第13話
次の村へと続く街道から少し外れた場所をサロリアと並んで駆けている。幸い天気は悪くなく、土も乾いているため、いつかの豪雨の中を走り抜けた日とは違って非常に走りやすい。しかし、そもそも先を急がねばならなくなった原因を考えると、天気が良い事を幸運と結びつけるのは筋違いだろう。
――豪雨なら良かったのに。
視線の先に広がる広大な森林。その奥に見える上空からは、灰色の煙が数箇所で上がっている。煙を発見するまでは街道を歩んでいたが、この光景を目にしてから目的地を変更して煙の方角へ向けて一直線へ進んでいる。だが、距離を縮めるにつれて青空に伸びる煙の数は一つ、二つと次々増えていく。
やがて、深い緑に囲まれた森林へと突入した。
森の中は、土が盛り上がったり、逆に掘り下げられていたり、背丈の長い雑草が生えていたり身長より低い位置に木々の枝が伸びていたりと、非常に走りづらい地形である。それでも速度を落とす事なく走り続ける必要があった。そのため、眼前に立ちはだかる木々については剣で切り倒しながら進んだ。
暗く長い深緑の森を抜けると、煙の発生源と思しき場所が目に入った。その瞬間、脳裏に昨日の悪夢のような情景が蘇る。
……無残にも燃え上がる村中の民家、逃げ惑い泣き叫ぶ老若男女、上空を飛び交う無数の漆黒の矢、次々と生まれる魔者の姿。
目の前にある小さな村は、赤く眩い炎と広範囲にわたって発生している黒煙に包まれていた。
「なんて事だ……間に合わなかった」
フリルの後を追い、彼女の暴走を止めようと思っていたが、悲劇を未然に防ぐ事はできなかった。
「――レン! あそこを見てください!」
険しい表情をしていたサロリアが血相を変えて指を差した先は、村の入口から少し離れた場所であり、そこには鉛色の鎧を着用した兵士が倒れていた。
兵士は街道の上に横たわっており、村の入口から彼のいる地点まではおびただしい量の血痕が残っている。それが目の前で倒れている兵士の血である事は明らかであり、これだけの出血量では既に亡くなっている可能性が高いと思えた。
けれども兵士にはまだ息があり、サロリアが屈んで彼の両肩を掴んだ。
「何があったのですか?」
「貴方は、誰ですか」
「私はサロリ……いえ、新しく勇者となった者です」
兵士の口が大きく開きかけたが、すぐさま苦痛に顔を歪め、微かな声量で必死に呼吸をして命を繋ぎとめようと努めている。
「勇者様、この村を、襲った、魔者は、別の村へ、行きました」
「別の村へ魔者が行った? つまり、この村にはもう魔者は存在しないのですね」
「おそらく。お願い、します、他の村を、救って、ください」
兵士の呼吸は明らかに荒くなってきている。限界が近いのだろう。その彼が、腕を震わせながら、腰に携えていた剣の鞘を力無く握った。
「これを、昔、ある男から、授かった、剣です」
「この剣を私に譲ってくださるのですか?」
「はい。私には、もう、必要ない、もの、です」
兵士は掴んだ鞘をサロリアの目の前へ差し出すと、彼女はしっかりとそれを受け取った。
昔、とある男から貰い受けたという剣は、確かに他の兵士が持っている量産型の長剣とは外見が大きく異なっていた。刃は灰色であり、それを納める鞘と柄も全て灰色に配色された剣は、どこか異質な雰囲気を感じさせた。
「では、ありがたく頂戴致します。この剣で、必ず魔王を討ってみせます」
灰色の鞘を再度力強く握りしめると、腰へ携えた。その隣には母さんから授かった古びた剣を差している。
彼女が鞘を携えたのを確認すると、兵士は小さな笑みを口の端に浮かべ、ゆっくりと瞼を閉じて満足そうに息を引き取った。
片膝をつき、間近で兵士の最後を看取ったサロリアが立ち上がり、地面に置いていた槍を拾い上げた。
「レン、私は一足先に次の村へ向かいます。もうこれ以上、彼のような被害者を増やすわけにはいきません」
「なら、俺は生存者の有無を確認してから応援に向かうよ。それでいいんだな?」
