただけの同じような外観の二階部分が現れる。

 二階にはレアルタ王国が建国されるまでの記録や、武器や防具の扱い方、自然現象の解説や人体の仕組みなど様々な事柄が記載された書物が多く保管されている資料室がある。

 二階には資料室以外に大きな部屋はなく、今は資料室にも用はないため、足を止める事なく次の階層へ続く階段を案内役の兵士に続いて淡々と上った。

 三階へ着いた。周囲を見回すと、これまでに見た城内の扉より一際大きい扉が目に入った。これが、王の間への入口である。

 「では、私はこれにて。失礼します」

 案内役の兵士は深く頭を下げると、兵士らしい規則正しい歩き方で上ってきたばかりの階段を下りていった。

 「何も言われなかったけど、本当に俺が一緒にいていいのか?」

 「今朝言ったように許可は頂いております。問題ありません。それに、今日は勇者の任命式です。ならば勇者であるレンは当然出席するべきでしょう」

 「何を言っているんだ? 俺は勇者の息子ではあるが、勇者ではないだろう」

 「ふふ。じきにわかる事です。さぁ、中へ入りましょう」

 「ちょっと待て――」

 俺の問いかけに明確な答えを出さず、サロリアが扉を開けた。彼女に抗議しようと口を開いたのだが、扉が開いた瞬間に盛大な拍手の音が響き、それ以上言葉を続ける事ははばかれた。


 広間の左右には貴族と思われる派手な衣服を着用した男女が多数参列しており、誰もが笑顔で手を叩き、サロリアが勇者になる事を祝福している様子だ。

 中央には、これまた派手で巨大な椅子が設置されている。誰が見ても一目で国王の椅子だと理解できるだろう。その椅子の前に白髪の老いた男が、貴族のような派手な衣装ではなく、頑丈そうな鎧を身に着けて立っていた。

 この目の前に立っている人物――歳に割り合わない屈強そうな外見の老人こそ、この国を統べる王であるベネット=レアルタだ。

 「よくいらしてくれたサロリア。それにレンも、よく来てくれた。先の武闘大会での二人の戦い、実に見事であった。ワシも昔の事を思い出して血が滾ったよ。あれだけ興奮したのも久方ぶりであったな。改めて、武闘大会優勝おめでとう、サロリア殿。ワシはそなたのような勇猛な戦士が国から誕生した事を誇りに思う。それは、ここにいる皆も同じ気持ちであろう」

 「ありがとうございます、ベネット国王」

 本来、この式典には関係のないはずの俺は、何か話を振られるまでは黙っていようと決めていた。そのため、サロリアと同じように口頭で返事をせず、目立たないように軽く会釈をするのみとした。

 「当初の予定通り、そなたを勇者として任命させて頂く。そして、勇者となったそなたには同時に魔王討伐を依頼をさせて頂きたいのだが……引き受けてくれるか?」

 「はい。もとよりそのつもりでここへ参りました。魔王討伐の任、謹んでお受けさせて頂きます」

 「そう言ってくれると信じていた。魔王討伐のためとあらば、準備にも時間が掛かるであろう。だが――これはワシの勘なのだが、既に残された時間は少ないように思える。最近魔者が姿を見せぬのは、魔王がこの王国を滅ぼすための大規模な準備をしている事に起因するのだとワシは考えておる。これだけはなんとしても避けねばなるまい」

 国王が発した言葉を耳にした貴族達の一部でざわめきが起こった。

 「では、その攻撃を凌いだ後に魔王討伐へ向かった方がよろしいのではないでしょうか?」

 「そうもいかぬ。魔王とて無能ではなかろう。幾度となく行なった襲撃によって、こちらの戦力を掌握しているはずだ。次回の強襲はワシ達では凌ぎきれない程のものとなるであろう。そうだとすれば、事は未然に防がなければ王国は間違いなく滅びる。サロリア殿、そなたにはそうなる前に諸悪の根源たる魔王を討ち取って頂きたいのだ」

 「そう、ですね……」

 サロリアは、左手の人差し指を顎に当てて、思考に耽っている様子を見せた。おそらく、国王の言葉を踏まえた上で、どのような行動を起こすのが最善なのか考えているのだろう。

