第三章 地獄はどこだ? ~第六節~

「――前もいったけど、わたし、林崎のことが好きなの! わたしみたいな美少女が好きっていってあげてるのに、何が不満なわけ!?」

「きみはマンガの世界の人間か? よく恥ずかしげもなくリアルでそんなセリフが吐けるな。しかもやたらと上から目線で押しつけがましい」

「だって――」

「とにかく放せ。おれのシャツが血で汚れる」

 まひろの手足についた傷はふさがっていない。出血は止まりつつあるようだが、どうやら彼女は自身の傷をふさぐための“スキル”は持っていないようだった。

「……ご、ごめん」

 重信に指摘されたまひろは、しゅんとして手を放した。強気で挑発的かと思えば、急に迷子の子供のようにしょげ返ったり、今のまひろは表情の変化が目まぐるしい。少なくとも以前の彼女はこんな少女ではなかったはずだから、これも彼女が異世界で積んできた年月による変貌なのだろう。

 重信は溜息とともに肩を落とし、まひろのパーカーを拾って差し出した。

「さっさと服を着てくれ。そろそろ滝川たきがわさんたちが来る」

「滝川さん? 誰?」

「おれの知り合いのリターナーのひとりで、戸隠さんの私設秘書みたいなものだ。リターナーの傷を治癒する“スキル”を持ってる」

「そんな人を呼ぶって……わたしに“機構”に入れっていいたいの?」

「おれが負傷したら世話になるつもりで、ここへ来る途中で連絡しておいただけだ。幸か不幸かおれは手傷を負わなかったし、まあ、最後のサービスだと思って傷を消していってもらえ」

「最後最後って強調しなくても……」

 あちこち裂けて血を吸ったパーカーをはおり、まひろは唇をとがらせた。

「……だいたい、きみはこれまで、おれの知らないところで何人のエローダーを倒してきた?」

「え~とぉ……四人? 五人かな? 今夜はまあ……一度にこんなに釣れたのは初めてだったから、それで林崎を呼んだんだけど……」

「おれをこき使ったことはこの際どうでもいい。それで、その四、五人の死体はどうしたんだ?」

「は?」

「どう処理したかと聞いている」

「あー、何ていうか……細切れ?」

 そう答えて笑ったまひろの周囲に、輝く羽根を思わせる光が不意に現れた。

 まひろはこの光のナイフを同時に七本、自在に飛ばして敵を切り裂くことができる。ともにエローダーと戦った重信は、確かにこの物騒な輝きの切れ味なら、ひとりの人間を寸断することも不可能ではないと理解した。

 重信は眉間のあたりをぽりぽりと指でかき、

「つまり――細かく切り刻んで、そのまま放置してきたわけか?」

「放置はしてないよ? 目立たない場所に移動させてきたし」

「ということは、今後それが発見されて大騒ぎになる可能性もあるわけか?」

「あー、あるある」

「呑気なこというな」

 おそらくこれも、異世界から帰還してきた戦士たちにありがちな、日常観や倫理観のゆがみといえるのだろう。エローダーを殺すことに対する禁忌がないのはともかく、その行為が世間一般に明るみに出てしまうことのマイナス面を軽視するのは、まひろがこの現代日本がどういう場所であるかを忘れているからに違いない。

「殺人鬼として社会から追われたくなければもう少し慎重に行動するべきだ。いい加減、ここはきみが飛ばされた異世界とは違うんだということを思い出せ」

「それは判ってるんだけど、戦い始めると頭に血が昇っちゃうっていうか――」

「きみだけが自滅するぶんにはかまわないが、こっちにまで飛び火するのはごめんだからな」

 向かい合う重信とまひろの横顔を、唐突な光芒が撫でていく。土手の上の人気のない通りを、一台の電気自動車がこちらへ向かって近づきつつあった。

「スカートもはいたほうがいい」

 まひろのタイトミニを指でつまんで放り投げ、重信はいった。

「――滝川さんは女性だからいいが、いっしょに来てもらった山内さんは、還暦すぎとはいえ男性だ。きみは見られてもかまわないと思うかもしれないが、山内さんの血圧が上がると困る」

「大丈夫大丈夫、林崎以外にはもう誰にも見せないから」

 冗談とも本気ともつかない口調で答え、まひろはいそいそとビキニの腰にタイトミニを巻きつけた。

「――ザキくん!」

 静かに停車したクルマから、すみれと山内が下りてくる。重信の陰に隠れるようにしてタイトミニのジッパーをあげていたまひろが、ささやくほどの声で尋ねた。

「あの人が滝川さん?」

「ああ」

「……林崎、もしかしてああいう大人の女性が好みとかいわないよね? キレイだけどオバサンじゃん?」

「あすは我が身だな。きみも数年後には今の小学生たちにそういわれることになる」

「ふん」

 鼻を鳴らし、まひろは水気の残る髪をぶるぶると振った。

 少女の失礼な発言も知らぬげに、やってきたすみれはにこやかな営業スマイルを浮かべてまひろにあいさつした。

「あなたが高梨さん? 噂は聞いてるわ」

「……それって戸隠霧華から? どうせろくなこといってないんでしょ」

「お嬢さまは特に何もおっしゃらないわね。わたしが聞いているのはおもに葉月ちゃんから」

「葉月? ……ああ、戸隠霧華の家来みたいな不良っぽい子?」

「おれから見れば風丘さんよりきみのほうがよほど不良だがな。実際、彼女はかなり成績がいいし、授業もサボらない」

「は!?」

 重信のその言葉に、そっぽを向いていたまひろがすぐさま食ってかかった。本当にくるくるとよく表情が変わる少女である。

「林崎ってば、戸隠霧華だけじゃなくてあのアタマハデハデ女のことまでかばうわけ? あんたもしかしてわたしが思ってたより女好き!?」

「知人を擁護しただけで女好きといわれるのは心外だな」

「だって――」

「声がでかい。……山内さん、数が多いんですが、お願いできますか?」

「どれどれ」

 ごていねいに長靴まで用意してきた山内は、川の中に転がる無数の死体を見て、しわの数を倍に増やして苦笑した。

「――それにしても、派手にやったもんだねえ」

「まったくです。たぶん彼女はいわゆる片づけられない女なんだと思いますよ。出したら出しっぱなし、殺したら殺しっぱなし」

「わたしは四人しかやってないから。残りをやったのは林崎じゃん」

「おれはそれを見越してこうして山内さんに来てもらっている。どうせきみはこのまま立ち去る気でいたんだろう? そんなきみといっしょにしてほしくないな」

「あのねえ――」

「じっとしてて、高梨さん」

 山内が死体を“処理”している間に、すみれは“小夜啼鳥ナハチガル”を使ってまひろが負った傷を次々にふさいでいった。

「……一応聞くけど、あなたたちはここでエローダーと戦ってたのよね?」

 水着姿の上からパーカーを突っかけただけのまひろを見て、すみれは怪訝そうな表情で重信を振り返った。

「妙な誤解はやめてください。単に彼女は、死体のそばで水浴びができるような精神構造をしているというだけのことです」

「そういう林崎は死体のすぐそばで勉強してたじゃん」

「当たり前だ。あしたは数学があるんだぞ?」

「人間、あきらめたほうが楽になることって多いのに」

「仲間を増やそうとするな。すでにあきらめているきみと違って、おれは赤点なんか取りたくないんだ」

 そんな重信とまひろのやり取りを聞いて、すみれはくすっと笑った。

「……あなたたち、もう少し本来の生活に戻るためのリハビリをしたほうがいいわね。どっちもちょっとずれてるから」

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