魔者が去った後の村に、生存者が残っている事など有り得ないと考えていた。だが、今のサロリアに対し、生存者の確認など不要と発言する事は出来なかった。
彼女は無言で首肯すると、兵士の亡骸に背を向けて次の村が位置する方角を見据えた。
「おそらく、今回もフリルの仕業でしょう。彼女は、必ずこの手で断罪します」
腰に剣を二本差し、槍を一本片手に持った彼女の姿が遠のいていく。その後ろ姿を見届けると、俺はサロリアとは逆の方角。轟々と燃え盛る村へ向けて全力で駆け出した。
村の中は酷い有様だった。この光景は、まさしく現世に創造された地獄と言っても過言ではない。木造民家の大半は既に全壊に等しい状態であり、今なお炎は勢い衰える事なく燃え盛っている。
家だけではない。舗装された地面が少ないこの村では、随所の土から生えている雑草にも火の手が伸び燃え上がっている。その勢いは衰えるどころか更に勢いを増していた。
熱を発しながら炎上しているのは民家や雑草だけではない。炎は、既に動かなくなった人間達を草木と共に焼却し、灰へと変えていく。肉体が溶けていく最中にある死体は正視に耐えず、なるべく視界に入らないよう正面だけを見て歩いた。
それでも、村人の亡骸は数が多く、角を曲がった拍子に視界に捉えてしまう事もしばしばあった。
再び建物の角を曲がると、目下に転がった人間と目が合った。その遺体は腕、肩、腹部の三箇所から止め処なく激しく流血しており、負傷している部位には漆黒の矢が刺さっている。しかし、それは俺が視認して間もなく霧散し、細々とした粒子となって炎の中へ消えた。
――間違いない。魔者と、奴らを操るフリルの犯行だ。
遺体を避けて、村人の血痕によって色を変えた土を踏みながら更に村の奥へと進んでいくと、大きな炎の壁が目の前に現れた。一際大きなその建造物を焼き尽くそうとする炎の勢いは他より激しく、大きな音を立てて火花を散らしている。
炎の壁の少し手前には、幅は狭いが高度だけは壁よりも高い建造物があった。見張り台と思われる建物からは四本の柱が地面に伸びており、側面には頂上まで続く長いはしごが取り付けられている。
……だが、この場所に立って真っ先に目に入ったのは、真紅に燃え盛る建物でも、高所まで伸びた見張り台でもなく、見張り台の真下に立って此方を見据える、桃色の髪をした、派手な衣装の少女だった。
「お待ちしておりましたわ」
「フリル……まだこの村に残っていたんだな」
「あら、名前を覚えてくださいましたのね。勇者様に名前を知って頂けるなんて、光栄ですわ」
フリルの軽口に耳を傾ける事なく、黙って鞘から刃を引き抜いた。周囲の景色を反射させる紅色の鞘と柄はより濃い色に染まり、普段は白銀の輝きを放つ刀身も、今は薄い朱色に染まっている。
「サロリアには悪いが、お前は俺の手で倒す」
「負傷している貴方にできるかしら? 万全の状態でもわたくしに傷一つ付けられなかったのに」
先日フリルによって負わされた左肩の傷は止血をしてあり。包帯も巻いてはいるが、痛みが治まっているわけではない。そのため、左手は使い物にならない。
負傷していない右手で柄を握り、力を込める。
――大丈夫だ、右だけならばいける。
「行くぞッ!」
瞬時にフリルの前まで駆け寄り、彼女を剣の射程に捉えると同時に刃を頭上から振り下ろす。
フリルは後退して初撃を易々とかわした。それを確認してから、素早く剣を水平に構え、素早く彼女の腹部を目掛けて突き出す。
軽快な動きで突きを避けると、高く跳躍して俺との間合いを取り、そこで初めて腰に携えた鞘から刀身の細い刃を引き抜いた。
「やはり、わたくしの判断は正しかったですわ。いくら負傷しているとはいえ、腐っても勇者。サロリアと同時に相手をしていれば、わたくしは敗北していたかもしれません。サロリアが騙されてくれて助かりましたわ」
「騙した? ……魔者が次の村へ向かったというのは嘘か!」
「わたくしがここにいる事実から推測すれば、真実か虚偽かなんて分かるでしょう? 前にも言ったかもしれないですけど、分かりきった事を質問する人は嫌いですわ」
