第二章 いろいろと欠けている女たち ~第二節~
「……毎回こういうことがあるのは困るんだがな」
「毎回?」
「心肺停止状態の急患がかつぎ込まれるたびに、リターナーになったのかどうかを確認したいといわれても、そうそう柔軟な対応はできないということだ。……今回は幸運にもすぐ回復したが、そのまま亡くなる患者も少なくない。治療は一分一秒を争うし、何かと立て込んでいるところにずかずか踏み込まれてはスタッフの邪魔になる。おまえも医療従事者のはしくれなら想像がつくだろう?」
「でも、ここはそのために作った病院ですよねー? だったら――」
「履き違えるな」
妹の言葉をさえぎり、丈太郎は声を低く落とした。
「……ここはあくまで救急医療を必要とする患者のための施設であって、効率よくリターナーを捜すための場所じゃない」
「だってここ、戸隠家から資金援助を受けて建ててますよねー?」
「戸隠財閥から多大な援助を受けているのは事実だが、“機構”のために設立したわけではないし、親父も私もそのつもりでいる。計画もお嬢さまではなく大旦那さまとの間で進めてきた。仮にリターナー捜しに協力することはあっても、せいぜいついでといったところだ」
「えー?」
「……いいか、純。これだけはいっておくぞ?」
丈太郎は純の白衣の襟首を掴んで強引に立ち上がらせた。
「リターナーを能動的に作ろうなんてことは考えるな。少なくともここではそんな真似は絶対にさせん。絶対にだ」
「あれ? ジョニィにその話したことありましたっけー?」
「臨死体験から生還した人間が一定の確率でリターナーになるのなら、その分母を大きくしていけばリターナーの数も増える――おまえはそう考えているんだろう?」
「まあ、冷静に考えれば誰でも思いつくことですしー」
「しかし、まっとうな思考の人間は、そのことに思いいたったとしても実行に移そうとは考えない」
「でも、どれくらいの割合でリターナーが誕生するのか、それなりのデータを取るには再現実験するしかなくないですかー?」
「その実験のために、リターナーにもなれず、それどころかそのまま命を落とす人間がどれだけ出るか、おまえには計算できるのか?」
「だからー、そのへんのデータを取るためにも実験を――」
「そんな非人道的な実験をしてみたいと、真顔でお嬢さまに頼み込むおまえの気が知れん。おまえのいう精神的なハードルの下がったリターナーより、おまえ自身のほうがよほど人の命を軽く見ていることに気づけ」
「そっかー、お嬢さまがジョニィにいったんですねー」
「おまえが医者にならなかったのは正解だ。おまえがどんなに天才でも、人を人として見ないおまえに医療活動は無理だろうからな」
そこで丈太郎はようやく妹を解放し、襟の乱れを直してやった。
その直後、院長室のドアがノックされ、通話のために席をはずしていたすみれが戻ってきた。
「……どうしました?」
テーブルをはさんで立ち尽くしている兄と妹を見て、すみれはいぶかしげに眉をひそめた。
「いや、そろそろ帰ろうかなって」
「もういいんですか? おふたりともおたがい忙しくて、なかなかこうして会う機会もないでしょうに……」
「その通り、忙しくて仕事が立て込んでいますから、不肖の妹の相手をしている暇はないんですよ」
すみれの気遣いに対し、丈太郎はやや冗談めかして苦笑した。我が兄ながら、相手や状況に合わせて表情をくるくる変えることができるのは、医師というより政治家に向いているのではないかと、純はときどきそう思う。誰が相手でもどんな時でも態度を変えられない純とは対照的だった。
下りのエレベーターに乗り込んだところで、すみれが口を開いた。
「――兄妹ゲンカでもした?」
「え?」
「わたしが席をはずしていた間に何かあったでしょ?」
「……すみすみにそんな“スキル”ありましたっけ?」
「わたしだけじゃなくて、ふつうの人はみんな空気を読むって“スキル”を持ってるものでしょ? むしろ、そういう基本的な“スキル”をまるで持っていない純さんみたいな人が少数派なんだけど」
「そうですねー。わたしに人として欠けてるところが多いのは認めますよ」
幼い頃から興味のある分野の勉強一色の日々をすごしてきた純は、それ以外のことは何もできないといっていい。得意なスポーツもなければ家事も苦手でこれといった趣味もなく、何より人づき合いが下手だった。周囲に医者が多い環境で育ったにもかかわらず、正式な診断を受けたことがないが、おそらく専門家に診てもらえば、何かしらの名前がつくような障害があるのだろうと思う。
軽自動車の助手席に乗り込み、眼鏡のレンズを拭いてから、純は麦チョコのパッケージを開けた。
「友人どころか親兄弟とも良好な関係を構築できないのは自分に原因があるって判ってる。けど、だからって自分は変われないし、変えるつもりもないですよ。だいたい、わたしがこんな変人なのは、わたしの天才性の代償だと思うし」
「かもね」
「わたしの頭脳が世界平和の一助になっているのなら、わたしが変人だってことも許されるべきだと思うんですよー」
「わたしたちは許してるわよ? 以前はすごくイラっとさせられることが多かったけど、今はもうわりと慣れたし」
シートベルトを装着し、すみれは手慣れた様子でクルマを走らせ始めた。
自分が過度に天才であるということを除けば、純にはほかに誇れるものはない。榎田家は裕福な家柄ではあったが、それは先祖のいとなみによるものであって、純自身の功績ではなかったし、個人の能力で考えるなら、それこそすみれのほうがよほどすぐれた女性だと純は考えている。
「……まあ、本人には会えなかったけど、高梨さんが登校できるようになれば、彼女がリターナーになったかどうかはお嬢さまに見極めてもらえるでしょうし」
「頼れるリターナーが増えてくれるといいですけど、そこまで望むのは欲張りすぎかもですねー」
「確率的にはそんなに高くないってこと?」
「決して高くはないと思いますよ。私としては、そういう方面のデータも欲しいんですけど」
香ばしい麦チョコを食べながら、純はふと思い出してすみれに聞いてみた。
「……そういえば、すみすみはさっきお嬢さまに何の連絡をしてたんですー?」
「ああ、高梨さんが無事だったことを伝えようと思って」
リターナーが増えるかどうかは“機構”にとっては重要な問題であり、霧華がそれを気に懸けるのは理解できる。しかし、今のすみれのいいようだと、霧華が気にしているのはリターナーが誕生したかどうかということより、それが高梨まひろだったからという気がする。
「その子、お嬢さまのクラスメイトとか?」
「クラスメイトじゃないんだけど……お嬢さまとしては気になる相手みたい」
「気になる相手?」
「それがね――」
すみれは小さく笑い、高梨まひろが重信にちょっかいを出そうとしていること、それを知った
「……それ、何が面白いんですー?」
「そうね、純さんには判らないかもね」
「そう思うなら説明してくれます?」
「だから、たぶん葉月ちゃんやお嬢さまは、ザキくんのことを意識してるのよ」
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