第一章 自称上位者 ~第二節~

「別に馬鹿にはしていない。むしろほめている。……で、きみは誰なんだ? あいにくとおれにはまだ記憶障害が残っているようで、親しくもない人間の名前は思い出せないんだ。かろうじて同じクラスだということは判るが」

 重信がそういうと、少女は次の言葉を選ぶかのようにあうあういっていたが、ひとつ深呼吸してから長い髪をかき上げた。

「……高梨たかなしまひろ。思い出した?」

「いや」

 にべもなくいった瞬間、少女の眉間に深いしわが刻まれた。

「あんたね……」

「待て、そこで怒るのは筋違いだと思うが。そもそもきみとおれの間に、思い出すような記憶がないだけなんじゃないか?」

「そ、それは――」

「高梨さん……高梨さんか」

 ずこーっとカフェオレを一気に飲み干した重信は、やや芝居がかった仕種で何度もうなずいた。

「あらためて記憶を掘り起こしてみたんだが、残念ながら、きみとの間には特に楽しい思い出はなかったということを思い出しただけだった。……で? おれと特に接点などなかったはずの高梨さんが、どうしていまさらそんな質問をする?」

「いや、だから……聞いてみただけじゃん。つき合ってんの?」

「そういうきみは誰かとつき合っているのか?」

「は?」

「聞いてみただけじゃん」

 まひろの口調を真似て重信がいうと、まひろの眉間にまたしわが寄った。重信は小さく笑い、

「まあ、きみがどこの誰とつき合っていようがつき合っていなかろうが、そんなことはおれにとってどうでもいいことだ。ただ、そういう質問をしても許されるのは、それなりの関係性が構築されている相手だけだということはわきまえたほうがいい」

「な、何よ、そんな――」

「たとえば毎朝バスの中でいっしょになるだけのサラリーマンに、唐突に今のような質問をされたら、きみはどう思う? こいつは頭がおかしいのかと思うだろう? 要するに、それがおれの今のお気持ちだ」

「は!? わたしの頭がおかしいってこと!? わたしら見ず知らずじゃなくて、クラスメイトじゃん!」

 まひろの眉間のしわがさらに深くなる。いかにもプライドの高そうな彼女らしいリアクションだった。

「確かにきみはおれのクラスメイトだが、いっさい接点のないクラスメイトだ。むしろ毎朝きちんとあいさつを交わしていたなら、サラリーマンのほうが接点はあるぞ?」

「あんた……そういう屁理屈っぽいところ、前よりひどくなってない?」

 苛立ちを押し殺したようなまひろの言葉に、今度は重信の眉間にかすかにしわが寄った。今の口ぶりからすると、まひろは重信が事故に遭う前から彼の言動をチェックしていたようにも聞こえる。

「……おれはきみのことをほとんど知らないが、きみはおれのことをそれなりに知っているらしいな?」

「あ……いや、それは、だから……」

「のぶくん!」

 まひろがいい淀んでいると、重信がなかなか戻ってこないことが気になったのか、美咲が自販機コーナーへとやってきた。

「……高梨……さん?」

「…………」

「もうすぐ四時限目が始まるな」

「あ、うん」

 重信は空になったパックをゴミ箱に放り込み、まひろをその場に残して美咲とともに教室へ向かった。

「……何かあったの?」

「あったのとは?」

「だから、高梨さんと」

「まず田宮くんに聞きたいんだが、事故の前、おれと彼女の間には特に何かあったように見えたか? 何かトラブルがあったとか」

「え? トラブル……?」

 その質問に、美咲はいぶかしげに目を細めた。

「なかった……んじゃないかな? だって高梨さんて、一番のぶくんが敬遠するタイプの人っていうか、集団? でしょ? 近づきもしなかったと思うけど。向こうもそうだったと思うし」

「そうか。やはりおれの記憶が欠けているわけじゃないんだな。中学が同じということもないし……」

 重信が知るかぎり、高梨まひろはクラスカースト上位――と自分たちではそう思い込んでいるらしい集団の、中でもトップにいると目されている少女だった。両親の経済力でいうなら学園でも上位三分の一くらいには入るだろうし、本人もすらりとした美形で、髪、肌、爪、自分をよりよく見せることにはいっさいの妥協をしないらしい。あえてカテゴライズするなら、かなり高品質な黒髪清楚系ギャルということになるのだろう。

 だから、いろいろな意味で傲慢になるのも無理はないのかもしれない。

「確かにおれとはまったく接点がないだろうな」

「わたしだってないよ。同じクラスになったけど、高梨さんとはまだちゃんとしゃべったことないもん」

「田宮くんとも関係性ゼロというわけか」

「うん。……それで、高梨さんが何なの?」

「……いきなりおれに聞いてきたんだよ。きみとつき合っているのかと」

「え!?」

「あいさつも自己紹介も抜きだ。戸惑うだろう?」

「そ、それで、のぶくんは何て答えたの?」

「…………」

 高梨まひろの唐突さを説明して同意を求めようと思っていた重信は、緊張の面持ちで自分を見つめている美咲を見下ろし、静かに嘆息した。

「急に不躾な質問が来たから、そもそもきみは誰だと聞き返してやった」

「で?」

「そのことに彼女が憤慨したので、そもそもそういうことを尋ねていい関係性でもないだろうと指摘してやった。それで彼女が言葉に詰まったところにきみが来た」

「……ホントに?」

「ああ。……というか、そこでおれが嘘をつく理由があるか?」

「…………」

 しばらく思案顔でうつむいていた美咲は、不安そうな表情を浮かべ、

「まさかとは思うけど――」

「いや、それはないな」

 重信は美咲の懸念を読み取り、彼女がそれを明確な言葉に変える前に否定した。

 おそらく美咲は、急に重信に接近してきたまひろが、“浸食者エローダー”なのではないかと心配しているのだろう。しかし、その可能性はかぎりなく低い。少なくとも重信には、まひろから自分に対する殺気を微塵も感じなかったし、それ以前に校内にエローダーが存在していれば、真っ先に戸隠とがくしきりがそのことに気づくはずだった。

「そ、そういうものなの?」

「どうやらそうらしい。お嬢さまの“スキル”については、おれもすべてを把握しているわけじゃないが、現状、エローダーを感知できる“帰還兵リターナー”は彼女だけだ。今はそれを信じるしかない」

 そう説明してから、重信は美咲の頭をくしゃっと撫でた。

「……きみはそう心配する必要はない。何があろうとおれがきみを守る」

「わたしはのぶくんのほうが心配だよ」

「きみはおれが守る。おれの身もおれが守る。それで何も問題ない」

「それはそうだけど……」

「差し当たっておれにとっては、まだ遭遇もしていないエローダーより、数学の試験のほうがよほどの難敵だ」

 一か月の入院期間で生じた授業の遅れをどうにか取り戻そうと、期末試験を目安にがんばってきた重信だが、数学だけはまだ追いつけずにいる。このままだと赤点回避は難しいかもしれない。

「……どうした、田宮くん? そろそろ授業だからスマホは切ったほうがいいぞ?」

「うん。すぐ終わるから」

 チャイムが鳴っても美咲が未練がましくスマホをいじっているのは珍しい。しかし、次の授業のことで頭がいっぱいだった重信は、彼女がスマホで何をしていたのかということにまでは気が回らなかった。

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