 国王の言う事はもっともだ。ただし、全てが真実であればの話ではあるが。しかし国王の言葉を疑い、襲撃によって王国が滅んだ時には後悔しても遅い。結局は国王の勘があっていようがいまいが、悠久の平和をもたらすためには弊害となる魔王を倒す事は必須であるため、王の言葉を信じて魔王との早期決戦に赴くのが最善の行動であると俺も考えている。

 サロリアが指を顎から離し、国王を見据えた。

 「承知しました。王国を守るため、魔王討伐へ早期に発つ事とします」

 「感謝する。しかし、魔王討伐ともなれば、それなりの準備が必要だ。食料や武器、防具、何より屈強な兵士が必要であろう。それらの準備に一週間は要する。それまでの間、そなたには休養を取って頂きたいのだが、それでよろしいかな?」

 「お言葉ですが、一刻も早く発つべき時に一週間も無駄に時間を使いたくはありません。私は、明日の朝にでも旅立ちます」

 サロリアは先ほどまでと変わらぬ表情で、とんでもない事を言い出した。長旅、それも魔王を討伐する旅へ出るというのに、準備が必要ないと言うのである。これには国王も驚きを隠せない様子だ。貴族達は、先程よりも大きなざわめきを漏らしている。

 「明日の朝だと! それでは準備が整わぬ! 何もそこまで焦る必要はなかろう。そなた一人に必要な武具や防具であれば即座に用意する事も可能であるが、共に旅立つ兵士達の人選などには時間がかかる」

 「でしたら、兵団から兵士を手配して頂くのは不要でございます。代わりに、一人だけ同行をお願いしたい剣士がおります。私は、その者と二人で魔王討伐へ赴こうと思うのですが、構わないのでしょうか?」

 『勇者であるレンは当然出席するべきでしょう』この部屋に入る直前にサロリアが口にした言葉が脳内にこだました。

 聡明な国王である。その一言で、彼女が言おうとしている事を理解したのだろう。その顔に驚愕の色は無く、既に普段の厳格な面立ちに戻っている。

 「その者の名を、この場で言ってみよ」

 俺より少し前に立って国王と喋っていたサロリアが振り返った。彼女の金色の瞳と俺の視線が重なると、彼女は再び視線を国王へ向けた。

 「この、レン=イシュメリアでございます」

 ざわめきは、今日一番の盛り上がりを迎えた。けれども国王には驚いた様子がない。

 黙っていようと決めていたが、状況が変わった。すかさず俺はサロリアに抗議する。

 「何を言っているんだ! 俺一人が同行したところで意味が無いだろう。もっと大人数でなければ周囲への警戒や野営した時の見張りだって難しくなる。無茶を言わないでくれ」

 「『意味が無い』などと言わないでください。貴方は私と同程度の実力を持つ唯一の人間なのです。大勢で行動していれば、魔王に接近を気づかれやすくなる事は明白。私達二人だけで魔王討伐を行なう事が最善の策だと貴方にもわかっているはずです」

 「サロリアの言う通りだ、レン。お前は強くなった。一年前の時点ではいくら勇者の息子とはいえ、お前が勇者に相応しい人物となる事に期待はしていなかったが、今は違う。これだけの急成長ができたのだ。道中の戦いで更に成長し、サロリアの窮地を救う場面もあるかもしれぬ。行ってこい、レン」

 「国王まで……本当に、よろしいのですか?」

 「ああ、勿論だ。お前達は、今日から二人で一人の勇者。必ず生きて帰ってこい」

 既に、貴族達のざわめきは収まっており、王の間には静寂が訪れた。その静寂を合図と受け取ったサロリアは一歩後退し、俺の隣へ並んだ。それを確認した国王が口の端に笑みを浮かべる。

 「では、最後に勇者の任命を行なう。サロリア=レオーネ。そして、レン=イシュメリア。そなた達二人を、新たなる勇者として任命する」

 王の間は一転して大きな拍手に包まれた。その喧騒は、俺達が退場した後も暫くの間続いていた。

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