フリルは少し腰を落として剣先を俺へ向けると、視線を鋭くした。
「まずは、貴方を殺し、その後でゆっくりと、楽しみながらサロリアを殺す事にしますわ」
先程の俺と同じように瞬時に間合いを詰めたフリルが光速の突きを繰り出す。
彼女の突きは一撃では終わらず、隙を作る事なく連続で攻撃が続く。
呼吸を忘れそうになる程必死に突きをかわし、一歩、また一歩と後退していると、突如、何かが足に引っかかり体勢を崩した。
咄嗟に右手を地面に付いて倒れた体を支え、その腕を支点にして後方へ跳躍した。空中で確認したが、足に引っかかったのは村人の死体だったようだ。フリルの剣は、その亡骸の心臓部分に突き刺さっている。
彼女は刃を遺体から引き抜くと、一振りして刀身に付着した血を払った。
「器用ですわね。右手だけで体を持ち上げて跳躍するなんて、大したものですわ」
フリルは再び剣先を俺へ向けた。ほとんど同時に、俺も剣先をフリルへと向ける。
何も語らず、互いに無表情のまま同時に地面を蹴った。
先に仕掛けたのはフリルだった。彼女は俺の胸部に狙いを定め、剣を一直線に突き出した。
その動きが、今度ははっきりと見えた。
眼前まで迫ったフリルの刃を切り払うと同時に、側面から剣を薙ぐ。その延長線上には、彼女の整った顔がある。
――もう、迷わない。
戸惑うことなく伸びた刃を、フリルは姿勢を傾けてかわそうと試みる。
その一撃はフリルの顔を掠めるだけに終わった。一緒に切断された桃色の髪が数本風に舞い、周りの建物を燃やす火柱によって焼失する。
僅かではあるが顔に傷を負ったフリルが再び後方へ跳躍する。背後には、見張り台が建っている。
フリルは頬に手を当て、掌に付着した自分の血を眺めた。
「……先日より更に強くなっていますわね。やはり、貴方は紛れもない勇者ですわ。だからこそ、ヴェイン様と会わせるわけにはいきませんわ」
「……ヴェイン? ヴェインとは誰だ」
「あら? 貴方、自分が倒そうとしている人間の名前も知らないのね。てっきり、サロリアが教えていると思っていましたわ」
自分が倒そうとしている人間……つまり、魔王の事だろうか。それに、“人間”という事は、魔王は俺と同じ人間なのか。サロリアはそれを知っていたのか。
「わたくしとした事が、少々喋りすぎましたわ。まあ、ここで死ぬ貴方への冥土の土産には丁度良かったかもしれませんわね」
フリルが再び俺へ刃を向けた。その剣先から堰を切ったように漆黒の霧が溢れ出す。
霧は俺を囲むように広がっていき、やがて幾つかの塊へと変貌していく。
周囲に発生した霧が魔者に変化するより早く、フリルの息を止めようと抜き身の剣を握ったまま突進したが、彼女の前に突然現れた巨大な霧が盾となって立ち塞がったため断念し、距離をとった。
万遍なく配置された黒い塊は、次々に魔者の姿へと変化していく。その全てが一様に矢をつがえた弓を構えていた。
フリルは前回撤退した時と同じように人間離れした跳躍力で見張り台の頂上まで一気に上り、俺を見下ろしながら刃の先を向けた。
「流石の勇者様といえど、これだけの数の矢が一斉に飛んできたら防ぎようがないですわよね。貴方はここで終わりですわ」
確かに、彼女の言う通りだ。出現した魔者の数は百近い。となれば、彼女がその気になれば同時に百本の矢を放つ事ができる。フリルのように高度まで飛べれば話は別だが、剣一本で全ての矢を防ぐのはどうやっても不可能だ。
まさしく絶体絶命。今度こそ、確実な死を覚悟した。
一度死を覚悟してしまえば、気持ちは少し軽くなる。柔軟になった頭で、俺は引き続き矢をどのようにかわすか、或いは被害を最小限に抑えるか思考をめぐらし続ける。 だが、どれだけ考えても打開案は浮かんでこなかった。
一か八か、一点突破の特攻を仕掛けようと博打に走りそうになった時、頭上から小さな呻き声が聞こえた。
反射的に、見張り台の頂上を見上げると、水滴が頬に付着した。それを手で拭う。
――これは……血?
