第一章 自称上位者 ~第三節~
☆
実家を離れて学区内でひとり暮らしをしている風丘
しかし、それではさすがに健康によくないということで、週に一、二度、時間が合えばすみれが声をかけてきて、ファミレスに呼び出されることになる。きょうも葉月はすみれに呼び出され、夕食をごちそうになっていた。
「――ザキくんに近づく女の子がいる?」
「だってさ」
ハンバーグをむしゃむしゃ食べながら、葉月は大仰にうなずいた。
「……それってただ単に、ザキくんが女の子にモテるようになったってだけの話じゃなくて?」
「知らない」
鼻を鳴らした葉月のフォークがニンジンのグラッセを無惨に串刺しにした。冷たいジェノベーゼをつついていたすみれは、何が面白いのか、そんな葉月を見てくすくすと笑っている。
「それはあの子からすれば気になるでしょう? だって、田宮さんはザキくんのことが好きなのよね?」
「……まあ、たぶん」
「なら仕方なくない?」
「あいつがモテるかモテないかはこの際どうでもいいわけ! てか、わたしにはどうでもいいし! わたしがいいたいのは、あの子がそれをどうしてわたしにうったえてくるのかってこと!」
ニンジンに続いてブロッコリーもまた葉月の苛立ちの犠牲になった。
「なら本人にそういえば? 友達でしょ?」
「友達じゃないから!」
「じゃあクラスメイト?」
「それも違う! あいつもあの子も隣のクラスだから!」
「とにかく、学校に行けばふつうに会えるんだし、いいたいことがあるなら田宮さんに直接いえばいいでしょう? それをせずにわたしに愚痴るなんて、葉月ちゃんらしくもない」
「……!」
すみれにそう指摘された葉月は、返すべき言葉がすぐに思い浮かばず、黙って食事に戻った。
ハンバーグとパスタの皿が空になり、ふたりの前に小さなアイスクリームが運ばれてきた頃、すみれは葉月をなだめるようにいった。
「真面目な話、その子がエローダーって線はないんでしょう? 高梨まひろ……さん? だっけ?」
「だと思う。もしそうならあいつが気づかないはずないし、たとえあいつが気づかなかったとしても、お嬢まで気づかないはずないし」
「そうよねえ……だったら一応、その子の身元についてはこっちで調べておくからって、田宮さんにはそう伝えておけばいいんじゃない?」
「それでいいわけ、本当に?」
「調べたっていえば安心できると思うし」
実際に手間をかけるのはすみれだが、それでも葉月はまだ納得がいっていなかった。ただ、それがなぜかと聞かれても、うまく答えられそうにない。とにかく、美咲からそんな見当はずれなことを頼まれて以来、モヤモヤが消えなかった。
「……まだ何かあるの、葉月ちゃん?」
「別に」
「別に何でもないって顔じゃないけど?」
「ホントに何でもないから。……ただ、今度のカラーリングがちょっと気に入らなかっただけ」
少し前までチョコレートブラウンとピンクに染め分けられていた葉月の髪は、今は全体的にアッシュブロンドに変わり、ところどころに青いメッシュが入っていた。
「その髪色、悪くないと思うけど?」
「そうかな?」
「ええ。可愛いと思う。わたしの歳だともうそういうお洒落は難しいから、少しうらやましいわ」
「すみれさんだって好きにやればいいんじゃないの? 今はもう政策秘書とかやってないんだから、別に髪色くらい……」
「いやいや、そういうことできるのって若いうちだけだから」
すみれはかぶりを振って苦笑した。
「――そもそもわたしの場合、生保レディとか行政書士とか、そういうカタめのお仕事をしてる人間のふりをしなきゃいけないこともあるでしょう? だからそんなふうに髪で遊ぶのは絶対にNGなの」
すみれは肩をすくめ、まだ手をつけていないアイスクリームを葉月の前に押し出した。これも食べていいという意味だろう。食事へのこだわりは特にない葉月だが、甘いものは話が別だった。
「そういえば、期末試験が近いんでしょ? 勉強のほうは大丈夫?」
「……まあね」
「親御さんへの手前もあるし、しばらくは試験勉強に集中してもいいんじゃない? ついでに身体も休めて……」
「その間はあいつに任せておけばいいってこと?」
「勉強優先はザキくんもよ。ほかにも頼りになる人はたくさんいるし、この時期はあなたたちは試験に集中したほうがいいんじゃないのかなって」
「試験勉強うんぬんをいうんだったら、わたしよりあいつの心配をしたほうがいいと思うけど」
「……え? ザキくんて成績よくないの? 対面して話してるぶんにはやたら思慮深くて賢そうなんだけど」
「成績が悪いっていうか、事故で入院してたせいでまるまるひと月ぶん授業に遅れてるんだから、試験が危ないのは当然でしょ。本人は澄ましてるけど、科目によっては赤点不可避じゃないの、あれ?」
アイスクリームをたいらげ、葉月はにっと笑った。
よくよく考えてみると、葉月は日々の悩みや愚痴を、すみれ相手にたびたび打ち明けている。実の家族にはとてもいえないようなことも、すみれになら話せる気がする。
その意味では、マッドサイエンティスト気質のある純よりもすみれのほうが、リターナーたちのメンタルケアによほど役立ってくれていると思う。
☆
その日の夜九時すぎ、高梨まひろが帰宅してきた時、広い家には誰もいなかった。
「…………」
薄暗いキッチンの冷蔵庫を覗くと、ラップをかけられた料理の皿が目についた。そういえばけさ家を出る前に、母親がきょうは遅くなるといっていたような気がする。父はきのうから学会だか何だか、とにかく仕事絡みで関西に行っていて、明後日まで戻ってこない。
成長期の少女の適正カロリーに合わせたのか、まひろからすればなかなかのボリュームのあるポークソテーを一瞥し、軽く舌打ちする。
「ダイエットしてるって何度もいってるじゃん。ホント、人の話ぜんっぜん聞いてないんだから……」
自分のいうことをろくに聞いていない母親に腹を立て、まひろは皿を戻して冷蔵庫のドアを閉めた。
まひろの両親は揃って病院を経営している。父親は院長として忙しくはたらき、母親もそれを手伝うために家を空けることが多かった。もしまひろが男であれば、おそらく父の跡を継ぐために、もっと勉強しろとせっつかれていただろう。若いうちから進む道を決めつけられずにすんだという意味では、まひろは運がいいといえる。
しかし同時にまひろは、両親があまり自分に期待していないということをはっきりと理解していた。
実際、まひろの親はひとり娘にあまり干渉してこなかった。そのつもりがあれば大学まで内部進学できる水無瀬学園に入学させた時点で、親としての義務はほぼ果たしたとでも考えているのかもしれない。
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