第一章 自称上位者 ~第四節~
まひろとしても、留年しない程度の成績と出席日数を維持してさえいれば、必要以上に束縛されることのない今の生活は、どちらかといえば居心地がよかった。進学や就職といったことであれこれ悩む必要もない程度には裕福な家に生まれ、加えて自分はまだ若く、それにたびたびスカウトされるレベルのルックスも持ち合わせている。平均よりもかなりめぐまれているという自覚がまひろにはあった。
ただ、それでも何か足りない気がする。
「……ふぅ」
メイクを落とし、シャワーを浴びて、まひろは自室のベッドに寝転がった。
来週にはもう期末試験期間に突入するが、さして心配な科目はない。親の遺伝か、それとも小中学校時代の貯金のおかげか、がっつり詰め込まなくとも、まひろはいつもそこそこの成績はキープできている。学業面で唯一懸念材料があるとすれば体育くらいだった。
「……そういえばあした水泳じゃん」
小学校の高学年まで、まひろは近くのスイミングスクールに通っていた。おかげで今も泳ぎは得意なほうだし、学校指定の水着がまったく可愛くないことを除けば水泳の授業に不満はない。
思い返してみれば、まひろは小学生の頃までは塾やいろいろな習い事をしていて、母親もそれにつき添ってくれていた気がする。だが、まひろが中学受験に失敗したあたりから、親はあまりまひろに手をかけなくなってきた。もしかすると、両親は受験に失敗したまひろを見て、この子は医者になって跡目を継ぐ器ではないと判断したのかもしれない。
「もしかしてあれが分水嶺ってヤツだった? 今じゃ見事に低いほうへ低いほうへ流されちゃってさ――」
そう自嘲しても、いまさら自分を変えることはできそうにない。
おそらくあしたもまひろはきょうと同じように学校へ行き、教師に睨まれない程度にサボりながら授業を受け、いつものメンツで集まっておしゃべりしたり、放課後にはカラオケかショッピングにでも行って騒ぎ倒して、夜には無言のまま誰もいない家に帰ってくるのだろう。ほぼ毎日がそんな繰り返しだった。
いつもつるんでいる友人たちが、まひろにとって決して親友と呼べる存在ではないことは、まひろ自身がよく理解している。いっしょに陽気に騒いでいても、彼らがまひろのことを内心ではどう思っているかは判らないし、まひろにしたところで、彼らの人間性が好きだから行動をともにしているわけではない。本当のことをいってしまえば、まひろたちはあの学園の上位カーストなどではなく、単に校風に馴染めずに浮いているだけの集団でしかなかった。自分たちが学園内での少数派だということを感じているからこそ、寄り集まってそれを忘れようと明るくふるまっているだけで、とても本心を打ち明けることのできるような関係ではない。
物質的には充実したそこそこ楽しい日常を送っているのに、それでも何かしらの物足りなさを感じるのは、人間関係で満たされていないからかもしれない。
「あいつは……そもそもあんなふうには騒がない、か」
部屋の明かりを煌々とつけたまま、まひろはアラームをセットしてタオルケットの中にもぐり込んだ。
☆
その日の深夜、古株リターナーの
「高梨まひろ……?」
「はい。ご存じでしたか?」
「知っているといえば知っているけど……」
「目立つ生徒ですか?」
「……ええ」
少しいい淀んでから、霧華は溜息とともに続く言葉を吐き出した。
「高梨さんのご両親はそこそこ大きな病院を経営なさっている。最近はさらにビジネスの幅を広げようとしているみたい」
「あら、それではお嬢さまとも面識は――」
「特にないわ」
戸隠家と深い親交をむすべる一族というのはかぎられている。高梨家もそれなりの資産家には違いないが、それでも全国区というほどではない。いずれ向こうから接触してくることはありえるが、まだそれは先の話だろう。
「親御さんのことはよく知らない。けど、高梨さん本人は……そうね。悪い意味で目立つ子よ」
「悪い意味?」
「少し校風にそぐわないと思う」
「ああ……」
資産家の子弟の中に一定数の素行の悪い者が存在するのは仕方のないことだが、
しかし、逆にいえば、クラスの運営に悪影響をおよばさない程度の、やや素行に難のある生徒たちが一定数いるというのも事実だった。高梨まひろは、問題児のレッテルを貼られるとまではいかないものの、入学直後から教師陣に目をつけられている生徒のひとりらしい。
ぬるい夏の夜風に乱れた髪を手櫛で整え、霧華は土手の下のほうで“戦後処理”をしている美和子と
「……山内さん、どう?」
「どうにか……はい、あらかたすみました」
まくっていたワイシャツの袖を戻し、山内が振り返る。その背後では、少し前まで人間の姿をしていたものが、形を失い細い煙に変わって空に立ち昇っていた。
「そこまで神経質になる必要ないんじゃありません? わざわざ山内さんに来てもらって処分しなくてもいいと思いますけどねえ」
山内に続いて土手を上がってきた美和子は、ふたりのエローダーをひとりで倒したとは思えないほどのんびりとした口調で、ホワイトチョコをかじりながらいった。
「――警察がどんなに調べたって、溺死にしか見えっこないんですし」
「確かにそれはそうですけど、膝までの深さしかない浅い川で、しかも大の男がふたりいっしょに溺死なんかしていたら、むしろ大騒ぎになりますよ? どんな状況で溺死したのかって、マスコミが飛びついて――」
「すみれちゃんは気を回しすぎ、細かすぎるのよ~。そんなだからオトコができないんじゃない?」
「……はあ」
デリカシーに欠けるその言葉にすみれは特に怒った様子は見せなかったが、どこまでも呑気な美和子に呆れてはいるようだった。
「まだ警察のほうへの根回しが行き渡っていないし、今は神経質くらいでちょうどいいの。……ともあれご苦労さま、美和子さん」
「いえいえ、お安いご用ですよう」
ふだん戸隠邸で家政婦をしている月城美和子は、見た目こそまるまると太った陽気な四十路の女だが、実力でいえばかなり強い経験豊富なリターナーだった。若い頃、人間関係で失敗して引き籠もりになり、食べて寝るだけの生活を繰り返してきたせいで糖尿病になったが、それに由来する昏睡状態におちいったことで“
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