視線の先に立っていたフリルは、呆然と口を開けた状態で表情が硬直しており、その体には一本の槍が突き刺さっている。
やがて、力を失ったフリルは膝から崩れ落ち、そのまま見張り台から地上へ向けて落下していく。
体を空中で一回転させた彼女は体を強く地面に打ちつけ、俺に背を向ける形で地面に横たわった。その体の心臓部分には槍が突き刺さっている。槍は完全にフリルの肉体を貫通しており、柄と穂先は赤黒く血塗られていた。フリルの纏っている派手な桃色のドレスには、徐々に赤い染みが広がっていく。
「間に合いましたね」
見張り台の奥、一際激しく燃え盛る建物を背後に、紫の髪を風に揺らしながらサロリアが悠々と歩み寄ってきた。
「怪我はありませんでしたか?」
「ああ、大丈夫だが……」
「良かった」
静かに、落ち着いた足取りで歩いていたサロリアは、見張り台の真下で足を止めると視線を落とし、胴体に槍が突き刺さっているフリルを見下ろした。
「フリル……。もうずっと前から、いつの日か貴方を殺さなければならない時が来ると予感していました。……残念です」
動かなくなったフリルは、何も語らない。語る事などできるはずがない。
「許してくれとは言いません。ですが、私は貴方を許しましょう。私はもう貴方を断罪しました。貴方に何の罪も残っていません」
視線を上げて俺を見据えたサロリアは、フリルに背を向けて再びゆっくりと歩き出した。
「その槍は差し上げましょう。どうか、安らかに」
数歩歩くと、サロリアは再び歩みを止め、傍らで硬直している魔者を一瞥した。他の魔者達も依然として弓の弦を引いて矢をつがえた状態で停止している。
村の中には、ただただ轟々と燃える炎と火花の散る音だけが響いていた。
「どうやら、指揮する者がいなくなった事により動けなくなったようですね。できれば念のため全て消滅させておきたいですが、これだけの数を片付けるのは少し骨が折れますね」
サロリアは再び歩みを止めて俺の前に立った。揺れる金色の双眸には、俺の姿が映っている。
「どうして、この村にフリルが残っていると分かったんだ?」
「彼女の事は良く知っています。何を好み、何を憎み、どのような手段で人を陥れるかも、全て想像がつきました」
「つまり、魔者が次の村へ向かったという話を聞いた時に、既にフリルが村で待ち伏せしていると気づいていたのか?」
この村にフリルが潜んでいる事に気づきながら、一度姿を消したというのか。
「そうです。そして、私がレンと同行すれば彼女が撤退する事も予測できました。故に同行せず、フリルの望み通りに姿を一度消しました」
「それじゃあ、次の村はどうするんだ? 今頃、魔者に襲われているんじゃないのか?」
「それは問題ありません。フリルによって生み出された魔者ならば、彼女の命を絶てば同時に消滅するはずです。もし違ったとしても、フリルの指揮する魔者でなければ、兵士達の腕でも倒せるはずです」
――確かにそうだが……。
結果的にはサロリアが来てくれた事で俺が命を落とさずに済んだのは事実だ。しかし、どこか納得がいかないのが本音だった。
いくら倒すべき敵とはいえ、一対一の最中に背後から攻撃するなど……。
それが、自分の意地から派生している感情だと気づいていた。それでも抑える事ができない。
「どうして不意打なんて真似をしたんだ?」
つい口に出してしまった疑問を聞いたサロリアは、特に表情を変化させる事なく、普段と同じように冷静に答えた。
「レン、勝負の邪魔をした事は謝罪します。ですが、これは試合ではなく殺し合いです。故に、私は最善の策をとらせて頂きました」
……認識が甘かった。どうやら、俺はまだまだ未熟なようだ。
勘違いをしていた。これが、負けても何の意味もない試合ではなく、負けた者は例外なく命を奪われる殺し合いだと、まだ頭のどこかでは理解できていなかった。
自分の愚かさが恥ずかしくなり、目の前に立つサロリアから目を逸らそうとした時、彼女の背後で何かが動いたような気がした。
――気のせいだろうか?
