第三章 地獄はどこだ? ~第二節~
「それにしても……どうして数学と古典を最終日に持ってきたんだろ、先生たち?」
「あんた古文漢文苦手だもんねー。わたしも人のこといえないけど」
期間中、試験は午前だけで、生徒たちは昼前に下校することになる。帰宅の準備をすませてスクールバッグを肩にかけた美咲が、
「田宮さん、ザキくん、さようなら」
美咲といっしょに校門を出たところで、リムジンに乗り込もうとしていた霧華と葉月に出会った。いっさいの事情を知らない周囲の生徒たちから見れば、あの戸隠霧華と田宮美咲、
そんな霧華の隣にいる葉月は、美咲に対しては軽く手を振りはしたものの、重信に対してはやはり愛想がない。代わりに運転席の山内が、窓越しに重信へ苦笑交じりの会釈をしてくれた。
美咲がふたりに向かって悪意のない笑顔であいさつを返していると、霧華を先に車内に入らせていた葉月が、判りやすいほどに表情を険しくした。
「――――」
少女の視線を追って振り返ると、昇降口から出てくるまひろの姿があった。
「……のぶくん」
戸隠家のリムジンが走り去り、帰宅する生徒たちの流れに乗ってまひろが歩み去ったあと、美咲が口を開いた。
「風丘さん、高梨さんと仲悪いの?」
「やっぱり判るか。……ま、よくはないだろうな」
エローダーとの戦いに巻き込まれたのをきっかけに、美咲には“機構”とリターナーについてもある程度説明しているが、まひろがリターナーになったことはまだ打ち明けていない。ただ、まひろがエローダーなのではないかという当初の美咲の懸念は、すでにすみれから否定されていた。
しかし、それでもまひろについて触れる時、美咲はどこか不安そうな顔を見せる。
「おれの勝手な憶測だが、高梨さんからすると、戸隠さんはすべてにおいて自分の上位互換のように思えるのかもしれないな」
「上位互換?」
「好みの問題もあるだろうが、校内では戸隠さんはかなりの美少女とされている。高梨さんも美少女の部類に入るだろうが、聞こえてくる評判でいうなら戸隠さんにおよばない。実家の財力ではくらべるべくもないし、学業でいっても文句なしに戸隠さんが上だ。運動に関しては……まあ、どちらも人に誇れるレベルではないと思うから、ここはイーブンだとしても、高梨さんは戸隠さんに勝てる部分が何もない」
「……そうかなあ?」
「少なくとも高梨さんのほうでは、戸隠さんをずっとうとましく思っているはずだ」
「だとしても、それでどうして風丘さんがあんな怖い顔で高梨さんを睨むの?」
「それは……まあ、何というか、風丘さんはやさしい上に男前なんだろうな。だから何があっても戸隠さんを守りたいと考えているんだと思う」
「はい? 男前?」
「そこに関しては女の子っぽくない――と感じるのは、長野のじいさんの影響かもしれないが」
なぜ葉月が命懸けで霧華を守ろうとするのか、重信には何となく判る気がした。
地方の名家の末娘に生まれた葉月は、有能な兄たちとくらべて、親からあまり目をかけられていなかった。そんな親に腹を立て、高校進学に合わせて上京し、ひとり暮らしを始めたのだと、すみれからはそう聞いている。
親に向き合ってもらえず都会に出てひとり暮らしを始めた葉月が、“リターナー”として生まれ変わった時、自分のその力を必要としてくれたクラスメイトに友情以上のものを感じた――葉月が戦う理由はおそらくそうしたものなのだと思う。
「士はおのれを知る者のために死す、というやつだ」
「何それ?」
「『史記』だ。今回の試験範囲にも入っている」
「え!? そ、そうだったっけ?」
すぐ目の前に迫った問題に意識が向いたおかげで、美咲は都合よく葉月とまひろの話題を忘れてくれたようだった。
「風丘さんにしてみれば心中おだやかではいられないだろうが……戸隠さんも難しい決断をしいられたな」
帰りの電車に乗るなり、美咲は開いていた席に腰を下ろして参考書を開いた。美咲も数学は苦手だが、それでも重信ほどではなく、むしろ古文と漢文のほうを苦手にしている。移動中にも試験勉強をおこたらない幼馴染みを横目に見下ろし、重信は小さく嘆息した。
土曜の夜――まひろが重信の前でエローダーを倒したあの時、あとからやってきた霧華は、まひろがリターナーになったという事実を知っても、彼女に“機構”に加わってほしいとはいわなかった。ただリターナーとエローダーという存在についてまひろに説明し、詳しい話は期末試験が終わってからと告げて去っていった。
「……ま、おたがい学生だからな」
自宅最寄りの駅に着くまで自分も勉強するかと思った重信は、しかし、日頃の寝不足のせいでモチベーションが上がらなかったため、身体的な欲求にしたがい、スクールバッグをかかえてうたた寝することにした。
☆
“機構”に所属するリターナーたちは、データ収集の意味もあって、定期的に
「いっしー、どうしてそうずぼらなんですかねー?」
石動の運転する中古車の助手席に陣取った純は、いつものようにチョコをかじりながら呟いた。
「もういい歳したおじさんなんですから、そのくらいはきっちりしましょうよー」
「おいおい、おじさんはないだろ」
「四〇近いんだから充分におじさんですよー」
「まだ三七だよ。……だいたい、そういう純ちゃんはいくつなんだよ? 今年で二八とかだっけ?」
「二七ですねー」
「その年にしちゃ童顔だが、最近の口の悪いガキどもにかかりゃババア呼ばわりだぜ、おまえさんだって」
「へー、そう? 年齢のことでいちいち腹を立てるようなふつうの感性の持ち主じゃないんで、別にわたしは何とも思わないですけどねー」
石動が健康診断のために戸隠邸にやってきたのは、すでに日も暮れたあとのことだった。本人いわく、あしたの古文の試験の準備に手間取ったのだという。
「ゆうべまでは問題作りに苦労して、あしたの夜からは採点作業、それがすめば今度は成績をつけなきゃならんのさ。顔を出すのが遅れたのは悪いが、これでなかなか忙しいんだよ、教師って職業も」
くわえタバコでクルマを走らせながら、石動はいまさらのように弁解した。
「いっそ教師なんて辞めたらどうですー?」
「辞めたら食っていけないだろ? 確かに“機構”からお手当は出てるが、だからって安定した職を捨てるのは頭の悪い奴のすることだ。エローダーとの戦いが終わっても、人生ってのは続くんだからな」
「いっしーはそう思ってるんですかー?」
「どういう意味だ?」
「エローダーとの戦いに、そう簡単に終わりが来ると思ってるんですか、って意味です。わたしはそうは思いませんけどねー。少なくとも、あと数年で決着がつくってことはありえませんよー」
確かに、そもそも“機構”では、エローダーが何の目的でどこからやってくるのかさえ突き止められずにいる。この世界へのエローダーの侵入を防ぐ手立てが見つからない以上、戦いは半永久的に続くと考えたほうがいいのかもしれない。
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