第二章 いろいろと欠けている女たち ~第三節~
「意識してる?」
「そう。ふたりとも、境遇を思えば仕方ないんだけど、ずっと同年代の男の子と距離を作ってるでしょ? “機構”で顔を合わせる男の人はみんなもう大人ばかりだし。そこにザキくんていう同じ高校の男の子が現れて……」
「お嬢さまはともかく、はづっちはザキくんのこと嫌ってるみたいですけど?」
以前、
「意識してるっていうのは、別に好きって意味だけじゃないのよ。何というか……無視できないっていうのかな? 気になって仕方ないってこと。そこから恋愛感情に育っていくケースも多いと思うけど」
「はづっちとお嬢さまが、ザキくんにそういうものを感じてるってことですかー?」
「わたしはそうだと思うよ。あの子って淡々としてて愛想には欠けるけど、それなりに顔立ちは整ってるし……」
「そんなにモテるんですかー、ザキくんて?」
「クラスで? モテるって話は聞いたことないけど、でもそれは、ほかのクラスメイトたちが彼の正体を知らないからじゃない? 逆にお嬢さまや葉月ちゃんは、ザキくんが本当はとても強くて信頼できるってことを知ってるでしょ? それで余計に気になるんじゃないかしら?」
「ふぅん」
適当に相槌を打ちはしたものの、純にはすみれのいっていることがよく判らない。もともと純は人の気持ちや場の空気を読む能力がいちじるしく低いが、特に恋愛絡みの感情の動きが理解できない自覚があった。
「――そんなふうに何かと気になるザキくんに、幼馴染みの
「まあ、お子さまたちのメンタル面のケアはすみすみに任せるとして、もし本当にその子がリターナーになれたのなら、できるだけ早く面会できるようにしてくださいねー。あんまり期待せずに待ってますから」
ことさらそっけなくこの話題を打ち切った純は、袋を傾け、残りの麦チョコを一度に全部口の中に流し込んだ。
☆
母が運転してきたゴツいベンツの後部座席に座ったまひろは、何も聞かずに勝手に窓を開けた。
「クーラー効いてるでしょ?」
「自然な風に当たりたいの。でないと酔いそう」
人工的に冷却された空気を浴びていると、ときどき頭の芯が痛くなってくる。自分はそんなたちだったことを思い出し、まひろは静かに嘆息した。
「それにしても本当にびっくりしたわ」
「何が?」
「何がって……あなたが救急車で搬送されたって聞いたからに決まってるでしょう? そんな話を聞いて驚かない親はいないわよ」
一瞬、ミラー越しに母親と目が合う。彼女の表情には、娘を気遣っているようでいて、一方では腫れ物に触れるかのような、どこか距離感を掴みかねているような戸惑いもにじんでいた。
「それこそこっちの心臓が止まるかと思ったわ」
「今の冗談? わたし、本当に心臓止まってたんでしょ?」
「みたいね。でも処置が早くて助かったわ。後遺症もないみたいだし……いいスタッフが揃ってるのね」
「やたら褒めてるけど、あそこって商売敵じゃん」
「それはそうだけど……」
いいスタッフや設備がそろっているといいながら、それでもまひろの親が娘を自分たちが運営する病院に転院させたのは、やはり面子のことを考えたからだろう。院長のひとり娘の治療もできない病院といわれたのでは立つ瀬がない。
「……そうまでするならパパも顔くらい見せればいいのに」
「ん? 何かいった?」
また母親と目が合う。こんなに長く母親と会話をしたのはいつぶりだろうか。まひろにはもうそれが遠い昔のことのように思えて、どうしても思い出せなかった。
「わたし、何日くらい入院してた?」
「覚えてないの? 三日よ」
「すごく眠かったから、時間の感覚がちょっと狂ってるみたい。……水泳の授業が水曜日だったから、じゃあ、きょうは金曜日で――週が明けたらもう期末試験か」
これが大学受験であれば、試験直前に三日も棒に振るというのは致命的な損失になったかもしれない。しかし、試験といっても高校一年、一学期の期末試験で、しかもまひろは極端に成績が悪いわけではなかった。現に母親も、娘の試験の成績を心配している様子はない。あるいは、単に興味がないだけなのかもしれないが。
「おとうさん、あしたの懇親会をキャンセルして今夜戻ってくるって」
「へえ。どうせ戻ってくるなら、わたしの心臓が止まった時だったんじゃない?」
意識せずに刺々しい言葉が口をついて出てくる。バックミラーを見ずとも、母親が困惑の表情を浮かべているだろうことがまひろには判った。
「それは……おかあさんが病院に駆けつけた時には、あなたはもう意識が回復していたから――」
「うん、別にいい。いってみただけ。――ただ、パパが大急ぎで戻ってきて愛娘の治療に専念したとかなら、そこそこの美談になってウチの病院の宣伝になったかもしれないかなって」
「おとうさんがあの日に慌てて戻ってきたとしても、やることなんて特になかったわよ。あなたが入院したのだって、万が一のことを考えて様子を見ただけだし……」
「点滴打ってもらったじゃん。栄養剤だったと思うけど。わたし、とうさんに注射の一本も打ってもらった覚えないよ?」
「そうそう、そのことよ。あなた、少し神経質すぎじゃない? ぜんぜん太ってないのにダイエットなんて……栄養失調になったらどうするの? もともと貧血気味なんだし、もうやめなさい。あなた充分に細くて可愛いわよ?」
少し前までは娘に対してやや遠慮がちだった母の口調が、まひろにしてみれば馴染みのある、それこそ神経質ないつもの感じに戻っていた。
「それはどうも」
親の欲目を抜きに自分が可愛いことは判っている。ただ、それとダイエットはまったくの無関係だったし、それにもうまひろはダイエットを続けるつもり自体なかった。
「…………」
ベンツが止まり、車内に流れ込んでいた風が止まる。ふと視線を転じると、反対車線のさらに向こうの雑居ビルの屋上に、大きなカラスがいるのが目に入った。手摺にたかり、あちこちに視線を飛ばして、エサか何かを捜しているのかもしれない。
「……聞いてるの、まひろ?」
「え?」
「だから、これからはもう少し生活習慣をあらためなさい。仕事にばかりかまけてあなたをケアしてあげられなかったおかあさんたちも悪かったけど、あなただってもう子供じゃないんだから」
娘が死にかけたというのは、これまでの教育方針を大転換させるほどの大きなトピックだったのか、母はいまさらのようにそんなことをいい始めた。
「そうね、もう子供じゃないもんね」
目を細めたまひろの視線の先で、カラスが黒い羽根をまき散らしてはじけ飛んだ。
「とりあえずダイエットはやめるから」
最後にそうつけ足し、まひろは窓を閉めた。
☆
来週の水曜日から
だいたいの科目については、どうにか授業に追いつくことができたが、いくつかまだ厳しい科目がいくつか残っていた。英語と地学、何より数学が難敵となっている。地学はまだいいとして、英語と数学で赤点を取るのだけは避けなければならない。そのため重信は、エローダーの跳梁がないことを祈りつつ、このところ毎日深夜まで試験対策の勉強にいそしんでいた。当然、週末だからといって遊んでいる暇はない。
重信の部屋の窓にこつりと何かがぶつかったのは、そんな勉強漬けの土曜の夜のことだった。
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