第三章 地獄はどこだ? ~第一節~
月曜の昼休み、購買からクラスに戻る途中で、
「なあ、
「何です?」
「ちょっと聞きたいんだがな」
声をひそめ、石動は葉月に尋ねた。
「……例の新入りに俺のことはまだ伏せてあるんだよな?」
「
「ザキ……ねえ?」
「……うざっ」
石動のささやかな呟きを聞き逃さず、葉月は古文教師を睨みつけた。
「何なんです? 何かいいたいことでもあるんですか、先生?」
「いや、別に」
無精髭がまばらに伸びた顎を撫で、石動は笑った。
「――それよりどうよ? 強いの? 高梨は?」
「さあ? ただ、強いとか弱いとか以前に、わたしはあの子を仲間にするのは反対ですけど」
葉月は不機嫌さを隠そうともせず、むっつり顔のまま歩き出した。行き先は葉月たちが校内で内密の話をするための特等席――屋上である。
葉月といっしょに真夏の屋上へと出てきた石動は、重信が持ち込んだデッキチェアにさっそく陣取ってタバコに火をつけた。
「……そういや風丘は、ザキくんがリターナーになった時にも似たようなこといってたらしいな? 高梨の加入に反対ってのはどういうことだ? よければ理由を聞かせてもらいたいもんだが」
「確証はないんですけど、もしかすると、あの女はザキよりやばいような気がするんですよ」
「やばい?」
「やばいです」
フェンスに寄りかかったまま、プロテインバーとゼリードリンクを交互に口に運びながら、葉月は深くうなずいた。
「先生はザキが戦ってるとこ見たことあります?」
「俺か? まだないな。話で聞いてるだけで」
「ザキは淡々と作業みたいに戦えるんです」
「そりゃあザキくんがあっちでそういう経験を積んできた結果だろ? 何だ、風丘はザキと自分をくらべて落ち込んじまうわけか?」
「…………」
「いや、からかうつもりはないんだがな、それは仕方のないことだろ? むしろおまえは、戦いに対する抵抗感をまだ忘れてない真人間てことで、それは悪いことじゃないと思うぞ?」
「けど、お嬢を守る上ではマイナスじゃないですか?」
「そこはおまえの努力次第なんじゃないか? たとえば俺みたいに、人間として当たり前のやさし~い心を持ちながら、いざとなれば修羅のごとき強さを発揮できるリターナーもいるわけだからな」
「自分でいいますか、それ?」
ぬけぬけという石動の言葉に、葉月は小さく笑った。しかし実際、
「俺だっていまだに戦いに抵抗感がないわけじゃないしな。ただ、自分が生き延びるためなら戦わなきゃならない。おまえだって、おまえ自身はもちろん、
「…………」
「ん? どうした、恩師の含蓄ある言葉に返す言葉もないか?」
「恩師じゃないし」
こわばりかけていた葉月の頬が、石動の言葉でようやくゆるんだ。
あさってからは期末試験が始まり、それが終わればほどなく夏休みに入る。コンクリート造りのタイルを熱する真夏の陽射しは強く、他人に聞かれたくない話さえなければ、葉月もこの時期はこんなところへ来たくなかった。
「――で、そのザキより高梨がやばいってのはどういうことなんだ?」
「これはザキがいってたことだし、わたしも何となく直感的に感じたんだけどさ」
「おう」
「高梨まひろは――戦うのが大好きなタイプなんだと思う」
「はー……そっちのタイプか。この前やられた辻とかもそれっぽかったが、殺伐とした異世界に適応しすぎると、そういう方向に寄っちまうもんなのかね?」
「戦いに抵抗感がないくらいなら――まあ、わたし個人の考えは別として、仕方ないかなって思えなくもない。ザキだけじゃなくて、ほら、あの人……お嬢のところの家政婦さんの」
「
「そう。あの人もわりとあっけらかんと戦うタイプでしょ?」
「あの人は戦闘をダイエットか何かと思ってるふしがあるからな」
「だからまあ……そういう人がいるのは認めざるをえないと持ってる。住んでた異世界が常在戦場だったんだろうし」
加えて
「だけどあの女は違う気がする。自分から積極的に戦いを求めるタイプで、何よりヤバいのは、お嬢のことをもとから敵視してるってこと。リターナーになった今も相変わらず敵視してるし」
「は?」
思わず変な声をあげた石動の口もとからタバコが落ち、重信のデッキチェアに小さな焦げ目ができた。
☆
どうやら地獄が始まっていたらしい。現にクラスのあちこちから亡者の呻きを思わせる声があがっている。
「やべえ……今の英語、絶対に赤点だ……一応全部埋めるには埋めたけど、オレ、自信あるとこなんて自分の名前だけだ……」
「むしろ自分の名前も満足に書けなかったら今この教室にいないからな、おまえ」
「てか、いったい何やってたんだよ、この週末?」
「異世界での大冒険……」
「ゲームしてただけじゃねえか」
重信が後悔先に立たずを地で行っている京川を一瞥すると、最後列の席でひとり静かに筆記用具を片づけている高梨まひろの姿が目に入った。
プールでの事故のあと、週明けになって登校してきたまひろは、いつもの楽しく陽気な自称上位者のお仲間たちとは、微妙に距離を置き始めているようだった。死にかけたことで親に泣かれたから、これからは少し身を入れて学業に向き合う――確かそんなようなことをいっていた気がする。
急に真面目になってしまった友人に、いつものメンツもやや戸惑ってはいたが、そんな彼らでさえ期末試験という地獄には逆らえない。彼らの立ち位置がカーストの上位であろうとなかろうと、極端に成績が悪い生徒は退学させられかねないのである。
おかげでこのところは教室内が――亡者の呻きを除けば――とても静かだった。
「のぶくん、英語どうだった?」
美咲の問いに、重信は大袈裟にかぶりを振った。
「赤点は何とか回避できたと思うが、あまり自信はないな」
かぎられた時間で限界まで詰め込んだおかげで、ここまでの山はどうにか乗り越えてこられた。だが、最終日には最難関の数学が残っている。英語の試験が終わった今、帰宅後の勉強時間はすべて数学についやす必要があるだろう。
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