いや、違う。確かに、僅かではあるが動いている。
「おい、サロリア。あれは――」
瞬時にサロリアが背後へ振り向いた。俺達の視線の先で、血塗れの少女がゆっくりと手足の先端を動かしている。
やがて、右手を自らの血で出来た水溜りの中へつくと、同じように水溜りへ右膝を立てる。次に、左足を地面に着き、最後に左手で体を押し上げて二本の足で水溜りの上に立った。
「……サロリア、よくも、ヴェイン様を、裏切ったわね……」
――裏切った?
心臓が貫かれているはずだ。現に、今も致死量を遥かに超えた血液が傷口から流れており、サロリアの槍は心臓に刺さったままだ。
どうして立っていられるんだ。
「裏切ってなどいません。何故ならば、最初から忠誠など誓っていないからです」
「……減らず口を……」
冷静な口調のサロリアに対し、フリルの声には明らかな憤怒の感情が込められている。
フリルが血に濡れた右手で胸に刺さった槍の柄を掴む。そして、少しずつ引き抜いていく。その過程では更に激しく血が流れ出ていたが、彼女は一切怯まずに、作業を続けた。
槍を体から抜き取ると、フリルは血塗れのそれを傍らへ投げ捨てる。
彼女の一連の行動を、俺とサロリアは黙したまま、ただ呆然と観察していた。
「……ヴェイン様、申し訳ありません。ここで、発動します」
何か囁いたと思った次の瞬間にフリルは自らの胸に空いた傷口へ右手を突っ込む。直後、傷口から大量の黒い霧があふれ出し、天へ向かって伸びていった。同時に静止していた魔者達も霧に変化し、空間に漂い始める。
「何か危険な感じがします! 村を出ましょう!」
サロリアの掛け声で我を取り戻し、フリルへ背を向けると村の入口を目指して走り出した。
背後でフリルが人間ではなく獣のような叫び声を発した。彼女の叫び声が聞こえた直後、行く手を阻むような形で目の前に黒い霧が集結した。
絶叫が止んだ。降り向くと、フリルは地面に倒れている。
再び視線を前へ向けると、眼前を覆う漆黒の気体から次々に魔者が生まれ、新しく誕生した魔者達が一斉に襲い掛かってくる。その数およそ五十。
サロリアが腰に携えた灰色の鞘へ手を伸ばし、刃を引き抜く。これは、確か村を警備していた兵士の形見だ。
俺は既に握っていた紅蓮の剣の柄を強く握りしめた。
瞬く間に黒い霧は広がっていき、気づけば背後にも、左右で燃え盛る民家の屋根の上にも、無数の魔者が現れていた。
「このままではまずい、一点突破で村の入口まで一気に駆け抜けるぞ!」
「そうですね。それしか手はなさそうです」
「槍がなくなってしまったが、やれるか?」
「問題ありません」
隣に並んだサロリアと同じように剣を正面に構え、二人の呼吸を合わせるように整える。そして、前方より迫り来る殺意が形を成した漆黒の集団を確かに捉えると、息を短く吸って、同時に地面を蹴った。
傍から見れば無謀以外のなんでもないだろう。しかしそうではない。
殺意の嵐の中で、二色の閃光が縦横無尽に駆け巡る。
一色は白銀、純真無垢な勇者の証である、親父から貰い受けた剣の輝き。
もう一色は灰色、果たせなかった願望を後継者に託した、とある兵士からサロリアが貰い受けた剣の輝き。
閃光に触れた漆黒の影はすべからく消滅していく。
俺達は、一人だけで戦っているのではない。それが分かれば、たとえどれだけの敵を相手にしようと、負ける気などしない。
……感情は既に意識の外にあった。何かに固執する事なく、心の中は空っぽであり、それでいて満たされている。
俺は無心で剣を振るい続け、足を前に出し続けた――。
上空へ立ち上った漆黒はいつの間にか澄んだ青色の空を完全に覆い隠し、徐々に徐々に東西南北全ての方角へ領地を広げていく。
やがて――地平の彼方にある場所までもが影に支配され、世界に常闇が訪れた。
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